
「もう自分がモテなさすぎてこのままだと将来天涯孤独になって寂しいし孤独死してしまう気がしてきた、、、。ああ、、、もう不安でたえられない!!どうしたらいいんだ!!」
ふぬ、そんなこと思う時期もあるかもな。
でも、人なんてみんな本質的には孤独だと思うけどねえ。
オニギリス!
脱マンネリストのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「天涯孤独とか普通」孤独が怖いというがそもそも人の存在の本質は孤独じゃね?」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 孤独が怖い人
- 婚活やめようと思っている人
- 独身の人
最近は、それなりに年がいっても未婚の人が結構増えてきましたねえ。
で、そんな人の中には自分の将来の孤独に思いをはせて暗くなっている人が、かなりの人数いるかもしれません。
まあ、ほんのすこーしだけわからんでもないです。
ただ、そもそも人間の存在は本質的には孤独なのではないかなって思うので、孤独をそれほどまでに恐れることはないと思うんですね。
孤独や死というものを受け入れられたとき、もっと人生は自由で楽しいものになるのではないかなって思ったりします。
そして、孤独を回避するには「人と仲良くなるスキル」さえあれば別に結婚なんてしなくても全く問題ないです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
人生ってそもそも孤独じゃね?
『人は独りで生まれ独りで死んでいく』
そんな気がします。
科学的根拠のない前世のようなあやふやなものをなしに考えれば、わたし達はどの国のどの親の元に生まれるかなんて選択出来ようはずもなく「偶然に独り生まれてきた」のではないでしょうか?
わたし達に生まれる前の記憶なんてありません。
気が付いたらわたし達の中にあるであろう「意識」がこの世界を認識し始め、「自分がこの世界に存在していること」を事実として受け止めて今に至るんじゃないかって思います。
わたし達の存在って本質的には何にもつながりを持たず、「偶然に何の脈絡もなくこの世界に現れたただの一点」にすぎないのだと思うんですな。
だとしたら、わたし達の存在の本質って「孤独」なんじゃないかと思います。
過去にも未来にも何にも一切のつながりなどもたない「ただの一点」です。
そして、死に行くときもそれは同じ。
まさに死は「点が滅する瞬間」。
どんなに徳を積んで、死の間際に大勢の友人知人等々に囲まれていても、死の瞬間にその存在の消滅を受け止めるのは「ほかならぬ自分自身の意識」です。
自分の死は誰も肩代わりできないし、消滅した自分の意識はもう世界を認識することはかなわず、誰とも意思の疎通をとることはかなわないでしょう、、、。
生前の記憶すら滅するのかもしれません。
人の存在って「孤独に始まり孤独に終わる」んじゃないでしょうか?
自分が親友といかに生きている間に親交を深めても、本質的にはお互いの存在と存在が交わることはありません。
いつも、お互いが考えていることなど「本当の意味では分かっていません」し、同じ景色やモノを見ていても「同じ景色やモノを見ていることにはなりません」。
それというのも、それぞれの人にはお互いそれぞれに価値観や感受性等といった様々な点で違いがあるからです。
わたし達は同じ世界に住んでいるのに「同じ世界を見ていない」んですな。
お互いに「全く違う世界を見ている」感じがします。
存在と存在が本当の意味で交わることはないです。
親や兄弟とてそうでしょう。
それぞれが独りで別の世界を生きています。
もし、そうなら孤独とは恐れるものではなく、もはや私たちにとっての本質的なものであり、忌避すべきよりむしろ受け入れたほうがいいものだと思うんです。
心理学では言います。
「不安から目を背ければ背けるほどますます不安になる」と。
ならば、いっそ自分の存在の核心にある「孤独」をしかと真正面から見据えて受け入れてしまえば、孤独に対する不安は減るのではないかと思うのですね。
「死を受け入れて死を友人として生きる」という言い方もできるかもしれません。
孤独は忌み嫌うものではなく、むしろ「愛すべきもの」、、いや「愛すべき自分の存在の本質」なのかもしれません。
そういった意味での「孤独を愛する」というのは必要だと思いますな。
孤独を愛することが自分の存在を愛することにつながる気がします。
詭弁っぽいですけどね。
結婚は孤独回避の有効打ではない
孤独からくる寂しさを回避しようとして結婚という選択肢をとろうとする人も結構いるようですが、正直「寂しさを埋めるために結婚をする」というはいかがなものかって思います。
はっきり言って、それでは根本的な解決策になってない気がするんですね。
結婚したからと言って夫婦仲や子供との仲が悪いなら、家族なんていても孤独感にさいなむし、もし夫婦も年をとったらいずれどちらかが先に死にます。
ま、統計的には男性が先でしょうけどね。
結婚によって孤独問題を解決しようとしている人は、そんな先立たれたときのことも考えているでしょうか?
また、子供がいても子供もじきに自立して親元を離れていきますし、子供と仲良くしていけるかだってコミュニケーション能力等々が試されます。
何もかもが不安定で当てになりません。
孤独からくる寂しさに対処するために結婚するなんて正直、「その場しのぎでしかない賭け」って感じでしょう。
根本的に孤独問題を解決したいのであれば、「誰とでもすぐに仲良くなれる社交性」を手に入れることが一番です。
今の時代、社会人サークルにしたってSNSにしたって人との交流のためのツールはそこかしこにあります。
それを活用できるだけの社交性や行動力があれば、孤独に打ちひしがれることなんてありません。
なので事実上、現代では「結婚するメリットはほとんど消失している」といってもいい気がします。
個人の幸福を追求するだけであれば、結婚も子供も不要でしょう。
事実、子供を作ると不幸になるなんて研究もあるようですしね。
寂しさを紛らわすための結婚なんて、今の時代愚策としか言えません。
ちなみに、何か没頭できる趣味や仕事を見つけるのはおすすめです。
没頭しているなら不安になることもないですし。
死や孤独を受け入れたら楽に生きれる
上述したように、人は不安から逃れようとすればするほどに、ますます不安になるものです。
ならば、いっそのこと「人生の終局は死である」とか「人の本質は孤独でありどこまで行っても人と自分の存在が一定以上に交わることはない」ということを心から受け入れて、「自分は自分」として「ある種の自己完結」をしたうえで生きると割と楽に生きられる気がします。
社会の動静で気に病むことは格段に少なくなりますな。
そうすると、「特に死ぬことは怖くない。それは当然のことなのだから」という気持ちになれ、「どうせ死ぬのなら悔いが残らないくらいその日その日を一生懸命に生きよう」みたいに前向きになれそうな気がするんです。
「不安になりたくない」と考える時間こそがますます不安を増大させるので、「不安になりたくないと考えること自体が時間の浪費であり不安の元凶」です。
そんなことしている間に、人生の可能性を無駄にしています。
その悩む時間でもっとやれることはあるんです。
「いつ死んでもいい」という気持ちを持つためには、「いつ死んでもそれなりに納得できるくらい一生懸命にその瞬間を生きる」必要がありますね。
、、、まあ、偉そうなこと言って私もまだまだなんですが(笑)。
ただ、死自体は割と受け入れられている気がします。
まあ実際に死の間際になったら、本能的に拒絶反応を起こしてみっともないのかもわからんけどさ。
そうだったらそれはそれでしゃーないなって感じでいますな。
「いつ死んでも何も気にならない」って気持ちで毎日を生きたいもんです。
世界がどうあろうとも「自分は自分であって一切影響されない」という心境でいたいものですな。
その安定感こそがきっと精神の安定へつながると思うのですわ。
そして、その精神の安定があればこそ、他の人との交流もうまくいくのではないかって思います。
つまり、心境次第で安定して幸福になれるって事じゃないでしょうか?
はやい話、「存在としての孤独を受け入れて自己完結させてしまう」と楽に生きれるって話じゃないかなあ。
ま、知らんけど。
おわりに
この記事は「天涯孤独になったら寂しいし怖いというがそもそも人の存在の本質は孤独じゃね?」と題しておおくりしました。
天涯孤独を恐れる人は多いですが、人間の存在の本質は結局のところ孤独です。
孤独は忌み嫌うべきものではないではないかと思います。
なので、「人は皆それぞれに存在として孤独である」と受け入れてしまった方が、かえって前向きに生きられるような気がするんです。
で、受け入れればこそ「いつ死んでもいいと思えるようにしっかりと『今を生きよう』」て思えるとも思います。
そして、結婚はさみしさを終わらせることにはつながりません。
存在としてもとより孤独な人間は孤独から逃避することはできないのですから。
むしろ、その孤独を積極的に引き受けて、誰とでも仲良くなれるような社交性を身につければ別に結婚なんてしなくても気に病むことはないのです。
話す相手はそこかしこにいるのですから。
孤独を埋めるために結婚は不要です。
「今を生きて」いきましょう。
では!
参考記事等