プライドには実はいい奴と悪い奴がいる?悪いプライドならいらない。

「本当さあ、プライド高い奴ってやだよねえ。なんで高い奴ってなんであんなにいつも高圧的でえらそうなのか、、、。ほんっと、むかつく。マジプライドとかいらないよね。」

んー、そうねえ、プライド、、、、確かに要らんね。

ま、プライドにもよるがね。

オニギリス!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「プライドにもいいヤツと悪いヤツがいる」という話です。

はい、プライドというと現在、社会一般にはあまり意味では使われない場合が多いと思います。

そして、プライドはしばしば自尊心と混同されがちです。

でも、プライドと自尊心はそもそも全く違うもの。

プライドの高さは一般に自尊心の低さと相関しています。

し、か、し、プライドの中にも実は役に立つ奴もいるんですね。

そのようなプライドであればもっててもいいですよねえ。

では、ゆるりとおおくりします。

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プライドにもいいヤツと悪いヤツがいる

心理学ではプライドにもいいものと悪いものがあるといわれています。

プライドというと、あなたはどんなものを思い浮かべるでしょうか?

おそらく、いわゆる「意地」の様なものを想像する人もいるかもしれません。

プライドは英和辞書で、自慢とか高慢、誇り、自尊心等と訳されたりしている言葉です。

このようにプライドには複数の訳が存在しており、その解釈は文脈に依存しているといえます。

上記の意味で心理学的に害であるといえるのは「高慢、誇り、自慢」でしょうか。

「誇り」はポジティブな意味合いで使われることが多い言葉ではありますが、その辞書的意味が「名誉に思う」とされていることからみてあまりいいものとは言えない感があります。

そもそも名誉とは「外部からの評価」を前提にしていますが、外部からの評価に依存しすぎると自尊心は損なわれますね。

個人的には「名誉」のような他者からの評価を求めることの重要性は低く、それを持たないからこそ自尊心を高く保つことができると考えています(もちろん、異論はあるでしょう)。

つまり、誇りを持つことはそんなに大事ではないのです。

ただ、昔から「プライドを持つことが目標達成の動機を高める」ということは研究によって示唆されてきました。

なので、「プライドはゼロにすべき」とまでは言うつもりはないですが、まあ制御の難しい感情ではありますね。

そして、心理学ではプライドを以下の2つに分けています。

  • Authentic prid
  •  hubristic pride 

参考

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3137237/

以下順次簡単に解説してみます。

・Authentic prid

Authentic とは「本物の」を意味する形容詞であるので、Authentic prideは「本物のプライド」と訳せるかと思います。

「本物のプライド」は物事を成し遂げたり何かを獲得することで生じるものであり、目的のためになされる努力に焦点を当てたものでもあります。

そして、なにより他人との比較による優越感の様な感情ではなく自己評価によるものなんですね。

「本物のプライド」はいわゆる外的インセンティブがなくとも目標を達するために役立つといいます。

・ hubristic pride 

hubristicとは「傲慢な」という意味であるため、hubristic pride は「傲慢なプライド」と訳せるでしょう。

「傲慢なプライド」は「私は何でもできる」とか「私には生来の才能がある」の様な言葉によって表されるように能力や強さに関連したものです。

つまり、「傲慢なプライド」は他人との比較によって生じる相対的なものといえます。

いわゆる「プライドが高い」といわれて批判の対象となるものがこれにあたります。

参考記事等

いいプライドは自尊心に貢献する

「本物のプライド」は上述したように外的インセンティブがなくても、物事を達成するのに役立つものです。

つまり、内的モチベーションに寄与するってことです。

内的モチベーションはクリエイティビティーの向上を促進するので、「本物のプライド」はクリエイティビティ―を向上させるということになりますね。

また、「本物のプライド」は誠実さや自尊心と相関性があり、利他的な行動も促進するとも言います。

参考

https://www.psychologytoday.com/us/blog/beautiful-minds/201207/pride-and-creativity

悪いプライドは自分を苦しめるし、まわりも迷惑

「傲慢なプライド」もプライドの一種であるため目標達成に資することは確かです。

しかし、マイナスの影響を見過ごすことはできません。

「傲慢なプライド」は良心や自制心を低下させ、反社会的な行動とも関連しています。

つまり、「目的を達するためなら手段を選ばない」というマキャベリム的な心理傾向が強まるんですね。

また、「傲慢なプライド」はナルシシズムや攻撃性とも関係しているといいます。

「傲慢なプライド」が高いといい人のふりして人を支配しようとしたり、攻撃しようとするカバートアグレッションになったり、はたまた自分の優位性を示そうとして他人をやたら貶めたり自慢をしたりする嫌な奴になるってこと。

まあ、間違っても良好な人間関係なんて築けませんね。

もつのなら、「本物のプライド」にしたいものです。

他人と比べる生き方をしてもいいことはない

他人と比べる生き方をしてもいいことはないです。

他人と比べて裕福だとか才能に恵まれているとか、そんなことにとらわれている限り自尊心が低下するばかりですね。

「今のあるがままの自分を受け入れる」ことがすごく大事です

いいんですね、自分に勝つとか負けるとかそんなことは。

だって、人間にとっても普通の状態なんて「何かが欠けている状態」なんですから。

その状態を否定して「自分には~がたりない」なんていって自己否定すること自体がナンセンス。

「かけていて当たり前」だというのに「完璧でかけているところが何一つない自分」を目指すなんて実現のしようがありません。

名誉とか持って生まれた才能、なんてものにフォーカスして他人と自分をくらべるなんてことはせず、「過去の自分を今の自分は超えているのか?」なんていう基準で頑張ったほうがよほどいいですよね。

ライバルは「過去の自分である」という気持ちでがんばりたいものです。

ちなみにですが、わたしも今はそうです。

日常生活やこのブログの運営に関しても、「過去の自分を超えているか」を基準に行動しています。

最近では、このブログは開設から7か月が経過してpv数は3万を超えるほどになって来ました。

しかし、PV3万などこのネットの世界では「無きに等しい」くらい微々たる数字でしょう。

他者と比べて「負けてたまるか」では心は疲弊するばかりです。

なので、わたしは「過去の自分を超える努力をしたか」を主な基準としています。

ま、そもそも私自身が人と競ってといいうことがあんまり性に合わないってのもありますし、元々気にしないってこともありますがね。

気は楽ですよ、競っている人たちよりはね、多分。

おわりに

この記事では「プライドにもいいヤツと悪いヤツがいる」と題しておおくりしました。

心理学的な観点からみると、プライドには「本物のプライド」と「傲慢なプライド」の2種類がありました。

傲慢なプライドが高くなると、手段を選ばなくなるし自制心も失います。

こんなことになっては、良好な人間関係を構築するなんて不可能です。

ぜひ、高めるのであれば「本物のプライド」にしてください。

つまり、「自分自身による誰とも比べない生き方」をしたらいいってことだと思いますね。

はい、雑な結論でサーセン。

ただね、人生それなりに長し、わざわざ苦しく生きる必要ないんです。

もっと、心は身軽にいきましょうぜ。

悪しきプライドなんて捨てていきましょ。

その方がきっといい未来が待っているというものです。

では!

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参考記事等

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