「悲劇的ジレンマ」罪悪感は上手に昇華しないと害悪でしかない

「もう追い込まれてましな選択をするしかなかったって場合にも罪悪感をもつって違う気がするんだよなあ。どうしようもない状況だったら、仕方ないってことあるじゃん。戦争で相手から銃口向けられたらもう相手を先にうつしかないじゃんって感じよな。」

ふむ、まあそれは同感。

ただまあ、、、むつかしいよなあ。

オニギリス!

脱マンネリストのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「真面目な人ほど損?器用に真面目であればいい「「悲劇的ジレンマ」罪悪感は上手に昇華しないと害悪でしかない」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 悲劇的ジレンマって何か気になる人
  • 罪悪感について考察してみたい人

罪悪感は道徳性等の根源となりうるものですが、正直うっとおしいというか「そんなものにまで感じていたらやってらんないだろ」って思ってしまうときもありますね。

まあ、自動的に生じるものなのでどうしようもないんですけど。

特に、「どの選択肢をとっても倫理的にはよろしいとはお世辞にも言えないが、どれかをとるしかない」なんて究極の選択を迫れたならもうそれは「仕方がない」としか言えませんよね。

でも、そんな「どうしようもない状況」にあってさえ罪悪感ってやつは面倒なことにわたし達の心を攻撃してくるわけです。

少し今回は罪悪感との付き合い方について考えてみたいと思う次第。

今回は信原幸弘さん著「情動の哲学入門」を参考にしております。

では、ゆるりとおおくりします。

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悲劇的ジレンマって何じゃ?

悲劇的ジレンマとは簡単に言うと、

「どの選択をしても悲劇的な結果が生じてしまう状況にあって、いずれかの選択をしなければならない葛藤状態」

と言えるでしょう。

例えば、この悲劇的ジレンマの代表的なものに「泣く赤子のジレンマ」というものがあります。

その概要については以下の通り。

泣く赤子のジレンマの概要

敵の兵士たちがとうとう村に侵入してきた。

私は他の村人たちと一緒に、ある家の地下に隠れていた。

すると、赤ちゃんが大声で泣きだした。

このままでは、敵兵に気づかれて、私たちは全員ころされてしまう。

しかし、赤ちゃんの口をふさいでなき声が漏れないようにすると、赤ちゃんが窒息して死んでしまう。

いったいどうすればいいのだろうか。

引用
信原幸弘著「情動の哲学入門」P.81

ふむ、かなり緊迫した状況です。

赤ちゃんの口をふさがないと敵に発見されて全員が殺されてしまうし、赤ちゃんの口をふさぐと赤ちゃんが死んでしまいます。

どちらを選択しても死者が出てしまうため、これはさあ行くの状況と言えるでしょう。

この場合、赤ちゃんの口を塞ぐのが一番正しい選択であろうことは多くの人が理解できると思います。

もっともこの例をみて、「本当に赤ちゃんの口をふさぐか塞がないかしか手がないのか?」という疑問がわいては来ますけどね、、、。

というか、「他の手はないのか?」て無意識に探してしまいますわな、、、。

でも、もし「赤ちゃんの口をふさぐかふさがないかしか選択肢がない」のであれば、赤ちゃんの口をふさいで「赤ちゃん一人の命を犠牲にしてでもそれ以外の全員の命を救う」のが妥当だと思います。

ただ、いくら妥当な判断であったとしても、それで罪悪感を抱かないって事にはならないんですよね、、、。

何ともやりきれないですな。

だって、他に手がないのにもかかわらず容赦なく良心はわたしたちに罪悪感を植え付けてくるのですから、何とも理不尽な感じがしますね。

少しだけ「こういったどうにもならない時には罪悪感なんて感じなくなればいいのに、、、」等と思ってしまいますな。

ま、感じるものは仕方ないんですけど。

ちなみに、倫理学者であるハーストハウスさんにによると、「泣く赤子のジレンマ」のような状況で感じる適切な感情は「罪悪感」ではなく「悲しみ」であるといいます。

参考

On Virtue Ethics

https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/0199247994.001.0001/acprof-9780199247998

罪悪感を昇華させて人生をもっと明るくしようではないか

上述の「泣く赤子のジレンマ」のような極端な事例はともかく、わたし達が日々生活していく中で「どの選択をしてもいい結果にはならない、、、」と悩むような状況に置かれることがあります。

このような状況にあっては、どんな選択をしても罪悪感や後悔を抱くことになってしまうでしょう。

現実的には、「よりましな選択をするしかない」わけですけどね。

しかも、一度決定して実行に移したらその選択によっておこった結果はもう元には戻せないし、そもそも選択肢がなかったのだから後悔等無益で何らの意味もないといえましょう。

なので、おこった結果に対して罪悪感や後悔を抱くことは不適当だし無益です。

そう割り切れるならそれでよしですね。

ちなみに、私は完全に割り切る派です。

ただし、中にはいくら無意味であっても罪悪感や後悔を持つ人もいます。

こういった人はどうしたらいいのでしょうか?

正直、わたしにも「こうすれば絶対に罪悪感を解消できる!」等と断言できません。

しかし一つの方略として、「罪悪感に自分なりにポジティブな意味を与えて罪悪感を消化できるよう試みる」のもありではないかと思います。

例えば、上掲の「泣く赤子のジレンマ」の場合、安直ですが、「赤さんは結果的になくなってしまったけど、赤さんの泣く姿がわたし達に生きることを強く意識させてそのおかげで助かった」等と解釈してみるという事ですね。

まあ、この解釈にはかなり無理がありますが、、、、基本方針としては消えない罪悪感は昇華するのが重要です。

罪悪感の昇華に関しては以下の記事参照。

おわりに

この記事は「「悲劇的ジレンマ」罪悪感は上手に昇華しないと害悪でしかない」と題しておおくりしました。

悲劇的ジレンマとは非常にざっくりいうと「どの選択肢を選んでもいい結果にならない状況にあっていずれかの選択をしなければいけないという葛藤状態」のことです。

もう何を選んでも良いことが起こらないって時は、いっそ開き直って「後悔も罪悪感もいらない!だってどうしようもなかったんだし!」と思ったほうがよさそうです。

もし、それでも罪悪感が残るなら昇華してみるといいでしょう。

いずれにせよ、幸せに生きたもん勝ちっすよ。

生きるのに心の重荷は少ない方がいいです。

では!

参考記事等

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