「なんか、大学で配布された心理学の教科書に「人は泣くから悲しいのだ」なんてイミフな一文が出てきたんだけど、コレってマジ??普通逆じゃね?悲しいから泣くんじゃないの?感情が先か行動が先か、、、、よくわかんねえなあ、人の心って、、、。」
うん、確かに「人は泣くから悲しいのだ」って一見わけわかんないよね。
普通逆だと思うよね。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「人は泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか?」という話です。
今回は以下の様な方に向けておおくりします。
・感情が先か体の反応が先か少し掘り下げて考えてみたい人
あなたは聞いたことがありますかね。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」という主張を。
この主張は心理学の教科書には必ずと言っていいほど乗っている有名な主張なんです。
で、「実際はどうなのか?」と思いますよね。
今回は「感情が先か行動が先か」についてちょいと突っ込んで行きたいと思うのです。
この記事は以下の論文を主な参考としています。
参考
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000843.pdf
では、ゆるりとおおくりします。
目次
泣くから悲しいってどういうこと?
大学の心理学の教科書に必ずと言っていいほど登場する主張に「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」というものがあります。
これはアメリカの心理学者ジェームズさんとデンマークの心理学者であるランゲさんの二人により1890年に提唱されたジェームズ=ランゲ説(末梢起源説とも言われる)によるものです。
このジェームズ=ランゲ説とは以下のようなもの。
情動の体験と表出に関する古典的学説で W.ジェームズと C.G.ランゲがほぼ同時期に別個に提唱した。末梢説ともいう。情的事象の知覚によってまず末梢の諸効果器に活動すなわち表出が生じ,次いでそれらに発する諸感覚が脳へ送り返されて情動体験を生じるとする。したがって,悲しいから泣くのではなく,泣くから悲しいということになる。
引用
んー、何か説明むっず!て感じですねえ。
情動とは感情の一種であり急激で一時的なものをいいます(例:不安、怒り、恐怖等)。
ちなみに、気分と情動は心理学では別物です。
情動は「快不快」といった原初的、かつ一時的な強い感情であるのに対して、気分は弱くて持続的な感情なのですね。
そして、末梢の諸効果器とか分かりにくい表現がありますけど、これは具体的に言うと筋肉とかのことです。
んで、この説によると以下のような経路で情動が生じるとされています。
外部刺激(例:悲しいドラマを見る等)
↓
末梢神経系の生理学的変化(泣く)
↓
情動体験(悲しい)
ふむ、外部刺激を受けて体が反応した後で、感情がやってくるって話になるわけね。
ただ、この説は結構批判が多いです。
例えば、次の章で見るキャノン=バード説の提唱者であるキャノンさんによる批判は代表的なものでしょう。
で、その批判をめっちゃ雑に要約すると以下みたいな感じ。
「身体反応が起こるのに何秒もかかる、一方で情動って身体反応の開始に先立って発生してんじゃん?」
まあ、そりゃあそうだろって感じもしますよね。
だって、直感的には「悲しいから泣くんじゃね?」て思うもん。
泣いてから「ああ、今悲しい」て感じるって、、、「んな、あほな!」て感じしますよね。
事実、この説が出た1890年当時、やはり常識に反する説だった模様。
しかもね、この説に関してはそもそも根拠がよくわかんないとも言われていています。
なお、今この説は笑いに関しては部分的に認められている模様。
参考
http://waraiplus.com/colum/theory_of_emotion.html
やはり、悲しいから泣く方が納得いく
上記ジェームズ=ランゲ説の登場からしばらくしてこの説に対抗する説としてキャノン=バード説というものが登場します。
このキャノン=バード説とは、、、
情動の体験と表出に関する生理学説で,W.B.キャノンが最初に提唱 (1927) し,P.バードが修正した。ジェームズ=ランゲの末梢説 (→ジェームズ=ランゲ説 ) に対抗する説で,中枢説ともいう。キャノンによれば,感覚インパルスは視床を通過中に情動特性を付与され,それが一方において大脳皮質へ伝えられて情動体験を生じ,他方において末梢の効果器に伝えられて表出となるとされる。バードは種々の実験事実に基づき,視床でなく視床下部を重視した。引用
、、、また、説明がめんどくさいね(笑)。
もっと、簡略化すると中枢起源説っていうのは
『脳や脊髄といったいわゆる中枢神経系を起点にして情動が生じる』
という説だといえます。
要は、外部からの刺激により脳の視床が活性化して大脳が活性化することにより情動体験が起こり、同時に視床下部(自律神経系の中枢)が活性化することで身体反応が起こるってことになりますね。
※視床と視床下部について詳しくは以下のリンクからどうぞ。
参考
https://www.akira3132.info/diencephalon.html
この説によると以下のような経路で情動が生じるってことになります。
外部刺激(悲しいドラマ等を見る)
↓
中枢神経系(視床)
↓
情動体験 + 末梢神経系の生理学的変化(悲しい+泣く)
この場合は上述のジェームズ=ランゲ説とは違って、体の反応と感情の発生にタイムラグがなく同時に起こるとしているわけね。
まあ、普通に考えてこっちが正解っぽい気がするよね。
だって、わたし達の直感は「悲しいから泣く」だもんねえ。
3、感情は後付け?
実は、上述した2つの説だけでは同一の身体反応で異なった感情を持つ場合には上手く説明ができません。
そこで登場したのが、生理的な反応とそれに対する認知的解釈という2要因により、情動体験が生まれるとする2要因説です(シャクター=シンガー説ともいう)。
、、、といっても具体例がないとよう分かんないですな。
なので、よくこの説を説明する時に引き合いに出されるダットンさんとアロンさんによる吊り橋実験で考えてみましょう。
この吊り橋実験での情動の発生等を図にすると以下のようになるかと思います。
吊り橋を渡る際に恐怖感を感じる
↓
心拍数と発汗量の増大が増大する
↓
異性と出会う
↓
恐怖による生理的反応を異性を魅力的だと思うことで生じる反応と間違えて認知
上図から、恐怖と恋愛感情が吊り橋を渡るという同一の体験から生じている状態になっていることがわかると思います。
この説は生理的変化にもとづいて情動体験が生じるという点ではジェームス=ランゲ説と同じです。
ただし、その生理的変化がどうして起こったのかを無意識的に推測するという過程が設定されている点で違うんですね。
なんか、身体反応に対して後で感情を後付けしているような感じに見えますねえ。
吊り橋実験の詳細については以下から見てみてくださいな。
参考
ちなみに、現在これら上述の3つの説のどれが情動の発生に関する説として妥当かはわかっていません。
なんだか、ややこしいっすね。
4、無理に笑っても気分はよくなる?
悲しみについてはともかくも、笑いに関しては行動がきっかけとなって情動が生じることがあるとの研究が存在しています。
つまり、「笑えば楽しい気分になる」ってやつです。
ただ、最近の研究では作り笑いがむしろ精神に悪影響を及ぼすなんて話が出てきました。
詳しくは以下からどうぞ。
まあ、長いこと「笑うと楽しい気分になれる」みたいに言われてきたんですけどね。
少し残念な気分ではあります。
とはいえ、まだ確定ではないんで希望は捨てたくないところです。
まあ、今のところ「自発的な笑顔」、つまり「楽しいから生じた自然な笑顔」が精神的にプラスであることは確かですね。
とりあえず、面白い映画やお笑いとかを見て笑うのがいいってことですな。
本当、感情ってむつかしいわあ、、、。
おわりに
この記事は「人は泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか?」と題しておおくりしました。
はい、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」という主張はジェームズ=ランゲさんによる末梢起源説による主張でした。
対して、それに対する反論がキャノンさんとバードさんによる中枢起源説でした。
んで、現在この2説のどちらが正しいということはわかっていないんですね。
ただ笑いに関しては、京都大学名誉教授の苧阪直行先生のように末梢起源説と中枢起源説のどちらの経路も認めるとする立場をとっているひともいます。
そして、作り笑いをしてもいい気分になるのかは賛否両論あって、どちらが優勢かは少し慎重を期する様相を呈しています。
ただ、少しでもポジティブな気持ちになれると思う行動があるのであれば日常に積極的にとりいれてみるのがいいと思います。
自分の感情と日々しっかり向き合っていきたいものです。
では!
参考記事等