今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 話のネタになる面白い話題を探している人
- 人の痛みを敏感に感じ取っている自覚のある人
だって、その本人でもないのにその本人の痛みが分かるだって?
おいおい、エスパーかよって話。わかるわけないじゃんよ。
それで分かった気になんてなっているからお節介野郎が世の中に多いんだろ。
本当、人の痛みが分かるとか安易に使うやつの気が知れないし迷惑だわ。
まあ、それはそうなんだが感情移入しすぎてしまう心理も理解できなくない。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「ミラータッチ共感覚」人の痛みが本当に自分の痛みになる人もいる」という話です。
「人の痛みに敏感な人」というのは一定数いるものですが、そのような人の中には「人の痛みを自分の痛みとして感じる」なんていう人います。
理屈で考えていった場合他人と自分は同じ人間ではないのだから「他人の痛みが分かるはず等ない」ですし、そもそも「他人の痛みを自分の痛みと混同するようではお節介になる」とも言えそうな気がしてくるんですな。
これは以前の「感情移入と共感は違う」という記事でも言及した通り。
いつもわたしが散々言っている「自己と他者を明確に分けて分析的に相手の心を見ることの重要性」なわけです。
ですが、中には本当に文字通り「人の痛み=自分の痛み」のように感じてしまう感覚の持ち主がいるんですな。
今回はそんな変わった感覚の話。
人の痛みが分かって辛いとお嘆きのあなた、、、もしかしたらミラータッチ共感覚かな?
では、ゆるりとおおくりします。
目次
そもそも共感覚ってなんじゃ?
さて、今回取り上げるミラータッチ共感覚について話す前にまずは「共感覚」というものについて軽く触れておきましょう。
共感覚( synesthesia)とは端的に言うなら、「通常の感覚に加えて別の感覚が無意識のうちに引き起こされる一部の人に見られる特殊な知覚現象」のこと。
その種類は実に現在150を超えるまでになっているといいます。
で、その共感覚の種類には具体的に以下のようなものがあるとのこと。
- 文字に色を感じる(例:白という文字を見ると緑色を感じる)
- 音に色を感じる(ドを聞くと赤色を感じる)
- 曜日に対して色を感じる(土曜日がオレンジで日曜日が黒など)
そして、この共感覚の特徴としては以下のようなものがあるといいます。
- 自分で制御できない
- 人により感じる色等は違う。しかし、その本人の中では変わらず一貫性がある
- 記憶を助ける役割を果たす(電話番号や名前の記憶等)
- 快や不快、好き嫌いのような感情をともなう
で、これは大事なことですけど共感覚はいうなれば個性であって病気じゃないですからね。
そこは強調しておきたいところです。
ちなみに、共感覚の起こる仕組みについては詳しいことはよくわかっていないそうですが、今現在大きく分けて以下のような二つの仮説が存在しているとか。
- 脳の異なる感覚の部分の間に強い結び付きが存在する(脳の文字を知覚する部分と色を知覚する部分の神経が強く結ばれている等)
- 脳に異なる感覚を統合する仕組みが存在する(例:聞いた音の感覚が本来ならば伝達されないはずの色の感覚の経路に信号として伝達される)
今後の研究の進展に注目ですね。
人の痛みが自分の痛みになる?
さてさて、共感覚について少し理解が深まったところで今回の本題。
今回取り上げるミラータッチ共感覚も「共感覚」とある通り上述のような共感覚の一種です。
で、どんなものかというと
「他人が体に触れられているのを見て自分が体に触れられているように感じる感覚」
のことです。
このミラータッチ共感覚の持ち主は非常に珍しいといいます。
この感覚の持ち主は一般に言われる「人の痛みが分かる」とか言っている人達の比ではないほどに「他茶の苦痛を自分の苦痛として感じている」といえますね。
まあ、言ってみれば単なる「共感」を超えたものだってことです。
人が殴られているシーンを見たら自分も「殴られたように感じる」し、人が刃物で刺されているのを見たら自分も刺されているように感じてしまうって話ですな。
もし、外科医の人がこの感覚を持っていたら仕事に相当支障が出そうです。
ただ、この感覚を持ちながらもそれを使いこなしている医師の方もいるようなので、結局この感覚も使い方次第なんでしょう。
で、このミラータッチ共感覚が起こる背景には自分自身の行動によっても、他者の同様の行動を見ることによっても同じように活性化する神経細胞の集まりであるミラーシステムの活動により生じるという説があるそうですね。
実に興味深い話です。
おわりに
この記事は「「ミラータッチ共感覚」人の痛みが本当に自分の痛みになる人もいる」と題しておおくりしました。
今回は結構特殊な感覚であるミラータッチ共感覚について取り上げましたが、正直な話誰でもここまで顕著な特性でなくてもそれなりに他の人とは違った特性、いうなれば個性ともいうべきものを持っているものです。
問題なのは「それをどのように使うか」だと思うわけですね。
「人の痛みなんて原則わからないものだから冷静に分析せねば」と日ごろから言っているわたしではありますが、別に「他人の痛みを自分のもののように感じる感性や感覚が悪である」とは思いません。
正直、一切他人の痛みを感知できないならそこに「相手の苦痛を和らげてあげたい」という気持ちは起こりにくいでしょう。
感情移入も立派な行動の動機なのです。
要は使い方をどうしましょうか?てことですよね。
それと思うんですよね。
大変だとは思いますが、「他人の痛みに敏感であってなおそれでいて冷静な視点も堅持できる」なら、その感性は凄い強みになるよなと個人的には思います。
自分の特性は武器として使えるようにしていけるとびんかんであいいですね。
では!
参考記事等
「ミラータッチ共感覚」人の痛みが本当に自分の痛みになる人もいる
「森田療法」あるがままを感じるのが一番。感情は制御しない方がいい。
「アフォーダンス理論」意味は人が見出すモノでなく環境が与えるモノ??
参考