見返りをもとめない人なんて誰もいない。ずべての行動は目的的である。
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「わたしはゲスいから何かと見返りを期待して行動してしまう。それがよくないことだってよくわかっているんだけどね。ああ、なんてわたしは心の汚い人間なんだろうか。もっと、見返りをもとめない心のきれいな人になりたい。自己嫌悪だ、、、。」

んー、人間が何らかの行動をする限り見返りを期待するなんて当たり前だと思うよ?

それに心がきれいとか汚いとか抽象的過ぎてもはやどうでもいいような、、、。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「見返りをもとめない人は存在しない」という話です。

はい、こんなこと言うと「いや、見返りをもとめない行動や愛はある」なんてやたら理想論的なことを言う人がいるでしょう。

しかし、はっきり言って原則そんなことは「ないはず」です。

人が何らかの行動を起こすとき、そこには意識するしないにかかわらず必ず「目的」があります。

親が子供を命がけで守るのも「次世代に自身の遺伝子を残すための行動」と考えれば「見返りは子の生存、子に受け継がれた遺伝子の保全」にすぎません。

きれいごとやロマンなんて抜きにすれば、見返りの一切ない行動なんてないのです。

一般にいわれる「見返りをもとめない」というのは所詮「程度の話にすぎません」。

なので、あなたは自分が何かの見返りをもとめて行動していることを責めなくていいのです。

それは普通のことなのだから。

大事なのは「見返りをもとめる程度」と「見返りがえられなかったときにどう反応するか」ということです。

この記事は一部ラスハリスさん著「使いこなすACT」と参考にしています。

では、ゆるりとおおくりします。

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全ての行動は目的的である

全ての行動は目的的です。

また、行動分析学において行動というのは純粋に「有機体が行うこと」を意味しています。

ですから、「考えること」や「感じること、「思い出すこと」等もすべて行動なんのです。

そして、どんな行動を行うのにも意識するしないの違いはあれど、ある種の達すべき目的や目標というものがあります。

いわゆる道徳的な人は「見返りを求めずに人に尽くすこと」をよく美徳のように言いますが、これは行動が本来目的的であることを考えると矛盾した意見といえます。

ですから、もしあなたが「自分は何かの行動をするときにその都度何か相手に求めてしまっている。自己嫌悪だ」などとおもっているなら、それ自体には何の問題もない事は知っておいてください。

相手に見返りをもとめたりすること自体は「当然のこと」です。

たとえ、あなたに向かって「お前は相手に見返りをもとめて行動しているから嫌われるんだ!」なんて言いう人がいても無視していいですよ。

論点はそこではありません。

もしも、見返りを期待してはいけないのなら「全ての行動をやめる」しかありません。

しかし、それは死ぬことでしか成しえませんよね?

見返りと行動はセットです!!

見返りがない行動は存在しない

まだ、「見返りをもとめない行動は存在しない」といっても、納得していない人がいるかもしれないので少し具体的に話してみましょうか。

行動分析的な視点からもうちょっと「見返り」について突っ込んでおくと、見返りとは

「ある行動を持続させる結果(強化的な結果事象ともいう)」

のことです。

つまり、見返りはある行動を持続させたり促進させたりするものなんですね。

例えば、何か子供がいわゆる「いいこと」をしたときに、親や教師が「えらいねえ」なんて褒めるのも見返りになりえます(もっとも、お互いの関係にもよる)。

また、あなたが誰かに親切にするとき、なんで親切にしているのですか?

よく考えてみてくださいな。

「困っている人を見ていられないから」という理由ならば、その見返りは

「自分の共感性により感じる不快感をなくすため」

とか

「後々罪悪感を感じないため」

だったりするかもしれません。

こんな風に考えるのに対して、「人の善意を分析してもののように扱う考え方は気に入らない」と反論する人も一定数居ると思われます。

しかしですね、感情はしっかりと分析したほうが心理学的にはメンタルの安定にもつながるんです。

不安を感じるときもそれとしっかり向き合って受け入れていくことでメンタルが安定するもの。

感情を「漠然とさせておく」のは有害です。

普段から、自分の感情にはしっかりと向き合っていきたいもんですね。

大事なのは行動の機能である

行動を考える上で大事なのは、その「機能」です。

自分がとっている行動が「何をきっかけとして何を見返りとするものなのか」知ることで、その行動が適切なものなのか客観的に判別できるようになってくるものです。

行動の機能を分析するには以下のような図をかくといいですね。

きっかけ行動見返り
・状況ランチタイムの職場 ・思考「私に仲がいい友達がいたらいいのに」、「一向に誰にも本心を話せない」、「人と仲良くなりたいのに、人見知りが激しくて話しかけられない」     ・感情不安、仲間として受け入れてもらえないことへの恐怖       人との接触を避ける安心感、恐怖感の消失

このように図に表すと、行動のきっかけや見返りがはっきりしますね。

ぜひとも、あなたも自分の行動を見直すときにはこんな図を描いてみてくださいな。

いわゆる見返りをもとめない人の正体

そもそも行動とは上記のように「有機体の行うこと」だったので、見返りがない行動はあり得ません。

それを根拠とすると、「見返りをもとめない人は存在しない」ということになります。

では、世間でよく言われる「いわゆる見返りをもとめない人」というのは、どんな人なんでしょうか?

これは「短期的な視点から見返りをもとめていない人」のことを指すといえるでしょう。

つまり、長期的な視点から見返りを考えているのです。

例えば、いわゆる「見返りをもとめない人の特徴」として以下のようなことが挙げられますがこれらの特徴はどれも長期的視点から見返りを考える行動です。

  • 報われるかより自分がしたいからしている(わたしはこのパターン)
  • 過去に受けた親切を恩返しとして人に親切にする
  • (目先の)損得勘定をしない

人に親切にすることですぐに目に見える利益が得られることはあまりありません。

しかし、結局巡り巡って自分にもどってくるんですね、利子付きで。

だから、資産家には人に愛想が良かったり親切だったりする人が多いのです(個人的な経験による)。

逆に、貧困にあえいでいる人は個人的に概して愛想が悪く不親切な傾向がある気がします(あくまで個人的な経験による感想)。

一緒にいて気分がよくないなら、もうその人とは一緒に居たいとは思えないものです。

貧困にあえぐ人は負の連鎖に巻き込まれているって話ですねえ。

参考記事等

主に長期的な視点で見返りを考えよう

今一度言いますが、「行動は見返りとセットなので見返りを期待すること自体は悪くない」です。

問題となるのは「短期的な視点から見返りを考える」ということです。

見返りをもとめるのなら、長期的な視点から考えましょう。

例えばですが、お酒を飲むことでストレスを紛らわせている人は自分の抱えるストレスを短期的な視点で解消しようとしているといえます。

しかしアルコールによって、短期的にストレスを紛らわせることはできても、時期に身体を壊してしまうのでこれは適切なストレス解消法ではないでしょう。

長期的視点をもたない行動は人を破滅へと追いやります。

常日頃から近視眼的になることなく、長期的な視点から物事を見れるように努めたいものです。

おわりに

この記事では「見返りをもとめない人は存在しない」と述べました。

全ての行動は目的的です。

ですから、見返りを求めない行動というのは存在しません。

大事なのは「目先の見返りを追いかけすぎない」という視点です。

親切は巡り巡って自分のところへやってくるものです。

親切にしたらすぐに自分に返ってくるなんてことはありません。

しかし、戻ってくるときはちゃんと利子がついているもの。

なので、日ごろから「運をためている」なんて感覚になるといいですね。

自己犠牲をしない程度に利他的なのが、人生を幸福感多く過ごす最善の方法です。

利己的すぎてもいいことないっすよ。

では!

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参考記事等

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