今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 自分には価値なんてないと思い込んでいる人
- 自分にいいところがあるなんて思えない人
- 絶対みんなから嫌われていると思い込んでいる人
- 自尊心という言葉の意味が知りたい人
- 自尊心とプライドの違いについて理解を深めたい人
- 話しのネタが欲しい人等
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「自尊心を高める方法」自尊心が低い人は自尊心を向上させて人生快適!」という話です。 自尊心は人生において幸福感を感じるための大前提。
自尊心が低くなってしまうと、「自分なんてどうせ、、、」とか「自分は何やってもダメだ」等と自己卑下が増えていきます。
そして、自分を卑下するような事ばかり言っていると本当に「どうしようもなくダメな自分ができあがっていく」のです。
また、自尊心が低い人の中にはプライドという鎧でガチガチに心を固め「これは、わたしのプライドだから!」なんて強情を張りだす人も出てきます。
幸福感を多く感じて生きていくという点ではどちらの道も適切ではありません。
もう、自尊心を自分で低くするのはやめにしましょう。
自尊心を高めていきましょう。
今回は自尊心の意味やプライドとの違い、その高め方などについて見ていきたい次第。
ぜひ、今回の記事を参考に、幸福感多い人生を送るための基盤である自尊心をあげていってくださいませ。
なお、挑戦する力を向上させたい人は、「好奇心の高め方」についての記事が参考になるかもしれません。
では、ゆるりとお送りします。
目次
自尊心とは何か?
自尊心(self esteem)とは、「自分自身のありのままを受け入れる感覚」の事です。
ちなみに、自尊心は辞書では以下の様に定義されています。
自尊心とは、自分で自分のことを誇らしく思う心を意味する。簡単にいうと、自分への高評価ということである。英語で自尊心は self‐respect、あるいは self‐esteem と表現できる。
引用
ふむ、、、まあ辞書のこの部分の記述だけを見る限りは、ちょいと厳密性に欠ける気がしますねえ。
自尊心が「自分への高評価」であることに疑いはないのです。
ただ自尊心の高い人の「自分への高評価」は、「自分のいい部分と悪い部分の両方を見て総合的に高く評価している」という点で「単なる高評価」とは一線を画しているといえます。
普通の感覚であれば「自分を高く評価している」というと、得てして「もっぱら自分のいい部分に目を向けて高く評価している」と思いがちです。
しかし、「自分のいい部分だけに目を向ける」のは、自尊心が高い人ではなくナルシストなんですよね。
そのため、ナルシストは、ある意味で自分の弱さと向き合う勇気を持たない心の弱い人間といえます。
しかし自尊心が高い人の場合は、「自分のいい所だけでなく自分の悪い所の両方にもバランスよく目を向けて総合的に高く評価している」んですよ。
自尊心が高いと、自分の悪いところもいいところもひっくるめて「全体として自分の事が好き」になれるんです。
そのため、自尊心が高い人は、無用な自責の念や自己否定にとらわれず精神的に非常に安定しています。
ちなみに、自尊心とほぼ同義の概念に「自己肯定感」があります。
自尊心は幸せな人生の源泉である
自尊心は、「人生を幸せに生きていくために重要」です。
最近、自尊心(自己肯定感とも)を高める事の重要性がしきりに説かれるようになってきています。
この流れに対して
「確かに自分に自信が持てた方がいいだろうけど、なぜここまで自尊心が重要視されているんだろう?」
と思う人も多いはずです。
ここではそんな疑問にお答えしますよ。
自尊心を高める事が重要である最大の理由は、
「無用な精神的な葛藤が生じる事がなくなり人生のあらゆる場面において幸せを感じやすくなるから」
なんですね。
んぜ、こんなことが言えるかというとそれは以下の様な理由があるからです。
- 自尊心が高いと長期的な人間関係が築きやすくなる
- 自尊心が高いと自己否定が減り自己成長が促進される
- 自尊心が高いと物事を建設的かつ客観的にとらえられるようになる
以下順次捕捉です。
・自尊心が高いと長期的な人間関係が築きやすくなる
ハーバード発達研究では、人生の幸福感の大部分は人間関係によって決定されるといわれています。
そして、長期的な人間関係を構築するためには「精神の安定性が不可欠である」とも言われているのです。
自尊心の高さは、精神の安定性と非常に密接な関係にあるため「自尊心の高さは人生を幸福感多く過ごすために重要な存在だ」といっていいでしょう。
精神が不安定だと、人間関係におけるささいなすれ違いを過大に問題視したり、相手の行動と悪意を容易に結びつけるようになってしまいます。
例えば、自尊心の低い人は、笑っている人の一団を目にした際になんも根拠もないのに「あれは自分を馬鹿にして笑っているのだ」等と判断することがあります。
また、自尊心が低いと、他人の善意すら素直に受け取れなくなってしまったりしますね。
例えば、自尊心が低いと「あの子はわたしに優しくしてくれるけど、わたしにはそもそも何の価値もないんだから、きっと何か裏があるんだ」等と考えるかもしれません。
そして、これとは逆に「もっとわたしを認めてほしい!」と過剰に承認欲求を発揮して、相手との心の距離感をまるで解さない様なお節介や「わたし凄いアピール」をしてしまうかもしれませんね。
時には意地をはりすぎたりすることもあるでしょう。
また、自尊心が低いと他人の顔色ばかりうかがう「お人好し」になるリスクもあるとも言えますね。
お人好し卒業したい人はリンク先の記事が参考になるでしょう。
いずにせよ、自尊心が低いと「自分の心を自分の意思の力だけによっては支えていけない」ので、人間関係において適度な距離感を保てず人との関係が長続きしません。
良好な人間関係の構築に、自尊心の高さは不可欠です。
・自尊心が高いと自己否定が減り自己成長が促進される
自尊心を高めていくと、自分の至らない点を発見しても「まあ、そんな時もあるさ。次は頑張ればいい」等と軽く流せるようになります。
そのため、自尊心が高くなると変に卑屈にならなくなりますね。
無用な自己否定がへれば、いろんなもの事に果敢に挑戦して自己成長していく事ができます。
自尊心が高い人は精神的に打たれ強いので、ちょっとやそっと失敗したくらいではめげません。
自尊心が高いと「さて、では次はどうするか?」等と頭を使いながら試行錯誤を続けて成功をつかむことが多いでしょう。
自尊心が高い人は、人生において果敢に挑戦を繰り返し、最終的に多くの財や社会的地位、達成感を手にするのです。
自尊心が高いといい意味での鈍感力が身についてくるとも言えそうですね。
・自尊心が高いと物事を建設的かつ客観的にとらえられるようになる
自尊心の高さと精神の安定性は非常に密接な関係があります。
精神が安定した状態では、人の認知能力が正常に働くき物事の判断を本人のもつ最大限の判断力の基づいて下せるんですね。
自身の持つポテンシャルを目いっぱい活用するためには、精神の安定性が欠かせないのです。
精神が安定すれば、物事をその人なりに的確に見定める事が出来ますので、無用な判断ミスを減らし客観的な見地から最適解を見つける事ができるようになります。
精神の安定性は物事を建設的かつ効率的に進めていくために重要なのです。
例えば、自尊心が低下すると「幸せになるのが怖い」という心理になる事もあります。
これをアッパーリミットと言いますね。
アッパーリミットについて詳しくはリンクからどうぞ。
自尊心の類義語と対義語を少しだけ確認
自尊心の本当の意味は、一般的な辞書で調べただけではなかなかわかりません。
ですので、一般的な辞書で自尊心と類義語または対義語の関係にあるとされている言葉は、心理学的な観点から言うと「あまり適切ではない」ことがあります。
そこでまず一度、一般的に自尊心の類義語であるとされる言葉と対義語であるとされる言葉をそれぞれ確認してみたいと思う次第。
自尊心の類義語と対義語の一例は以下の通り。
自尊心の類義語 | 自尊心の対義語 |
自信 | 劣等感 |
プライド、誇り | 卑下 |
優越感 | 卑屈 |
自負心、矜持 | 自己否定 |
心理学的な観点から見て、自尊心と自己肯定感がほぼ同じものであることはすでに述べましたが、プライドと自負心、優越感、矜持に関しては類義語ではありません。
どれも基本的には精神的な面から見てあまりいいものではありませんからね。
その理由に関しては後述します。
自信に関して言えば、広い意味での自尊心ととらえればギリギリ類義語認定できそうです。
そして、上表の自尊心の対義語については、まあ妥当かと思います。
ただし、劣等感をコンプレックスと読み替えた場合は自尊心と対義語の関係にはなりません。
それはコンプレックスの本来の意味が劣等感ではないからです。
コンプレックスの本当の意味について詳しくはリンクからどうぞ。
自尊心とプライドや自負心、矜持は全く違う別物!
自尊心は人生を幸福に生きるために必要ですが、プライドや自負心、矜持についてはなくても人生そこまで困りません。
むしと、矜持と自負心を持つ事は害が大きいとすらいえますね。
では、心理学的観点からプライドと矜持、自負心の違いを明らかにし、それらの有害性についてもあわせてみていきましょう。
・自尊心とプライドの違いとプライドを持つことの問題点
自尊心とプライドは、「他者との比較を行う」という点が決定的に違っています。
プライドは、自分と他者との関係性等を比較して「自分が優位に立っているな」と認識することで生じる感情です。
対して、自尊心は「自分のいい面も悪い面も含めて受け入れていく感覚」ですので、そこに他者の存在が介入する余地はありません。
自尊心は自己完結した感情なのです。
あえて比較という事に着目するのであれば、「自分のいい所と悪い所の比較」をしているだけで他者との比較は行っていません。
自尊心は他者との比較によって生じる感情ではないため、「もっと認めてほしい」といった承認欲求が生まれにくいのもその特徴です。
プライドはその逆で、大いに承認欲求の源泉となりえます。
俗にいう「プライドが高い人」は、他者との比較から「わたしは凄いのだ!」とおごっていますが、その心は実際はもろく弱弱しいといえるんです。
それというのも、あくまでも「プライドの高い人」の自信の根源は、もっぱら「他者と比べたときに感じる優越感」であるためなですね。
どんなに優秀な人であっても世界には上には上がいるもの。
ですので、プライドの高い人もあまりに上の人達と自分を比べると自信を喪失してきます。
そこで、彼彼女らは二つの道のいずれかを選択することになるのです。
まず、一つ目の道は「自分のプライドを守るために下ばかり見るようになる」という道。
※下を見て安心することを心理学では下方比較という。心が追い込まれすぎている時の窮余の一策として使うならまだいいが、常態化すると成長することが難しくなる。
そして、二つ目の道は「過去の成功体験への固執」です。
いずれの場合も、人間関係を損なう嫌な性格の人間になりそうな思考です。
人と自分を比べて優越感を感じる事には害が大きいのです。
キリスト教でも七つの大罪の一つにプライドが挙げられていますが納得です。
少し言いすぎかもしれませんが、プライドは人に不幸をもたらす厄災かなともおもったりします。
ただし、プライドの全てが悪というわけではありません。
実はプライドにもいいやつがいるんですね。
ちなみに、自分の仕事にプライドを持つと仕事の効率が上がるなんて話もあります。
ただ、人生の幸福という視点では必ずしも仕事に誇りを持つことは必要ではないかもしれません。
・自尊心と自負心、矜持の違いと自負心や矜持を持つことによる害
自尊心とプライドの決定的な違いが、「他者との比較に基づくか否か」であったのはすでに述べましたが、これは自負心と矜持についても同様です。
しかし自負心と矜持に関してはプライド以上に害が大きいため、人生には不要だと言っていい程ですね。
なぜ、そこまで言えるかといいますと、自負心と矜持はともに「自分の才能などに自信をもつ気持ち」を意味しているからです。
才能に対して自信を持つという思考の在り方自体に危険が潜んでいます。
もし才能を「努力によって後天的につちかうもの」ととらえていた場合は、その害はおそらくプライドと同程度です。
しかし、才能を「生まれながらに決まっていて後天的には変えられないもの」ととらえていた場合には、もう絶望なんですよね。
例えば、「才能は天性のものだ」と考える思考の一種に、「固定的知能観」というものがあります。
固定的知能観に陥っている人は、「どうせ努力しても頭よくなんてならねえんだよ。所詮クズはクズのままよ」なんてひねくれているので、一向に成長しません。
固定的知能観がどれだけ幸せから人を遠ざける思考であるかわかってもらえると思います。
自分の限界を勝手に決めて努力する事すらしない、、、それでは待てど暮らせど幸せになんてなれっこないでしょう。
自負心や矜持は、おもに「才能を自分の自信の根源」としている点で非常にリスキーなのです。
特に、「才能は生来のものであり変えられない」という思考を持つ人が自負心や矜持を持つと、「何が何でも自分の非を認めない」とか「自分に絶望して死を決意する」なんて事態も起きえます。
自負心と矜持は非常に有害性の高いものといえるのです。
あなたの自尊心は何点ですか?
さて、ではここで一度、あなたの自尊心がどれくらいかをはかってみましょう。
自尊心の測定にあたっては、Mimura & Griffiths両氏によって2007年に発表された日本版RSESというチェックリストをつかいます。
このチェックリストは近年、信頼性が高いテストとして使われています。
ちなみに、「現時点での自尊心が低いからもうおしまい」と言う事はありません。
むしろ、認識しないことの方がよほどおそろしいです。
自分としっかり対峙して改善すればいいだけです。
まず、点数の付け方と点数の解釈です。
以下それぞれの質問に次の基準で点数をつけ解釈して行きます。
以下引用です。
日本版RSES(RSES-J)は、各設問に対して回答者が4段階で評価を行います。4段階の内容は、「1=強くそう思わない」「2=そう思わない」「3=そう思う」「4=強くそう思う」となっています。
ちなみに、10の質問項目のうち、逆転項目となる5つの質問(時々、自分はまったくダメだと思うことがある/私には誇れるものが大してないと感じている/時々、自分は役に立たないと強く感じることがある/自分のことをもう少し尊敬できたらいいと思う/よく、私は落ちこぼれだと思っていまう)については、「4=強くそう思わない」「3=そう思わない」「2=そう思う」「1=強くそう思う」で加点します。
自己肯定感が低い・高いを判断する基準としては、簡単な目安として20点以下を低い、30点以上を高い基準としており、日本の健常者の平均は概ね25点前後であると言われています。
私は、自分自身にだいたい満足している。
時々、自分はまったくダメだと思うことがある。
私にはけっこう長所があると感じている。
私は、他の大半の人と同じくらいに物事がこなせる。
私には誇れるものが大してないと感じている。
時々、自分は役に立たないと強く感じることがある。
自分は少なくとも他の人と同じくらい価値のある人間だと感じている。
自分のことをもう少し尊敬できたらいいと思う。
よく、私は落ちこぼれだと思ってしまう。
私は、自分のことを前向きに考えている。
引用元
https://www.katariba.or.jp/news/2018/08/15/11856/
さて、どうだったでしょうか? ちなみに私は36点ですね。
まあ、納得です。
基本いまとなっては誰とも比較しないでいきていますからね。
ただ、あまりに自尊心が強すぎるという事は自己批判能力の欠如にもなりかねないので高ければいいというわけにもいきません。
「私は私」の考えもいきすぎたら「私がいいからいいんです」という独りよがりになりかねせん。
これは私の今後の課題と言えそうです。
とはいえ、わたしの場合も、さすがに寝不足が長期間にわたって続いたりストレス過多の状況が長いこと続いたりすれば結果は大分変ります。
結果が悪かったい人は、まず自分がストレスの多い状態でないかをチェックしてみましょう。
自尊心が高すぎる事の問題点について詳しくはリンクからどうぞ。
自尊心が低い人の特徴
では、ここからは自尊心の低い人の特徴についてみていきましょう。
・自分の力を信じられない
自尊心の低い人は、自分が何かをやりたいとおもっても、何か仕事を任されたりしてもやるまえから「自分には無理だ」などと決めつけて手をつけないことが多いです。
このように自分の力を信じられないのは自尊心の低さゆえです。
・自分を好きになれない
自分を否定する気持ちや自分を嫌う気持ちが強い人は自尊心が低い可能性があると言えます。
自虐ネタのバリエーションが多すぎる人も要注意と言えます。
自虐のバリエーションが多いという事は、それだけいろんな方面から自分を否定しようとしている証拠といえますからね。
・挑戦する気力がない
「自分に足りないものを補うための努力をすれど一向にうまくいかない」、こんな経験が続くと次第に無気力になります。
これは心理学的には学習性無力感というものです。
失敗が長いこと続くと、新しいことに無関心になり挑戦しようという気力すら失われます。
自分自身の可能性を信じることができないのは自尊心が欠如している証拠です。
・嫉妬深い
自尊心が低いと得てして嫉妬深くなります。
誰への嫉妬が激しくなるかというと「いわゆるできる人」や「運に恵まれている人」などです。
自尊心の低い人は自分の頑張りが報われていないという気持ちが強く、それが原因で嫉妬深くなりやすいと言えます。
場合によっては周りの足をわざと引っ張るようなことをいったり、嫌味をいったりすることもあるでしょう。
ただ、嫉妬も使いようでは有益な感情といえます。
誰かをうらやましいと思うとき、そこには「あなたの欲しいものが明示されている」のですから、、、。
妬みについてくわしくはリンクからどうぞ。
自尊心が低い原因
はい、ここからは自尊心の低い人がなぜ低いのかその原因をさぐっていきましょう!
・失敗に敏感すぎる
過去に失敗を経験していると失敗をおそれて「もう失敗したくない!」と保身にばかり躍起になりがちです。
でも、その選択はあなたが望んだものだったのでしょうか?
自分に嘘をついて選んだ選択は自尊心を損なう原因となりえます。
・他人を気にし過ぎる
自分の意見が批判された時に周囲の意見に流されやすい性格だと、すぐに「自分はまちがっているんだ」などと自己批判を始めてしまいます。
協調性が高すぎる人は要注意でしょう。
なお、男性の場合は体を鍛えることで他人の目線が気にならなくなるなんて話があります。
他人からの目線が気になってシャーないって人は筋トレしようぞ!!
目指せ、ゴリマッチョ!!
・自分の意見が認められない
自分の意見や気持ちが通らないのは自尊心にとっては大きな痛手です。
周りの意見をきくなどして自分自身で決定して意見を変えたのなら何も問題はありません。
問題となるのは自分の意思に反して行動させられたのだとか、無理やり望んでいたことをあきらめたと感じることが多くなった場合です。
次第に「私には価値が無いんだ」などといった気持になり自尊心が損なわれていしまいます。
なので、説得の技術なんて覚えておくといいかもしれませんねえ。
なお、ここではあえて紹介しませんでしたが、幼少期の育てられ方によって自尊心の健全な成長が妨げられることがあります。
これを愛着障害といったりします。
愛着障害についての詳細はストレンジシチュエーション法の記事へどうぞ。
自尊心を高めるための方法
ここからは自尊心を高めるために何をしたらいいのかを具体的にみていくとしましょうか。
・自分の長所に気付く
誰にでも長所はあるものです。
しかし、自尊心が低いと「自分には何もいいところはないのではないか?」等と考えがち。
実は、短所と長所は見方によって変わるものなんですよ。
それはあなたの持つ特性や能力の解釈が状況によって違ってくるからです。
問題は自分の能力や特性の活かし方にあります。
例えば、外向性が低い人は高い人のことを生きやすいなどと考えたりしますが、いいことばかりではありません。
外向性が高いと無神経になりやすかったり、色々な所へいくので事故にあうリスクが高まったりします。
一方、外向性が低いと(つまり内向型)、外向性が高い人とくらべて比較的集中があり細かい作業も得意です。
医師や弁護士等の専門職には適性があるといえます。
また内向型の人は、外向性が高い人とくらべて常日頃から色々な事を考えながら話をしているため、人の心の動きに敏感でもあります。
話すのは得手でなくとも聞くのは得意な人がおおいのではないでしょうか?
自分の長所を探したい方はビッグファイブテストをうけてみるのもありです。
あとはものの見方を変えるリフレーミングも効果的ですね。
そして、内向的な性格を外向的な性格に変える方法についてはこちら。
・すなおにほめ言葉を受け取る
日本の文化のせいもありますが、多くの人は謙遜するのが習慣になっています。
これは自尊心が低い人にはあまりいいことだとおもっていません。
ほめられたら素直に「ありがとう」と感謝を伝えるのがベストです。
しかし、受け取りづらい人もいるかと思うので発想を転換しましょう。
実は感謝をすることは相手への敬意でもあるのです。
誰かがあなたに「優しくて素敵なかたですね」と言ったのに対して「いいえ、とんでもない。私なんて…」と返答する事は相手に失礼です。
なぜか? それは相手の「あなたは優しく素敵だ」という解釈を否定することになるからです。
感謝されれば普通の人は嬉しいので感謝をするのが最善と言えます。感謝こそ最高の返しです。
ただ、なかには「ありがとう」ということに対して「お世辞で言ったのに調子にのるな!」などの返答をしてくる人も中にはいます。
そういう人はそもそもあなたが仲良くできる相手ではなかったとあきらめましょう。
人間誰とでも仲良くはできませんし、誰からも好かれることは不可能です。
もし、反撃が怖いのなら「いいえ、とんでもない。私なんて(まあ、よく親切だと言われることはおおいよ?うん、知ってる知ってる)」みたいに心のなかで謙遜の言葉の後は自分を必ず肯定するようにしてみましょう。
表向きには否定しても心の中では肯定するのも手ですね。
・成功体験を蓄積しよう
やはり、成功体験の蓄積にまさるものなしです。
できる限り無理のない小さな課題を自分に課して、それをクリアしていきましょう。
そして、それをクリアしたら自分を「やればできるじゃん!あなたすごい!」みたいに大いにほめてあげましょう。
課題の設定にはスモールステップの原理が使えます。
スモールステップに関しては自己肯定感の記事で触れています。
・自分史を振り返る
自己効力感の記事でも触れましたが、自分史を振り返ることはとても重要です。
自分がほめられた経験を思い出したり、どんなことを達成してきたのか、どんなことで人の役に立ってき地感謝されてきたのかについても良く思いだしてみましょう。
きっと、何か思い当たるはずです。
あなたは無価値ではありません。
日頃は目の前の事に気を取られて自分の価値に気が付いていないだけです。
ですから、よく思いだしてみましょう。
・環境を変える
あなたにも必ず長所はあります。
短所だとおもっていることも見方を変えると長所になるのは先程お話しした通りです。
ここでいう環境を変えるというのはあなたの長所が発揮されやすい環境作りをするということです。
人にはそれぞれに適性があります。
日本では短所ばかりに目を向けて、それをカバーする姿勢ばかりがよしとされます。
しかし、それでははっきり言って効率が悪いです。
不得意なものは努力の割には進歩しません。
さんざん努力しても人並みになるのが関の山だったりなんてこともあり得ます。
進歩が遅いのでは次第にやる気もうしなわれてしまうというもの。
自尊心が低い人にとってはなおさらです。
例えば、経理で有能だった人が営業で有能かと言ったらそれは違うでしょう。
それは逆もしかりです。
やはり、自分に合ったものをやるべきです。
ですから、学生の人であれば、ビッグファイブテスト等々の診断を頼りに自分の特性を理解して色々なアルバイトをやってみることもいいでしょう。
社会人の方で今の業務が自分にあっていないと強く感じるなら異動願いを出してみるのもいいかもしれません。
なにより、仕事はやってみない限り合っているかなどわからないのです。
客観的に分析したらそれを参考に行動してみましょう。
あと、自分の才能の見つけ方に関しての記事も気になったら参考にしてみて下さい。
上のリンクから飛べます。
・セルフコンパッションを高める
セルフコンパッションとは「自分に対する思いやり」のことです。
現代の社会はやたらと「自分に打ち勝て!」とか「自分に負けるな!」等と言われることが多すぎるような気がしてなりません。
自分に厳しくなるのは自己否定につながるため、メンタル的には害悪といえますね。
なので、自分にもっと優しくなりましょう。
もっと、自分に思い遣りをもってください。
「自分にも人にも優しくなる」のがいいのです。
人に優しく自分に厳しくでは精神のバランスが取れません。
それは自分自身に一種の「自己犠牲を強いている」のと何ら変わりません。
なので、失敗しても自分を責めるのではなく「励ましてあげる」ということを旨としてくださいね。
人間なんてどうせ不完全、「何かが欠けた状態こそが普通」なんです。
完璧なんて追わなくていいのですよ。
もっと自分を大切にしてくだいな。
お願いします。
セルフコンパッションの高め方についてはリンクからどうぞ。
ストレス管理を徹底する
ストレスが多い状態が長いこと続くと、どんな人でも精神状態がすさんで物事を悲観的に見るようになります。
そのため、まずは「何をおいてもストレスケアを徹底する」のを肝に銘じてください。
特に、以下のストレスには要注意です。
- お金がないストレス(最も深刻!幼少期にこのストレスを感じると脳が委縮してしまうリスクもある)
- 睡眠不足(周囲が敵意を持っていると誤認しやすくなる)
- 日々の思考の癖からくるストレス(例:自分はダメな奴だ、自分は無能だ、自分は~でいるべきだ)
ストレス対策として、一番手軽にできるのは「意識して深呼吸する事」でしょうか。
「何だそんな事か」と思われるかもしれませんが、結構ストレスをためないためには重要なので気をつけてみて下さい。
毎日深呼吸を意識していると徐々に変化を感じてくるはずです。
深呼吸以外の具体的なストレス対策についてはリンクからどうぞ。
なお、こんなストレスの多い現代ですので、生きる上での基本的な姿勢は老子がいっていた「上善は水のごとし」といっていたように水のような生き方なのかなって思いますね。
ストレスは上手に受け流したいものです。
・自分の「人生にはこうあってほしいという願い」に気付きそれに沿って生きる
おそらく「「自分の人生にはこうあってほしい」という願いに気づき、それに沿って生きるという方法」がここまで見てきた自尊心を高める方法の中で、もっとも実践的かつ効果的な方法です。
まあ、わたしがカウンセリングに採用している手法だから多少大げさに言っている面もあるかもしれませんが、自尊心を高めるためにこの手法が非常に有用なのは確かですね。
誰にでも直感的に感じる「自分の人生にはこうあってほしい」という願いがあります。
※この願いの事を心理療法のACTでは「価値」と呼ぶ。
しかし、多くの人はその願いに気が付いていないので、目先のゴールを目指してひた走り一時の達成感に酔いしれがちです。
しかし、ゴールは到達した瞬間にゴールではなくなるので、また今度は次のゴールを模索して再出発の繰り返し、、、。
ゴールを達することに熱中している内は、ある種の達成感という快感におぼれ「やったぞ!やってやったぞ!」なんて高揚感にひたっているでしょう。
しかし、ある時気が付いて見たら「、、、おかしい、わたしの人生こんなはずでは、、、」と思うときが突然訪れたりするんです。
目先のゴールにしか目を向けなかった結果、自分が全く望まぬ地平にたどり着いていたという事態ですね。
その具体例としては、以前紹介した「人生に多い後悔」があります。
例えば、多くの人が死に際にしがちな後悔として「もっと家族との時間を大事にすればよかった」というものがありますね。
家族のことなどお構いなしで、バリバリと仕事をして出世をして順調にキャリアを積んだ人が、晩年になってから家族との絆の重要さを痛感するという事態はままあることです。
「家族のために一所懸命に働いていた人」程、この手の後悔はつらいものでしょう。
なので、できるだけ早くから、自分が「いったい人生に対して何を求めているのか」をある程度はっきりさせる必要があるのです。
人生で大事にしたいものを見つけたらその方向に向かって生きる事になります。
時に、本来のめざす方向性とはちがう方向へと進むときもあるでしょう。
でもそんな時でも、自分の向かいたい方向はわかっているので「おっと、こっちは違った。向こうに行かなきゃ」等と判断できます。
こうした軌道修正を繰り返していると徐々に「自分は自分の意思によってきちんと人生をコントロールしているぞ!」といった満足感が得られるようになるんです。
そして同時に、軌道修正するたびに「自分の人生を軌道修正した」という成功体験を積むことになります。
このような一連の過程をへて自尊心は着実に高くなっていくのです。
どうでしょう?
一度自分の人生への願いを明らかにしてみては?
「自分の人生への願い」を見つけたい方はリンクからどうぞ。
自尊心の保ち方(私の場合)
さて、ここからは完全に余談です。
興味がある人は読めばいいし、無い人は読まなくていいものです。
先程の結果からわかるように基本的に私の自尊心は低くないです。
でも元々は結構低いやつでした。
そして、行きすぎた完璧主義でした。
そんな私が自尊心を取り戻した考えについて少し話そうかと思います。
ではでは、何か参考になりそうだとおもえたらどうぞ。
・死を友人として生きる
死を友人として生きると結構心が軽くなります。
いきなりこいつは何をいっているんだ? と思う人が多そうなタイトルをつけましたが、タイトルどおりです。
死を忌み嫌うのではなく受け入れること、むしろ友人として迎える事を意味しています。
死は誰にでも訪れます。
それが遅いか早いかだけにすぎません。
いずれ結局皆死ぬのです。
さらに今生きている事は偶然にすぎません。
もしかしたら、明日通勤の際に事故にあって死ぬかもしれない、夕飯の買い物の際中に車にひかれるかもしれない…生きているのは奇跡です。
むしろ死こそがありふれた状態、当り前の状態なのかも知れないと思うのです。
そう思えばこそ、生きていることと死んでいる事にそう違いはないというか、違いを見つけようという気すらなくなってきました。
今自分が感じる心に素直に行動すればいつ死んでも悔いはない、だから、常に自分の本心を大事にしようという考え方になりました。
これが死を友人として、つまり、死を受け入れて生きるという私の考えです。
見栄のために自分の本心やあり方を偽ること、そう、プライドや自負心を持つことも悔いを残して死ぬことになると考えています。
生に執着せず、今の気持ちに素直に生きることが大切だと思います。
・不完全こそ完全と知る
不完全であることを受け入れたときに、人生は生きやすくなるものです。
昔の私は自分が「人間であることが憎かった」のです。
チータ―のように速く走れず、象のように怪力でもない…知能はスーパーコンピューターに劣る…自分の無能さが嫌でした。
本気で全身を改造してサイボーグになりたいと思っていました。
死ぬことで全部おわりにしようと思ったことも一度や二度ではありません。
さらにいえば、当時は「死こそ完全な状態」とすら思っていました。
まあ、今でもそう思わないわけではありませんが、逃げの死は選ばないと決めています、とりあえず。
人間は一人では大したことなどできません。
できることはたかが知れています。
みなたった一人で完結はしない、皆足りないものがあってそれを補い合いながらいきている、そう思ったら不完全こそがある意味最も完全に近いあり方であると思えました。
そうおもってからは、別にできないことがあった所で気ならなくなりました。
私が得意な事は私がやればよく、私が苦手なことは人に頼めばいいということです。
もちろん、人に迷惑かけようが何だろうが知らないということではありません。
自分は自分の得意な分野や強みで貢献することを目指し、頼む時には快く引き受けてくれるように心を砕くのです。
それでこそ全体で完全だと解釈しています。
・社会は所詮作られたものと知る
わたしは権威や社会的地位と言うもの自体には何ら敬意と尊敬をもっていません。
なぜなら、それらはみな「人間の都合で創り上げられたもの」にすぎないからです。
今、社会でありがたがられている権威や地位は原始時代、いや、地球が誕生する以前からこの世界に存在していたでしょうか?
宇宙の摂理に則った普遍的なものでしょうか?
違うはずです。
見方にもよると思いますが、人間社会が成立する中で人間が自分達の都合で勝手に作ったものです。
そんなものをありがたがるなんて個人的にはバカげていると思います。
そんなものは元々なかったのです。
言ってみれば承認要求が強いからこそほしくなるだけのものです。
冷静に考えれば何の価値もない、とるに足らないものだと思うですよね。
そう考えてからは、もう人より偉くなるとか地位がどうとかを気にする事が無くなりました。
それにどうせ死んだら全てが無に帰すということもあります。
ならば、もっと自分の心が喜ぶことをした方がいいという話です。
過去の私は戦って相手を屈服させ、そして支配するといった征服者としての人生こそが正しいんだと思っていましたからね。
まあ、不毛の二文字につきます。
もうそんなつまらない考えに基づいた生き方はしたくありませんよね。
本当に大事なのはいわば対等な立場での親友であり、良好な人間関係です。
もっとも、承認されてなんぼ、偉くなってなんぼの修羅のような人生が快適ならそれもいいのかもしれません。
それが楽しいというのなら別にいいとはおもいます。
どう生きるかは結局その人次第でしかないですから。
私から言う事は何もありません。
・人は死ぬ時は独りであると知る
人は一人で生まれ一人で死にます。
漫画『闇金ウシジマくん』でのセリフ。
「みんな独りだ。死ぬ時は独りぼっちだ」。
これを私は真実だと思っています。
冥土にもっていけるお土産は楽しかった思いでだけ。
誰とも一緒に冥土には行けないのです。
結局のところ、承認されることに重きをおく、つまり他人に過度に期待しながら生きる人生の結末は淋しさでしかありません。
私は「今をどう生きるか」だけではなく「どう死にたいか」と言う視点からも生きることを考えています。
その結果、悔いなく死ぬには誰にも何も過度に期待はしないことにしました。
出会いも別れも事実を事実としてただ淡々と受け入れ評価しないという姿勢です。
心理学でいわれていることに「人は誰でも状況次第で裏切る」というのがあります。
私は個人的に納得しています。
だからこそ、進んで人を信用はするがしすぎないことにしています。
前向きな意味で相手が裏切ることを前提にしています。
そう思えば、人間関係も楽に考えられます。
どうせ、場合によっては裏切られるし、死ぬ時は独りです。
しかし、楽しく過ごした日々の記憶はその時は紛れもない事実だったのです。
それで十分と言う考えです。
もっとも、私自身は絶対に自己犠牲だけはしません。
が、自己犠牲でない限りは人に進んで喜ぶことや助けになることはしたいです。
それはシンプルに「自分が嬉しいから、楽しいから」にほかなりません。
今私が生きている原動力はほとんどその楽しさです。
それが無ければ直ぐにでも自殺するかもしれません。
もっそも、それでもわたしには何ら問題はないのです。
生きること自体に執着はないのですから。
おわりに
この記事は「「自尊心を高める方法」自尊心が低い人は自尊心を向上させて人生快適!」と題しておおくりしました。
この記事では自尊心とプライドとの違い、また自尊心を高める方法について述べました。
自尊心の高め方には以下の方法がありました。
- 自分の長所に気付く
- すなおにほめ言葉を受け取る
- 成功体験を蓄積しよう
- 自分史を振り返る
- 環境を変える
- セルフコンパッションを高める
- ストレス管理を徹底する
- 自分の「人生にはこうあってほしいという願い」に気付きそれに沿って生きる
全てをいきなり変えて行く事は困難です。
まさしく、小さな成功体験を積むつもりで自分のやりやすいものから取り組んでいきましょう。
その過程であなた自身の自尊心が増すにつれて、自分の可能性がいかに豊かかに気が付くでしょう。
自分の人生がいかに希望に満ちたすばらしいものであるかとわかるはずです。
ぜひとも、あなたの自尊心を高めて、人生の新たな地平を切り開いて下さい!!
では!
参考
自己肯定感を診断できるチェック方法 | NPOカタリバからのお知らせ | 認定NPO法人カタリバ
自尊心(じそんしん)の意味や定義 わかりやすく解説 Weblio辞書
参考記事等
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