「なんで、親を切るって書いて親切なんだろうか?ふと気になった、、、親を切るとかヤバいやん。どう考えてもネガティブな意味でしかない。それがどうしてポジティブな意味になるの??わけわからんよ」
ふむ、確かに文字だけ見ているとようわからんね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回は「親切が「親を切る」と書くのはなぜ?親切の難しさと効果」という話題です。
親切って不思議な言葉ですよね?
語源が気なります。
そして、親切も一歩間違うとお節介になってしまいます。
人に親切にするのも大変です。
今回は「なぜ親を切ると書いて親切なのか?」や「本当の親切とは何か?」といった事に迫ってみたいと思う次第。
では、ゆるりとお送りします。
目次
1、親切の語源
「親切ってよくよく見ると『親を切る』てよめるよね。こわっ!!」
まあ、同感です(笑)。
私も「なんじゃこりゃー!」て思ったことは一度や二度ではないですから、気持ちはわかります。
さて、では本当のところはどうなのか語源をしらべてみましょうか。
はい、気になるんで語源由来辞典さんに聞いてみたところ次のことが分かりました。
・「親」は親しい、身近に接するという意味。
・「切」は刃物をじかにあてるように、身近である、行き届くという意味。
・「親切」は「身近に寄り添い、行き届くようにする事」と言う意味。
・思い入れが深く切実であることの意では「深切」が用いられる。当て字として「心切」も用いられる。
どうやら、本当に「親を切る」ではなかったようです。一安心といったところでしょうか。切るのは悪だけにしてほしいものです(笑)。
2、親切とお節介は全く違う
親切の辞書的な意味は「思いやりがあって、人のために尽くす事」です。
一方の、お節介は「迷惑になるような余計な世話を焼くこと」です。
さて、この二つを見て何を感じますかね?
表現上、「親切」には「他人がどう感じるかと言う視点」が明言されていません。
強いていうなら「思いやり」という言葉に「他人がどう感じるかという視点」が含まれているかもしれませんが。
他方、お節介は「親切を受ける側の視点」での表現です。
よく、使われる表現に「自分のされて嫌なことは人にはするな」と言うのがあります。
ここにも「相手の視点」がありません。
自分と相手は別の人格を持ち、感性の違う他人です。
自分がされて嫌でも相手がされて嬉しいことはたくさんあります。
例えば少し強引な例ですが、食物アレルギーでチョコレートを食べれない人は「私がチョコレートもらっても困るから、人にはあげない」てことになります。
もっとも、この例は「常識的にはチョコレートをもらったら嬉しい」という前提を無視してはいます。
結局、これらの表現は常識をベースにして「人のされて嬉しい事や嫌なこと」を決めてるって話です。
でも、常識は個人の単なる独りよがりの思い込みだったりします。
誰かが「こんなのは常識だ」と言う時の常識は大概その本人にとっての常識であって、ただの思い込みです。
究極的には常識なんてただの思い込みといえそうです。
だからこそ、「親切にする」ときは「相手はどう思うか」、この視点を失ってはいけないわけです。
自分の中での常識でいい悪いを判断すること自体に問題があります。
本当の意味での親切は常識を疑い、「相手のためには何をするのが適切か?」という視点が欠かせません。
わからないなら直にきくか、人づてに聞いたらいいのです。
心理分析をしてもいいでしょう。
「お節介でも気遣ってくれる気持ちが嬉しい」などと言うひともいますが、お節介をする人は大抵視野が狭く、相手の都合ではなく自分都合で衝動的に行動しています。
あなたのためとは限りません。
「見ていてつらいから助ける」とある種同等の自分本位な行動かもしれません。
冷静さを失った感情が多くの問題を引き起こしてきた歴史をわすれてはいけません。
お節介をする相手にはきちんと「お節介です」と伝えた方が本人のためであり自分のためにもなります。
もちろん伝え方は大事ですが。
とはいえ、お節介をしたがる人によくありがちなのは「人の善意を何だと思っているのか!」と怒ることです。
大体の場合、何を説明してもわかってくれはしません。
私は人間関係を大事にしたいし、皆さんにもそれをつたえたい。
しかし、あえて言います。
不要な人間関係というものもあります。
あなたの負担にしかならないのなら関係を断つことにちゅうちょは要りません。
理解し合えない人との関係は諦めましょう。
まとめると、本当の「親切」は相手の都合をベースにして「どうしたら相手のためになるか」を考えた行動。
一方、お節介は「自分の感情本位で冷静さを欠いた衝動的行動」ということですね。相手の視点を忘れずにいたいですね。
参考記事等
3、親切にすることの効果
さて、前章で「親切は他人視点が大事」といいましたが、それはひとまず置いておきます。
ここからは人に親切にするとどんな効果があるかについてみて行きたいと思います。
人に親切にするのは実際にはとても自分にとって良いことなんです。
その効果を語る上で重要なのが幸せホルモンなどとも呼ばれるオキシトシンです。
このオキシトシンは親切を心掛けたりすると出てきます。
以下の効果は主にオキシトシンの効果によるものです。
・心の健康に効果的
はい、人に親切にすると心が健康になります。具体的には以下のような効果が研究などから明らかになっています。
- 人に親切にするとストレスを感じにくくなる
- 人前で不安や緊張を感じにくくなる
・人への疑いがへり、相手の感情が理解しやすくなる。結果、人とコミュニケーションが取りやすくなる。
なお、人への疑いが減るのは危険を判断する脳の扁桃体の活動がオキシトシンにより抑制されるからです。
・体の健康に効果的
人に親切にするとオキシトシンが分泌されますが、オキシトシンは体に凄くいいです。研究等から明らかになっている事を列挙すると…
- オキシトシンのおかげで心臓や血管が健康になり、心臓病や血管系の病気になるリスクが下がる。
- オキシトシンの効果には抗炎症、抗酸化作用があり、アルツハイマー病やパーキンソン病の予防が可能である。
まあ、他にもたっくさんあるんですが、ありすぎるのでここまでと言うことで(笑)。
・アンチエイジング効果
はい、老化の主要因は「酸化」であります。
つまり、オキシトシンがたくさん分泌されることで酸化が抑制されてアンチエンジングになるって話です。
「いつまでもきれいでいたい!」という人は積極的に人に親切にしないとね! て話ですね。
・返報性の原理がはたらく
はい、これはもう聞きあきている人もいるかもしれませんね。
簡単にいうと、人に親切にしたら相手はそれをほんの少し上回る親切を返したくなるという法則です。
人に親切にするというのは「与えること」です。
人によく与える人はよく与えられ繁栄すると研究でいわれています。
そうです、けちけちせずどんどん人に親切にしたらいいのです。
あなたにもいいことがありますよ。
ただし、オキシトシンは素晴らしいものであると同時に恐ろしい側面も持っています。
このことについても併せて知っておく必要はあるでしょう。
オキシトシンのダークサイドについて気になる人は以下からどうぞ。
参考記事等
4、親切をする際の注意点
ここまでで、親切がどれだけ素晴らしい効果をもっているかお分かり頂けたかと思います。
しかし! 光があれば闇があるのも世の習い。何事もいい面と悪い面があり、使い方が大事です。
ここからは、親切にする上でその効果を高める際に気をつけるべきことを見て行きましょう。
・自己犠牲はしない
多くの調査で言われていることとして、年間100時間以上のボランティア活動は幸福度や健康レベルを下げるということがあります。
度を越した親切はストレスになります。
日本の悪弊としてやたら自己犠牲を賛美する傾向があるように思いますが、正直な話自分に負担になる位の親切はまわりがどうであれしなくていいとおもいます。
与えるものは富むのは事実とされています。
しかし、もっとも貧しいものも与えるものなのです。
両者の決定的な差は自己犠牲をするかしないかです。
与えることで富んだ人は負担に感じないレベルで与えます。
底辺にいる貧者は身を削って与えます。
身は削ってはいけないということです。
これは人生で最も大事なことの一つと思います。
・小さな親切を一日5分
心理学者のアダムグラントさんは著書「GIVE&TAKE」の中で「親切は一日5分でええんやない?」と言ってます。
たとえば、SNSで役に立ちそうな情報を発信したり、人をはげましてもいいでしょうね。
そう考えると私は毎日やっている事になりますね。
いいことありそうな気がしてきた(笑)。
・人を見て親切にする
これは結構大事なことです。
人によってはあなたの親切心につけこんでくるヤカラがいます。
無理難題を平然と押しつけてきたり、「あなたのため」という大義名分の下理不尽な要求を吹っかけてくる人がいます。
こんな人たちをカバートアグレッションとか言ったりしますね。
そんな人に親切にすると付け上がって搾取してこようとします。
特にサイコパスと呼ばれる人種に関しては要注意です。
正直、外道としか言いようのないレベルの存在です。
であったらできるだけ距離をとってかかわらないようにしましょう。
サイコパスについてはこちら。
・体調を整えることを忘れない
これは意外と大事なことです。
自分の体調がすぐれないと普段は何気なくできることもしんどくなります。
対策としては十分な睡眠をとる、生野菜を食べる、瞑想するなど色々あります。
とにかく、自分の体が元気になるように心掛けていきましょう。
日々のストレスに悩む人はこちら。
参考記事等
・できれば相手の都合ベースで
はい、お節介をしないように冷静にいましょう。
相手のいいところを見る癖をつけるなどして人を好きになる努力を日頃から心掛けましょう。
すると、自然と「気分良くするにはどうしたら」という発想になります。
実は親切にしているはずがお節介になっている場合はとてもつらいのです。
もちろん、お節介をしている側がです。
さきほど、「与えるものは富む」といいましたが、お節介は「相手から承認を奪う行為」なんですね。
A「これあげるね(よろこんでくれるはず)」
B「あ、ありがとう…(いらないし、何に使うのよ?
、これ)」
みたいな会話が起こっている時は、相手がいいたくなくても感謝を言わされているのです。
相手から承認(感謝)を無理やり奪っているということです。
奪うひとの末路はみんなから嫌われ警戒されてのけ者にされます。
良かれと思ってやっていて孤独になるなんて最悪のシナリオじゃないでしょうか?
ですから、自分の親切が本当に「親切」になっているのかをいつも意識して見る癖をつけていきたいものです。
おわりに
この記事は「親切が「親を切る」と書くのはなぜ?親切の難しさと効果」と題しておおくりしました。
人に親切にする事による効果としては以下がありました。
- 心が健康になる
- 体が健康になる
- アンチエイジング効果がある
- 返報性の原理がはたらく
そして、人に親切にするときの注意点は以下でした。
- 自己犠牲はしない
- 小さな親切を一日5分
- 人を見て親切にする
- 体調を整えることを忘れない
- できれば相手の都合ベースで
人に親切にすることは自分にとっても気持のいいことです。
ただ、自分の気持ちも大事ではありますが、できるだけ相手のことも考えて親切は行っていきたいものですね。
それでこそお互いがより気分よく生活できるというものです。
では!
参考記事等