「やらぬ善よりやる偽善」って妥当なん?どんな意味で発祥は何なん?

「なんか、やらぬ善よりやる偽善っていう言葉があるけど、割と当たっている気はするんだよね。別に結果的に誰かのためになったり役に立っているのであれば、別に偽善であろうと何だろうとどうでもいい気がするんだよな。」

ふむ、まあ結果的に役に立っているならそれでいいってのはそうかもしんない。

オニギリス!

紅茶党ギタリストで心理カウンセラーのオニギリです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「やらぬ善よりやる偽善」って妥当なん?どんな意味で発祥は何なん?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • やらぬ全よりやる偽善という言葉の意味や発症が気になる人
  • やらぬ善よりやる偽善という言葉が妥当なのか気になる人
  • 話のネタを探している人

「やらぬ全よりやる偽善」という言葉がありますね。

これは、、、、ネットスラングの一種、、、なのかな?

しらんけど。

一聴すると、「あー、そうかも」と思うんですが、色々考えていくと本当に妥当なのかよく分かんなくなってきますよな。

と、そんなわけで、今回はこの言葉がどん位妥当なのかについて考えてみたいと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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「やらぬ善よりやる偽善」の意味と発祥って何なん?

「やらぬ善よりやる偽善」なんていう言葉をたまに耳にしますが、一体どういった意味の言葉なのでしょうか?

まずは例にならって確認しましょう。

ピクシブ百科事典によると以下の様な意味だそうです。

「たとえそれが偽善や自己満足であっても、パソコンの前から良識人ぶって人の行為を批判するだけで何もしていないやつよりはマシ」というのが本来の意味であり、ボランティア活動や慈善活動に対する批判・非難・中傷的な発言への反論の意を含んだ言葉であって、偽善的行為そのものを肯定するものではない。

引用元

ピクシブ百科事典

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%96%84%E3%82%88%E3%82%8A%E3%82%84%E3%82%8B%E5%81%BD%E5%96%84

ついでに、この言葉の発祥についても見ておきましょう。

どうやら、この言葉の発祥は、2ちゃんねる内における「折り鶴13万羽プロジェクト」で書き込まれた「しない善より、する偽善」という言葉にある模様。

ここにある「折り鶴13万羽プロジェクト」とは何なのかについてですが、これは2003年8月1日におこったある事件と関係があります。

2003年8月1日、広島県広島市中区の広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に捧げられていた約14万羽の折り鶴が、大阪府東大阪市に住む男子大学生のいたずらにより放火されるという事件が発生したんですね。

この事件を受けて2ちゃんねる内に、「失われた折り鶴を2ちゃんねらーで折って、広島に届けよう!!」というコンセプトの元「折り鶴13万羽プロジェクト」が立ち上がったというわけです。

で、このスレッド内で2ちゃんねら―達が活動を続けていく中で、掲示板内に「しない善より、する偽善」という匿名の書き込みがなされ、時間の経過とともにこの言葉が変化して「やらぬ善より、やる偽善」へと変わっていったという事みたいですね。

ふむ、慈善的行為は時として「偽善」のレッテルを張られることがあるものですが、そんな批判をしている奴よりは例え偽善であっても人の役に立っているならいいじゃないかって感じの意味ってことですかな?

、、、うぬ、そうねえ、個人的にはこういった「結果的に人の役に立つならOK」って考え方にはそれなりに賛成できるところがありますね。

わたしは内心で何を思っているかよりは、実際に何をするかという結果を重視するたちなので。

やらない善は存在しないに等しい?

「やらぬ善より、やる偽善」という言葉の本来の意味は、個人的に

「動機はどうあれ結果的に人の役に立っているのならそれでいい。結果的に人の役に立っている行為を偽善だと批判する奴より偽善でも実際に行動している奴の方が数段マシだ」

といった意味に感じます。

そう、この言葉では「動機は度外視して結果がどうか」だけを問題にしている」といえますな。

つまり、「純粋な善の気持ちを持っていたとしても、それを行動として表現しないならそれはないものとして扱う」という事になるわけです。

ふぬ、一定数「ふざけんな」と反論が飛んできそうな考えではありますが、まあおよそ妥当だって思います。

どんなに善なる気持ちを持っていようと、それを表現しないなら、その気持ちが現実に影響を与えることはありません。

まあ、人間はテレパシーは使えないですから、何が動機かなんてそうそうわかりませんしね。

もっというなら、どんなに善性にあふれた動機に基づく行動も「適切な形で表現しないなら」意味をなさないばかりか、ひどくなると「有害である」としか言えない場合もあるでしょう。

例えば、「親切とお節介」の対比なんかがその具体的なものです。

親切は「まず相手のニーズをシッカリととらえる」事から始まりますが、お節介はおよそ「自分なりの親切や優しさを与えたい」という動機から始まります。

相手がほしくないものを「あげる!」とわたしても、そんなのはいい迷惑なわけです。

例え、そのお節介の動機が純粋に善なるものであっても結果として「嫌がられている」のなら、それが迷惑であることは疑いようがありません。

ただ、「動機が善かどうかなどどうでもいい。役に立つならそれでいい。思っているだけで結果として表現しない善なんて存在しないのと同じだ!」と強く断じてしまうこと自体に危うさはあります。

確かに、現実的な視点から見れば、「結果として役に立っているかどうか」が問題です。

結果として何も表れてこない善になんて存在を認める必要性すらないでしょう。

だって、そんなもの「あったところで実際には役に立っていない無益なもの」ですから。

しかし、そういった「善なる気持ち」というものは、実際には「持っているだけでも意味がそれなりにあるもの」だって思うんですよな。

そういった気持があればこそ、何かしらの「善性のある行動」を起こす高い可能性があるわけです。

もっとも、行動の方法などはしっかりと考える必要がありますけどね。

個人的には「結果が何より大事である」と思う一方で、「だからと言って、内面を軽視するのも違うな」って感じておる次第。

まあ、バランス難しいけどね。

全ての善は己の為である

最後に少しだけ「偽善」というものについて考えてみたいと思います。

偽善というのは「真の性格等を隠して美徳ないし善といった見せかけの外観をつくること」の意ですので、偽善を批判する人達は「本質が善ではない!」って言って怒る?わけです。

善とかいだすと相当めんどくさい議論になりそうですが、およそ偽善を批判する人達の多くは「善の純度」というか「純粋に人のために奉仕する」みたいな気持ちでないとだめだって思っている気がします。

これに関して、基本的にわたしは「あー、どうでもいい」て感じがしていますね。

「人のために奉仕する」みたいないわゆる「純然たる善」も突き詰めれば、所詮は「自分のための行動」に過ぎません。

善も偽善も本質的には「自分のため」である点で違いがないんです。

「偽善」はわかりやすいですよね。

例えば、「名誉のため」や「承認欲求を満足させるため」とかそんなものです。

では、「善」はどうでしょう?

例えば、誰か困っている人を見て「大変そうだ、、」と思ったとしましょう。

この時、心には「辛そうだ」というある種の痛みというか「不快感」が生じています。

その不快感を解消するために、「大変そうですね。手伝わせてもらえますか?」みたいに助けようとするっていう感じです。

結局のところ突き詰めていくと、全ての行動には見返り、ようは目的があり「全て自分のため」なんですね。

なので、たとえばいわゆる「無償の愛」なんて概念は、まあ空想の産物であり「どう考えても存在しえない妄想」といえます。

「人のためは結局自分のため」なのです。

そう思うと、あんまり「受粋な善意」みたいなものを追求することに何らの意味も感じないって話になってしまいますね。

ま、それに「純度100%の善意」なんてあるんでしょうかねえ。

わたしはそんなものは「妄想の中にしか存在しない」って思いますが。

おわりに

この記事は「「やらぬ善よりやる偽善」って妥当なん?どんな意味で発祥は何なん?」と題しておおくりします。

「やらぬ善より、やる偽善」という言葉は、2チャンネル発祥のネットスラングの一種です。

その意味するところの本質は、「誰かの役に立っているならそれでいいじゃん」て感じのものだと思われます。

まあ、動機なんてどうであれ結果として役に立っているなら、現実的には問題ないでしょう。

ただ、「内に秘めた善性なんて無益だよ」とことさらこき下ろそうとするのも違う気はしています。

まあ、そこのバランス感覚は大事かもしれませんね。

わたしはそう思います。

では!

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