「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」は綺麗事ではなかった??

「キリストは「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」っていったとかいうけど、正気の沙汰じゃないわ。俺ならその場で全力で殴り返すね!ああ、1000倍くらいにはやり返して、もう二度と舐めた真似できないようにしてやる!」

1000倍、、半沢直樹も真っ青の高倍率。

株投資の年利に、その倍率かけたいなあ~。

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」は綺麗事ではなかった??」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」の意味を考察してみたい人
  • 話のネタが欲しい人

はい、みなさんは「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という言葉をご存じですか?

これは『マタイ伝』第 5章39節にて取り柄げられているあのキリストさんが言ったとされる言葉。

一般的に、この言葉は「悪に悪をもって報いるな」という意味だとされている気がします。

ただ、こんな風に解釈すると「なあに、綺麗ごと抜かしてんだよ!理想論にはうんざりだ!」とお怒りになる人が一定数いるでしょう。

安心してください?、わたしもその綺麗事が嫌いなやつなんで。

ですが、正直いって、この言葉にはいろんな解釈が存在しているようでして、中々面白いんですね。

日常生活の雑談の場面などで、あえて一般的な解釈とは違った意味で使ってみるのもありなんじゃないでしょうか?

少し、会話に落ちを付けるいい材料になりそうです。

要は、面白いボケをかますのに使えそうってことですな。

では、ゆるりとおおくりします。

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「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」にはいろんな解釈がある

キリストさんが言ったとされる「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という言葉は、実に有名ですね。

世界史の授業で聞いたことがある人はかなりおおいんじゃないでしょうか?

で、この言葉の意味については、一般に「悪に悪で報いるな」みたいな感じで解釈されていると思います。

ええ、わたしも長らくそう思ってました。

でもね、実はそれ以外にもいろんな解釈があったんですね。

その解釈というのが以下の通り。

・平和的な戦い方を説く教えであるという説
・信仰を守るためにはふさわしい戦い方をすべきという説

以下順次見ていきましょう。

・平和的な戦い方を説く教えであるという説

以下の記事にて「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」の解釈に関して、非常にユニークな説が紹介されていました。

参考
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201501_post_5600/

さて、少しこの言葉の言われている状況についてよく考えてみましょう。

憎い相手をっさに殴ってやろうと思ったら、利き手で殴るので通常右手で殴ることになります。

で、もし、そのまま相手の頬を助走付けてぶん殴るとしたら、右手で殴るため相手の左頬にクリーンヒットするはずです。

なんせ、相手と向かい合っていた場合、自分にとっての右側は相手にとっての左側ですからね。

そう、右頬に当てようとしたら通常裏拳、つまり手の甲で殴るしかなくなるんです。

実は、昔は卑しい身分の奴隷を殴る時には、手のひらで殴ると『手が汚れる』と考えられていたので、裏拳で殴っていたなんて話があるそうな。

さて、問題はここからです。

もし、右頬を裏拳で殴られた奴隷がキリストさんの言ったとおりに左頬を相手に向けたとしたら、今度は「綺麗であるとされている手のひら」で殴らざるをえません。

当然、殴った方からしたらこれによって「右手は汚れる」のですが、同時にこれまでの「奴隷と主人」という関係性が「対等な関係」に変容してしまいます。

こんな事態は主人側からしたら「許しがたい屈辱」です。

だって、自分が格下扱いしてた奴と同じ立場になってしまうんですからね。

プライドの高い王侯貴族からしたら、もう耐えられないでしょう。

昔のことだから、憤死する人もいそうだわ、、、。

暴力を用いることなく、相手に屈辱という心理的ダメージを与えて報復しているといえます。

このように解釈すると、キリストさんは確かに暴力には反対していたのかもしれませんが、「ただなされるがままに相手の悪意も慈愛をもって受け入れる」なんてぬるい理想論を唱えていた訳ではないという事ですね。

彼は「暴力を使わない効果的な戦い方」を提示していたといえましょう。

、、、ふぬ、こう考えると、むっちゃ頭いいですね!!

もし、この解釈で「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」を使うとしたら、「暴力を使わないで平和的に相手と戦え!」という主張をするときに使えばいいんですかね?

ま、当たり前ですが、上司がムカつくからと言って会議室にあるパイプ椅子とってきて、突然背後からボカスカ殴り倒すなんてやったらダメっすよね?

実際問題として、現代の法治国家でそんなことしたら暴行とか障害ですからね。

ゼンカモンですわ。

なので、こんな割に合わない戦い方は本人のために良くないですよね。

なので、上司に腹を立ててこれからパイプ椅子を会議室に取りに行こうとする同僚に対して、一言

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せっていうだろ?暴力を使った報復じゃなくて人事に報告するとか法にのっとって告訴するとかやれ。自分のためにならねえぞ」

みたいに言えばいいのかもしれませんな。

、、、、、かえって火に油注いじゃうかなあ?

知らんけど。

信仰を守るためには、信仰を脅かさんとする相手に応じて適切な手段をとれという説

ローマ帝国時代の神学者であるアウレリウス=アウグスティヌスさんによると、「右の頬」とは霊的なまたは天上の善きものを意味し、「左の頬」とは肉的または地上の善きものであってどちらも善きものであることに変わりはないといいます。

で、彼は「左の頬を差しだせ」とは「右の頬も左の頬も打たれるままにしろという意味ではなく、「左の頬を向けることで右の頬を打たれないようにしろ」という意味として解釈している模様。

つまり、これは「肉的な善きものを犠牲にしてでも霊的な善きもの(特に信仰)を守れ」という意味です。

ただ、「犠牲」という言葉が使われる場合、通常その失われる対象には「その当人にとって失いたくないと思う価値があるもの」であるといえますが、「信仰の為なら肉体など失って構わん!」という熱烈な殉教精神の持ち主にとっては、肉体の喪失など何ら犠牲にすらなりえないでしょう。

そのため、「犠牲」という日本語訳が間違っている可能性はありますな。

元はラテン語ですんで。

そして、彼は「右の頬を打たれたら左の頬を差し出した」の具体例として、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人であるパウロさんの逸話を引用している模様。

それは『使徒行伝』にてパウロさんが「私はローマ市民である」と言った行為だとか。

この行為の背景は以下のようなものだったそうな。

パウロさんの宣教の言葉を聞き腹を立てた民衆が騒いだため、パウロさんを取り調べるため千人体長が百人隊長にパウロさんに鞭打つように命じたそうな。

その時、パウロさんは百人隊長に向かって、「ローマ市民権を持つものを裁判にかけずに鞭打つことが許されるのか」と言い返したといいます。

すると、人々はすぐに手を引き、千人隊長もパウロさんを縛ってしまったことに恐怖を覚えたそうです。

この一件をアウグスティヌスさんは、「彼らはパウロの右手を軽蔑したのに対して,パウロは左手を使って彼らを脅した」と解釈をしたんだとか。

神を信じないものに「神の天罰が下るぞ!」といっても、「はは、何を下らぬ世迷言を、、貴様の信仰する神などいない!」と言われるが落ち。

信仰心のない者に神の威光は通じないという事ですな。

そこで、信仰(右手)を守るためには、相手によってふさわしい手段(左手)をとることが必要になるわけです。

このパウロさんの一件では、法律、つまり「時の権力の威光」が信仰を守るために用いられているんですな。

詳しくは以下の論文を参照のほど。
http://www.kawasaki-m.ac.jp/soc/mw/journal/jp/2002-j12-2/4-hayashi.pdf

ふぬ、ということは、もしこの解釈に基づいて「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」を日常で使うとすれば、「自分の信じるものを守るためには、立ちふさがる相手によって有効な手段をもって立ち向かえ!」て感じの意味になるのかな?

なんか、メッチャ実用的な気がしてきたぞ。

おわりに


この記事は「「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」は綺麗事ではなかった??」と題しておおくりしました。

キリストさんが言ったとされる「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という言葉の解釈には、諸説あるようです。

今回紹介した説は以下の2つでした。

・平和的な戦い方を説く教えであるという説
・信仰を守るためにはふさわしい戦い方をすべきという説

なんか、今回の説が正しいとしたら、キリストさんは
ただの理想論を唱えていたわけじゃないんだなって思いますねえ。

少し、キリストさんが以前より好きになりましたわ。

では!

参考
http://www.kawasaki-m.ac.jp/soc/mw/journal/jp/2002-j12-2/4-hayashi.pdf

https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201501_post_5600/

参考記事等

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