正義マンなんて相手にしてはいけないしする価値もない。
スポンサーリンク

「本当、最近自分の正義を押し付けてくるヤカラが多いよなあ。何でも最近のコロナ感染拡大のせいで、自粛警察なんて奴らがいるらしい。店舗の営業の自粛不協力に対する制裁は国に任せておけよ、マジで。私刑とか歴史的に見て問題ばっか引き起こしてるだろが。マジ頭悪いよな。マジで感情に流されやすいヤツって害悪だわ。」

まあね、何か言いたい気持ちもわかるっちゃ分かるが、程度ってものがあるわな。

私刑は度が過ぎて往々にして悲劇を作り出すね。

だから、私刑が原則禁止されて国家に刑罰権があるんや。

これは歴史的教訓。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「正義マンなんて相手にしてはいけないしする価値もない」という話です。

いささか攻撃的なタイトルすまそ。

しかし、やはり言いたいよね、うん。

「お前は正義の執行者ではないぞ」と。

そうやって、お節介に正義を振りかざすヤカラが正義マン、、、。

感情的になって他人を糾弾したところで何も解決しませんし、最悪乱闘にすらなりかねません。

難しいとは思うものの相手の事情も考慮して何か言うべきでしょうし、そもそもいい方ってものがあります。

そして、人格攻撃なんてもってのほかです。

批判にもマナーがある気がしてならない最近です。

もうね、感情論と不当な人格攻撃を含む正義の押し付けはスルーしましょう。

そして、そんな風に感情的になりやすく下品な批判をする人は多分感情制御が効かないメンタルの不安定な人間なのかもしれません。

キレやすい人なんて誰も付き合いたくないですから、そこはお節介ながら改善したほうがいいと思われます。

では、ゆるりとおおくりします。

スポンサーリンク

正義マンとはどういう意味?

最近、正義マンという言葉を聞きますね。

この「正義マン」という言葉はもともとは5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)でインターネットスラングとして利用されてきたものです。

しかし、この言葉は「イートイン脱税を取り締まる正義マン」というタイトルにてネットニュースで取り沙汰されたことにより有名になり、一般の人も利用するようになってきたといいます。

また、この言葉は「正義感のある人」のような意味ではなく、「迷惑な暇人」とか「自分が正しいと信じてやまない人」を指して使われているそうです。

「正義マン」と聞くと「正義」なんて言葉がついているから、「ポジティブな意味合いの単語では?」と思いがちですが、実際は違うんですねえ。

正義マンの信奉する正義は「一般に想定される正義」ではなく「本人が正しいと信じる正義」にほかなりません。

しかもその正義は実に融通が利かないもの。

相手の事情を「まったく顧みず」少しでも反する部分があるなら糾弾し始めます。

しかも、糾弾だけならまだしも正義の名のもとに暴力すら振るってきたりするのですから、もう論外も論外です。

ここまで来ると「正義をかさに着た悪党」とすらいっていいかもしれません。

正義マンは「自分の正義の絶対性を疑わず」、「その正義を実現するためなら手段を選ばない」ような「正義の皮をかぶった社会悪に限りなく近い存在」とすらいえるかもしれません。

んー、どこかアンチサイコパスっぽい感じもしてきますね。

アンチサイコパスについては以下からどうぞ。

正義マンは存在自体がうっとうしい?

正義マンってうっとうしく害悪です。

というか、相手の気持ちに配慮せず一方的に考えを押し付けてくるという存在自体害悪に他なりませんがね。

正義マンは思考が硬直化しすぎです。

いわゆる「白か黒か」、「0か100か」といった思考といえます。

少しでもその「正義からはみ出したら許さない」のですから。

法律ですらもちろんものによるものの、その運用に関しては寛容な部分がありますから、明らかに正義マンの正義はやりすぎです。

「白か黒か」の融通の利かない「独りよがりな正義」ほど有害なものはありません。

心理的に柔軟性のない人間とは仲良くしたいとは思えないことが多いでしょう。

個人的な感想ですが、「正義マン」は長期的視点で見たら孤立必至な存在な気がします。

特に年を取ると個人差はあれど前頭葉の働きが鈍ってくる人が多いとも言いますからね。

やっかいな老害に成り果て、はては孤独死かもしれません。

ま、いちいち自分の正義を振りかざす奴なんて関わりたくないよね。

実際のところ、一般の方々には正義マンなんかは無視して相手にしないのをおすすめします。

参考記事等

自分の不安が攻撃性に変わる?

正義マンは害悪ですが、実は誰でもなる可能性があります。

正義マン化する原因には以下の様なものがあると思われます。

  • 加齢による前頭葉の機能低下
  • ストレスによる認知能力等の低下

以下順次簡単に解説してみます。

・加齢による前頭葉の機能低下

人は誰でも加齢により個人差はあるものの、脳の機能は低下する傾向にあります。

脳の中で前頭葉は自制心や理性等をつかさどっているため、この部分が機能低下すると感情的、衝動的になりますね。

なので、マナー等にやたらうるさかったり、道徳や倫理を無用に振りかざしてくる高齢の正義マンの前頭葉は機能低下しているかもしれません。

まあ、正直このような高齢の正義マンにならないよう自制心は常日頃から鍛えておきたいところです。

・ストレスによる認知能力等の低下

上述したように前頭葉の機能が低下することで、人は衝動的になります。

このような機能低下は何も加齢のみによっておこるものではありません。

実は、ストレスを感じすぎてもなることがあるんですね。

細かいマナー違反や道徳に反することにもやたら目くじらを立て怒りをあらわにする人というのはどの世代にも一定数いるものですが、そんな人たちはひょっとしたらストレスのせいで狂暴化しているのかもしれません。

怒りという感情は心理学的な言い方をすると二次感情というものにあたります。

これは不安や恐怖といった一次感情が根底にあって生じるとされているんです。

つまり、自身の不安や恐怖といった感情のせいで、「怒っている」といえるのですね。

こういった人たちは往々にして「~すべき」、「~しなければ」のような硬直した思考を取りがちでしょう。

ストレスで視野が狭くなっている状態です。

不安を感じやすい人は日頃からストレスをためないようにしないと正義マン化してしまうことがあるかもしれません。

本当の敵は自分の外ではなく内側にいるってことです。

参考記事等

自分が正義マンだと思ったらどうするか

自信が正義マンではないか?と思ったら、スルーする力を鍛えたほうがいいでしょう。

人生は生きているとモヤモヤする多くのことに遭遇します。

しかしその都度、腹を立てていたら心身ともに持ちません。

確かに、ここぞというところで何かを言うことは必要でしょうが、その頻度は限りなく少ないはず。

頻繁に腹を立てて何かを糾弾しているとしたら、人生を無駄にしていることになりはしないでしょうか?

そんなことに感情的になっている暇があるなら、もっと自分の人生を充実させるための行動をしたほうがいいといえます。

なので、日々瞑想を行ったりメンタルの強化に励むことでセルフコントロール能力を鍛えて不快なものをスルーできるようにしたほうがいいです。

でないと、ただただ疎まれる存在で一生を終わるかもしれませんな。

ま、しらんけど。

参考記事等

5、批判することはいいけどやり方は考えよう

よくちまたで、「批判は非生産的だからするな」とか「批判をするなら代案を示せ」なんて話を聞きます。

また、「批判するぐらいなら実際に行動しろ」ということも聞きます。

しかし、個人的に批判は全然あっていいと思っていますね。

確かに、言われたほうが気分わるいのはわかるんですけど、批判がないと物事は間違った方向に行くものです。

批判されるからこそ、気が付ける問題点というものがありますからね。

なので、「代案がなくても批判はしていい」んです。

例えば、ありえない話でしょうが社長が「仕事で一定以上の成果が半年以上でないやつは無給にする」なんて暴論を言ったら、そもそも代案以前に「それはダメだろ」て話になります。

しかし、批判も相手への敬意をもってそれなりに正当と思われる方法でなされなくては単なる人格攻撃でしかないのです。

そのような人格攻撃を受け取る必要は誰にもありません。

最近、ちまたをにぎわせている自粛警察なるある種の無法者たちも手段を選んでいない点で完全にアウトではないかと思います。

批判すること自体はよくても「やり方や節度はある」って思うわけです。

そして、個人的に「道徳や倫理なんてものはいらない」と思うのも、このような無法者に「大義名分を与えてしまうから」なんですね。

要は、自分の正義を執行するために「道徳や倫理を笠に着る外道」が出てくるってことです。

道徳や倫理も普遍的とはいいがたいです。

その都度状況によってとるべき最善って違うはず。

「道徳に反するから」ではなくて「相手の事情を鑑みてこの対応が適切か、過度に感情的になっていないか」という視点で物事を考えないとダメな気がするんですね。

ま、もちろん道徳がその指針として作用している点も一考に値するとは思いますが。

ただ、個人的にはもっと「人間の心理作用」とか科学的な見地から分析した人間像を示して、人に親切にすることが結果として有益であると説いた方が道徳よりいい気がするんですよね。

そして、そもそも私刑は許されません。

私刑は混乱のもとです。

だから、今の文明諸国は刑罰権を国家に委任して私刑を禁じているってことは、改めて意識したいところ。

相手と自分の両方が生かしあえるように行動できたらいいんですがねえ、、、。

まあ、むつかしいもんです。

参考記事等

おわりに

この記事は「正義マンなんて相手にしてはいけないしする価値もない」と題しておおくりしました。

はい、正義マンは相手にしても疲弊するので無視するに限ります。

まともに相手をしてやる必要はないです。

やり方がえげつないなら警察へ通報しましょう。

もし、自分が正義マンになりそうだと感じるならすぐにでもメンタルのケアや強化等に乗り出した方がいいと思います。

思考が硬直化した人間といて楽しい人って基本的にいませんから、正義マンなんて疎ましいだけです。

正義マンなんて時期に孤立して孤独死が関の山でしょう。

まあ、そんなの自己責任だっていうのは少し暴論かなって気はするものの、やはり「しょうがないよな」て気がします。

嫌な思いしてまでそんな人とかかわりたい人なんていませんって。

ま、正義マンにならないよう気を付けてまいりましょう。

では!

このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
おすすめの記事