
今回は以下の様な方に向けておおくりします。
自信満々に自分は正しいと言い張る人の心理を考察してみたい人
話のネタが欲しい人
軽々しく絶対等と断言するような人にはなりたくない人

一体なんで自分の意見が絶対に正しいって思えるのさ。
正直、ただそう思いたいだけとか知能が低いだけなのでは?って思っちゃうよなあ。
ああ、あほくさ。
ふむ、まあ「絶対」なんて言葉を使うのはちょっとねえ、、、。
どうなんだろうって思うよね。
オニギリス!
脱マンネリストのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「自分は絶対に正しい!」という人は高確率で間違いを犯すものである」という話です。
世の中には「絶対にこうだ!」と自分の意見を押し付けてくる人がいるものです。
そんな人たちに「どうしてそこまで強硬に持論を展開できるのか?」等と問うてみると、往々にしてその人の個人的な経験側だったりします。
でも、個人の経験側なんて所詮は「その人の場合は~なった」というだけの話であるため、客観的にどれだけの妥当性があるのか怪しいものです。
まちがっても、そんな偏った情報だけをもとに「絶対」なんて強い言葉を軽々しく使うべきではないでしょう。
いや、そもそも「絶対」という言葉はよほどの根拠がない限り使うべきでないと思います。
科学的事実ですら絶対ではないのに、ましてそれ以外の事なんて、、、って話です。
では、ゆるりとおおくりします。
自分を絶対に正しいと思いがちな人の心理傾向ってどんなもん?
自分の意見が絶対に正しいと思って譲らない人とは、基本的に「健全な批判精神が欠如した人間」です。
どんなものの見方にも何かしらの穴は存在しているので、原則としていつも自分の考えをいろんな角度から批判的に検討してより現実に合致した有効なものへと修正していく必要があります。
もし適切に修正を行わないと、取り返しのつかないとんでもない判断ミスを犯すこともあるでしょう。
常に批判的なものの見方を行ってリスクヘッジをかけておく方が賢明なのです。
しかし、そういった修正をしようとしない人は結構いるもの。
まあ、わたしもえらそうなことを言える立場ではないと思いますが、確かにそういった人たちは一定数いると思います。
このように健全な批判精神を失ってしまう原因には、以下のようなものがあるんじゃないかなあって思う次第。
・そもそも物事を多面的に見る習慣がない
・過度のストレスや睡眠不足等による認知能力の低下
・バイアスにハマっている
では、順次捕捉です。
・そもそも物事を多面的に見る習慣がない
そもそも物を「いろんな方向から多面的にみよう」とする習慣がない人は、自分の感情が動かされる物事に遭遇すると「これこそが真実だ!」みたいに信じ切ってしまったりします。
ここでいう感情が動かされる物事の例と言えば、自己啓発系の発信者のやたらと扇情的なスピーチみたいなものが挙げられるでしょう。
職場などに「ユーチューブで見た~って人の公演がすごくてさ~」等としきりに言い、その人が言ったという「なんかそれっぽい文言」をやたらと拡散しようとする人っていないでしょうか?
「~さんが~って言っていたから絶対正しいよ!」とかいうような人達ですな。
個人名をあげることはあえてしませんが、ユーチューブなんて見ているとそれこそまあいろんな自己啓発系の発信者がいますが、内容はともかく日本海外含めて演出がうまい人がかなりおります。
常に柔軟な見方をする訓練をしていないと、「おお!凄いいいこと言っている気がする!」と言った一時の感情に流されてその言い分をそっくりそのまま信じてその人の信者となってしまうなんて話になってしまうんですな。
まあ、わたしも気が抜けないよなあって常に自戒していますけどねえ。
情報を取り入れる時には、かならず「本当にそうなのか?」とか「その根拠は?」、「その主張に論理的な整合性はあるか?」等と言った反論をどんどんぶつけていって納得がある程度行って初めて、
「とりあえず一つの説として採用してみよう」
とする習慣をつけてみてはどうでしょうか?
それだけで大分妄信することは防げると思いますねえ。
・過度のストレスや睡眠不足等による認知能力の低下
結構以前の記事でも言っていることですが、睡眠不足や過度のストレスによってかなり認知能力が削られると理性的な判断が行えなくなってしまいます。
読者の方の中に何もきちんとした裏付けも検討もしていないくせして、日頃から「~が絶対正しい!」等と言いがちで判断ミスを頻発する上司を持っている人もいるかもしれません。
もしかしたら、そういった上司は日々の業務に追われて疲れすぎて物事を精査するだけの精神的余裕がないのかもしれないですな。
ま、本当のところはわかりませんけど。
とにかく疲れすぎていいことはないんです。
そのため、自分に合った適切な睡眠時間の確保をすることはもちろん、日々のストレス対策を徹底していく必要がありますね。
・バイアスにハマっている
先ほどの認知能力の低下とはまた別ですが、人間の認知の癖というか特性のようなものの性質上判断ミスが起きることがあります。
そういったものの事をバイアスと言ったりしますね。
「自分は絶対に正しい!」と言い張る人の心理もバイアスによって説明がつきます。
例えば「能力が低い人ほど自分は優秀だと思いやすい」というダニングクルーガー効果の文脈で考えるなら、「俺は優秀だから間違っているわけがない!」と思っているので「絶対」とまで断言しているって事になるでしょうな。
他にも「自分の考えを支持する情報に目がいきやすいという確証バイアス」や「これまで労力などを投じてきた物事を支持したがるというサンクコストバイアス」等の文脈でも説明はつくでしょう。
間違った判断をしないために、日頃からバイアス対策はしておきましょう。
バイアス対策について詳しくはリンクからどうぞ。
「絶対に」という言葉を使うんじゃない!
最近、わたしは「絶対」や「完全」という言葉を使う習慣自体なくしていった方がいいのではないかという事を感じます。
これは自身に対する「この世の中に完全なるものは存在せず何においても必ず例外は存在している」という事を思い出させるための戒めでもありますね。
一般に今、科学的事実と認知されていることでさえこの先「事実ではなかった」とされる時代が来る可能性があります。
以前の記事でも言及しましたが、そもそも科学が科学であるためには「反証可能性」というものがなくてはいけないといわれておるんですな。
なので、誇張した言い方になるかもしれませんが、「今科学的事実とされている事柄は突き詰めていけば全て仮説だ」って言い方もできるかもしれません。
なので絶対なんて言葉を使うのはご法度だという事です。
科学的事実ですらそうなんですから他は推して知るべしですね。
まして自分や一部の自分と似た境遇の人達の体験をもって「これが真実だ!」とか言い出すのは、ちょっと乱暴な気がします。
だからと言って、「科学的手法に基づいて検証された事実以外は全部嘘で信じるに値しない!」とまで切り捨てるのは明らかにやりすぎですけどね。
なので科学知識を基本ベースにしてそこに個人の経験則をいい具合に足していき、それらを自分なりに実践し検証しつづけいくのが一番実利的でしょう。
とにかく、絶対とか完全と言った「例外はない」と言った意味合いの言葉を多用する習慣はやめていった方がいいと思いますね。
感情的に使いたくなる時もあるとは思いますが、そんな時は「ほぼ間違いなく」と言った言葉に置き換えてみるといいかもしれません。
おわりに
この記事は「「自分は絶対に正しい!」という人は高確率で間違いを犯すものである」と題しておおくりしました。
「絶対に~だ」といった「例外は認めない」と言った感じの思考をしていると、結構な確率で判断ミスを置かると思われます。
なので常にどんな物事にも例外はあるものですので、それを加味したうえで主張はしたほうがいいのではないかとも思いますね。
何となく絶対とか完全と言った圧の強い?言葉は、なんか勢いがあって使いたくなりますけど、できるだけ使わないようにした方がいいと思います。
わたしもまだまだなので、共に精進していきましょう。
では!