今回は以下のような方に向けておおくりします。
・死ねが口癖になっている人
・死ねという言葉が口癖になっている人の心理について考察してみたい人
・話しのネタが欲しい人等
今回の話題は「「死ね」という言葉が口癖になっている原因が何かを考えてみたい」という話です。
「死ね」という言葉が口癖になっている人って世の中に結構な数いるものです。実は、わたしもかなーり前は割とムカッと来た時には言っていました。なので、まあ言いたくなる人の気持ちもはわからないではないです。
ただ、すぐに死ねと言うとなるとまた事情は変わってきます。死ねが口癖となっている理由には以下のようなものが考えられます。
- ストレス耐性が低い
- これから起こるストレスに対する予測が甘い
今回は、「死ね」が口癖になっている人たちは、なんで死ねと簡単に言うのか、また口癖になってしまったのかについて考えてみたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
「死ね」という口癖はかなりヤバいのは確か
「死ね」という言葉はどう考えても、「下品で品性を疑われる発言」です。
一般に、こんな言葉を使うなんて下劣もいいところとされていますよね。しかし、そうはいっても結構使う人はそれなりにいるものです。
特に、ネット上では自分の素性がそうそう知られないのをいいことに簡単にあちこちで「死ね」とか「死んだらいいのに」といった乱暴な書き込みが散見されます。
ある調査に、こういった攻撃的な書き込みをするのはごくごく一部のユーザーだけだとするものもありますが、やはりそうはいっても結構目に付く気がしますよね。見ていてあまり気分のいいものではありません。
多分ですが、言われた方としては言葉は悪いですけども、気分的には「そんなに自分は死ぬ気ないからさ、目障りなら君が死んだらいいよ。そうしたらもうそんなムカつく気持ちにならないしこっちと接点持たなくて済むでしょ?」て返したくなるんじゃないかなあって思ったりもします。
人の死を願うくらい攻撃的な事したら相応の悪意を返されてもまあ自業自得なので当たり前っちゃ当たり前です。
でも、大体の人は直感的にこれを感知して「言い返したい気持ちをこらえている」か「ゴミと思ってはなから相手にしない」といった話になると思われます。
- 実際、言い争うもの同士が同じレベルに見えるという事を支持する研究がある
しかし、あまりにしつこい場合はちゃんと何らかの形でやり返しておかないといけないというものあります。あまりこの手のヤカラを増長させるのはどうなのかって話ですね。
どこかで「やり過ぎたらどうなるかを知らしめる」ことも必要です。とはいえ、基本的にはスルーが得策でしょうねえ、、、。反応していたらきりないよね。
人は何故死ねと言ってしまうのだろうか??
「死ね」という言葉は本当に強い言葉です。で、こういった言葉を使っている人たちは、本当に相手の死を願ってこういった言葉を使っているのかは結構気になるところですよねえ。
正直、以前のわたしの場合は「相手の死を願う」というよりも、「目の前から消えていなくなってほしい」といった意味で使っていたように記憶しています。つまり、以前のわたしの頭の中では「死ね≒目の前から失せろ」だったわけですな。
ただ、人によっては本当に文字通り「死んでほしい」とか「なんなら拷問してミンチにして豚のえさにでもしてやりたいしその工程を終始見届けたい」なんて事を思って「死ね」といったいた人もいたような気がします。まあ、本当にそうなのかは彼らの心中がのぞけないので分かりませんけども。
ただ何となく、大多数の人は以前のわたしと同じく「わたしの前から失せろ。認識可能な範囲に入ってくるな!」といった意味合いで使っている気がします。
で、なんでこんな言葉を使ってしまうかについてですが、もうこれはおそらくこれしかあるまいというものが個人的にありますよ。
それは
「これから起こる事によって被るストレスの見積もりが甘く、そもそも自分の都合優先の考え方をしている」
という事です。
つまり、「自分の思い通りにいかないのが心底気に入らないたち」なんですよね。
以前、すぐに愚痴を言う人と言わない人の違いについての記事を投稿しましたが、まさにあそこで言及していたことと同じ事が言えると思うんです。
「死ね」という言葉を使う状態とは、言ってみれば「それくらい強い言葉を使わないと気が済まないくらいに怒り等で衝動的になっている状態」なのですよ。そうでなければ、わざわざ死ねなんて言葉をチョイスしません。
で、こういった言葉を使うのが習慣になっている人というのもその心中の根底には、やはり「自分の都合に合わないものは気に入らない」といったものが強くあるんだと思うんですよ。いかに、「ずっと使っていて使うこと自体が癖になっている」とは言ってもね。
確かに、ずっと「死ね」という言葉を使っているとゲシュタルト崩壊ではないですが、言葉自体の意味が薄れ「死ね」が「し・ね」というただの音素で構成された記号のようなものに意識内で変換されていく事は考えられるかもしれません。
そして、「し・ね」という記号に対して「自分の怒りやいらだたしさ」という感情が新たに別の意味を持って再結合して、一般に使われている辞書的な意味での「死ね」ではないその当人特有の「死ね」という言葉が出来上がるという事ですな。
まあ、すんごくどうでもいいこと言っている気がしてきましたけど、結局言いたいことは
「すぐ死ねって言葉を使うやつはストレスへの耐性が低いだろうな」
って事ですね。
しかも、自分の思い通りにならない時に、「死ね」みたいに特定の言葉ばかり使っていること自体も自分の感情を適切に表現する語彙力をとぼしくさせるので賢い行動ではありません。
以前、「なんでもかんでも不快なもの事に対してキモイとばかり言っているとメンタル不安定になるんじゃないか?」という事を言いましたけど、それと同じです。
何でもかんでも、腹が立ったら「死ね!」と連呼していたら「一体自分は今どんな感じの怒りや不快さを抱えているのか?」といった事がどんどん認識できなくなっていくでしょう。
結果、「死ね」という言葉を多用すればするほど、感情が不安定になってますます怒りの沸点が下がり「死ね」というようになっていきそうです。
腹が立った時は、「自分は~と感じているから腹が立っているのだ」のように自分の感情の動き等をシッカリと客観的に見たり言語化したりする作業が大事ですね。
腹が立つたびに「死ね」と言っていたら、それが感情を適切に表現する言語能力の低下を招き結果的により衝動的になっていくでしょう。そうなると長期的な人間関係を築くのが難しくなって困っちまいますねえ。ま、死ねなんて言葉は多用しない方がいいですよね。
死ねと言わないためにできる事は何か?
さて、死ねという言葉を使わないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?はい、これはもう一つです。
「ストレス耐性とストレスの予測精度をあげる事」
これに尽きるでしょう。
具体的には以下のような対策をとるといいと思います。
- 常に最悪の事態を想定して自分なりに事前に対策はしておく(もっとも、限度はある)
- レジリエンスを高める
- 瞑想等によってメタ認知をあげていく
レジリエンスについて詳しくはリンクから。
多分、この3つをやるだけで結構改善する気がします。というか、わたしが死ねという言葉をほぼ使わなくなったのもこの3つをやったおかげだと思っていますねえ。
おわりに
この記事は「「死ね」という言葉が口癖になっている原因が何かを考えてみたい」と題しておおくりしました。
死ねという言葉は、お世辞にも綺麗とは言えません。
とはいえ、言って舞いたくなるものは仕方ないです。
世間体が云々とか人として云々とかそんなきれいごとはどうでもいいんですね。
そもそも「言いたくなる心理をどうしたら抑えられるか」を考えない事には仕方ないんです。
で、個人的に、死ねという言葉をひんぱんに使う人は「将来感じるストレスへの予測精度が低く、かつストレス耐性が低い可能性がある」と思います。
そのため、以下の事を意識して鍛えていくといいかと思いますね。
- 常に最悪の事態を想定して自分なりに事前に対策はしておく(もっとも、限度はある)
- レジリエンスを高める
- 瞑想等によってメタ認知をあげていく
まあ、死ねなんて言葉は使わないに越したことはないですから、使わないようにしたいものです。
では!
参考記事等