今回は以下の様な方に向けておおくりします。
- 生きているのに向いてないと感じる人
- 話しのネタが欲しい人
今回の話題は「生きているのに向いていないと感じる人は感情に振り回されすぎている」という話です。
ふとした瞬間に、生きるの向いていないと感じることはありますよね。
わたしは人の心理を観察していて、その感情の元凶は「自分自身の感情に振り回されすぎている事」にあると思っています。
感情は放っておくくらいがちょうどいいんです。と言う事で、今回は柔軟でしなやかなメンタルを作るためのヒントをお伝えしたい。
ちなみに、「「生まれてこなければよかった」を「生まれてきてよかった」に変える」思考方法についてはリンクからどうぞ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
生きるのに向いていないってどういう意味?
いろんな定義の仕方があることを踏まえあえてこれを定義させていただくなら、わたしは「生きるのに向いていない人」とは
『自分に生きる価値がないと強く信じてしまっている人』
だと思います。
つまり、「生きるのに向いていない」とは「生きるに値しない」という意味に言い換えられるんじゃないかということ。
ただ、自分の価値って何でしょうか。そもそもそんなものあるんですかねえ。ここでいう価値って意味のようなものですよね?
さて、それに関していうならあなたの眼前には以下の2つの道があります。
- 一に人生に意味を求めるのか、
- 二に人生からの期待に応えるのか。
あなたの眼前にあるのはこの2つの道です。言い方は多少辛辣ですが、「普遍的な生きる意味などありはしない」ので、生きる意味についてはその本人がそれぞれ見つける以外にないです。
そう、「いつでも自分を救うことができるは自分だけである」と言う事なんですよね。
こんなことをいうと、突き放しているように聞こえるかもしれませんが、な違いなくこれが事実なんです。ただ、周りの人は本人の意味探求の手助けはできます。
「生きるのに向いていない」という言葉の裏には、自身に対する無価値感が存在する。
感情は放っておくもんである
いわゆる社会不適合者などにも言えることでしょうが、そもそも「生きづらさ」と相関関係にある要素には「過敏性」があります。
これは精神科医である岡田尊司医師が著書「過敏で傷つきやすい人たち」の中でも述べていることです。
心理的な面と対人関係等の社会的な面の両方において過敏であると生きづらいと感じやすいといいます。
なお、これを「心理社会的過敏性」といいますね。この心理社会的過敏性が高いと以下みたいなことが起こります。
- 人前でおどおどしたりする
- 人目を過度にうかがったりする
- 傷つきやすい
- 猜疑心が強く人間不信
さーて、何かあてはまってますかね?もしかして全部だったりします?
正直、生きていくうえで嫌な感情を感じてしまうのは避けられないことですから、「嫌な気持ちを感じないようにしよう」という考え方は役に立ちません。
いや、むしろ強く嫌な気持ちを意識してしまうことで、「より一層嫌な気持ちになる」といえます。
なので、不安や焦り、イライラ等の嫌な気持ちは「気にしない」のが一番いいです。そう、「感じはするけど放っておく」ということ。
これを実現するにはまずは「あ、自分は不安を感じているな」とただ感じ、それを自分への思いやりをもって「人であれば普通のことだ」と認めること。
また、心にその不安の居場所を作ってあげてそこに放っておくという意識も大事です。ま、むつかしいんですがね(笑)。
なお、いわゆる「ドライな人」の中にはこの思考ができている人もママいる印象です。いずれにせよ、感情と戦うのではなく抵抗しないことが大事なんですね。
わたし達の心には抵抗・闘争スイッチみたいなものがあるといえます。
嫌な感情を感じるスイッチが入って「この感情は不快だから追い払いたい!」と抵抗が始まります。これを「シロクマ効果」とか「思考抑制の皮肉効果」と言ったりしますね。
しかし、これでは精神的な体力を浪費してしまいます。だから、「抵抗しない、戦わない」のがいいのです。なお、瞑想を習慣化すると結構精神的に落ち着いてきたりします。
あと参考まで以下にメンタル強化、嫌な事をスルーするのに役に立つと思われる記事を置いておきますね。
「生きづらさ」と「過敏性」には相関関係がある
生きることに意味はないけど意味は与えられる
上述した通り、生きる意味に「普遍的なものはない」です。生きる意味は自ら意味を求めるか、人生から自らが求められている意味に気が付くかの2つの方法で見つけるしかないでしょう。
個人的な見解ですが、あなたがもし「誰かから頼られたりして力を出す傾向がある」のであれば「人生からの期待にこたえる道を取ればいい」です。
そして、「自分自身の欲するものを勝ち取ろうとして力を出す傾向がある」なら「人生に意味を求めればいい」と思います。
もちろん、このような基準によらず意味を求めても人生からの期待から応えてもいいですよ。それはあなたの自由です。
「誰かから頼られたりして力を出す傾向がある」のであれば人生からの期待にこたえる道を取ればいいし、「自分自身の欲するものを勝ち取ろうとして力を出す傾向がある」なら人生に意味を求めればいい。
結局、人生に意味を与えられるのは自分だけなのでそこは注意しておきましょう。
進むも引くも自分次第です。
意味を探求するに際しては、リンク先の記事を参考にしてみてくださいな。人生に意味を求めるならこちら。人生からの期待に応えるのならこちら。
自分の人生や存在に意味を与えられるのは自分だけである。
おわりに
この記事は「生きているのに向いていないと感じる人は感情に振り回されすぎている」と題しておおくりしました。
生きるのに向いていないと感じるのは「自分自身の価値がないとの意識が強すぎるから」であるといえ、その根底にはある種の過敏性がある可能性が高いです。
そこで大事になってくるのが「嫌な感情を放っておくこと」です。嫌な感情を追い払うのではなくスルーできるようになると苦しまないようになりますね。
そして、生きる意味については自ら求めるか人生からの期待に応えるのかという2通りのアプローチで探してみましょう。きっと、何か見つかると思うので。
では!