今回は以下の様な方に向けておおくりします。
自己肯定感(自尊心)を高める事のデメリットといった負の側面について知りたい人
自尊心を上手に活用する方法を知りたい人
世の中の自己肯定感にばかり注目する風潮に少し疑問を感じる人等
話しのネタが欲しい人等
正直、自己嫌悪の毎日だ、、、、もう、何で自分みたいなくそが生きているのか、、、何てつい思ってしまう。
とてもじゃないが、自分の事なんて好きになれん。
自己肯定感さえ上がれば人生格段に生きやすくなるのに!
、、、人生の幸福は自己肯定感が全てだわ!間違いない
、、うん、確かにそうだわな。
自分を肯定する気持ちがあるのなら、生きていて楽しいさ。
気分もいいさ。
、、、、だが、「それだけあればいい」っていうのはややもすれば「自分さえ納得できればいい」って結論になりはしないかねえ?
ま、知らんけど。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「自己肯定感、自尊心を高めるのはいいが高すぎは危険?「自己有用感と自己存在感も大事」」という話です。
最近、「自己肯定感を高めよう」という機運が社会で高まっている感じがします。
わたしもこの流れには基本的にはもろ手を挙げて大賛成です。
しかし、少しばかり気にかかることもありますのん。
それは何かというと、「自己肯定感が高ければそれでいいじゃん。全部解決!」、、、、ていう考え方って少しやばたに園じゃね?てことです。
まあ、日本人は遺伝子的に不安を感じやすい傾向があるといわれていますんで、自己肯定感の向上をクローズアップするのは基本的にいいことですし、異論はないんですね。
ただ、自己肯定感ばかり高めようって話になると、その究極には「もうどんなことであっても、とりま自分のやることは全肯定」みたいなものすごく乱暴な考え方がまっていそうだなって思うのですよ、ええ。
あの北斗の拳の聖帝サウザーのいった「退かぬ!!媚びぬ!!省みぬ!!」の境地に陥ってしまう気がしてなりませんな。
一応、今のところ人間は社会にあってお互いに共存するって形をとっているので、「社会における自分の立ち位置」を考えるも大事だよねって思うわけです。
なお、自尊心が低い人が自尊心の高める方法についてはリンクからご確認くださいませ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
あらためて自尊心や自己肯定感等について確認
自尊心ないし自尊感情(self-esteem)とは、社会心理学の分野において「ありのままの自己を尊重し受け入れる態度」といった意味合いで用いられる言葉です。
対して、自己肯定感とは文字通り、自らの在り方を積極的に評価できる感情の事ではありますが、その厳密な定義については研究者によって様々なものが提唱されてきて今に至ります。
なお、これまで提唱されてきた自己肯定感の定義の中で一番上記「自尊心」の定義に近いものは、江角周子さんと庄司一子さんによる
「自己の評価基準を基にした、よいもダメも含め自分は自分であって大丈夫という感覚」
という定義でしょう。
自尊心は自分のありのまま、つまり「足りない部分も十分に足りている部分も含めて自分を尊重し認める」という感覚ですからね。
意味するところはほぼ一緒といっていいですな。
※以下当記事でも、自尊心と自己肯定感を同義として扱う。
ちなみに現在、一般に自尊心と自己肯定感はほぼ同じような意味合いで使用されている模様。
まあ、文字だけ見てると混同しやすい言葉だから、要注意ですね。
自己肯定感が高ければそれでいいのか?
ここ最近、「自己肯定感」というワードは非常に注目を浴びている感があります。
やはり、日本にはそれだけ自分に自信がなかったりして悩み苦しむ人が多いからでしょうか?
確かに、多くの日本人はもっと自己肯定感が高い方が生きていて楽しいし人生を幸せに過ごせるでしょう。
例えば、自己肯定感が低いと何か失敗するたびに「自分なんて、、、」みたいな自責の念に駆られます。
また、「人の目が気になって仕方ない、、」なんていう悩みもこの自己肯定感にかかわるものですね。
日本人の多くはもっと自己肯定感を高めたほうがいいです。
これは間違いない。
ただ、自己肯定感ばかり高めればいいって話でもありません。
まあ、単なる思考実験のような感じはありますが、例えば自己肯定感だけが極限まで高まったとしたら、「どんなことをしても自分は間違っていないし、間違ったとしてもそれはそれでいい」みたいな独りよがりになりそうな気がします。
もっとも、共感性と自己肯定感は相関関係についてはわからないですが、もし共感性なき自己肯定感の肥大化が起こるなら「常に自分が正義である」みたいなあまりに身勝手な自己正当化が行われる危険性があるよなって思うんですね。
例えば、サイコパスなんかは、「共感性なき自己肯定感の高い連中」が多いのかもしれせん。
彼彼女らからしたら
「自分を罰せられるものは自分だけ。そして自分はいつも正しい。また、自分の選択に後悔はない」
等と思っており、罪の意識の片りんすら持っていないでしょうから。
ま、確かなことは言えませんけどね。
自己肯定感を高めると共に、その自己肯定が他者の存在を前提としたものであるとの視点は大事でしょう。
一言でここまでの話をまとめると、「共感的自己肯定感を高めることが大事だ」って事になりますね。
ちなみに、いわゆるナルシストは自分のいい面ばかりにフォーカスして悪い面を全く見ないので、自己肯定感が高い人とは全く違います。
これが病的になってくると、自己愛性パーソナリティ障害なんて話になってきますね。
あんまり自己肯定感って言葉は好きではない
まあ、この章は完全に余談なのですが、わたしは「自己肯定感」って言葉がどちらかというと好きではないです。
わたしは、自己肯定感という言葉を使うよりも自尊心ないし自尊感情という言葉を使う方がいいと思っています。
自己「肯定」感ですからね、なんだかこの文字列から「自分を肯定しろよ??」みたいな妙な圧を感じませんか?
自己肯定感の意味自体が自尊心同様に「ありのままの自分を受け入れる」といったものであっても、言葉自体に「少し強制感」を感じる気がします。
まあ、こんな圧は平常心をたもっていれば大したものではないのですが、追い込まれたりして精神的に不安定になっているときには「少し負担になるのではないか?」なんて感じる次第。
例えば、自責の念で頭がいっぱいになっているときに、「わたしは自己肯定感が低いなあ、、」みたいなセリフが脳裏をよぎったら、次の瞬間「もっと自分を『肯定』しなくては」のような心の声が追い打ちをかけてくるって感じです。
精神的に参っているところに、自分の心の声が「自分を肯定しろ」みたいに言ってくるのって、かなりストレスではないかと思いますね。
「肯定」という言葉はあまりに日常生活の中で多用されすぎており、自己肯定感の低い人たちはこの言葉自体にストレスを感じている気がするのですよ。
しかも、「肯定」に対する「否定」という対義語の関係も非常に連想しやすいと思われるため、容易に意識がネガティブな方向へと引っ張られるような気がします。
まあ、絶対そうかといわれたら確たるエビデンスがないので何とも言えませんがね。
ええ、主観ですよ。
色んな人の悩みやら、愚痴やらを聞いてきた経験や自分の感覚に基づくね。
まあ、わたしが問題視しているのは言葉の選択によって意識が、ネガティブなイメージを連想しやすくなるのではないかってことです。
なので、わたしは不安になりやすい人達には「普段から自己肯定感という言葉よりも自尊心という言葉を使うようにしたほうがいいよ」って言ってます。
普段、自分が使う言葉は無意識の内に口をついて出たり、心の中に浮かんだりしてしまうのです。
まあ、「言葉が思考を作る」なんて言葉もあるくらいなので、普段使う言葉にも気を付けたほうがメンタルのためになると思います。
特に、メンタルが不安定になりやすい感受性が強い人達(例えばHSP)は、心がざわついたり嫌悪感を感じるような言葉は意図的に使わない習慣をつけるといいでしょう。
細かいですけどね(笑)。
感謝と親切はベタだがかなり効果的で高コスパ「自己有用感の必要性」
上述したように、共感性の伴わない自己肯定感には危険性があるだろうなって思います。
そこで注目しておきたい概念がありまして、それが「自己存在感」というものです。
この自己存在感とは文字通り「自分の存在が価値あるものであると実感できる感覚」のことですが、他者の存在を前提とした概念なんですね。
自己肯定感はややもすると、「自分さえ納得できているなら、他者がどうであっても構いはしない」というかなり自分勝手な思想を生み出す危険があります。
このややもすると身勝手に終始しかねない自己肯定感に「他者との関係における自分」という視点を入れ込んだのが、自己存在感であろうと思われるのです。
高める順序としてはまずは自己肯定感ではないかと思いつつも、ある程度自己肯定感が高まってきたら徐々に自己存在感を意識していくのがいいんじゃないかって思います。
そこで注目したいのが、「感謝と自己犠牲にならない程度の親切」です。
ポジティブ心理学では、人に対して感謝の意を表するのは、その効果がわずかであれども、メンタルの向上に資するとされています。
それに感謝の気持ちをちゃんと伝える事で人間関係は格段に良くなりますよね。
例えば夫婦やカップルでにおいて、付き合いが長くなってくると「感謝はしているけど言わなくてもわかるだろう」みたいに思いがちです。
これを感謝軽視バイアスなんていったりしますね。
しかし、「思っていることが他者に伝わる」なんてことは、エスパーでもない限りあり得ませんね。
「直接相手の脳内にメッセージ送れんの?」て話です。
感謝しているならお互いにその気持ちを伝え合わないと、関係が悪化していくでしょう。
感謝は良好な人間関係の基礎といえましょう。
そして、次に「犠牲にならない程度の親切」です。
人に親切にすることは非常にメンタルの健康に良いし、色んないいことがあるのですよ。
例えば、以下のようないいことがあります。
- 逆境に強くなれる(追い込まれていても、他者に親切にすることで自分にはまだ余裕がある気がして落ち着ける)
- 外見の評価が上がってくる
- 自己有用感が上がり自己肯定感の向上や共感性の向上にも資する可能性がある
ここで注目してほしいのは「自己有用感」という言葉です。
この自己有用感とは他者との関係において、
「『自分は役に立っている』等と自分の存在を肯定的に受け止めることができる感覚」
のこと。
上述しているように、自己肯定感だけが肥大化すると
「他者などどうでもいい。わたしはわたしであり他者からの評価など何もいらない。全て自己完結している。」
みたいな本人の趣味趣向によってはかなり危険な思想へと傾倒していきかねません。
しかし、ここに「自己有用感」が加わることで、自己肯定感に社会性が付与されるので、「社会で他者と自分が共存する」という意識も生まれてきますね。
サイコパスでもない限り人の役に立ったら嬉しいので、人に積極的に親切や感謝をして自己有用感を高めることが望ましいだろうなと思います。
自己肯定感と自己有用感が適切な割合で併存する時、望ましい形で自己存在感が表れると思うんですね。
自己存在感における自己認識は「他者とのかかわりにおいて自分はかけがいのないない存在である」というものなので、自分を尊重しつつも他者を決してないがしろにするものではありませんからね。
そして、わたしが「自己犠牲を伴う親切」を推奨しないのには意味がありましてん。
自己犠牲、つまり「自分が負担である」と感じつつ親切を行っていると、必ずどこかのタイミングで「せっかくこんなにやってやってんのに、何で報われないんだよ!」みたいな気持ちが芽生えるものです。
こんな気持ちが芽生えてしまうと、嫌味のない親切がいかにも押しつけがましい親切やお節介に変貌してしまいますね。
それでは本来とてもメンタルにいいはずの親切の有益な機能が損なわれてしまい、親切にする方もされる方もいい気分がしないでしょう。
悲劇です、、、。
とても残念な状況よね。
そこで、わたしがおすすめしたいのは「5分ルール」というもの。
すこし、功利的でさかしい印象もあるかもしれませんが、親切をする際には「親切にする側の負担は軽いが受ける側の益は大きい」状況がベストです。
そこで自分が5分程度の短時間ですぐに終わってしまうような簡単な事であれば、積極的に人を助けていこうって話なんですね。
まあ、あまりこうやって親切を戦略的に運用するみたいな話は、いい気分がしない人もいるでしょうが、理にかなっていると思います。
参考記事等
自己肯定の究極は人生の肯定
自己肯定の究極は「自分自身の人生の肯定」であろうと思います。
自分の人生を肯定するために、
「人生を終える時に『どう終えたいか?』を考えそこから逆算して今をどう生きるかを考える」
というのはよく提唱される方法ですね。
ただ、これだけではいささか足りない印象です。
わたしは「その自分が望む最期の瞬間」にいったい「どんな価値を見出しているのか?」までしっかりと分析するべきだと思います。
例えば、「自分の家のいつもの寝室で、自分の死にゆく様を家族や友人といった多くの人が涙ながらに見守っている」なんて状況が理想の死にざまだったとしたら、この理想的なイメージの中に「自分が大事にしたい価値」というものが反映されているはずです。
このような自分の死に際の状況から、自分が一体人生において「何を大事にし、また追求していきたいのか」をはっきりさせる作業をしましょう。
そして、常にその価値に沿って行動する、ないし自分の行動をその価値と結び付ける努力をし続けることできっと「後悔のすくない人生」が実現でき、最終的に「自分の人生を肯定できる」みたいな気持ちで死出の旅路へとつくことができるでしょう。
そして、このような価値を明確にして人生をいきるなら、人生の生きる指針がはっきりするので「自分の生き方は間違っていない」と自分自身に対して何のおく目もなく堂々と言えるでしょう。
もし、自分に自信がなくなったり自己否定気味になったらその価値へと立ち戻り、自分を内省して進めば常に自分を肯定していけるのではないでしょうか?
そんな風に思います。
おわりに
この記事は「自己肯定感、自尊心を高めるのはいいが高すぎは危険?「自己有用感と自己存在感も大事」」と題しておおくりしました。
自己肯定感の高さは幸福に生きていくためには非常に重要です。
しかし、自己肯定感だけ肥大化したらかなり独りよがりな考えに陥ってしまうことも考えられます。
そのため、自己肯定感だけでなく積極的に他人に感謝や親切を行って自己有用感を高めるの必要もありますね。
そうやって、自己肯定感と自己有用感、共感性、、、などが高まっていくと「他者とのかかわりにおいて、自分をか気外のない存在である」と認識する自己存在感がいい感じであらわれてきそうな気はします。
まあ、自分も人も尊重しようっている事やね。
月並みな結論だけどさ。
では!
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%82%AF%E5%AE%9A%E6%84%9F
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/024/report/attach/1370732.htm
https://www.nier.go.jp/shido/leaf/leaf18.pdf
https://diamond.jp/articles/-/219061?page=2
参考記事等