今回は以下のような方に向けておおくりします。
サバイバーズギルトについて知りたい人
サバイバーズギルトに悩む親族、友人知人等がいて向き合い方がわからない人
「わたしの祖父は以前言ってたんよな。自分の部隊は戦争でほぼ全滅したのに奇跡的に自分と副隊長含む数名だけが生き残ったと。で、結局戦後から先の人生でずっと『あの時に自分だけ生き残ったことに申し訳なさを感じている』って言っていた。まあ、生き残れたのは幸運だったけど少し複雑な気分ではあるよねえ。」
ふぬ、確かに多くの人は運よく生き残れても手放しには喜べないだろうな。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「『サバイバーズギルト』災害の生存者を無理に励ましてはいけない」という話です。
災害にあって偶然に生き残った人は幸運であり、強運の持ち主かもしれません。
良くも悪くも「そう簡単には死なない運命にある」のかもしれません、、、まあ、運命なんてあるかはわかんないですけど。
本来なら、この幸運はありがたいもので「よっしゃー!!生きててよかったー!」みたいに全力でガッツポーズを決めるくらいのものって気がします。
しかし、実際にはそんな風にはならず、「なぜ自分だけが生き残ってしまったのか、、、死んでいった人々に申し訳ない、、、」のような一風変わった罪悪感を抱いたりすることがあるんですね。
今回は「なんでこのような罪悪感を抱くのか?」や「このような罪悪感をもって悩んでいる人にどう接したらいいのか?」何かについて見ていきたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
サバイバーズギルトってなんぞ?
サバイバーズギルト(Survivor's guilt)とは、
「戦争や天災、事件、事故といった災害の被災者が、生き残ったことや自身の損失が少ないことに対して痛く罪悪感」
のことです。
つまり具体的に言うなら、戦争で生き残った人が「死んでいった仲間に対して申し訳ない」と感じたり、事故に否応なく巻き込まれて生き残った人が「もっと私がしっかりとしていれば死んでしまった人たちを見殺しにせずに済んだんだ」なんて思うって感じでしょう。
そして、サバイバーズギルトは程度の差こそあれ、多くの被災者が感じるものであるとされています。
なお、サバイバーズギルトは心的外傷反応の一部であるとも言います。
生き残ったのに罪悪感を感じるなんて本来おかしい?
本来、罪悪感というものは「自分の行動によって何か悪い結果が引き起こされている」という前提で生じる感情です。
罪の意識というものは、それを感じる本人にとっての「悪をなしている」事で生じるわけですからね。
自分の不注意や操作ミスで機会が誤作動を起こして誰かが傷ついたなんて場合には、罪悪感を感じて当然です。
この場面には、加害者(自分)と被害者の構図があります。
しかし、天災等を含む災害で生き残った人の場合はどうでしょうか?
加害者は災害それ自体です。
例えば、地震や戦争といった規模の災害は、一個人の努力によってどうこうできるようなものではありません。
災害の渦中にあっては、個人など否応なくその理不尽な力の奔流に飲まれなすすべなどないでしょう。
例えば、3・11こと東北大震災における津波なんてその最たる例です。
あんな過酷な状況にあっては、誰しも逃げるのが精いっぱいで他を顧みる余裕なんて中々ないでしょう。
災害にあっては、被害者はいても基本的に加害者はいません。
しいて言うなら、加害者は災害それ自体ですが、それはいつ知れず突如として起こり、一旦起こったなら人にはどうしようもないものです。
だから、被災者は誰も悪くないし「悪いはずがない」といえます。
それなのに、罪悪感を感じてしまうなんて、理屈としあんまり筋が通っている感じしませんね。
これに関して、信原幸弘さん著の「情動の哲学入門」96項に以下のような見解があります。
いくら原因を問うても、自然の災害なのだから、誰かが悪いということにはならない。誰かのせいでもなく、たまたま起こったに過ぎない。しかし、そのような悲惨なことがたまたま起こったという考えに私たちは耐えられない。誰かが悪いことをしたのであり、その悪いやつを罰するのでないかぎり、気持ちが治まらない。しかし、誰のせいにもできない。そこで、自分が悪いのだという考えが生まれてくる。
引用
信原幸弘著「情動の哲学入門」 P,96
つまり、やり場のない怒りや悲しみ、喪失感に理由を求めてもどこにもないので、最後の最後にその理由を自分に求めてしまったと言う感じでしょうか。
あまりの理不尽の中にあっては、人は自然とそこに理由を見出したいとの衝動に駆られるのでしょう。
完全に余談だけど、人生に絶望した人がスピリチュアルのような非科学的なものに人生の理不尽の理由を求める構図に何となく似ているような気もしますねえ。
ま、知らんけど。
サバイバーズギルトとの向き合い方
では、次にサバイバーズギルトにさいなむ人たちへの向き合い方について考えてみたいと思います。
看護学の専門家であるパトリシア=アンダーウッドさんによると、サバイバーズギルトにさいなむ人たちへの向き合い方には、以下の4つがあるそうです。
・生存者に災害にあっては、誰が生存するか否かは偶然で誰のせいでもないということを繰り返し伝える。
・生存者に生き残ったことを罰する必要はないと知らせ、日常生活に復帰できるよう支援する
・生存者の考えや感情、活動が展望を持てるように支援する
・支援したい、役に立ちたいと思っている生存者を支援計画に巻き込む。誰かの役に立ち、人助けをしているうちに生存したことへの罪悪感を小さくしていく
参考
https://jschn.or.jp/files/shinsai_information/survivers.pdf
以上がアンダーウッドさんが提唱する被災者に対する向き合い方ということになりますが、細かいことを言うと「励まし方」には注意が必要かもしれません。
例えば、兵庫県こころのケアセンターが発行する『サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版』によると、以下のような言葉は家族や親しい友人を亡くした被災者を支えるときに「言ってはいけないこと」に相当する模様。
『サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版』p18より以下一部引用。
- お気持ちはわかります
- きっと、これが最善だったのです
- 彼は楽になったんですよ。
- これが彼女の寿命だったのでしょう。
- 少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしょう。
- がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。
- あなたには、これに対処する力があります。
- できるだけのことはやったのです。
- あなたが生きていてよかった。
- 他には誰も死ななくてよかった。
- もっとひどいことだって、起こったかもしれませんよ。あなたにはまだ、きょうだいもお母さんもいます。
- 耐えられないようなことは、起こらないものです。
引用元
http://www.j-hits.org/
「言ってはいけない」ということを知らないと、言ってしまいそうな感じがする言葉が結構ならんでいますねえ、、、。
まあ、本人の精神レベルがどの程度まで回復しているかによるでしょうが、個人的に間違いなく言えると思うことは、
「酷く精神的に傷ついているときはとにかくそばにいてあげて、必要ならひたすら話をきいてあげること」
じゃないかなって思います。
当ブログにて何回いったかわかりませんが、励ましの言葉みたいなものは受取るにも非常に精神力を要するものです。
なので、精神的に打ちのめされている人に対して励ましの言葉をかけるのは、「言葉の弾丸を浴びせる」のに結構近い感があります。
無理に言葉で励ますのではなく、「いつでも頼っていいんだぞ。わたしはここで待っているから」みたいに言葉には出さずとも見守るっていう「無言の支援」みたいなものが何より大事かなって思いますな。
なので、くれぐれも「無理に励まそうとしない」ようにしたいものです。
参考までに人の話を聞くスキルである傾聴についての記事置いときマウス。
おわりに
この記事は「『サバイバーズギルト』災害の生存者を無理に励ましてはいけない」と題しておおくりしました。
サバイバーズギルト(Survivor's guilt)とは、
「戦争や天災、事件、事故といった災害の被災者が、生き残ったことや自身の損失が少ないことに対して痛く罪悪感」
のことです。
サバイバーズギルトは、災害の理不尽さや無慈悲さへのやり場のない怒りや悲しみが、自分へ向いてしまったものといえるかもしれません。
サバイバーズギルトにさいなむ人への向き合い方としては、何をおいても「ただそばにいてあげて、いつでも必要なら話を聞いてあげる」というものが大事だと個人的には思います。
具体的な支援や言葉かけは、ある程度被災者の精神が元気になってきてからだと思うんですね。
順番的にはまずは「精神的なよりそいと傾聴」であろうって感じがします。
サバイバーズギルトが自分の存在への罪悪感だとしたら、被災者と向き合う側は「被災者の存在の無言の承認」をしないといけない気がする次第。
ま、まずは「話を徹底して聴くこと」から他者への理解は始まりますんでね。
話を聞くスキルは誰に対してもいつ何時も発動できるようにしておきたいもんです。
では!
参考
https://jschn.or.jp/files/shinsai_information/survivers.pdf
http://words.jsdn.gr.jp/words-detail.asp?id=28
http://www.j-hits.org/
参考記事等