「感情移入と共感は違う」人の気持ちを知るには共感が重要なんだわな

「感情移入するのと共感するのって何が違うの?なんか、感情移入と共感は違うって話をたまに聞いたりするけど正直同じものにしか思えないわ。」

ふぬ、確かにねえ。

感情移入と共感って同じものと思いがちよな。

オニギリス!

脱マンネリストのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「感情移入と共感は違う」人の気持ちを知るには共感が重要なんだわな」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 感情移入と共感の違いについて知りたい人
  • 相手の心をよくわかるようになりたい人

感情移入と共感ってどう違うんでしょう?

なんとなく、多くの人は同じものだと思っている気がします。

しかし、厳密には違いますし、「相手の気持ちを理解する」という観点から言うと「感情移入ではなく共感が大事」です。

むしろ、感情移入は理解の妨げとなる可能性がありますね。

相手の気持ちを理解するにあたって基本的には「相手の感情を推測しその推測に固執する」のは御法度です。

では、ゆるりとおおくりします。

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感情移入って一体何か?

まずは例にならって言葉の意味を確認していきましょう。

感情移入とは

自分感情精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分と融合感じ意識作用

だそうです。

引用

https://www.weblio.jp/content/%E6%84%9F%E6%83%85%E7%A7%BB%E5%85%A5

この定義において「自分の感情や精神を投射する」とか「自分との融合を図る」というワードがキモでしょうな。

ようするに、感情移入はもっと簡潔に言うと「自分を対象と置き換える意識作用」といえるかもしれませんねえ。

「もし自分がこの人と同じ立場だったら、、、」みたいに思って、自分があたかもその対象と一体化したような感覚になるってことでしょうか。

感情移入と共感は似ているけど別物

共感とは一般的には「他人と喜怒哀楽の感情を共有すること」といえるでしょう。

ただ、以前共感性について書いた記事にて述べた通り、日本においては「厳密な意味で共感性の定義は今のところない」です。

ただ、一般的な共感性の定義は心理学的な面から見ると情動感染というものに分類できます。

情動感染とは、他人の感じていることを写しとったり、他者の恐怖や不安等を察して自分自身もストレスを感じるなんてものです。

まあ、文字通り「感情が自分にも伝わってくる」て感じですねえ。

この情動感染の度合いが強くなってくると、「自分があたかもその感情を感じている本人のような気分になって」きて、自分と他者が一体化したような気分になるでしょう。

これが感情移入している状態ということになります。

なので、感情移入は情動感染の進行した状態と説明できるかもしれませんね。

ただ、共感性にはもう一つ「他者視点取得」というものがあり、こちらはどちらかというと「冷静かつ客観的に相手の感情を分析して相手の置かれている立場を理解する」というものです。

なので、厳密にいえば「感情移入は共感の一種であり全体ではない」ってことになります。

感情移入は情動感染の進んだ状態と解することが可能でしょうから。

共感性について詳しくは以下。

相手を知りたければ感情移入はしないこと

上述したように、共感性には情動感染と他者視点取得の2種類がありました。

もし、相手の気持ちを理解しようとするのであれば、情動感染はあんまり役に立ちません。

まして、感情移入なんてもってのほかです。

まあ、「身につまされる」なんていうのもそれでしょう。

情動感染が進むと感情移入や「身につまされる」なんて状態になると考えれますが、感情移入等している状態では「相手と自分の境界線があやふやになっている」ので、自分を相手の心の区別が不明瞭になってしまいます。

このような状況で相手の話を聞いていても、相手の気持ちを理解していることには全くなりません。

自分と相手の心は本質的に絶対にイコールになることはありませんからね。

例えば、自分が感じている悲しみと相手の感じている悲しみは「全然別のもの」であり、本質的には絶対に共有することができないものです。

悲しいとか嬉しいとかいう感じは大筋で一緒でしょうが、厳密な意味ではそれぞれに感受性の差や置かれている状況の差等もあって、同じ体験をしてる場合ですら同じ感情を共有することはないです。

自分と相手との存在の絶対的な隔絶を認めないことには、相手の心の理解はできないって思うんですね。

相手の理解のためには他者視点取得の方がはるかに重要です。

相手の気持ちは絶対に分かることはないからこそ、相手の発言や感情表現、置かれている状況等から理論的に筋が通った分析結果を出していくことが必要なんですね。

情動感染主体で相手の気持ちを理解しようとするということは、自分の感じた感情を相手の感情を同一視することに他ならないため相手の心への理解とは程遠いのです。

そのような手前勝手な推測の結果が、お節介や有難迷惑みたいなものになります。

人のことを良く知りたいと思うのであれば、「感情移入たり身につまされて人の話を聞いてはいけない」といえるでしょう。

まあ、、、、難しいけどねえ、、、。

おわりに

この記事は「「感情移入と共感は違う」人の気持ちを知るには共感が重要なんだわな」と題しておおくりしました。

感情移入は「自分と対象の感情の区別がつかなくなっている状態」だといえますので、相手の気持ちを理解する上ではやってはいけないことです。

相手の心を理解する上では、自分と相手の感情は明確に区別しておく必要があります。

相手がどんなに泣き叫んでつらそうにしていても、理解しようと対峙している側は出来る限り冷静で波立つことのない澄んだ湖面のような心をしていないといけません。

人を理解するにあたっては、自分の心はいうなれば相手の心を写し取る鏡のようなものとして使う必要があるってことですな。

、、、、まあ、むっつかしいんだけどねえ。

ま、感情移入は相手の心情を理解するという点では程遠いよねってことです。

では!

参考

https://www.weblio.jp/content/%E6%84%9F%E6%83%85%E7%A7%BB%E5%85%A5

https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F-477908

参考記事等

「ミラータッチ共感覚」人の痛みが本当に自分の痛みになる人もいる

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