「本当さ、わたし不機嫌になりやすくて嫌んなっちゃう。もうさ、社会人失格よね、、、はあ。なんでこんなに不機嫌になりやすいんだろ。自分の機嫌は自分でとれってみやぞんも言ってたし、、、わたし全然だめだわあ。」
んー、そんなに思いつめない方がええよ。
不機嫌になんて誰でもなるさ、人間だもの。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「不機嫌は最大の罪である」っていうのは分かるけど言い過ぎ感がある」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・不機嫌は最大の罪という言葉
・機嫌になりやすい自分が嫌いな人
・すぐ不機嫌になる人が嫌いな人
「不機嫌は最大の罪である」という言葉をご存じでしょうか?
始めた聞いたという人は、「は?さすがに罪とか言い過ぎだろうよ」って思うと思います。
そうですね、ちょっと極論っぽい言い回しですよね。
でも、この言葉を残したのはあの歴史的に詩人として有名なゲーテさんだというから、ちょっと驚きです。
彼は知能が非常に高い歴史上の人物の代名詞的存在ですし、文学のみならず自然科学の分野においても功績を残しているので客観的かつ冷静に物事をみれるはずだと思います。
それなのにこんな極論じみた言い回しをするという事は、、、何か事情があるのかなって思ってしまいますね。
ちょっと今回はそういった事を考察し、どうしたら不機嫌にならずに済むのかもあわせてみていきたいと思う次第。
ちょっとした事で不機嫌になってしまうのが悩み等人には、役立つ内容でしょう。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
不機嫌は最大の罪はさすがに言いすぎ
不機嫌な人が集団の中に一人でもいると、そのネガティブな感情は急速に周囲へと拡散するものです。
なのでこういったらあれですが、「一人不機嫌になると周りのメンタルまでかき乱される」可能性はあります。
そういった事情もあって、「自分の機嫌を自分でとるのは社会人としての最低限の務めだ」なんて言う人もままおりますね。
とはいえ、わたしのように人の心理学を多少なりともかじっている者からすると、あまりこのようにメンタルの管理を自己責任で済ませようとする風潮には少々異を唱えたいところがあります。
不機嫌になること自体は仕方ないことです。
そこに善悪と言った概念はないですね。
もっとも、「不機嫌な態度をあからさまに外に出す」のは問題ではあるのです。
ただ、それとて程度問題ですので「多少なら仕方ないじゃん。人間はロボットではないのだから」なんて思ってしまいます。
さすがに不機嫌を「最大の罪」とまで言うのは、ちょっと言い過ぎな気がしますねえ。
少なくとも、不機嫌になること自体は仕方がないので、「不機嫌になる自分は社会人失格だ、ダメ人間だ」等とは思わないようにお願いします。
なんでゲーテは不機嫌になることを罪とまで言うのだろうか?
上述したように、ゲーテさんは非常に知能の高い自分物として名高いしその功績は文学にとどまらず自然科学にも及ぶ多彩な人です。
自然科学において功績をなしているという事は、少なくとも自分の思い込みだけで物事を判断するような感覚優先の人であったとは考えにくいですね。
彼は、客観的かつ冷静に事象を分析する事にたけていたはずです。
そんな彼が「罪」とまで断じたという事は、何か深いわけがあってのでしょう。
ここからは完全に推測ですが、ゲーテさんが不機嫌を罪とまで断じた理由には以下のようなものがあるのではと思います。
- 不機嫌な人達への戒め
- ゲーテ自身が繊細で人からのネガティブ感情を受け取りやすかった
以下順次捕捉です。
・不機嫌な人達への戒め
「不機嫌は最大の罪」という言い回しには、不機嫌になることに対する明かな敵意というか嫌悪感のようなものが多分に含まれていることは確かです。
ゲーテさんがこんな言葉を残す理由が何なのかを考えるに、当時のヨーロッパではあからさまに不機嫌になって場を乱す人が多かったのかもしれません。
なので、不機嫌になると周りも心理的に悪影響を受けるのだから慎むようにってことで、このような警句を残したのかもなって感じですな。
まあ勝手な思い込みかもしれませんが、欧米の人って日本人などと比べると自己主張が強いので結構この手の問題は多発していてもおかしくないかなって思ってしまいます。
・ゲーテ自身が繊細で人からのネガティブ感情を受け取りやすかった
「不機嫌は最大の罪」はかなり極論っぽいです。
なんか相当不機嫌になる人や不機嫌な態度が嫌いなんだなって感じが伝わってきます。
で、思うに、もしかしたら「ゲーテさん自身がかなり繊細で他人の感情の影響を受けやすかった」から、こんな言葉を言ったのではないかと思ったりするんですよね。
ウィキペディア等で、ゲーテさんの生い立ち等々を見てみるにどうも情熱的で外向的な性格でもあったようなので、今風に言うなら「好奇心と外向性の高いHSP」と言った感じの性格だったのかもしれません。
いわゆるHSPというと内向的な人しかいないような印象がありますが、外向的で人と積極的にかかわろうとする人もままいるものです。
こういった人たちは感受性が強く打ちのめされやすい部分を持ちながらも人と交流することが好きでそれによって活力を得られるんですな。
ゲーテさんは学生時代から積極的に人と交流しているし情熱的な恋愛も経験しているようですので、どうも性格的には外向的だったような気がします。
それでいて知的好奇心旺盛で文学方面にたぐいまれなる才を発揮し、「若きウェルテルの悩み」を始めたとした数々の名作を残していますので、感受性も人並み外れていた気がするんですね。
で、そんな彼はきっと他人が露骨に不機嫌だったりすればその影響をダイレクトに受けて、彼自身もすごく不安やイライラを感じたのではないかと思います。
「不機嫌は最大の罪」という言葉には、「もういい加減にしてくれ!君らが不機嫌だと私まで気持ちが穏やかでいられないだろ!」というい悲痛な思いが込められているのかもしれません。
ま、そんなことを思ったりしてしまいますなあ。
不機嫌になりやすい人はどうしたら不機嫌にならずに済むのか?
「不機嫌は最大の罪」は言い過ぎとしても、不機嫌になりやすいのは少々問題です。
他人の迷惑になるというだけでなく、あまりに不機嫌になりやすいと「こいつすぐへそ曲げるから面倒だな。関わりたくない」等と腫物に触るような扱いを受けて孤立する可能性があります。
当然お互いの信頼関係に支障が出ますね。
なので、「なるべく不機嫌でないに越したことはない」です。
不機嫌になりやすいのを改善したければ、以下の事に気をつけてみるといいでしょう。
・困難にあってもそれに適応していく力(レジリエンス)を鍛える
詳しくは以下。
・相手を自分の都合通りにしようとは思わない
・アンガーマネジメントで怒りの感情を制御する
詳しくは以下。
・ネガティブ感情を上手くスルーできるようにする
詳しくは以下。
おそらく以上のことに気をつけるようにすると、ある程度不機嫌になりにくくなるのかなって思います。
特に怒りやすい人は、基本的に「相手を自分の都合通りにしよう、支配しよう」と思っている傾向があるといわれているため、このような意識があるならそれを認識することから始めましょう。
人に対してすぐ怒る人というのは、基本的に「相手には自分の思ったように動いてほしい」と思っているので、相手がその期待通りに動かないと「なんでこいつはこっちの意をくんで動かないんだ!」と腹が立つというわけですな。
何でもかんでも自分の都合に合わなきゃ気に入らないって人は、何にでも起こりますね。
例えば、雨が降ったことに対してすら大声で怒鳴り散らしてたりして、、、。
ま、基本的に相手があることはどうにもならないことがかなりありますので、相手を思い通り動かそうと思わないのがいいです。
まあ、相手に期待しないって言い方もできますかね?
人に頼むなら「まあ期待の40%でもできたらいいかなあ~」くらいゆるく考えるといい気がしますよ。
おわりに
この記事は「「不機嫌は最大の罪である」っていうのは分かるけど言い過ぎ感がある」と題しておおくりしました。
集団において、一人が不機嫌になると周りもその影響を受けてストレスがたまるものです。
なので、一般に「自分の機嫌は自分でとれ。それが社会人としての務めだ」みたいに言われがちですが、不機嫌になること自体は仕方ないことですので自責の念を持つ必要はないですね。
問題は、それを露骨に表面に出しすぎるとか開き直って全く直そうとしないという姿勢と言えるでしょう。
不機嫌になるのは仕方ないとしても、少しでも心が乱れないようにできたらいい人間関係が築きやすくなります。
少しずつでも改善させていきたいところです。
では!
参考記事等