「よく会社の先輩やら年配の人達はやたらと反骨精神やハングリー精神が無いとだめだって言ってくるよね。まあ、分からないではないよね。いつも自分の運命というかその場の成り行きに流されて上には決して逆らわずに生きているみたいで、かっこ悪いって言うのはわかる。でも、反骨精神やハングリー精神で頑張り続けるのってしんどそうだよなあ、、、。ちょっと自分には無理かなあて気がする。」
そうだねえ、反骨精神とかハングリー精神って大事ではあるけど、それだけで頑張り続けるのはしんどいよねえ。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「反骨精神やハングリー精神だけでは成長には限界があるし、不幸になるんじゃないか」という話題です。
はい、最初にいっておくと反骨精神やハングリー精神を否定する気はさらさらないですし、反骨精神やハングリー精神自体はとても大事だと思っています。
権力や伝統なんぞに追従するのは、違うと思っています。
しかし、頑張る原動力を「反骨精神やハングリー精神だけ」にしていたんでは、成長に限界があるし幸福感は増えないのではないかと思います。
結論からいってしまうと、最終的には「誰かに何かをしてあげるのが好きで、それにより自分も幸福感が増える」という心理状況になった方がいいという事です。
さて、こんなきれいごとに聞こえることをなぜわたしは正しいって言うんでしょうか?
以下詳しく説明して見ます。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
1、反骨精神って何か?
反骨精神ってよく聞きますが、その定義をちゃんと知っている人って少ないんじゃないでしょうか?
一応、念のために確認しておきましょうか。
ほい!
反骨精神
読み方:はんこつせいしん
世の中の不正や、因習などに、果敢に立ち向かって行こうとする気概や心持のこと。引用
https://www.weblio.jp/content/%E5%8F%8D%E9%AA%A8%E7%B2%BE%E7%A5%9E
どうでしょう、予想通りだったでしょうか?
多分、世間ではこの意味の通りに使われているというより、「権力に対して立ち向かう」とかそんな意味合いで使われていることが多い気がしますね。
そして、よく言われるハングリー精神の意味は以下です。
ハングリー精神
読み方:ハングリーせいしん
物事を強く求め、達成への強い意志を持ってことに当たる気持ちや心意気などを意味する表現。引用
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%B2%BE%E7%A5%9E
はい、似ているけど違っていますね。
ただ、世の中では結構な割合で混同されている気がします。
この記事では「反骨精神」と「ハングリー精神」を「恵まれない環境等の逆境から這い上がろうとする心意気、権力に屈しない心意気」と定義して話を進めます。
2、心理学的にみた反骨精神やハングリ-精神の正体
反骨精神やハングリー精神は心理学的にいえば「現状への怒りのような否定感情」です。
例えば、
「権力によって虐げられてきたから権力への挑戦を胸に立ち上がる」
とか
「自分の家が裕福ではなく苦しい経済状況だったからこそ何くそと頑張る」
てな感じでしょうか。
まあ、あとは「バカにしてきた誰かを見返すために」なんて言う動機でハングリー精神等に火がついたりするってことはありますね。
この感情というのは「強い自分の置かれている現状への否定」なんです。
そう、ハングリー精神や反骨精神の本質は「否定の感情」なのですよ。
3、初速は反骨精神やハングリー精神でつけてもいい
日本で有名な企業家というと松下幸之助さんや本田宗一郎さんがいますね。
彼らは自分の伝記や著書の中で「社会のため」とか「人のため」なんてキレーな事たっくさんいっています。
これを聞いて
「なにいってんだ。世の中金が全てなんだよ、バーロ」
とか
「何きれいごと言ってんだよ、そんなの金持ちになったから偉そうに言ってるだけだろ」
なんて悪態をつく人ももしかしたらいるかもしれません。
まあ、現実はやはり理想とは違うもの。
どんな偉人賢人であっても若い時は「とことんギラツイテいている」んですね。
そう、本田さんも松下さんもそうです。
本田さんに関しては京セラ創業者の稲盛和夫さんが、若い頃に行った今でいうセミナーにて、本田さんから「経営は欲と二人連れ」だと言われたと言います。
そう、お金が欲しい!もっといい暮らしがしたい!もてたい!、、、そんな「ギラツいた欲」をもって経営しろって話なんですね。
晩年の人格者像からは程遠いですよね?
参考
https://diamond.jp/articles/-/88510?page=2
そう、若い時に結構やり方を間違って詐欺的な事に手を出したりとか、創業者の中にはいろいろ一般的には「わるい」とされていることに関わった経験のある人もいます。
でも、創業者は時と共に人格が円熟してきて人格者になってくるのですな。
そして、それにつれて会社も成長するって流れです。
個人も会社もいつまでも「否定の感情」で頑張るのには成長に限界があるってことです。
「競争」を掲げて、社内では従業員相互にライバル意識をもたせ、かたや外にライバル企業という仮想敵をつくって従業員を団結させる、、、、。
このやり方には限界があるってことですねえ、きっと。
否定のような負の感情を原動力にしても、繁栄は長続きしません。
いってみれば、ハングリー精神のような強い否定感情は、ガソリンみたいなもの。
一時期の爆発力はすごいけど長くは続かないってことですね。
そして、ハングリー精神等でがむしゃらに頑張っている時って、「あるがままの自分を受け入れる自尊心」が低い状態であることが多いと言えます。
まあ、あたりまえですよね、現状の自分のありのままを肯定していたら、なかなか上へ這い上がろうとは思えないでしょう。
だから、ときにはいいことではないですが、自分のアイデンティティーを守るために手段を選ばなかったりするって話です。
でも、そんな事ばかりでは何時も自分の心の中は空虚なままです。
どんなに「稼いでも稼いでも」全くうえも渇きもいやされない、、、、むしろ、どんどん増えていく、、、。
挙句、お金を稼ぐ意味すらわからなくなって、お金のために働いているというより、「お金に働かされている」なんて皮肉な状態になりますな。
この状態になってしまうと、幸福感からは程遠い心理状態ですよ。
ええ、
「私は金持ちになりたい!」
とか
「いい暮らしがしたい、あいつを見返してやりたい!」
は大いに結構!
でも、その気持ちだけで走り続けるには人生長すぎますねー。
結局は、自尊心を高めて「あるがままの自分をうけいれるようになる」ことが、心理学的には幸福感を感じられるようになるためには必須です。
4、飢えと渇きなんていらない?
上記をふまえると、
「だったらハングリー精神なんてなくていいから、最初から自尊心をたかめたらよくないか?」
という人いると思います。
わたしもどちらかと言えば、自尊心や「やればできる」という自己効力感を高めておくことが人生で幸福感を増やす最適解だと思っています。
ま、わたしは幼少期に一回死ぬ経験したのもあって生きていることに差ほどの意味や価値をみいだしていないというのもありますが、そこまでがつがつ生きる必要はないかなって気がしてます。
なるべく、無駄をせず、頭を使い理論的に正しそうなものを思考錯誤して一番快適に生きれる効率のいい方法を模索しようと思っていますね。
そのために、努力が必要ならちゃんとしますが、苦労のための苦労は何があってもしないつもりです。
ですので、わたしなりの結論としては
「幸福に生きたいだけならうえも渇きもいらない」
という事です。
むしろ、衣食足りて礼節を知るということわざもあります。
存分に満たされていいんじゃないでしょうか?
その上で、「今のままでも不満はない。でも、もっと上に行ったらより快適だよね」という思考で色んな事に取り組めたら精神的にも追い詰められず楽です。
わたしはそのために「感情と行動を分離させるスキル」と「メンタル強化」、「自己効力感向上」、「自尊心の向上」が必要かと思っています。
それぞれ以下からどうぞ。
5、究極的には良好な人間関係が幸福を増やす
心理学的には、良好な人間関係が人生の幸福度を増やす主要因であると言われています。
詳しくは以下からどうぞ。
私たち人類の中に多分「不幸になりたくて生きている人」っていないはずです。
お金を稼ぐのも何かの研究に没頭するのも「幸せになるため」なはずです。
個人の価値観によって「幸せを実現する手段が違うだけ」だという事ですね。
そして、成長を続けるためには人格的成長も大事でした。
心理学的に言うなら「惜しみなく与えるギブの精神」を養っていくことが大事かなって話です。
人によく与えるものはよく与えられるのです。
ただし、自己犠牲だけはしちゃいけませんけどね。
それだけは注意!
そして、人に感謝の気持ちを持てばストレスは減るし、結果として自尊心も高まってきますね。
反骨精神やハングリー精神で頑張るのも悪くはないですが、時期に「自尊心が高くギブ精神のある状態」になることが大事だと思います。
この状態になってこそ幸せであって、良好な人間関係に恵まれた幸福感の多い人生を送れると思います。
目指すべきはここかなって思います。
おわりに
この記事では「反骨精神やハングリー精神だけでは成長には限界があるし、不幸になるんじゃないか」と述べました。
はい、結論としては「自分のありのままを受け入れ自分に不満は持たないが、もっと上にいった方がより快適だよね」くらいの発想で努力するというがいいんじゃないかという事です。
もっとも、この記事の内容に対して「お前には守るものが無いからそんな悠長な事をいってられるんだ」なんていう批判が飛んできそうです。
まあ、そうですね。
それに関しては正解です。
わたしは鼻から大事なものを作りたくないので作りません。
わたしはいつ死んだっていいように生きていくつもり。
わたしは仲の良い友人以上の存在を欲しいとは思っていないのでこの価値観で十分なのです。
どうせ、人っていつか死にますからね。
死神は平等です。
命は簡単に散る。
頑張って贅沢をするために稼ぎたいとも思えないし、莫大な財を持ちたいとも思えません。
どうせ、死んだらそんなもの無意味になりますからね。
鼻からどうでもいいんです。
でも、人生で自分はやってみたいことがあるって話。
そのためにお金が必要なら稼ぐでしょうけど、まあ、それも結構ゆるい目標ですよ。
楽しんで熱中してその中で達成できればよし、できなければそれまでという程度です。
まあ、ゆるく生きてもいいんじゃないですかね。
ストイックになんて生きなくてもいいんじゃないですかね。
どうせ、みーんないつか死んじゃうんだしね。
頭使って一生懸命に努力して、楽しんで出来るだけ快適に生きましょ。
では!
参考記事等