結局根拠のない自信の正体って一体何なんだろうか?「問題は愛着?」

「根拠のない自信が成功者になるためには大事ってよく聞くけどさ。根拠のない自信って何さ?てか、根拠もないのに自信があるって、よく考えたら意味が分からんよな。」

ふむ、確かに根拠のない自信ってちとよくわからん表現ではある。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「結局根拠のない自信の正体って一体何なんだろうか?「問題は愛着?」」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

根拠のない自信の正体について考察してみたい人
・話のネタが欲しい人等

よく「根拠のない自信がある人は成功者になる」とか「根拠のない自信は根拠のある自信より強い」なんて話を聞きますね。

でも、「根拠もないのに自信を持っているって一体どういう状態だよ??」とか「それってただの勘違い野郎では?」なんて疑問を持つ人もいるでしょう。

はい、わたしも「根拠もないのに自信??んー、一体どうして根拠がないのに自分に自信を持てるのだろうか?」なんて少しだけ思うときはあります。

「火のないところに煙はたたない」なんていいますし、自信があるからには何かしらの理由があると思うんですよ。

という事で、今回は「根拠のない自信」の正体について少しばかり考察してみたいと思う次第。

ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?

おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。

では、ゆるりとおおくりします。

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根拠のない自信、根拠のある自信ってなんでっしゃろ?

「根拠のない自信」とか「根拠のある自信」といっても、「一体ここでいう根拠って何よ??」と思ってしまうものです。

どうも一般的には、ここでいう根拠とは「過去の成功体験や実績」と言われている模様。

ですので、根拠のない自信とは「過去の成功体験や実績に基づいた自信」という事になりますね。

これを聞くと、「んな馬鹿な!」と思う人は沢山いるはずです。

自己啓発でも心理学でも自信を持つには、「過去の成功体験を思い出すのが大事」とか「物事が進んでいる感覚が大事」なんて言われていますから。

過去に何も成功させていないのに、「絶対うまくいくぜえ!!」なんて言っている人がいたら、「うわあアイツまじかよ、、、」なんて白い目で見てしまう人は多いでしょう。

要は、根拠のない自信とは単なるハッタリにしか見えないってことです。

でも、こういった過去の成功体験に基づかない自信は、自分の人生で前例のないことに挑戦していくには非常に大事となります。

例えば、初めて事業を立ち上げるとか恋愛経験が全くないのに好きな人に告白するなんて場合、過去に成功した経験がないのでしり込みする人が沢山いて当然です。

もっともこういった根拠のない自信が悲劇を引き起こすこともままあるので、計画性とかも大事なんですけどね。

ただ新しい挑戦をするにあたって、根拠のない自信はかなり重要であることに間違いはないでしょう。

根拠のない自信は根拠のある自信よりも強い?

「根拠のない自信は根拠のある自信に比べると強い」なんてことがしばしば言われます。

さて、一体なんでこんなことが言われるのでしょうか?

この理由の一つには「過去の成功体験にしても何にしてもそう言った根拠は揺らぎやすいものであるから」といった事があげられると思います。

例えば過去に高校受験で努力して見事第一志望に合格したという経験を糧にして、大学受験に臨んでも必ずしもそれもうまくいくとは限りません。

これは営業パーソンが過去の営業成績を糧に仕事を頑張るのにも言える事でしょう。

過去の成功体験を定期的に思い出して、「自分はやればできる人間だ」と再確認する作業というのは大変大事なものではありますが、やはり「今回もうまくいくのか、、」なんて不安になることはままあるものです。

過去の成功体験に意識を持って行っても、次の瞬間にそれを打ち消すような失敗体験に意識が言って「やっぱりあの成功は偶然だったんじゃ、、、?」なんてすぐネガティブになるなんて事だってあるでしょう。

そんな風に中々自分の事を無条件に心の底から信じてあげる事なんてできないんですよね。

根拠のある自信の根拠とは非常に移ろいやすく脆いものとも言えるので、その根拠を根拠として機能させるためには不断の努力が不可欠という事になります。

そしてやや脱線しますが、この根拠に「自分の力ではどうしようもないもの」を持ってきた場合、さらに事態が厄介になることがありますね。

そのいい例が、「自分の容姿」です。

イケメンや美人が「自分の容姿」を自身の根源の大部分に設定していた場合、自分の容姿の良さありきで多くのことを肯定できているので容姿の衰えは自分という存在の危機へと直結します。

こういった場合、加齢に伴う容姿の衰えと共に「もう自分には何の価値もない」といった絶望感にさいなまれる人もいるでしょう。

容姿が自信の根源だと、年を追うごとに不幸になっていくといえますな。

そういった意味では、まだ過去の成功体験は自信の根拠としては優秀であるといえるでしょう。

その一方で、根拠のない自信の根源は言ってみれば「自分が生きている事」であるといっても過言ではないため、生きている限り自然とわいてくるものです。

何か大変なことがあっても、「まあわたしなら何とかなるよ。今は大変だけどきっとどうにかできるはず」等と将来をポジティブに考えて問題解決のために腰を据えて頑張れるでしょう。

これは主観に過ぎませんが、根拠のない自信のある人というのは、自分の人生全体について「きっと将来は今より良くなる」等と自分の人生全体に楽観的な見通しを立ているんだと思います。

まあ悪く言えば「気楽なノーテンキ」ですしよく言えば「楽観的」なんでしょう。

ちなみに不安を感じやすい人は無理にこういった楽観的な見方をしようとする必要はありません。

不安を感じやすい人は、「事前に対策を立てて万が一に備えて慎重に計画を立てて行動する」のがいいです。

「やってりゃ何とかなる」なんてスタンスでごり押ししても、大体失敗します。

根拠のない自信のある人はそれにめげずに何度でも繰り返しゾンビのように立ち上がって向かっていくでしょう。

しかし不安を感じやすい人はそんなことはできないでしょうし、もし無理やり何の対策をなしに根拠のない自信のある人と同様のことをやっても気を止むだけで時期に再起不能になると思います。

それぞれに適したやり方で戦うべきです。

根拠のない自信がないならないなりの戦い方があると思うんですよね。

人生に必ずしも根拠のない自信は必要ありません。

そして私見ですが「根拠のある自信とない自信とどっちが強い?」という問い自体、あまり意味のあるものとは思いません。

根拠のない自信の正体って一体何なんだろうか?

はっきり言いますが、わたしには「根拠のない自信の正体は分かりません」。

少なくとも、「根拠のない自信の根源は~である」と言えるほどの材料をわたしはもち合わせておりませんよ。

ただ推測はできるかと思います。

わたしは、「根拠のない自信とは人生や自分の存在の無条件の肯定である」と思いますね。

根拠のない自信を持っている人は自分の人生全体について、「漠然とした明るい見通し」を持っているというのは間違いないと思うのです。

彼彼女らは「自分の人生や自分の存在を無条件に肯定している」ので、「生きていりゃきっといいことある」と何の根拠もなく考えている気がします。

なぜそんなことが可能なのでしょうか?

これを説明するにあたって、わたしは愛着の形成が関係あるのではないかと思っておりますね。

以前の記事にて取り上げましたが、人は幼少期の家庭環境によって愛着が適切に形成されないと人嫌いになったり過度に依存的になったりする、つまり対人関係において適切な距離感が取れなくなるといいます。

このように人の性格を愛着の形成という側面から説明する理論を愛着理論と言いました。

愛着理論について詳しくは以下。

で、愛着が適切に形成されると安定型と言われる類型になるのですが、この類型になるためには「心の安全基地」の存在が不可欠です。

安全基地は幼い子供の場合で言うなら、

「自分にとっての愛着対象である両親などが自分に対して提供する心地よい安定や保護が保証された環境」

でしょう。

子供は母親などの養育者を安全基地のように感じることで、好奇心を外の世界に向け外的世界を探検することができるようになるといいます。

そして危険を感じると愛着対象にしがみつき、危険が過ぎさるとまた探索を行うとも。

つまり必要に迫られた時に心のよりどころとなる『心の安全基地』を持つことで、辛い境遇や危険を乗りこえていくことが出来るようになるってことなんですね。

この愛着理論は元々子供に関して適用されていたものですが、現在は大人に対しても適用されるようになっています。

この愛着理論に基づいて考えるなら、断定はできないものの根拠のない自信を持つ人の自信の根源の一端には「幼少期に適切な愛着形成がなされ両親等が自分の心の安全基地として機能している」という事があるのかもしれません。

「いざとなったら自分の心をいやす場所がある」という思いが根底にあるからこそ、「まあ人生何とかなるよ」みたいに思えるのかもしれないなって思ったりします。

根拠のない自信を構築する基盤の一部に「心の安全基地」の存在があるとみていいのではないかと思いますね。

根拠のない自信を手に入れるにはどうしたらいいんだろうか?

上述のように、わたしは

「根拠のない自信の正体は、「人生や自分の存在の無条件の肯定である」

と考えています。

ただこんな話をすると、「じゃあいわゆる毒親の元に生まれた人は一生自信なんて持てず人生も肯定できずに苦しまねばならないのか?」等と不快に思う人もいるでしょう。

正直、この問いに対してわたしは「そんなことはありません」とも「そうです」とも言えません。

そんな無責任な断定はすべきではないしそもそもできません。

ただ一つ言えることがあるとするなら、「幸せになるカギは人間関係にあるから今からでも心の安全基地を確保すべく行動しよう」という事です。

先ほども言いましたが、心の安全基地は両親などだけに限定された概念ではありません。

親友や恋人、配偶者、兄弟姉妹、、、いろんな人たちが心の安全基地となりえます。

ただ両親や親族の場合に比べると、それ以外に心の安全基地を求めるのは少し難しいです。

親族以外であれば、「与え与えられのバランス」に特に注意を払っていく必要があるでしょう(場合によっては兄弟でも難しい)。

なのであまり誰か一人だけに寄りかかりすぎるのではなく、投資等と同様に「沢山安全基地となりうる人間関係を作っておく」ことがおすすめです。

一人によりかかりすぎるとよりかかられた人はとても負担を感じてしまうものですからね。

要は、依存先は沢山持つってことでしょうな。

こうした心の安全基地を沢山確保することによって、「なんだかんだ自分を受け入れてくれる存在はこの世界に沢山いる。自分は生きていてもいい」という自分の存在や人生の肯定が根拠となり強い自信がわいてくることもあるんじゃないかなって思います。

断定はできませんが、一つの説としては割とありじゃないかなって思っていますね。

おわりに

この記事は「結局根拠のない自信の正体って一体何なんだろうか?「問題は愛着?」」と題しておおくりしました。

わたしなりの結論ですが、根拠のない自信の正体とは

「人生や自分の存在の無条件の肯定である」

と思います。

なので過去の成功体験に基づく自信などと比べると、根拠のない自信はかなり強力な自信であるといっていいと思いますね。

そして私見ですが、根拠のない自信を獲得する手段として可能性があるには「心の安全基地の確保」があるのではないかと思います。

両親や親族などに心の安全基地が求められない人は、外部にそういったものを作る努力をする必要があるといえるでしょう。

あくまで私見に過ぎませんが、そう思います。

では!

参考記事等

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