「生きててごめんなさい」という気分の人に、伝えたいことがあるんよ

「生きるのってつらいもんだなあ。ふとした瞬間に自分のふがいなさを思って『生きててごめん』って気分になるよ」

、、、、ふぬ、そうねえ、そんな時もあるかもしれんねえ。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「生きててごめんなさい」という気分の人に、伝えたいことがあるんよ」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

「生きててごめん」という気分になったことがある、もしくはなっている人等

今日のタイトルは、、うーん、めっちゃ重いっすね。

「生きててごめん」という言葉、とてもずしんときますねえ。

ええ、人の悩みを聞くのが常態化しているわたしでもこんなことを真剣に言われると、「んー、そうねえ、大変なんやろなあ」と思わずにはいられんものです。

正直、付け焼刃で「あれしたほうがいいよ」とか「これすると気分を持ち直すかもねえー」とかとてもじゃないけど、言えないような雰囲気ですよ、ええ。

一言いいっすかね?

「まあ、今は何もしなくていいからゆっくり元気になるまで待とう」

あと、何も動く気力がわかないってくらいなら重症だから、心療内科いこうね

なお、不屈の精神を身に着けたい人はリンクからどうぞ。

一応、参考までに置いときますね。

では、ゆるりとおおくりします。

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「生きててごめん」っていうのは謝罪じゃあないんだよな

「生きててごめんなさい」という言葉は一見、謝罪のようです。

まあ、「ごめんなさい」ってありますからね。

じゃあ、一体誰に向けての謝罪なのでしょうか?

自分の両親や親族?

知人?

それとも友人?

恋人?

仕事関係の人達?

それとも、社会?

、、、、、多分ですけども、本質的には誰に対しても謝罪していないんだと思います。

おそらく自分自身の表面的な意識としては、仕事関係の人や知人、家族、果ては社会に対して「自分はみんなに迷惑しかかけないお荷物な存在だから存在していて申しわけない」みたいな感じかもしれません。

結局そこには、「自分は誰の役にも立たない存在しているだけで悪い物」という強い自己否定の気持ちがあるといえましょう。

ただ、同時にこういった気持も持っていませんかね?

「自分が死ぬことで少しでも自分をバカにした連中に対して後悔させたい、罪の意識を植え付けたい、社会的に非難を浴びさせたい」等と。

「生きててごめん」という言葉の裏には、意識しているとしないとにかかわらずこのような、「強い憎悪や復讐心」といったものがあるのではないかって思うんですね。

これを一言で簡潔にまとめるなら、「わたしを認めてくれないのなら、受け入れてくれないのなら、お前たちにそれ相応の復讐をしてやるぞ」といった感じでしょうかね。

少し自爆テロっぽいですな。

まあ、はやい話が、謝罪の形をとってはいるものの「生きててごめん」という言葉の根源は、「承認されないことによる哀しみ怒り、憎悪、復讐心」といったものだって思います。

もう少し推測を交えていうと、「承認されない自分」や「誰にも虫けらのように扱われてまともに認知されなかった自分の存在」を「相手の心に鮮烈に何がしかの手段によって焼き付けてやりたい」といった願望の表れともいえるかもしれません。

いずれにしても、「生きててごめん」は謝罪じゃあありませんよ。

あなたの「なんで、わたしを理解しようとしてくれないんだ!このわからずやどもめ!!分からないなら復讐してやるぞ!」という悲痛な怨念の叫びってとこでしょう。

まあ、理由はいろいろでしょうし、こんな荒廃した精神状態であれこれ理屈を聞いてもうっとおしいというもの。

何も言いません。

生きたくなくなる日もあるだろさ

「明けない夜はない」

なんてことない、ありふれた手あかのついた言葉です。

実にシンプルで何のひねりもない言葉。

でも、この言葉のいう事は本当だと思います。

少なくとも、人の心にも病原体から体を守ろうとする免疫機能のように健康を維持しようとする機能が、備わっているのは確かなことです。

悲嘆にくれるときは自暴自棄になり、「こんなどうしようもない自分なんて存在を破壊してやりたい」のような衝動に駆られもするでしょう。

自分の無力さや無価値さに嫌気がさすこともあるはずです。

「なぜ、自分の様な何の価値もない虫けらがこのように世界に産み落とされねばならなかったのか!」なんて空に向かって吠えたくもなるかもしれません。

人にもよるでしょうが、そんな感じの心境になることは人生を生きていればままあります。

別に、「よくあることだから気にするな」等というつもりはないんです。

ただ、「そんな時期をなんだかんだ経験しても生きている人は実際にいるよね」という事実に目を向けてほしいってことなんですね。

やはり、この事実が、人には生きようとする本能というか「生命力」というものが備わっているのだという何よりの証ではないかと思うのです

自分のうちに宿る生命力を信じてあげてほしいってことですよ。

言いたいのはそれだけです。

元気になるまで待ってから動き出そう

「生きててごめん」なんていうくらい心が疲弊しているとなると、おそらく「心を健康にするために何かを具体的にする」なんてことはできないかもしれません。

冗談ではなく、本当に元気がないと「どうにも動く気がしない」なんて事態は十分あり得ます。

そんな時は「ある程度元気になるのを待ってウォーキング等の運動を行う」といいかもしれません。

まあ、本当に動くのもつらいほど疲弊しているなら、私としては「まず心療内科に行きましょう」といいたいですけども。

「あまり積極的に動く気力がない」という時はあまり無理をしない方がいいのは間違いないでしょう。

研究の中には心の免疫機能だけに頼るのは問題だという主張をするものもあるので、本当はちゃんと規則正しい生活を送って朝日をしっかり浴びて運動して、、、なんて事が必要にはなってくると思われます。

ただ、ある程度気力が回復してこないと「運動をする」と言う行動の初動すら困難なんですよねえ。

わたしとしては、動く気力すらわかないというのなら、まず心療内科に一回いってみるのが大事だと思います。

そして、無理をせず自分の調子を見ながら具体的な対策をとっていくのがいいと思いますね。

無理はよくないよねなんてて月並みな意見ですけど、わたしはそう思います。

おわりに

この記事は「「生きててごめんなさい」という気分の人に、伝えたいことがあるんよ」と題しておおくりしました。

「生きててごめんなさい」という言葉は、謝罪の形をとってはいるもののその根源的な感情は「怒りや憎悪」といったものであろうと思います。

人生生きていれば、まあ自分自身の価値に疑問を感じてしまう時期というのもままあるものです。

そんなことがあってもなんだかんだ生きている人は現実にいるわけですし、人の心には立ち直って前を向いていく生命力のようなものがあるんだと考えられます。

そして、生命力を後押しするためには運動したり生活習慣を改めたりといった努力が大事なのは言うまでもないでしょう。

ただ、動く気力もわかない程疲弊しているなら、まずは心療内科にいってみるのがいいでしょう。

まあ、一言余計なこと言うとすれば、「皆迷惑かけあって生きてるから、迷惑なんてかけたっていいんだぜ!」と言う感じです。

では!

参考記事等

生きるのに向いていないと感じる人は感情に振り回されすぎている。

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