理解はできても納得できない考え方との付き合い方は難しいのよな

「どうにも、理解はできるんだけど納得いかないって考え方あるよなあ。理屈としてはわかるんだけども、感情的には賛同する気にならないんだよね。こういった意見とわたしたちはどう向き合っていったらいいんだろうか、、、。」

んー、そうだねえ。

かなりの難問だと思う。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「理解はできても納得できない考え方との付き合い方は難しいのよな」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

理解は出来るけど納得いかない考え方との付き合い方について考えたい人等

誰かの意見に対して理解はできるけども、納得いかないなんて風に思った経験はないでしょうか?

例えば、犯罪者の心理等はその一つかもしれません。

まあ、全てとは言わないまでもある程度は「なるほどね、そういった心理だから~したのね」みたいに理解できることもあるでしょう。

場合によってはその犯罪者の動機にある程度共感できる場合もあるかもしれません。

しかし、だからと言って犯罪を犯したことに対して到底「納得や賛成」なんてできるはずはないですよね。

で、ここまではいいんですけども、理解は出来ても納得できない意見に対してわたし達は時として攻撃的になってしまいます。

「理由はともかくその考え方はおかしいだろ!」みたいにね。

こういった感情的に受け入れがたい考えに対して、わたし達はどうやって向き合っていったらいいんでしょうか?

ちょっと、今回はそんな事について考えてみたいと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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1,まず、完全に理解しきることはできないのは大前提

まず当たり前のことですけども、人が誰かの事を完全に理解することはできません。

まあ、自分のことですらみんな理解できていないって話もあるくらいですから、当然といえば当然での事といえましょう。

しかし、意外とこれが意識できていない人が多い気がします。

「他人の考えは完全に理解できる」までひどくなくても、「他人の考えはほとんど理解できるはずだ」と思っているためにすぐに自分の推測で相手の考えを決めてかかろうとする人がいるんですね。

こうした姿勢でいると、まず相手の心情等を正しく客観的に理解する事ができないために、納得もクソもなくなってしまいます。

とりあえず、「他人の考えを自分の推測によって決めてかからない」という事は、強く意識しておく必要があるでしょう。

もし、「~のようだといえそうだ」と思っても、それは「あくまでも可能性の一つ」という考えでいるのが望ましいですね。

とにかく断定しないことから理解が始まると思います。

共感も納得もとりあえずは置いておいて分析しようじゃないか

相手の意見を「理解する事」と「それに共感する事」は違います。

さらに言うと、この両者と「納得する事」も違いますね。

これらはそれぞれ全く別次元のものです。

理解はその意見の論理的道筋を確認する作業です。

そして、その理解に基づいて「共感するか否か」と「自身の価値観等から納得するか否か」が決まるって感じだと思います。

なので、共感も納得も根っこにある「理解」が正しくなされていないとほぼ意味をなさないものに堕する可能性があるんですね。

ですから、相手の意見をまずは「正しく分析する事」から始めるべきだと思います。

自分で勝手に推測するのではなく、相手の言い分をシッカリと聞いて主張の背景にある論理をシッカリと理解したいものです。

例えば、「わたしはアイツを殴りたい」と言っている人がいたとしましょうか。

これだけではなぜこんな主張をするのか皆目見当がつきませんよね。

で、当人に話を聞いていくと「わたしはアイツにありもしない悪い噂を流された。おかげでわたしは学校でいい笑いものだ。だから、殴ってやらないと気が済まない」なんて言ったとします。

ここまで来ると「ああ、確かに腹立つよね」等と共感が生まれますし、「心情的には殴りたいのも理解はできるが、殴るのは妥当ではないと思うよ」等と納得するしないのような判断が下せるわけですな。

とりあえず、正しい理解がない事には何も始まらないわけです。

納得できないなら納得なんてしなくていいのだ!ただ、攻撃する必要はない

世の中にある主張は、上述のような「在りもしない悪評を流されたから噂を流したやつを殴ってやりたい」みたいに分かりやすいものばかりではありません。

例えば、極度なまでの選民思想や優性思想にとりつかれている人や殺人に性的快楽を覚える快楽殺人鬼の心理といったものは、当人たちの意見をいくら聞いてもわたし達には理解が非常に困難ですし、到底納得などし難いものでしょう。

それに理解をしたくないという気持ちを持つ事もあるかもしれません。

あの有名な哲学者のニーチェさんの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉ではないですが、異常者の心理を覗き見て理解することで「自分の心が異常者の心理に少し近づくのではないか」という恐れを持つ事もあるでしょうから。

これは極端な例でしたが、例えば「社会や会社に蔓延する理不尽なルール」とか「一定レベル以上に価値観が異なる事による意見の相違」なんてものも納得しがたいものの一つではないかと思います。

たまにこういったものに対し、「理解はできるんだけど納得できない。納得できるようになるにはどうしたらいいか?」みたいなことを言う人がいます。

これに関して思うのは、「なんで納得しないといけないのか?」という事です。

別に納得できないなら納得しなければいいだけだと思うんですよね。

だって、自分の価値観に合わない考え方なんて納得しようたって無理でしょう。

しっかりとその意見の論理的背景を理解しているならなおのことです。

なので、こういう時は「納得する」事を目指すのではなく「なぜ納得する必要があるのか」といった方向に目を向けてみてはどうでしょうか?

例えば、「わたしは猫が好きだ」といっている猫派の人に犬派の人が「納得できない」といったところで、こんなものは「価値観が違うんですね」位で終わる話です。

「たけのこの里が好き」か「きのこの山が好きか」も同レベルの話ですね。

しかし、中にはこんな些細なことに対しても、攻撃的になって相手の意見を否定しようとする人というのがごく少数ながら存在しています。

もし、自分の好きなものを人も好きであってほしいという気持ちが動機であるとすれば、「共感できないわけではない」ですけどもだからと言って攻撃的になる必要性はないって感じますよね。

「まあ、人それぞれ好みは違うもんな」で本来すんでしまうと思うんです。

仮に、「猫派の人に犬のすばらしさを分かってほしい」というのなら、猫派の人に共感してもらいやすいような形で犬の素晴らしさを説明等すればいいんだと思います。

「理解できるけど納得したい」と思う人には、「納得できないなら別に相手の主張に納得なんてしなくいい」と言いたいですね。

むしろ、自分の心の中を見つめ「なぜ、納得する必要があるのか」を探っていって、「自分が納得したがっている理由を見つける」方がよほど重要だと思います。

「納得したい理由」が明かになれば、自ずと「理解できるけど納得できない意見」への向き合い方は見えてくると思いますよ。

それと一つ言っておくと、他者の考えを変えるなんて事は非常に難解な事なので基本的にはあきらめた方がいいです。

社会のルールの理不尽さ等については適切な形で批判等をする必要はあるでしょうが、そういったもの以外は基本的に流してしまった方がいいでしょう。

という事で、スルーする方法等についての記事を参考までに置いておくので、参考にしたい人は参考にしてみてくださいな。

おわりに


この記事は「理解はできても納得できない考え方との付き合い方は難しいのよな」と題しておおくりしました。

「理解できても納得できない意見」に対して、無理に納得しようとなんてしなくていいです。

もし、「しっかりと相手の主張における理屈の筋道」を理解してるのならばなおの事でしょう

そういった時であっても、「理解できるが納得できない。納得したいのだが、、、」と思うのなら「そもそも、なぜ自分は納得したがっているのか」を理解する必要があります。

その「納得したがっている理由」が分かれば、おそらく取るべき方策が見えてくるでしょう。

ただ、基本的に相手の意見を変えることは難しいので、「ああ、価値観が違うのね」と思ったらスルーするのが一番ですな。

では!

参考記事等

「相手を納得させる方法」心理学的、脳科学的に相手を納得させるために必要な要素について

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