無償の愛がほしいと思ったら危険「無償の愛をくれる男性も女性もいない」
ぐれん
心理カウンセラーのおにぎりの中の人、ぐれんです。

今回の話題は「無償の愛がほしいと思ったら危険「無償の愛をくれる男性はいない」」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 無償の愛がほしいと思っている人
  • 無償の愛が存在するわけないと思っている人
  • パートナーとの関係の在り方を模索してる人等

「無償の愛」ってものすごく甘美な響きですが、存在すると思いますか?

残念ですが、無償の愛は存在しません。

いや、「論理的に考えて存在するはずがない」といったほうが正しいでしょう。

でも、「無償」という言葉はやたらとに耳ざわりがいいのでついつい信じたくなりますよね?

まあ、わかる気もします。

恋愛等において、「無償の愛を注いでくれる人はいないものか、、、」なんて言っている人は、きっと心が疲弊しているのです。

そんな人たちに必要なのは心の休息やメンタルの強化であって、「無償の愛ではありません」。

賭けてもいい!

また、愛に対して「無償性」を強調することは、おそらく人間関係の破綻を引き起こす可能性がある危険な行為と考えられます。

現実の中に生きるわたしたちにとって、愛は「非常に現実的なもの」です。

愛から夢や幻想のヴェールを剥ぎ取り、その現実に即した本当の姿を直視しない限り、おそらく現実逃避の末につらい恋愛を続けることになるでしょう。

「愛は相互的なもの」です。

では、ゆるりとおおくりします。

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「無償の愛」というおかしな概念

人間の行動はすべて「目的的」、つまり「目的がある」のです。

わたし達が人を愛するのも例外ではありません。

わたし達は意識するにせよしないにせよ、なにがしかの目的をもって行動しているのです。

愛の無償性を強調する人は、よくいいます。

「損得なんてそんなものを超えた愛がある」などと。

「損か得か」、、、この二項対立を目にすると、人は条件反射的に「お金をもらう、奪われる」や「相手に自分の要求を聞かせる、自分が要求を押し付けられる」のようなものを連想しがちです。

※損か得かというよりも、「快か不快か」の方が適当であろう。

そう、「損得」という言葉から、わたしたちは「奪う奪われる」のような搾取構造を想起しやすいといったほうがいいでしょう。

確かに、「お金や要求を聞いてもらう」のも行動の目的の一種であり、それも「みかえり」です。

しかし行動の目的、つまり「見返り」は何もそんなものに限らず、「好きな人が嬉しそうにすることで感じる快感」のような感情自体も含まれます。

また同様に、彼氏が悲しそうにしている彼女を見ていてつらいから慰めるのは「好きな人が辛そうにしていることからくる心痛という不快を取り除くこと」、果ては「彼女の笑顔を見て快感情をえること」等が、慰めるという行動の見返りであると分析できますね。

まあ、愛って結局人間関係において発生するものなので、すべて行動に裏付けされているのです。

もし、無償の愛というものが存在するのならば、行動が相手への愛情表現を意図しないにもかかわらず、その行動によって影響を受けた本人が「愛情表現である」と誤認する必要があるのかもって思います。

つまり、「愛を与えたとされている本人」はとった行動によって誰にも愛なんて与えるつもりはないのに、「その行動により愛を与えられたと思い込んだ相手方」が一方的に愛を与えられたと勘違いしてるって構図ですよ。

笑えない状況です。

そうっすねえ、、、女性がその場しのぎのために愛想よくしたのを、非モテが「自分への愛情表現だと勘違いしてストーカー化する」のに少し似た状況ですねえ。

これが無償の愛ってことになったら、無償の愛って無性にキモくね?

どう考えてもまっとうな人間関係ではありませんな。

まあ、無償の愛っていうのは「妄想の中にしか存在しない」ってことでしょう。

人間関係に無償性を求めるということは、隷属を要求するのに等しい

上述のように、無償の愛なんて人間関係においては成立しないと考えられます。

愛において、無償性を追求をする人の心理には色んなものがあるでしょうが、わたしなりに思い当たるものを列挙すると以下の通り。

  • 辛い恋愛遍歴から人間不信になっている
  • 過度の理想主義者

以下順次簡単に解説しマウス。

辛い恋愛遍歴から人間不信になっている

あまりにつらい恋愛を経てきて人間不信になると、恋愛での駆け引きみたいなものに心底うんざりしてくるでしょう。

そうなってくると、一時的に現実逃避として愛に無償性を求めてしまうようになるかもしれません。

とはいえ、おそらくメンタルが回復してくれば問題ない気はします。

過度の理想主義者

「無償の愛」という概念にやたらとこだわり、それを「愛の究極系」として追求しようとしている人たちもいる模様。

なぜ、彼彼女らはそんな非現実的な妄想にすがろうとするのか?

理由はいくつかあるでしょうが、その理由の一つとして考えられるのは愛着形成上の問題です。

愛着は「乳幼児の頃に母親との情緒的な相互作用を通して形成される」もの。

そのため、幼少期に母親との情緒的なやり取りが不十分ないし不適切であった場合、愛着は健全に形成されません。

愛着の形成が健全に形成されないと、愛に飢えてしまい愛を過度に理想化したものとして考えるようになってしまうかもしれませんね。

まあ、確定的なことは言えないんですけども。

愛着について詳しくは以下からどうぞ。

いずれにしても、「自分はなにも提供せずに愛されたい」というのは実に虫のいい主張です。

ま、人間関係において、「相手に自分へ無償の愛を注ぐのを要求する」のは「飲食店で無銭飲食しようとしている」みたいな感じですねえ。

健全な人間関係における原則の一つは「対等性」なので、どちらかが一方的に得をする搾取構造を回避しないと長続きしません。

健全な人間関係を構築し維持するためには、「与えられるものと与えるもののバランスをとろうとする姿勢」が非常に重要です。

無償の愛を求める人に必要なのは、無償の愛ではない

はっきり言って、無償の愛を求めてしまう人たちに必要なのは「無償の愛」等ではありません。

強く安定したメンタルです。

ありもしない幻想を唾棄して、現実的な人間関係を築くために行動しようとする気持ちや精神的強さでしょう。

人間関係において大事なのは「与えられ与えるのバランス」であるため、「見返りを期待しない愛」というものが存在すると思っているのはあまりいいものではないと言えますね。

まあ、思うこと自体は決して責めらるべきものではないですが、、、。

ただ、「まず存在しえないものを理想としてしまう」のは、「理屈として破綻していない理想」を追うのとは違って追求することに有効性がありません。

設定する理想はあくまで「現実的で論理的に実現可能性のあるもの」にしないと、追及したところで「近づくこと自体が不可能」です。

追求する努力自体が無駄になりましょう。

そうして、一向に近づけない自分に嫌気がさし、あげく自分を責めるのです、、、。

こんな不毛な努力がありましょうか?

このように愛に無償性を求めてしまうのは、やはりなんていっても「メンタルが安定しないから」ではないかと思います。

ただ、辛い失恋を経験した後であれば、無理もないのかもしれません。

その場合、一年くらいは恋愛なんてせずメンタルの回復を待ったほうがいいです。

それというのも、恋愛の傷は一年で言えるとの研究があるので。

なお以下に、メンタルの安定に資すると思われる記事等を置いとくので参考までにどうぞ。

愛をもっと現実の人間関係に即したものとして捉えていきたいものです。

参考記事等

おわりに

この記事は「無償の愛がほしいと思ったら危険だ「無償の愛をくれる男性も女性もいない」」と題しておおくりしました。

無償の愛を信じてしまったりほしいと思ってしまうのは、おそらく精神的に疲弊しているからです。

無償の愛に固執している人たちに必要なのは、無償の愛などではなくて「強く安定したメンタル」でしょう。

メンタルを強くすることで、人間関係を現実的にとらえられるようになるはずです。

メンタル強くしていきましょう!

では!

参考記事等

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