メサイアコンプレックスは迷惑なお節介を引き起こす「救世主はウザい」

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • メサイアコンプレックスが何かを知りたい人
  • メサイアコンプレックスの人への対応策を知りたい人
名無しの猫氏
『あなたのためだから』とか『あなたのためを思って』とか『わたしがいてあげないと』みたいに言って、優しい自分に酔っているクソお節介な野郎マジでキモいしウザいんだけど。

人を助けてんじゃなくて自分を助けてんだろ。

あんなもん。

ま、わたしの友達なんですけどね。

ふむ、、、、メサイアコンプレックスってやつかねえ。

知らんけど。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのぐれんの おにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「メサイアコンプレックスは迷惑なお節介を引き起こす「救世主はウザい」」という話です。

みなさんは、「メサイアコンプレックス」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

なんか、ちょっとかっこいい響きの言葉ですけどまあいいものではないです。

なんせ、メサイアって救世主だもんね。

なんだか、ファンタジーな匂いがするわな。

でも、「コンプレックス」とついていることから、お察しの通り決していいものではありません。

メサイアコンプレックスとは一言でいうと、「わたしは人々を救うように運命づけられた人間なんだ!」のように思い込んでいる状態のことですね。

もうこれ聞いただけで多くの人が、「うわあ、やべえ奴やん」とか「は?何様?」と思うでしょう。

ただ「人を助ける事に使命感を持っている」のなら、それは別に悪い事ではありません。

でもね、、、実はメサイアコンプレックスはかなり有害なものなんです。

なぜ、人を助けることに使命感を持っているのに有害なんでしょうか?

今回はそんなお話。

なお、コンプレックスの本当の意味も含めコンプレックスを概観してみたい人はリンクからどうぞ。

では、ゆるりとおおくりします。

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メサイアコンプレックスとは何か?

メサイアコンプレックス(またはキリストコンプレックスとも)とは、

「自分は救済者になることを運命づけられているとの信念を抱く心的状態」

のことです。

ふむ、なんだかとんでもない心理ですよねえ。

「わたしは人類を救う使命を課せられている!」とか言い出しそうな、ちょっとヤバい人って感じですな。

この定義だけ見ているとね。

宗教家とかいわゆる博愛主義者なんかに多そうな気がする思考です。

なお、この心理が形成される原理には、

「自分は不幸だという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せだという強迫的な思いこみが発生する」

というものがあるとされているようです。

ふむ、ある種の防衛機制ってことですかね。

そして、この状況がさらに深刻化すると、

「人を助けている自分には価値がある。だから自分は幸せである」

のように思い込もうとしてしまうといいます。

どうしてこんなロジックが成立するのかといいますと、メサイアコンプレックスに陥る人の心の中では以下の様なロジックが展開されているからです。

メサイアコンプレックスの人の脳内ロジック

「幸せな人は、不幸な人を助けるのが当然である」という前提に立つ

自分が不幸な人を助ける

自分は不幸な人を助けたのだから、「幸せな人」である

、、、どうでしょうか?

どうも釈然としませんよね?

不幸な人が不幸な人を助けたとしても「不幸な人のまま」のはずです。

なのに、不幸な人が不幸な人を助けたら「幸せな人になる」、、、どうなんでしょうか?

少し論理が飛躍している気はします。

まあ、「自分が幸か不幸か」なんて言うのは主観的な問題なので、少し判断が難しいところではあるんですけどね。

心理学的な用語を使って言うなら、「認知的不協和の解消」が起こっているといった感じでしょうか、、、。

実は、この手のロジックは使い方次第で有用ではあります。

「不幸や苦境に立っているはずの自分」が、あえて他人を助けたり他人に対して親切にすることで、「あれ?人を助けられているってことは、まだ自分には余裕があるんじゃないか?」と思えるのです。

そう、切羽詰まって視野が狭まり「もう万事休すだ、、、」と目の前のことで一杯一杯になっている所であえて他人に親切にすると、「あれ?自分のことで手一杯なはずなんだけど、、、他人を助けてる?」と脳が疑問をもち「あ、まだ余裕があるのか」と考えるって話。

※この文脈での他人は、必ずしも不幸である必要はない。

これはレジリエンスの高い人、つまり「逆境に強い人」に特徴的な思考の一つでもあります。

詳しくは以下参照。

そして、多少余談ではありますがメサイアコンプレックスが悪化していくと「自分は他人から必要とされるから価値がある」と考える共依存に陥る場合もあります。

ちなみに、共依存の状態に陥りがちなのは愛着スタイルでいうところの不安型の人達になりますね。

愛着スタイルの分類について詳しくは知りたい人はリンクからどうぞ。

とはいえ、「メサイアコンプレックスの人は愛着スタイルで言うところの不安型である」とは言い切れないし、「愛着スタイルで言うところの不安型の人はメサイアコンプレックスである」とも言い切れません。

ここが中々難しいところです。

メサイアコンプレックスの原因に「自尊感情の低さ」があるのは間違いないでしょうが、その発生機序等をどのように説明していくかはどの理論をとるか、心理のどの側面に焦点を当てるかにより結構変わってくると思われます。

メサイアコンプレックスの人が救いたいのは、他人ではなく自分である

上掲の原理に基づくのであれば、メサイアコンプレックスの人は「ありのままの自分を受け入れられていない人」、つまり「自尊感情が低い人」といえます。

自尊感情が低いと、「自分なんて何の価値もない。~はできないし、~よりも劣っているし、、、」等と自己否定を始めたり強い自己嫌悪にさいなまれるでしょう。

そんな「自分なんて価値がない」と思い悩む人も誰かの役に立って喜ばれることで、「自分にも価値はある」といった自己有用感を感じることができます。

本来であれば、このような自己有用感を高める体験は人の自尊心を向上させる働きがあるはずなので、人を助けているうちに自尊感情が高まって

そうか、自分だって人の役に立てるしそのままでも価値はあるんだな。生きてていいんだな」

等と自分を無条件に受け入れられそうなものです。

それなのに、メサイアコンプレックスの人達は「なぜ人を助けているくせに自尊感情が一向に向上しない、または低下していく」のでしょうか?

断定はできないものの、これはおそらく彼彼女らが「自分の助ける、または親切にする対象」を「不幸な人」に限定して考えているからであろうと愚考します。

彼彼女らにとって、助ける相手は「自分よりも不幸な人、ないしは自分が確実に助けられる相手」でないといけないのです。

これは見方を変えれば、「『自分より下のよりかわいそうで不幸な人』に比べて自分はまだ幸せだ」といった歪んだ優越感の発露といえましょう。

救世主なんて物々しいものに自分を例えるくらいの思考ですので、もうそこには「助けられるかわいそうな下位の者」と「それを救い導く使命を負った素晴らしく偉大な自分」という対立構造が存在するといえます。

健全な人間関係の条件には、「対等性」がありますから、健全な人間関係を構築していこうと思ったら、「相手も自分も対等である」という前提に立たねばいけません。

メサイアコンプレックスの人は、無意識的か意識的かは分かりませんが、「救世主と迷える子羊」という関係を対人関係に求めて「自分の優位性を自覚しようと躍起になっている」といえます。

なので、メサイアコンプレックスの人が本当に救いたいのは、「他人ではなくて自分」なのです。

どうにかして「自分には価値がない、、、」と思わないために、自分より不幸そうな人を見つけては心中で「かわいそう、わたしが何とかしてあげないとこの人は救われない」等といいつつ「単なる自己満足の優しさ」を押しつてしまったりするのでしょう。

一方で自尊感情が高い人は、助けたり親切にする相手を「幸か不幸か」等という基準では選びません。

「なんか、こまってんな?ま、余裕あるし手伝ってあげっか」位のライトな気持ちで親切をするでしょう。

これは相手を「この人は自分より不幸で無力な人間だから助けられるべき」等と思っておらず、「まあ困ることって誰にでもあるからお互い様だよね」と「相手を自分同様に独力で生きる力を持った自律した存在」として認めているからこその発想です。

上下関係のようなものはないってことですね。

メサイアコンプレックスの人は「自分より不幸でかわいそうな人」よりまだましな自分を感じて、かりそめの優越感に浸っていたいだけといえるでしょう。

メサイアコンプレックスの恐怖と有害性

以前の記事にて取り上げたように、優しさなどというものは所詮「他人の評価」に過ぎません。

そのため、他人に対しての思いやりは、「相手の意思の適切な受信」と「自身の意思の適切な形での送信」の調整を戦略的かつ冷静に行う事で最適化できます。

もし相手が「これは優しさだ」と感じるのであれば、それはそう思っている本人にとっては「まぎれもない本物の優しさ」です。

なのでこのような場合なら、その「優しさ」が「メサイアコンプレックスから出たもの」であるか「自尊感情が高いが故の心の余裕から出たもの」であるかなどとその出所を問わなくていいはずですね。

だって、結果的に人の役に立っているんだから、めでたしめでたしです。

ま、やらぬ善よりやる偽善って感じですかねえ。

知らんけど。

ただ、上述したようにメサイアコンプレックスの人の「優しさ」は、自尊感情の高い人の優しさとは決定的に性質が違うので初めはよくても次第に人間関係を損なっていく可能性があります。

メサイアコンプレックスの人の優しさが、恐ろしい、ないし有害である理由は主に以下2点。

  • 不幸を作り出す
  • 主従関係を構築しようとする

以下順次捕捉です。

不幸を作り出す

メサイアコンプレックスの人にとって、「自分より不幸な人の存在」は不可欠です。

なぜなら、「自分よりも不幸な人がいないと自分の価値を確認できなくなってしまうから」ですね。

ですんで、メサイアコンプレックスの人は表面上は人を助けはしても、内心では「この人には今のまま不幸でいてもらいたい」とか「もっと、不幸になってもらいたい」なんて考えることもあるでしょう。

表面的には人を救っているくせに、内心では「この人が救われませんように」と願っているという実にちぐはぐな事が心の中で起こってるんですな。

なので、不幸な人が幸福になってきそうだったらそれを邪魔してまた不幸にしたり、不幸でない人をわざと不幸に陥れて自分が救いに行くなんて言う狂気じみたことをしだす可能性もあります。

まあ、いわゆるマッチポンプってやつですよ。

※マッチポンプとは「自分でマッチで火をつけておいて、それを自分でポンプで水を掛けて消す」の意。偽善的な自作自演の手法や行為を意味する和製英語。

優しさは人の困りごとを解決するためにあるはずなのに、優しさを実行するために「不幸を作り出す」なんて本末転倒と言わざるを得ませんよね。

これじゃあ、メサイアコンプレックスの人のまわりにいる人達も不幸になってしまうってもんです。

主従関係を構築しようとする

以前、「優しい振りして支配をしようとしてくるカバートアグレッションという人たち」について主にサイコパスやソシオパスの様な反社会人格障害を想定して述べましたが、このメサイアコンプレックスの人達も十分カバートアグレッションになる可能性はあると思います。

カバートアグレッションとは、「いい人の振りをした悪人」であり、その動機はおよそ支配欲ですからね。

カバートアグレッション対策についてはこちら。

メサイアコンプレックスの人の優しさというものは、「恵まれない哀れな子羊への救世主からの恩寵」なので、「子羊に恩寵を受け取るか否かの決定権はない」といえます。

おまけに「自分の考える優しさこそ優しさである」と思っている節があるため、「この人には今一体何が必要か?」等という相手のニーズをくみ取るといった発想が欠如しているのがさらに厄介です。

そのため、メサイアコンプレックスの人の親切や自称思いやりは、お節介や迷惑に非常に転化しやすいです。

優しさを見せてそれを相手が素直に受け取っているうちは、「良かったね」等とニコニコしているでしょうが、それを拒もうものなら烈火のごとく怒って「せっかく私がしてあげたのに!」と憤慨するという事もありえます。

もうこれは、健全な関係どころか明らかに「支配と従属の関係」です。

もし「相手と自分が対等」であるならば相手には相手の都合があるので、自分の親切が相手にとって必要なかったときは、「相手の拒否権」を尊重して「ふーん、そうか」とすんなり引けます。

しかし、メサイアコンプレックスの人のように自分の中に「救世主と迷える子羊」という構図があると、相手を「自分よりも格下で自分から恩寵を与えられるべき者」と認識しているため相手に拒否権ははなっからないのですな。

、、、つまり、早い話が「相手を支配して思うとおりに動かそうとしている」訳ですよ。

不健全極まりないっすね。

拒否すれば怒られるので、意志が弱い人はメサイアコンプレックスの人にまんまと飼いならされて、本当に「哀れな子羊」に堕することもしばしばでしょう。

こうして構築された支配従属関係はお互いの人生を損なう元凶になっていくので、「一緒に地獄に落ちていこうとしている」とすらいえますね。

このような状況って例えていうなら、以下のような感じかもしれませんな。

メサイアコンプレックスの救世主とのその救世主に飼いなされた子羊の構図

救世主「ほら、草だよ、お食べ」

子羊「今お腹すいてないんや。また後でええねん、メエ~」

救世主「なんだと?私の草が食べられないというのか?お前は可哀想でお腹を空かせている子羊だ。そうだろう?」

子羊「いや、だからお腹減ってないっていってんだろうメエ~」

救世主「ああ、なんて無礼な奴!これ!私の草がくえんとは何事か!お前はわたしから草を与えられてそれをありがたそうに幸せそうに食べるのだ!そういう筋書きなのだ!」

子羊「そんなこと言われても、減ってないお腹はどうしようもないメエ~。」

救世主「うるさい!だまれ!、、、そうだ!お前は最近運動不足だ!わたしはいつもお前のことを見守っているからよくわかるぞ!そんなことをしていては不健康だ!健康であるために走るべきだ!よし今からこの草原を全力で2時間走りまわれ!これはお前の為なんだ!」

子羊「、、、いや、今から昼寝を、、、」

救世主「ああ、こんなにも私がお前のことを思っているというのに、どうしてお前はこんなにも聞き分けが悪いのか、、、。そんな悪い子は、、、」

子羊「!!、ちょ、ちょっ、それ鞭やん!そないな物騒なもんもちだして、、、まさかオイラを打つ気かメエ~?」

救世主「、、、、」

子羊「わ、分かった!走る!走るメェ~!」

2時間後。

救世主「ほら、疲れただろう。水と草だよ。」

子羊(思考停止)「ア、アリガトメェ~、、、、。オイシイメェ~、、、、メェ~」

救世主「よしよし、そうだそれでいいんだ。これでお前はもっと健康で幸せになるぞ」

まあ、こんな感じですかね。

ここまで来るともはやただの洗脳っぽい感じですけどねえ。

あと、メサイアコンプレックスの親は、かなり子供に過干渉でしょう。

例えば、「この子は本当にそそっかしいからわたしがいてあげないと、、、」とか言いつつ、本当は「この子にはダメなままでいてほしい。そうでないとわたしの存在価値を見失ってしまう」という感じです。

で、こういった親は子供がいざ自立しようという意思を見せると何とかして自分のもとに縛り付けようとしたり、わざと自立できない様に暗躍したりするでしょう。

いやあ、つくづく闇ふけえってばよ、メサイアコンプレックス。

ただ、一点補足しておくと、メサイアコンプレックスの人はかならずしも執拗に自分の親切を受取らない相手に固執して、どうにかして自分の親切を受け取らせようとするとは限りません。

中には、受取ってくれないとなると簡単に援助をあきらめてしまうこともあるといいます。

まあ、結局単なる自己満足の優しさだからねえ。

本人の気まぐれに左右されるっとことですかな。

自分が満たされないくせに人に優しくなんてできはしない

人は自分が満たされているからこそ、他人に対して寛容になれるしまた親切にもできるものです。

親切は自分に負担にならない程度で行うべきものといえます。

まあ、「今の自分の身の丈にあった親切」って感じでしょうかねえ。

メサイアコンプレックスの人は、往々にしてこの「自分のできる範囲」を超えて「限界ギリギリ」とか「自分が壊れる寸前」みたいなところまで頑張ってしまったりするでしょう。

しかし、多大な自己犠牲を伴う親切なんて、不健全な人間関係を醸成する源泉になりますから、やめた方がいいです。

そもそもメサイアコンプレックスでなくても多大な自己犠牲を伴う親切をすると、「これで何も見返りがなかったら割に合わない」位の気持ちはわいてしまうもの。

で、返ってきたお礼が自分の想定を下回るものだったりすると、「は?アンだけしたのにこれだけかよ、、、っざっけんなよ!一体どんだけ大変だったと思ってんだ!」みたいな心理になるのも仕方ありません。

見返りを期待してしまうほどの、親切っていうのは「自己犠牲しすぎ」なんです。

親切なんて「やったらもうやったことを忘れている」位にライトであるのが理想だと思います。

自己犠牲を伴いすぎる親切は自然と押しつけがましい部分が出てきますし、お互いの人間関係を損なう危険性を大いにはらんでいるといえましょう。

負担のない程度に「自分の余裕の程度をわきまえて親切を行う」っていうがいい塩梅ですな。

メサイアコンプレックスの人への対策

メサイアコンプレックスの人は、結局のところ「自分の存在価値を確認させてくれる自分にとって都合のいい不幸な人」を求めているだけなので、基本的に建設的な人間関係を築いていくことはできないです。

なので、「徐々に疎遠になって関わりを絶つ」のが最善の策といえるでしょう。

もし、「話せばわかる!」といった気持でメサイアコンプレックスの人を説得にかかっても、おそらくその説得が成功する確率は限りなくゼロに近いんじゃないかなって思います。

人を説得するなんてことはそもそもそう簡単にできるものではありませんし、メサイアコンプレックスほど思込みが強い状態になっていたらなおの事無理です。

説得なんて放棄して、「どうやって逃げるか」を考えるのがいいですよ。

三十六計逃げるにしかずってね。

まず、普段からライン等でやり取りがあるなら、その頻度を用事にかこつけて減らしていきましょう。

一日に一回なら三日に一回、さらに一週間に一回、次は一か月に一回、、、などとどんどん減らしていって関わりを完全に立ってしまうことです。

なお、もしメサイアコンプレックスをこじらせてカバートアグレッション化している場合には、以前のカバートアグレッションについての記事を参考にして対策を講じてみてください。

とりあえず、「何をおいても逃げる事」です。

メサイアコンプレックスは他人事ではない

さて、ここまで「メサイアコンプレックスってこわいねえー」みたいな感じで来ましたけど、実はこれは他人事ではないんですよね。

全ての人が陥る危険性は常にあるといえます。

なので、「自分はメサイアコンプレックスになっていないか?」といった意識は持っておく必要があります。

メサイアコンプレックスにならないため、またなっていても軽度で済ませてそこから何とか持ち直すためには「自分自身を客観的に見つめ続ける」事が不可欠です。

どんな場合でも基本的にはそうですが、「まず自分の状態に気付く」という事が非常に重要。

「あ、メサイアコンプレックス化してるかもしれん」と気が付けた時点で、少しだけ認知はバランスを取り戻します。

そして、日頃から以下のような事をしておくといいんじゃないでしょうか。

以下、気をつけたらいいこととその具体的内容についての過去記事を提示しておきますので、参考にしてみてくださいな。

  • 瞑想を習慣づけメタ認知を鍛える
  • ストレスをためない様に気を配る
  • 適度に運動をする
  • 自分に対して思いやりをもって接し、他人と自分を比較する場面を極力減らす
  • 自己犠牲的な親切をやめ、親切は自分の負担にならない程度にする
  • メンタルを強化しておく
  • 脱フュージョンをおこない、自分の思考にとらわれないようにする

まあ、出来そうなことからやってみるといいと思います。

おわりに

この記事は「メサイアコンプレックスは迷惑なお節介を引き起こす「救世主はウザい」」と題しておおくりしました。

メサイアコンプレックスとは、「自分は救済者になることを運命づけられているとの信念を抱く心的状態」のことです。

なので、メサイアコンプレックスの人は「自分の優しさは相手に受け入れられて当然のもの」と思っている節があります。

メサイアコンプレックスの人は一見優しい様でいて、その実は「自分の存在意義を確認するために人を利用し、またそのために不幸で居続けさせ、あまつさえ支配しようとすらしている」といえましょう。

、、、ちょっと言い方が攻撃的ですが、そのように解釈することはできると思います。

メサイアコンプレックスの人とはなるべくなら、距離を置いて関わらないようにするのが得策です。

あまり密接な関係になってくると、「一緒に地獄の窯でゆでられる」なんて事にもなりかねません。

かの孫武さんも言っている通り、「三六計逃げるにしかず」ですよ。

危ないやつからは逃げましょう。

相手と戦って勝てる勝てないは関係なく、対抗するだけ損ですからな。

それが最善。

また、メサイアコンプレックスは決して他人事とは言えません。

誰でもメサイアコンプレックスになる可能性はあると思いますので、対策はしっかりと怠らないようにしたいものです。

では!

参考記事等

親切が「親を切る」と書くのはなぜ?親切の難しさと効果

厨二心に火がつくなんかカッコいい、面白い心理学用語を49個集めてみた

エナジーバンパイアとは何者か?対処法についても見てみよう

「いいことがない人生」はないが人生にはいい事がないと思いやすい

自分の外見が嫌いな女性は死を思うと劣等感がましになるかもしれない

参考

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#:~:text=%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%EF%BC%88%E8%8B%B1%3A%20Messiah%20complex,%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%99%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

参考記事等

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