「退廃の美と滅びの美学」なぜ破滅や退廃に魅力を感じる?美は滅びにより完成される?

「たまに滅んでいく姿に美を感じるとかいう人いるよね、、、。なんなんだ?全くあの感覚理解できないんだけど。正直言って、あたおかじゃん?おかしいでしょ、滅びが美しいとか。」

うーん、そうだなあ、、、。

確かに変な感じよねえ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「退廃の美と滅びの美学」なぜ破滅や退廃に魅力を感じる?美は滅びにより完成される?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 滅びに美を感じる人の心理を考察してみたい人等

滅びに対して美を感じるって理解できるでしょうか?

あんまり一般的な感覚ではないと思うんですが、世の中には一定数「滅び」に対して美を感じてしまう人というのがいるんようなんですな。

中々普通の感覚だと理解しがたいものではないかと思います。

今回は滅びに対して美を感じてしまう人の心理について少々考察してみたいかなって思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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滅びの美学とは?

まず、いわゆる「滅びの美学」に対して考えてみたいと思います。

滅びの美学とピクシブ百科事典によると以下の様なものであるとのこと。

人や集団がみせる、散り際の美しさのこと。とうてい勝てそうもない敵に対し、死を覚悟しながら勇ましく戦った武将や兵士たちを指して言うことが多い。また、永遠に失われるもの達の、束の間の美しさを指して言うこともある。

引用
https://dic.pixiv.net/a/%E6%BB%85%E3%81%B3%E3%81%AE%E7%BE%8E%E5%AD%A6

ふむ、要は第二次世界大戦中の神風特攻隊のような自爆攻撃を美化する思想ってことでいいんかな?

そう考えると、とてもじゃないけど正気の沙汰ではないって感じがしてきますねえ。

まあ、生物的な視点から考えてもこんな自己破壊的な考え方をしているって違和感があります。

なんせ、生物は「生き残ってなんぼ」なので、自己破壊に美、つまり好意的な解釈をしているなんて言ってみれば「生存上のバグ」といってもいいもんだと思いますね。

ちなみに、こう言われると「いやいや、レミングは海に飛び込んで集団自殺するやん!動物の中には自己破壊をしようとするものもいるぞ!」ていう人がいるかもしれませんが、あれは集団自殺などではなく「事故」だそうです。

結局の、「死」や「滅び」を美化する「滅びの美学」なんてものは、権力者サイドによる洗脳だったりただの思考のバグだって感じがしますね。

滅びに美しさを感じるのはなんでなの?

さて、いわゆる「滅びの美学」がやはり気持ちの悪いバグみたいなものだってことはいいとしましょう。

で、次に問題にしたのは、純粋に「滅びや衰退」のような一般にネガティブとされるものに対してある種の美を感じてしまう人のも存在しているという事実です。

決して、当人たちは自己破壊を肯定してはいないでしょうが、「死」や「滅亡、退廃」等といったようなものやそのような様に幾分かの魅力を感じている人がいるってことなんですねえ。

じゃあ、何でそんなネガティブなものに魅力を感じたりするんでしょうか?

うーん、正直かなり難解な問題なので、わたしのちっぽけな頭では手に負えない気がしますが、まあ少しばかり推測してみたいと思います。

美がそもそも何かを定義しないことには、この手の話は始まらないのですが、そもそも美なんて一義的に定義できるようなものではないです。

なので、美の定義からこの手の問題に決着を付けるのは困難な気がしますねえ。

で、わたしは思ったんですが、人は本能的に混沌とした乱雑な状態へ向かいたいある種の欲求のようなものを持っているのかもしれないなと。

いや、正確には「自己破壊を望むようになる場合がある」って感じかな?

熱力学における重要原則に「エントロピー増大の原則」というものがあります。

エントロピーとは統計力学における「乱雑さを表す物質量」の事。

全ての事物は自然のままに放置しておくとエントロピーの低い状態、つまり整然とした状態からエントロピーの高い状態、要は乱雑で混沌とした状態へと外から物理的な力が加わらない限り不可逆的に変化していきます。

実は宇宙全体もこの法則に従っており、その始まりから徐々に乱雑さを増すように進化してきて現在に至っているそうです。

そして、これは生物で言うなら生から死へ向かう流れであり、文化で言うなら繁栄から退廃へと向かう流れであるといえましょう。

生物の体は生命を維持するために「恒常性維持機能」を有しています。

いうなれば、わたし達生命は「エントロピーへの反逆者」だという事です。

でも、反逆者である私たちもずっとエントロピーにあらがうことはできません。

時期に、老化し朽ちて死んでいってしまいます。

生命体という一つの秩序ある状態が、死や破滅というカオスに帰すのは自然な流れだという事です。

さて、では、このエントロピー増大の原則の考えを人の精神に対して適用してみましょう。

メンタルが安定している状態というのはまさに恒常性が発揮され「生命が健全に維持された状態」です。

しかし、この状態は自然界では「異質であり不自然な状態」なんですね。

安定した精神は自然の流れに従うなら、徐々にその乱雑さをましていき不安定なメンヘラ状態へと向かっていくでしょう。

わたし達のメンタルが日頃から比較的安定しているのは、恒常性維持機能によってわたしたちの体がエントロピー増大の原則にあらがっているからなのです。

なので、もし恒常性維持機能が弱くなってくると人の精神は外から何らかの働きかけがない限り、不安定的になってそのあげく「自己破壊を望む」ようにすらなるのではないかって思います。

このような自己破壊欲求は生物としては間違った思考ですが、自然界の大原則にはのっとった思考といえますね。

つまりね、人のメンタルが不安定になるほど自己破壊に好意的解釈をするようになり、「死」や「滅亡、退廃」等に美を見出すようになるのではないかって思うんです。

なので、わたしは精神的に病みやすい感受性の強い人ほど退廃的な物に美を見出しやすい気がするんですよねえ、、、。

また、こうも思いますね。

人には「完成されたものを破壊して不完全にしたいという欲求が生来的にあるのではないか?」とも。

美を滅びによって完成される??

ダメ押しですが、次は滅びに美を見出す心理についてエントロピーとはまた違った角度から考察してみましょう。

人はあくまで個体レベルで考えるなら、「生き残ってなんぼ」ですから滅びなんて忌避して然るべきなので滅びに美を見出すのは不自然です。

事実、人の脳は「死というイベントは自分には起こりえない事」と考えるように出来ているなんて話があります。

滅びに美を感じるなんて、こういった事実を加味すると本当に奇妙です。

これはもしかしたら、人類が進化の過程で「肥大化させすぎた理性の代償」なのかもしれません。

人は脳の発達により、その思考の範囲を過去や未来、果ては完全なる妄想にまで拡大させてきました。

その代償と言っては何ですが、人は将来の不安や起こりもしない杞憂に頭悩ませるようになってしまったんです。

だからこそ、「今、ここ」に意識を向けることでストレスが減らせるわけですな。

で、そんな肥大化しすぎた理性が暴走した結果が、「滅びに美を見出す」という事なんだと思います。

何をもって「美」と定義するかは実に人それぞれですが、美を「何がしかの完成されたもの」ととらえると、違和感はぬぐえないものの滅びによって究極の美が完成されるとすらいえる気もするんですよねえ。

美が完成された何がしかとすれば、その美が時間軸の地平の先に向かうところは「滅びしかありえない」です。

絶頂があれば、あとは下るのみってことですな。

美が衰え、かつてのなりを潜めていくにつれ、それを見る人の心には「ああ、美は今まさに失われんとしている、、、」と嘆息と共に一抹の哀愁が沸き上がり、そして直後「かつての美がいかに尊いものあったか」を知ることになるでしょう。

そして美が跡形もなく滅び去った後、人はその進化の過程で肥大させすぎた想像力によって、滅んだ美の不完全性を補完するのです。

まあ、卑近な例で言うと、マスク美人ってことですね。

マスクによって隠された顔の一部を、自分の想像力によって理想的なパーツによって補完するってことです。

対象が不完全であるからこそ、自分の理想的な姿として脳内で完成させられるのですな。

三島由紀夫さんの金閣寺にて、物語の最後で主人公が金閣寺を燃やしてしまったというのもこれに似た心理かなって思います。

また、ドイツの建築家アルベルト=シュペーアさんの建築美学である

「建築物は千年後にギリシャやローマのような美しい廃墟となるよう建てるべき」

というのもこれに相当すると思いますね。

完成された美が滅び去りわずかにその面影を残すだけになったという事実は、人それぞれの脳裏に「その人なりの極まった美を構成する」といえます。

そう、現実の実態ある美は所詮どこまで行っても不完全であり、賛否両論の風雨にさらされるんです。

しかし、実体としての美が失われた後の「かつては美しかった」のような情報とかすかな美の残滓は、人を妄想の世界へ駆り立てそれぞれの脳内に各人なりの「完成された美」を作り上げさせるでしょう。

美なんて、結局は個々人の想像の中にしか存在しえないってことですな。

プラトンさんのイデアっぽいけどそんな感じでしょう。

この考えを上述の「自己犠牲的滅びに美を見出す心理」に適応したら、この実に不合理な心理は「自分という実体をあえて喪失させることにより人々の中で永遠に美しい英雄として生き続けたい」という欲求の帰結なんじゃないかって気もしますねえ。

事実、過去の英雄の武勇伝は面白おかしく派手に脚色されがちですね。

時が立つにつれ、悪はより悪としての色味をまし、善はその善の色を濃くしていくって感じです。

そう考えると、個人的に「滅びに美を見出すなんておかしい!」と思いつつも、滅びに美を見出す人たちは「極度のロマンチストなんだなあ」て思います。

なんせ、完成された永遠の美のために自身の実体を葬るのですからねえ、、、。

なんか、「美のために死ねるか?」と問われている気がしてきますわ。

知らんけど。

ちな、あたしゃ無理です。

おわりに


この記事は「「退廃の美と滅びの美学」なぜ破滅や退廃に魅力を感じる?美は滅びにより完成される?」と題しておおくりしました。

なんか、くどくどと色々述べ過ぎたので最後に総括しておくと、滅びに人が美を見出すのは以下の様な理由からだと思います。

・エントロピー増大の原則のせい
・美の喪失により美の尊さをより実感するから
・実体が喪失されることで、個々人の脳裏に完成された美が構成されるから 

まあ、自己犠牲的な滅びに美を見出すなんて正気の沙汰じゃないし、個人的に絶対に是認できるものではないんですけど、そういった滅びに美を見出す人の美に対する熱意のようなものはちょっとすごいよなって気もします。

まあ、好きにはなれないけど、敬意は払いたいって感じはしますね。

では!

参考
https://dic.pixiv.net/a/%E6%BB%85%E3%81%B3%E3%81%AE%E7%BE%8E%E5%AD%A6

参考記事等

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