この世界に因果応報はあるのか、ないのか?「幻想は捨てて現実をみよう」

「世の中あまりに理不尽だ!!まともなことをしようとしている人が虐げられて損をしたり、心の優しい人がくいものにされてあげく殺されたりしている事例もある。おい!この世界に神はいないのか!いるんなら、この状況どうにかしろよ!因果応報じゃなかったんか!」

ふぬ、そうよな、、、、。

神も仏も何もいないのよな、、。

てか、もし神仏がいるのだとすれば、この世でまかり通る数多くの理不尽をなぜそのままにするのか?

まあ、神なんていたとしても「相当性格悪いゴミみたいなクソ野郎」だな。

ああ、間違いないわ。

オニギリス!

脱マンネリストのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「この世界に因果応報はあるのか、ないのか?「幻想は捨てて現実をみよう」」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • この世界の理不尽さに嫌気がさしている人
  • 因果応報があるのか気になっている人

因果応報ってこの世界にあると思いますか?

わたしは「思いたいけど現実を見るとないな」て思いますね、残念ながら。

確かに、「よくない事していたから、結果として本人に返ってきている」みたいな事例はこの世の中に山のように存在していますし、わたし達の身近でもそんな出来事を目にする機会があります。

でも、、、、もっと世の中には「何でこんなことしておいてのうのうと生き続けて老衰で死んでんだよ、コノヤロー!」みたいにムカッと来るやつがいたりしますね。

まあ、確かなことは言えないけども、わたし達は結局自分の見たい現象ばかりに目が向くから因果応報通りの事例にばかり印象に残っているのかもしれません。

本当は、この世界には因果応報なんてないし、神も仏もあったもんでないし、お天道様なんて見てやしないのかもしれないなって思いますね。

それに神がいるなら、世の中に蔓延する数多の理不尽をどうして放っておくのか?

まあ、神なんていたとしても相当に底意地が悪くてゴミみたいな神だろうなって気しかしませんぜ。

今回は「因果応報が本当にあるのか」や「ないとしたらどうするか?」なんてことについて考察してみたい所存。

では、ゆるりとおおくりします。

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因果応報ってなんだっけ?

まずは因果応報という言葉の意味から確認。

因果応報とは辞書によると以下のような意味です。

善悪の原因があれば必ずそれに相応する楽苦の結果のあること。

引用
https://www.weblio.jp/content/%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E5%BF%9C%E5%A0%B1

ふむ、みなさんご存じの意味ですね。

要は、「いい行いをすればいいことが起こるし、悪い行いをすれば悪いことが起こる」って意味と解せるでしょう。

類語としては「悪因悪果」や「善因善果」なんてものがあるでしょうね。

で、この因果応報という言葉ですが、もともとは仏教の言葉が語源となっているそうです。

「因果応報はない」し「天網恢恢疎にして失っている」

「いいことをすれば必ず自分に返ってくる」というのは、自分でも体感しているのでそれは納得がいきます。

自分で言うのもなんか胡散臭くていやな感じですが、日頃から小さな親切は積極的にしたいと思っていますから自分なりにしているつもりです。

そして、少なからずその親切は自分の生活をよいものにしてくれているような気もします。

なにより、人に感謝されるのは悪い気がしませんし、なんとなく気分はいいものです。

感謝されるとその日もまたいい日になりそうな気がしてきますね。

ただ、このように親切によるプラスが大きいのは、私が基本的に「絶対に自分が負担に感じて自己犠牲になるくらいの親切や人助けは決してしない」という信条で行動しているからだと思います。

どうしても、自分を犠牲にしてまでの親切をするとなると相手に対して「おい、ここまでしてやったんだからそれ相応のお返しはあるよな?」みたいな何とも迷惑な気持ちがわいてきてしまうんですね。

これじゃあ、親切をした自分もされた相手も不幸になるので、よくないと思います。

相手に見返りをことさら求める意識が生じるのは、「自己犠牲をしているから」です。

さらに言うと、自己犠牲をしてしまう人は、自分の利益しか考えない連中から搾取対象としていいように使われてしまうことも多々ありますね。

なので、人からの頼みでも自己犠牲を伴うものは程度の問題はありますが、毅然と「それは引き受けられません」と突っぱねないと幸福度が下がります。

ちなみに、人に親切にする人は社会において頂点になるか底辺になるかで2極化しているのです。

これは心理学者であるアダム=グラントさんがその著書「GIVE&TAKE」の中で言っていることですね。

この2極化の原因が「自己犠牲を伴う親切をするかどうか」というものです。

よって、善い行い、つまり親切を行っても「自己犠牲を伴う親切を行うものは報われない可能性が非常に高い」といえましょう。

はやい話が、「都合のいい奴として搾取される」ということです。

そして、「悪い行いをすれば必ず報いをうけるか」ですが、確かにおおむねその通りだと思います。

しかし、「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして失わず」なんて故事成語のように「悪は必ず天罰を受ける」事はあり得ません。

この世界の数多くの事実は、勧善懲水戸黄門みたいな勧善懲悪もののドラマばりのスッキリする結末ばかりではありません。

例えば、アウシュヴィッツ強制収容所にてナチスの親衛隊軍医として、“選別”と“人体実験”を担当したヨーゼフ=メンゲレは、おびただしいほどの死体の山を築いておきながら逃亡生活の末に67歳で溺死しています。

もっとも、逃亡生活の最中神経衰弱に陥っていたとの話もありますが、さんざん無実のユダヤ人を大量に殺戮しておきながらこの程度の苦しみですんだなんてあんまりでしょう。

あと「おい小池」のキャッチコピー?で有名だった指名手配犯の徳島・淡路父子放火殺人事件の犯人であろう小池俊一容疑者は、逃亡の末アパートの一室にて心臓疾患によって52歳で死亡しています。

小池俊一容疑者は2人も殺害し、4000万円の入った通帳をぬすんで放火までしている、、、、。

冗談ではないですよな。

こんなことしておきながら、最期までのうのうと逃げおおせているんです。

徳島・淡路父子放火殺人事件の詳細等については以下の記事参照。

https://zikenroku.blog.jp/archives/6276577.html

まあでも、こんなことは氷山の一角でしょう。

特に権力を持っている人間たちの間には、もっとどうしようもないくらいに非人道的な事が蔓延しているでしょう。

無実の人や子供を遊びで殺戮したり解剖したりなんて事を、平然と行っていても全然不思議に思いません。

しかも、今もその悪事は白日の下にさらされることもなく、その悪事を働いた当事者達は裁かれることなく普通に死んでいっているでしょうね。

そして、良心のある人はよく「悪事を働いたら良心の呵責に苦しみそれが報いともなる」なんて言いますが、その考えは「非常にあまい」です。

サイコパスやソシオパスのような良心のない連中は罪悪感なんて持たないので、苦しむことは決してありません。

例えば、人を殺しておきながら笑顔で、

「俺はあいつのために殺してやったんだよ。アイツってほら、社会的になんの役にも立たない無能だったろ?生きるのがすごくつらそうだった。だから、俺はアイツを楽にしてやったんだよ。俺って凄くいいやつだろ?」

なんて悪事を働いておきながら、「俺はいいことをした善人だ!」みたいに主張するやつもいるってことです。

良心のないやつに「善と悪」なんてないですよ。

あるのは社会性を度外視した「己の快か不快か」みたいなものだけ。

こんなやつらの心に道徳も倫理も宗教も、何者も罰を下すことはできません。

良心という裁判官不在の法廷で誰が断罪をするというのか?

罪を断じる者など誰もいませんよ。

「悪い奴ほどよく眠る」のです。

わたしたちの多くが因果応報を信じてしまうのは、「わたし達の願いゆえに現実をゆがめてとらえているから」でしょう。

心理学で言うところの「確証バイアス」のせいですね。

人はみな「現実を見ている」のではなく、「自分の見たいもの」を見ているに過ぎないってことです。

勧善懲悪ストーリーが好まれるのもその願いが故でしょう。

でも、わたしはそういった綺麗事で事実をゆがめてとらえるのは「すこぶる悪寒がする」ので、勧善懲悪的なものは基本的に好きじゃないです。

世界に何も願いなんてしません。

環境に適応して生存するしかないなって感じです。

死んだらそれまで。

自分がその程度だったんだなって感じでおしまいです。

「救われるか否かもきっと全て自分次第」なんだと思います。

まあ、因果応報を願うこと自体が無駄だとまでは言いませんが、、、、「気休め」くらいにとどめておいた方が腹も立たないでしょう。

大筋はあっている気がしますから。

ただ、何が起こっても「ただそういうことが起こってしまっただけ」と事実としてとらえられるなら、精神的に平穏に過ごせるでしょう、、、きっと。

現実と理想論はまるで違う

理想は自分が進むべき進路を指し示してくれるものです。

なので、理想を持つこと自体は否定されるべきものではありませんね。

むしろ、「その人の理想」には「自分がこれを大事にしたいという価値」が反映されているので、理想を持つことで後悔少なく生きれるかもしれません。

ただ、その理想が「あまりにも現実を無視したもの」であって「現実との乖離を修正しないもの」であったなら、もしかしたら有害ですらある可能性はあります。

なので、本当は理想に対して「一体なんの価値が反映されているのか?」をいったん考えてみたいところではあります。

、、、で、話がやや脱線してきたので、事故るまえに戻しますね。

因果応報という概念も、やはり結局は現実に則さない理想論なんだと思います。

いいことをした人はいい待遇を受けてほしいし、悪いことをした人は相応に裁かれてほしいって思うのが普通の感覚です。

わたしもそれには同意。

でも、いくら願ってもそれがかなわないとしたら、、、、「因果応報は大体あっているけど例外もあるな」て例外の存在を認めるしかないですよね。

その例外に腹を立てても何にもならないので、「ああ、ただそうあるのだろう」と許容するしかないですな。

ただ、「自分はその因果応報を信じたいから、人に自分から悪いことはしないし進んで人に親切にするぞ」みたいに因果応報を自分の生きる指針にするのはいいと思います。

少なくとも、良心のある人にとっては、因果応報は大きな意味のある考え方だと思いますね。

、因果応報の法則外に存在する輩は、、残念ですが「絶対に関わらないようにする」くらいしかないです。

そして、因果応報の法則外の事例には「理不尽はこの世界の本性」等と達観して受け入れると心は乱れないかなって思います。

まあ、、、いつもそれでいいってことはないと思いますけども、あくまでわたしは「個人が幸福度を高めるにはどうするか」という視点で話をしているのでそこはご了承くださいな。

政治改革とかそう言った事は加味してませんから。

てか、わたしにそんなこと要求されても困るっす(責任放棄)!

応報戦略だ!やられたらやり返せ!!

因果応報がないとした場合、お天道様は見ていないので「自分の身は自分で守れ」ってことになります。

誰もあなたの代わりに報復なんてしてくれません。

「やられた貴様が悪いのだ!」て加害者からあざけられるだけってことになります。

ということで、提案したいのは応報戦略です。

応報戦略(しっぺ返し戦略とも)とは凄く雑に言うと、

「基本的には誰に対しても親切だけどやられたら、同等の報復を相手にする」

というものです。

これはゲーム理論における「囚人のジレンマ」というゲームの中での戦略の一つ。

囚人のジレンマとは簡単に言うと、お互いに協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなるというジレンマのことです。

この囚人のジレンマは、自己利益を追求する個人の間において、いかにお互いの協力が可能となるかという社会科学の基本問題なんですね。

つまり、応報戦略は「相手から協力を引き出すための戦略」てことですな。

ただ、この応報戦略に修正を加える人も出てきて最近では、「裏切られたら3回に一回同程度の報復をする」という応報戦略の亜種が出てきている模様。

なお、この応報戦略よりも有力かもしれない戦略に最近「主人と奴隷」というものが登場しているようですねえ。

囚人のジレンマや応報戦略、奴隷と主人について詳しくは以下からどうぞ。

まあ、個人的には応報戦略の亜種である

「基本的に相手に親切だけども、やられたら3回に一回の頻度で同程度の報復をする」

という戦略を押したいところです。

ただ、近代以降の刑法は私刑を禁止しているので、「ぬすまれたからぬすみ返す」とか「傷つけられたから傷つけ返す」とかやっちゃだめよ?

法治国家でそれはあかん。

ボイスレコーダーとかでちゃんと証拠を残しておいて、後で訴えるとかそういった感じにしましょう。

でないと、自分が不利益受けるのでね。

注意よ。

おわりに


この記事は「この世界に因果応報はあるのか、ないのか?「幻想は捨てて現実をみよう」」と題しておおくりしました。

因果応報は良心ある人達の願いであって、現実に則した法則であるとは到底いいがたいです。

今日から、「天は自ら助くるものを助く」という格言から「天は」を取り去ってしまいましょう。

「自らたすくるものをたすく」、、、「誰がたすけるの?」て事だけど、それは「自分が親切にしてきた人達」かもね。

自分の命運は天に預けず、自分で管理しよ。

応報戦略の亜種である

「基本的に相手に親切だけども、やられたら3回に一回の頻度で同程度の報復をする」

にのっとってさ。

あ、法律は守ろうな!

では!

参考
https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1154

https://www.thecinema.jp/article/854

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%BA%E8%BF%94%E3%81%97%E6%88%A6%E7%95%A5

参考記事等

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