今回は以下のような方に向けておおくりします。
・HSPの人
・優しいって何か?と思う人
・HSPの人にも攻撃的な人がいると思っている人
「最近になってHSPて言葉をよく聞くようになってきたなあ。どうやら、人一倍繊細な人のことらしい。繊細な人って優しいみたいに言われることが多いけども、実際のところはどうなんだろう?世の中の風潮的には『HSPの人は優しい』なんていうけどさ、正直言って主語が大きすぎるよね。確かに人の痛みに敏感なら優しくもなりそうだけど、何事にも例外はある。」
うん、そりゃあそうだ。
何にだって例外はある。
というか、優しいっている言葉が独り歩きしている感はあるのよね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「HSPは「本当に優しい」のか?攻撃的な人はいないのか?考えてみた。」という話です。
HSPとは簡単に言うと「繊細な人」であります。
最近、少し注目を浴びつつある概念でもありますから、聞いたことある人もいるかと思う次第。
で、HSPの人は「優しすぎる」なんて語られることが多いです。
ある意味わたしはこの解釈でいい(『正しい』ではなくて『いい』)と思っていますが、やはり
「いやいやHSPだからといって優しくないやつもいるぞ!」
てな声も上がるともいます。
それは個人的には結局のところ「優しいって何か?」という問題に帰結するんじゃないかと思うんですね。
優しさや思いやりというものを分析的に考えてみたい方は以下の記事をご覧くだされ。
ちょっと、今回はHSPの人が本当に優しいのかについて考えてみたいと思います。
HSPってなあに?て人はまずはこちらの記事に目を通してもらえるといいかと思う次第。
そして、自分に優しくする方法についてはこちら。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
HSPだから優しいという暴論
いつもわたしはHSP関連の記事をかいたり、またHSPの人を相手にするときは決まって「感性に訴えかけるように話したり接する」のが信条ですが、今回は理屈主体でいきます。
早速ですが、「HSPは優しい」というフレーズについてです。
これは一般にかなり「耳障りがいいフレーズ」でしょう。
でも、理屈っぽい人なら思うはずです。
「HSPは優しいっていうけど、HSPとされる全ての人を調べたことあるのか?」
「そもそも「優しい」っていうのは主観的な要素だろ、どうやって測定したんだよ?」
等とね。
まあ、そうなんですよね。
「何をもって優しいとするのか」も「主語が大きすぎて例外の存在を無視している」というも指摘はもっともすぎるほどだと思います。
なので、「HSPは優しい」という表現は「主語が大きすぎるㇲそもそも曖昧過ぎる」と言えるでしょう。
また理詰めで考えるなら、優しいとは結局「他者の評価に依存したものでしかない」と言えます。
優しさについてもっと踏み込んだ話はこちらを参照。
HSPにだって攻撃的な人はいる
理詰めで考えていった場合、おそらく「HSPの人の中にも攻撃的な人はいる」であろうと考えられます。
より正確には「攻撃的と評価されてしまう人」ですが。
例えば、HSPの人というのは基本的にメンタルが不安定になりやすいですし、非HSPの人に比べて外界からストレスを受けやすいです。
自分と他人の境界があいまいなんて言い方をされることもあります。
ストレスを受けすぎると人間は認知能力が低下する傾向はあるので、HSPの人の中にはストレスの許容量をこえて「ストレスで八つ当たりをすることが常態化している人」がいてもおかしくないかもしれません。
とはいえ、HSPではあるので八つ当たりをしてしまった後は、「ああ、、またやってしまった、、、」等と強い罪悪感と自己嫌悪にさいなまれつつも「どうしようもない」という気持ちで負のループに陥っている可能性はあるでしょう。
HSPの人が「相手の痛みに敏感であり細かい感情の機微に気付く」気質をもっているため、他者への八つ当たりは「自爆攻撃」になるといえますね。
参考
https://note.com/toko_kikuchi/n/n476a6b5aabe8
これは何らおかしいことではありませんな。
さらにいえば、HSPにも刺激を求めるHSS型とそうではない非HSS型(多分こっちが一般のHSPに対する認識)があり、この両者でもストレスが行動にどのように反映されるかは違いが出てくるでしょう。
一言で「HSPは優しい」なんていうことがいかに暴論かってことです。
「優しさ」とは評価である
HSPだからといって優しいとは限らないし、またHSPであるから優しくなければいけない訳でもありません。
さて、「HSPは優しい」とはいいますが、そもそもその「優しい」の中身は一体なんでしょうか?
おそらく、その根拠として多くの人は「人の痛みに敏感である、相手の感情の機微に敏感である」という点を挙げるでしょう。
ただね、ここで注意したいことですが、このような敏感さは「優しさの源泉となることはあっても優しさそのものではない」のです。
そもそも、優しさを「絶対不変の明確な定義ある何か」だと思ったらそれは優しさを誤解してます。
優しさとは結局は「他人からの評価」です。
あなたは優しい人と聞いて誰を想像しますか?
おそらく多くの人が真っ先に想像するのは、自分に日ごろから親切にしてくれる人でしょう。
その想像はあなたが「相手の行動を親切だ」と評価し、その評価が想像上の相手がこれまで行ってきた行動と結びついているからこそ生ずるものです。
誰かが動機はともあれあなたに対して取った行動を「あなたが優しいと評価した」から、その人は「あなたにとって優しい人」というカテゴリーに入っただけなんですね。
人によって優しい人なんてそれぞれです。
極論ですが、はたから見て「あれは絶対DVだろ」という状態でも、それを受けている本人が本気で「これは愛されているが故だ」なんて思っていたらそれが優しさや愛だってこと。
なので、よく言われる「優しくなりたい」なんて願いは突き詰めれば「人から優しいと評価されたい」という気持ちです。
承認欲求の一種といってもいいかもしれません。
こんな風に「認めてほしい」という気持ちが強くなりすぎると、メンタル的にいいことなんてないですから、まあ難しいところです。
あと、「辛い思いをした分だけ優しくなれる」なんて言うのも、まあいっちゃあなんですが「しょうもない慰め」って感じがします。
つらい経験をしたことを何とか正当化しようと必死になっているだけという印象です。
「相手の痛みが想像できるようになる」だけでは「優しくなれません」。
大事なのは「相手の感情を含めたニーズを察知して的確なタイミングで適切なものを提供すること」に他なりませんから。
むしろ、相手の痛みが想像できてもその痛みを「自分のものと勘違いする」くらいに入れ込んだら、お節介になることの方が多いと思われます。
「常に『冷静に』相手の痛みの根源やそれを緩和する有効策を模索する姿勢とそれにも基づく実際の行動」の中から優しさは生まれるんだと思いますな。
まあ、それでも外すときは外しますけどね。
でも、明らかに感情で突っ走るより精度は上がるでしょう。
もしも自分なりに考えて相手に優しくして相手のニーズを外してしまったら、「ああ、まあこんな日もあるよねえ。人間だもんねえ~」くらいで考えておくのがいいです。
外したことを一々悩んだところで何も生まれませんので。
そんなことを考えると、「別に優しくなろうと躍起になるほどのこともない」て気がします。
ある程度は「外すこともある」と思ったうえで、その都度冷静さを保って自分の心と相手の心をちゃんと分けて考える癖をつけたいものです。
、、、まあ、HSPの人にそれをやろうっていってもむつかしいことはわかってますが、、、。
ここでいいたいのは「HSPは優しい」なんて言われるからといって、「優しくいなきゃいけない」なんて思う必要は全然ないよってことです。
優しくなろうとしなくていいですよ。
そんなもん周りの評価ですから。
それに過度に「わたしは人に対して優しくあらねばならない!」なんて呪いをかけますと、精神的に病んでいって「優しくする自分に価値があるのだ」等というおかしな思考をするようになります。
いわゆるメサイアコンプレックスというものです。
メサイアコンプレックスに陥ると、「優しい人になりたいから人にやさしくする」といった思考をしがちですがこれは本末転倒なのです。
先ほども言ったように、「優しいかどうかは相手が判断するもの」なので、「あなたがいくら自分なりの優しさを発揮しても相手がどうとらえるかはわからない」んですね。
メサイアコンプレックスの人達は、「自分なりの優しさを一方的に相手に押し付ける迷惑な人たち」なんです。
メサイアコンプレックスの人達はおよそ自尊心の低さ等から、「相手に自分なりの優しさを認めてほしい」という動機で行動します。
これはいわば「優しいと評価される事や優しいと評価してくれる人に過度に依存している」という事。
彼ら彼女らはもはや「誰かのために」ではなく「自分の存在意義のため、存在の確認のため」に行動しているに過ぎないといえます。
歪んだ感じがしますよね。
メサイアコンプレックスについてはリンクからどうぞ。
HSPの人達もうっかりすると、メサイアコンプレックス的な心理に陥ったりするでしょうから気をつけてほしいところであります。
日頃からメンタルを整えたり、過度に自分をイジメずにもっと自分に思いやりを持つようにしてほしいです。
自分へ思いやりを持つ方法を以下に置いておきますんで、HSPの人は参考にしてみて下さいませませ。
HSPの人は怒らせると怖い?
HSPの人が相手を攻撃する場合、自身のもつ「他者の感情の機微を細やかに感じ取る気質」が強力な武器として機能することがあります。
あまり事例としては多くないと思いますが、上述のような「自爆覚悟の攻撃」をHSPの人が仕掛けようとした場合、HSPの人の繊細さが強力な武器として作用したりしますね。
もっとも、相手がサイコパスとかではない場合に限られる気はしますけど。
HSPの人は、人の感情の機微に敏感であるからこそ「相手の心のもろい部分」を察知するのが得意だといえます。
だから、もしHSPの人が「もう、死なばもろともだ!」なんて身を捨てて攻撃する気満々になれば、「相手の一番つかれたくないところを徹底的に攻める」ことだってありえるでしょう。
そう、、、つまりね、非HSPの人達は「HSPの人達がただのお人好しだと思って舐めてると痛い目にあうぞ」ということを強く認識しておく必要があるってことです。
「あんたの精神的弱点は筒抜けになっているかもしれんぞ」ということも言えるでしょうか。
まあ、いずれにせよ「お人好しだからいいように扱える」みたいに考えていたら痛い目に会うのは間違いないでしょう。
HSPの人を本気で怒らせたら怖いです。
おわりに
この記事は「HSPは「本当に優しい」のか?攻撃的な人はいないのか?考えてみた。」と題しておおくりしました。
「HSPの人は優しい」のではなく、より正しくは
「HSPの人の中には優しいと評価されるであろう人がいる傾向が高いと思われる(主観)」
という感じだと思います。
とはいえ、HSPの人がそうでない人より他者に配慮する傾向が高いのはまず間違いないと思っている次第。
優しさとは他人からの評価。
HSPの人は世間が「HSPは優しいものだ」なんて言っていても、「自分は優しくなければいけない」等といった強迫観念にとりつかれることはないです。
あと、「相手の痛みを想像できる」のは「優しさそのもの」ではなくとも、「重要な優しさの種」ではあります。
その気質自体は個人的にいいものだと思うんですよねえ。
ただ、問題はその気質との付き合い方です。
HSPの人は以下の記事にも目を通しておくと、何か発見があるかもしれません。
では!
参考記事等
hspの人はわがまま?いいえ、もっとわがままに生きましょう。無理しない。
性格にいいとか悪いとかない。性格の良しあしは都合で決まるんじゃね?