「道徳的な考え方に基づいて在れやっちゃダメこれやっちゃだめ、これこれすべきって言ってくるやつウザすぎ。うっとおしすぎる。そんなくそうるせえ奴がいると日本住みづらくなるだろが。」
まあ、あんまり道徳がどうのという事に縛られるのは幸せになれる気がしないが、かといって道徳なんて不要っていうのも違うから難しいのよなあ。
道徳を誰も意識しない社会はそれはそれですみづらいと思うんよねえ。
まあねえ、真面目は損っていうけど、「一理」あるかなって気はするな。
ただ、不真面目がいいかっていうとそうは思わんがね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「道徳的に~しなくてはいけない」なんて義務感はゴミ箱に捨てなさい」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・道徳を振りかざすうっとおしい人が周りにいる人
・道徳なんていらないと思っている人
・道徳的な義務感にさいなまれ日々息苦しさを感じている人
いきなりですが、いわゆる道徳って社会に必要なものだと思いますかね?
まあ常識的に考えたら「イエス」でしょうし、わたしも「イエス」です。
しかし道徳を意識するがあまり「強い義務感にさいなまれて息苦しい」のであれば、ちょっと個人的には問題だなって思います。
まあ一概には言えないかもしれませんが、それじゃあ幸福度が下がるじゃんって思いますねえ。
義務感にさいなまれている人には、そんなに義務感に苦しまなくていいよって言いたいですね。
一応念のために言っておくと、本記事は不道徳のすすめではありません。
わたし自身退廃美を感じる性格でもありませんので。
ただわたしは道徳的に自分を縛りすぎている人に、「もう少し気楽に考えたらいいよ」といいたいだけです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
道徳的に~、なんて言葉にあんまり振り回されると不幸になる
最初に言っておきますが、正直、わたしは今回の記事で「道徳とは何か?」みたいな非常に遠大なテーマに真っ向から勝負を挑む気はさらさらありません。
なので、「道徳の定義」というものを厳密にしていこうという気はないです。
ただ、一つ「何を持って道徳にかなうとするかは人によって結構違っている」という事は抑えておきたいと思います。
事実、文部科学省も道徳教育に関するキュー&エーにて「道徳科の評価で,特定の考え方を押しつけたり,入試で使用したりはしない」なんて回答しています。
参考
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/
これから察するに、日本という国においては
「道徳とは国民それぞれが解決すべき道徳的な課題に直面した際に自分の良心に従って自発的に感じ取るもの」
といっていいのではないかなって思います
もちろん、賛否両論あると思いますけど。
なので、まあおよそ同じ様な範囲に収束するとしても、細かく見ていけば個々人にとっての道徳というものはそれぞれに違うはずです。
なので、「自分にとっての道徳は他人にと手の道徳とは異なる場合もある」という事には留意する必要があります。
自分の道徳に縛られすぎて、「~をしないなんて人としてあるまじき!」なんて神経質になっていたのでは疲れてしまって幸福度なんてだだ下がりでしょう。
それに道徳に固執するようになると、他人に対して「お前のやっていることは非道徳的だ」なんて意味の分からない正義を振りかざす迷惑な存在、果ては害悪とすらなることもありましょう。
これじゃあ人間関係すら壊していきかねません。
自分の道徳に沿わない行動をする人に対してまず取るべき態度というのは、「なぜこの人はこういった事をするのだろうか?」という疑問と、可能ならばその人との対話ではないかと思います。
対話を通して、「なぜその人がそのような行動をするのか」という事に納得がいくなら、「ああ、なるほど」と思うこともありましょう。
それで「いや、それは納得いかない」と思うなら、もう関わり合いにならなければいいだけです。
自分の道徳に沿わないからと言っていちいち戦っていく必要なんてないと思います。
そんな正義の味方気取りで世直しごっこしていたら、年中怒ってばかりで健康にも悪いというもの。
さらに言うと、額とかに変なしわができて意地悪そうな顔になってしまうかもしれませんな。
ま、知らんけど。
とりま、いちいち自分の中の道徳に反する人を見つけて怒っていても、何もプラスにはならんよってことです。
そんなことするより、もっと自分が楽しい気持ちになる体験に意識を向けてみた方がいいと思うんですね。
道徳なんて「その方向にいったらいいよね~」くらい軽く考えた方がいいんじゃね?
いわゆる道徳で語られる言説の中には、「そんなのタダのきれいごとだ」とか「そんなの人間の本当的に実現不可能でしょ、何寝ごと言ってんの?バカなの?」みたいなものもあります。
ちょっと、いわゆる道徳の内容には「あまりに人間の善性を頼りにし過ぎているぞ。現実の世界を見てみろ」と激しくツッコミを入れたくなるよう内容もありますね。
ただ、そうはいっても、「理想としてはそうであった方がいいし、そうであってほしい」ものが多く含まれているのも確かです。
例えば、「正直、誠実、嘘をつかない」等がいつも評価されるならこんなにいいことはないでしょう。
しかし、現実はご存じの通りそうもいかないことも多いです。
「正直者が馬鹿を見る」なんて言葉があるように、必ずしも「正直であればいいことがある」なんて言えません。
とはいえ、「正直者が必ず報われる世界」であった方がいいのは間違いないでしょう。
いわゆる道徳の内容に関してはその内容の先頭に「原則として」という文言を足して解釈するようにしてみるといいと思います。
つまり、「嘘をついてはいけない」ではなく「原則として嘘をついてはいけない」という風に読み替えようってことです。
いわゆる道徳で言われる理想論には荒唐無稽で本能的に実現は難しいものも多い気がするので、それを絶対視してしまうと「永遠に理想と自分の現在地とのギャップに苦しむ」という事になります。
これでは不幸になってしまいますね。
「自分は全然道徳的にいい人間ではない」みたいな苦しみの中でもがいて生きていく事になってしまいます。
これはあまりに人生を無駄にしている気がしますよ、、、。
なんだかもったいないです。
なので、こういった理想が過ぎたものに関しては一番頭に「原則として」と言った文言を足して読み替えていくようにしましょう。
例外はどんなことにだってあるんですよ。
自分に「絶対に~しなければならない」みたいなおきてを課すのはやめましょう。
ちなみに、「人に親切にしたほうがいい」というのは冗談抜きで真実です。
もっとも、「自分の無理のない範囲で」という条件付きですけどね。
ただ、「人の善意に付け込む人間」に対しては親切はいりません。
そういった人間とはかかわりを絶ってしまいましょう。
「道徳なんて全無視」は勝手だけど返ってきた結果は否応なく受け止めざるを得ない
上述のように、「道徳は人によって様々」でした。
なので、「わたしのとっての道徳」と「誰かにとっての道徳」はイコールにならないのです。
もちろん、大枠では共通するとは思いますが。
だから自分の道徳を他人に押し付ける必要もないし、押し付けられる必要もないって言えるでしょう。
ただ、「わたしはわたしだからあなた達のいい分なんて知りません。何も受け付けません。」と言った強固な姿勢を貫くのは問題かなって思います。
別にわたしは「まわりに迷惑をかけるな」なんてことを言いたいのではありません。
迷惑をかけるななんて言ったら誰も何もできなくなりますし、そもそも生きているだけで誰もが迷惑をかけてかけられてのお互い様で生きています。
なので、ことさら「迷惑をかける」という事をクローズアップする気はないのです。
しかし、「周りを全無視しした結果起こったことに対してはいずれ責任を取らされる日が来るぞ」という事はほぼ間違いなく言えると思います。
好き勝手やるのは本人の自由ですが、その奔放さの結果として他人に甚大な被害を与えたらその被害の補填をさせられるのです。
責任なんてものは自分でとるというよりは、「否応なく取らされるもの」と言えます。
本人がとる取らないとかそういう次元の話じゃないです。
まあ、自由を濫用したツケはどっかで払わされるってことですわ。
なので、他の人達の道徳を一切無視して「自分のやりたいようにやってやる」というのなら、「相応の反撃が来るかもしれないし来たとしてもしょうがないと思っておきな」という事ですね、はい。
自分の我ばかり通すと、幸福度が下がる確立が高まることもちゃんと念頭に置いておきたいものです。
おわりに
この記事は「「道徳的に~しなくてはいけない」なんて義務感はゴミ箱に捨てなさい」と題しておおくりしました。
正直、「ごみ箱に捨てなさい」はキャッチフレーズ的に刺激を求め過ぎた感はありますが、「あんまり義務感にとらわれなくていい」というのは心から言えます。
自分の中の道徳からくる義務感に縛られて「~しなくてはいけない」と思う必要はないです。
いわゆる道徳の内容には、必ず頭に「原則として」という文言を足して言い換えてみましょう。
いわゆる道徳の内容の中には「それはいくら何でも現実を見ていないでしょ?」と思うような少し悪い意味でロマンチックな内容もままあると思います。
しかし、そういった内容通りの世の中だったら、まあ普通は多くの人が生きやすい事が多いでしょうから、その方向を目指すこと自体はおかしなことではないと思います。
まあ、結局「理想に固執しないでちかづけたらいいなあ~」くらいに思うのがちょうどいいよってことなんですなあ。
まあまあ、気楽に行きましょ。
では!