「人間は醜いのか?」人間自体は醜くも美しくもない。ただ「そうあるだけ」

今回は以下の様な方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • ・人間って醜いよなと思う人
  • ・自分の中に醜い部分があってそれがもとで自己嫌悪になっている人
  • ・話しのネタが欲しい人等

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「人間は醜いのか?」人間自体は醜くも美しくもない。ただ「そうあるだけ」」という話題です。

あなたはどう思いますか?

人間って醜い?

それとも美しい?

、、、、、でもそもそも「醜いとか美しいって何?」て思いません。

それって単なる自分の評価ではないですかね?

こういったらなんですが、人の生も死もそれ自体は単なる現象です。

それに勝手に評価をしているのは我々自身なんですね。

「人にはそういう一面がある」というだけに過ぎず、それをことさらに取り上げて「醜い」なんていうのはどうなんでしょう?

ま、そんなの個人の勝手ではありますが。

ただ、個人的にそんな風に人間の悪い側面ばかりにフォーカスしても生きにくくなるだけだと思うんですね。

結局、人はいい面も悪い面も持っているもんですから。

「人間は~」なんて決めつけなくてもいいかなって思います。

では、ゆるりとおおくりします。

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美しいとか醜いとか結局好き嫌いじゃね?

人が「人は醜い」というときは一体何を考えているのでしょうか?

「人はお互いに傷つけあう」

「人は嘘をついてだます」

などなど、、、、、

しかし、これら自体「たまたま出くわした相手がそうだっただけ」だったり、それ自体は「単なる現象にすぎない」んですよね。

ええ、、醜いかどうかなんて「あなた自身の評価でしかない」ということです。

ただ、その「醜い」という言葉が文字通りに「美醜における醜」を意味しているかと言ったらまた違うと思われます。

本当はもっと別の感情が背景になるのではないでしょうか?

実は、わたし自身もたまに「戦争ばっかしてきたよねえ、人類。ほんま、醜いよねえ」みたいに友達と話ス中でいうことはありますが、その時わたしが「醜い」に乗せている感情は「無駄」とか「大して生産性がないくだらないことしててばかばかしい」みたいな感じです。

なので「醜い」といいつつ、その実感じている感情は文字通りではないということ。

あなたはどうでしょう?

あなたが発する「人は醜い」という言葉の背後にあるのは「どんな感情」でしょうか?

まずは、それを見つめてみることから始めてみたらいい気がします。

そして、人は美しいとか醜いとか頻繁に口にしますが、これは結局は「単なる好き嫌いのようなもの」ではないでしょうか?

もっとも、あくまで「ようなもの」であって厳密には違うことが予想されますがね。

事実、「脳は美をどう感じるのか」を研究する学術分野である「神経美学」が2002年に始まったそうですが、この分野の専門家たちによると、脳には「感覚運動回路」「感情と報酬の回路」「意味と概念の回路」があって、この3つにより美的経験を作られているとのこと

※美的経験とは美や美に類する価値を経験すること

参考

https://gigazine.net/news/20150715-what-beauty-is/

まあ、「美とは何か?」なんてことを突き詰めると難しいのです!

これは確かですね(笑)。

善悪併せ持つ存在が人間

何をもって善となし何をもって悪となすかについて、個人的にはこれは人間を生物として考えた場合、人間は基本的に「快」を善とし「不快」を悪としていると考えたほうが理にかなっていると思っています。

なので、善とか悪とかは実に相対的なものなんです。

普通の人にとって「誰かを苦しめてしまうこと」は「不快」ですが、サディストであるサイコパスからしたら「快」です。

両者にとっての善は全く違いますね。

はい、結局善悪ですら好き嫌いの延長にすぎないとすらいえそうな感があります(もっとも、サイコパスを考慮に入れると自体はややこしくなる)。

なので、よく「自分は醜い人間である」なんて言って自己否定している人は「自分の中に自分の嫌いな要素を見出してしまっている」んですね。

でも、そんなものは誰でも持っています。

例えば、どんなに有能な人であっても何らかの面では無能な一面を持っていたりするし、どんなに慈愛にあふれた人でも利己的な考えが頭に浮かぶことはあるんです。

人間には「好ましい面と好ましくない面」の両方うがあるんですね。

そう、だからある人のある特定の状況における特定の行動や言動をもって「あの人はこういうやつだ」とかいうのは早とちりだってこと。

それをやたら主語を壮大にして「人間は、、、」なんていっちゃあねえ、、、せわないってことです。

みんないろんな面を持っているんだから、決めつけるのは無理があるヨってことですねえ。

あんまりそんな感じの思考にとらわれているなら、あなたもしかして寝不足気味だったりしませんか?

寝不足だと周囲が敵だらけに見えてくるって研究がありますから。

まあ、決めつけはよくないけど(笑)。

とりあえず、よく睡眠はとりましょうね。

参考記事等

自分に思い遣りをもって受け入れる以外にない

上述したように、人間にはいろんな側面があるものです。

思いやりがある側面、ずる賢い側面、残虐な側面、慈悲深い側面、、、そう、実に様々ですねえ。

ですから、相手の中に「自分が嫌いな側面」を見つけたとしてもそれは仕方ないのです。

あって当然なんです。

だって、人間だもの。

人間は誰も完全ではないですね。

むしろ、人間の普通の状態とは「何かが欠けていて足りない状態」だといえるでしょう。

それはあなた自身についても言えること。

「人は醜い」なんて言ってしまう人は往々にして、傷つきやすかったりすると思われます。

そんな人は「自分の中にもその醜い部分を見つけて自己否定をする」ことが多いと思うんです。

でも、そんな必要は全くないのですよ!

だって、不完全な人間だもの。

自分に対して思いやりをもっと持てるようになれば、もしかしたら人に対する考え方も変わるかもしれません。

そして、最も大事なのは「他人がどうであるか」ではなく、「自分がどうありたいか」ということです。

自分は自分自身の人生で一体何を大事にしていきたいのかをはっきりさせてそれに従って生きていく事で人生の満足度は上がるはず。

人は変えられなくても自分は変われますからね。

自分の人生で大切にしたいものを見つける方法は以下からどうぞ。

おわりに

この記事は「「人間は醜いのか?」人間自体は醜くも美しくもない。ただ「そうあるだけ」」と題しておおくりしました。

はい、正直醜いか美しいかなんてその人それぞれの主観に過ぎません。

なので、そんな評価はさして重要ではないです。

問題は「醜いとか美しいと評価すること」ではなく「そのような事実をただあるがままに受け止めること」ですしょう。

自分がどうありたいか、自分が何を大事にしたいかさえはっきりしていればそれ以外のことに拘る必要はないのです。

あなた自身が変わるのが一番効率的であって他人を変えることなんて基本的にはできません。

他人が醜いと思う行動をするとしても、それはあなた自身の大事にしたい価値は原則無関係。

あなたは自分の価値に沿って生きることに集中したらいいんです。

気に留めなくていいんですよね。

「そういう事実がたんに存在するだけ」です。

周囲に流されず自分の人生をいきましょう。

では!

参考記事等

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