「鬼滅の刃に出てくる鬼ってさ、鬼舞辻無惨に代表されるようにかなりの外道多いよね。本当、人間やめてるなって感じの歪んだ性格の奴の多いこと多いこと、、、。でも、その中でも上弦の参の猗窩座はなんか異質だよね。なんていうのかな、、武人?確かに弱者に厳しいという歪んだところはあるけど、基本硬派だし人間時代のエピソードが感動的で魅力的だよねえ。」
んー、そうだねえ、猗窩座って鬼たちの中でも結構常識人の部類に入るよね。
無惨様の見るも無残な気まぐれ地雷原ぶりからしたら相当人格者っぽいよなあ、、、。
ん?
童磨はいいヤツそう?
ああ、あれはサイコパスだから(笑)。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「猗窩座みたいな理由で弱者を嫌う人は結構いる」という話です。
はい、鬼滅の刃に登場する鬼の幹部である一二鬼月、その上弦の三に座す猗窩座は外道ぞろいの鬼の中では比較的まともな人格をしている鬼です。
とはいえ、そこは鬼。
やはりなんだか性格が歪んでいます。
そう、彼は「弱者がすこぶる嫌い」なんですね。
なので、漫画の中でも弱者にとどめを刺そうとするような容赦ない場面が描かれます。
しかし、その心理は決して彼特有のものではなく、結構現代社会でもありふれた心理なんです。
今回は猗窩座の弱者に手厳しい理由を探ってまいりましょう。
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
猗窩座とはどんな鬼か?
猗窩座は一二鬼月の上弦の弐に座す鬼の幹部です。
彼は無惨からの信頼も厚く、無惨からも特別な任務を与えられています。
また、無惨に任務の報告に行くために人間に擬態したり、無惨の潜伏場所を知っているなどと行動の範囲も広くそれも無惨からの信頼を裏付けているといえます。
事実、式ファンブックによると、猗窩座は無惨のお気に入りであるそうですしね。
参考
その強さについても長年にわたって鍛錬をストイックに積み重ねてきたためか、その戦闘力はさすが上弦といった力量。
技のバリエーションも非常に多岐にわたっており、具体的には以下のような種類があります。
- 血鬼術 破壊殺:身体能力を向上させた状態から徒手空拳の技を放つ。術式展開により効力を発揮する。
- 破壊殺 羅針:自分の足元に数字の描かれた雪の結晶を模した陣を出現させ闘気で相手を感知して相手の動きを読む技。資格からの攻撃にも対処可能。
- 破壊殺 空式:拳撃を虚空に打ち込み、衝撃波を発生させて遠方の敵を攻撃する。
- 破壊殺 乱式:高速の拳による乱撃。
- 破壊殺 滅式:拳に渾身の力をこめて相手の体を打ち抜く奥義。
- 破壊殺 砕式:拳に渾身の力を籠めるのは滅式と同様だが、跳躍し相手の目線より上空から地面に拳を打ち込む点で異なる技。
- 破壊殺 終式 青銀残光:空式と類似しているものの、終式は360度全方位に対して放つ点が異なる技。
- 破壊殺 脚式:蹴り技。何種類か存在する。
- 破壊殺 脚式 流閃群光:片足で立ったままの状態で、高速で蹴りを連続で見舞う技。
- 破壊殺 脚式 冠先割:自分の後方の敵を後ろを向いたまま蹴り上げる技。
- 破壊殺 脚式 飛遊千輪:左右交互に蹴りを繰り出しつつ相手を追い詰めていく技。
事実、彼は百年以上の長きにわたり上弦の座におり、鬼殺隊最高位である柱を幾人も葬ってきているとのことです。
そして、猗窩座は人間をいかに強くとも年を取りすぐ死んでしまうといい見下しています。
そのうえで、けがや病気がすぐ治る鬼をたたえているんですね。
しかし、高い実力を持ったものに対しては戦う相手であっても自分と同じ鬼になるよう勧めています。
そして、彼を語るうえで絶対外せない考え方として「弱者がすこぶる嫌いである」というものがありますね。
そう、彼はこう言っています。
『弱者には虫唾が走る。反吐が出る。』
2、猗窩座の悲しき人間時代
猗窩座を語るうえでその人間時代の悲しい身の上
話を避けては通れないでしょう。
そして、その人間時代にこそ彼が弱者を忌み嫌う理由があるのです。
では、彼の人間時代について時系列順で見てみましょう。
・父との幼少期、そして貧困
猗窩座の人間時代の名前は狛治といい、病床に臥せっている父と暮らしていました。
病気の父と幼い子供の暮らしは貧困の極み。
狛治は父の薬代のためにスリを重ねていました。
その結果、幾度も捕まりその度に罪人として入れ墨を入れられてしまっています。
鬼になってからのあの身体の模様はこの入れ墨に由来しているんですね。
そして、6本目の入れ墨が刻まれた日に父は遺言を残し首つり自殺をしてしまいます。
その遺言には
『真っ当に生きろ、まだやり直せる。俺は人様から金品を奪ってまで生き続けたくはない。迷惑をかけて申し訳なかった』
とありました。
自分が犠牲を払ってでも懸命に守ろうとしていたものが、かえって自分の懸命さのせいで失われたという感覚は彼を精神的に打ちのめします。
・江戸での出会い、そして転機
父なきあと狛治は江戸へ行きケンカに明け暮れますが、ある時慶蔵と出会うことで転機を迎えます。
慶蔵は狛治に自分の道場に来ないかと勧めたのです。
そして、慶蔵は狛治を連れ帰ると自身の妻が体の弱い娘の看病に疲れ入水自殺を図ってしまったことを話したうえで、娘の看病を狛治に依頼します。
娘の名は恋雪。
狛治は父の看病になれていたのもあり、恋雪の看病は全く苦になりません。
彼は慶蔵から武術を学びつつ恋雪の看病もする日々の中で安らぎを感じていくのでした、、、。
そして、大いなる転機が訪れます。
恋雪の体調がよくなったころ、狛治は慶蔵より道場をついでほしい旨告げられるのでした。
その時の狛治の脳裏に浮かんだものは、父の遺言。
狛治はまだやり直せるのかもしれないとの思いとともに慶蔵と恋雪を命を賭して守りたいとの気持ちに駆られます。
そして、恋雪と初めて会った時にした約束を果たしに共に花火を見に行った時のこと、恋雪から狛治はプロポーズをうけるのです。
『狛治さんとのささいなお話で嬉しいことがたくさんありました。私は狛治さんがいいんです。私と夫婦になってくださいますか?』と。
狛治は赤面する恋雪の手を握り涙しながらこたえたのです。
『俺はだれよりも強くなり、一生あなたを守ります。』
、、、と。
・最愛の人との離別
上記の時点で終わっていればこんなに美しいラストはないですね。
しかし、そこは鬼滅の刃、そうは問屋が卸さないというもの。
狛治の幸せは突如として終わりを迎えます。
狛治が恋雪との祝言を無事終え自身の父の墓参りへと赴いた帰りのこと、家の前には人だかりができていました。
群衆は狛治を見つけるや否や駆け寄ってきます。
そして、衝撃の事実が判明するのです。
、、、なんと、
『慶蔵と恋雪が毒殺されてたというのです』。
事の次第としては、隣の剣術道場の跡取り息子が慶蔵が侍でもないのに道場や土地を有することや恋雪を自分の妻にできなかったこと等を妬んで井戸に毒をいれたということ。
実は、慶蔵は道場を山賊に襲われていた前道場主の老人から譲り受けたのでした。
狛治はまたしても自分の大切な人を失ってしまったのです。
怒りに駆られた狛治は隣の道場に行き、慶蔵より伝授された守る拳で67人を殴殺。
そして、多量の返り血を浴びた狛治は鬼舞辻無惨と橋の上にて対面します。
無惨により狛治は瞬殺されました。
そして、当時12体の強い鬼を作ろうと画策していた無惨により大量の血を与えられた狛治は鬼となります。
これが猗窩座誕生の物語です。
参考記事等
3、猗窩座は弱者に自分の過去を投影している
猗窩座となった狛治は人間時代の記憶を失いました。
そして、強さに対する執着はそのままに猗窩座は弱者が何よりきらいだという思想をもつに至ります。
ここで重要なのことに、この弱者というは「一般的な弱者」のことではないということがありますね。
この弱者とは「過去の自分自身」だったんです。
そう、彼の『弱者には虫唾が走る。反吐が出る』というセリフは「今まで大切なものを全く守ってこれなかった非力な自分」に対しての嫌悪であったということです。
このような心理を心理学では投影と言ったりします。
投影とは自己のある資質や衝動を否定したいときに、自分自身を防衛するためそれを認める代わりとして他人にその悪い面を押し付けてしまう心理的な働きのことです。
もっとも猗窩座の場合は過去を忘れてしまっているので、自分が弱者を蛇蝎のごとく嫌う心理の原因がわからないわけです。
このような状態では脱フュージョン等とかでメンタルを健全にすることもままなりません。
猗窩座は鬼になって非常につらい心の闇を抱え続けて生きていたということになるでしょう、、、。
自分の苦しみの根源に一切気が付けないまま百年以上も、、、、。
ただ唯一の救いは、猗窩座が最後には記憶を取り戻して狛治としてなくなったということでしょう。
とても悲しくも一途な武人ですね、、、。
せめてあの世では恋雪や父、慶蔵と仲良く食卓を囲んでいてほしいなって思わずにはいられません。
4、決して他人ごとではない猗窩座の心理
さて、猗窩座の心理は他人事ではありません。
わたし達の誰もが気が付いていないだけで、実は投影をしている可能性があります。
「あの人は本当に間抜けでのろまだからきらい」
「いつもいつもあの人は悪口しか言わないろくでなしだ」
「あいつはいつも失礼な態度ばかりのクソ野郎だ!」
さて、それは本当なのでしょうか?
実は自分がそうだから相手をそう見ているってことはないでしょうか?
投影が起こると「わたしはあいつが憎い!」が「あいつはわたしを憎んでいるんだ!」にすり替えられてしまいます。
このような心理を避けるためには「自分を客観的にみる」ということが欠かせません。
そのために有効なのが脱フュージョンです。
自分の思考を「あの時、私が、あそこで」という視点から自分の思考を眺めることにより、客観的になれます。
ただ、猗窩座ほどではないにせよ、我々の多くは投影の事実に気が付かないばかりか投影の原因となる感情とその対象に気が付いていない場合がありますね。
そんな時は、多少つらくともしっかりと自己と向き合って「この感情はなんなのか?」と自分に問うことが必要になるでしょう。
参考記事等
5、自分に優しくないと他人にも優しくない
そもそも「強くなりたい」とか「強くあらねば」という考え方にとらわれていると、常に自己否定をしなくてはいけないのでメンタルを病みます。
なので、強くなりたいではなく「自分に優しくすること」、つまり「自分の可能性を信じ励ましねぎらってあげること」なんです。
まあ、狛治のような環境にある人に「強くあらねばなんてやめなさい」とはなかなか言えないし、本人も思えないでしょう。
でも、これが心理学でいうところのセルフコンパッションというものなんです。
日本も西洋も自分に厳しさを求める文化は共通しています。
でも、自分に厳しいのでは自己否定ばかりでどんどん自尊心が低下しますね。
な、の、で、
「自分に優しくいきましょう」。
はい、悪いことは言わないので。
そうしたら、自分にも優しく他人にも優しくなれますね。
まあ、普通投影というとマイナスの感情ですが、これも一種の投影って話になりますね。
ええ、自分に優しいならプラスの投影が起こるってこともありうるってことです。
参考記事等
おわりに
この記事では「猗窩座みたいな理由で弱者を嫌う人は結構いる」と題しておおくりしました。
猗窩座が嫌う「弱者」とは「過去の自分自身」でした。
このような心理のことを心理学では投影といいましたね。
この投影はわたし達にも知らず知らずのうちにおこっている可能性があるので、決して他人事ではありません。
気が付かないだけで、他人に自分の嫌な部分をみているのかもしれませんよ。
投影を回避したいなら脱フュージョンがおすすめです。
また、セルフコンパッションも有効ですね。
まあ、自分に厳しくてもいいことはないです。
人間なんてみんな弱者ですよ、結局。
どうせ、一人でなんて生きていけやしませんから。
人間みな不完全。
だから、強くなんてなくていい!
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では!
参考記事等