「心理カウンセラーとかちまたにわんさかいるけどよ、実際問題うさん臭いヤツ多すぎだろ。少なくとも臨床心理師とか公認心理師とかの大型資格持っている奴以外信用ならんわ。どいつもこいつもどうせ聞きかじりの心理学とかで適当なこと言っているだけだろ?エビデンスとかもどうせないんだろ?クソが。」
まあ、そうよなあ、その意見はむっちゃ分かるんよなあ。
てか、わたしがカウンセラー始める前もそれ思っていたわ。
今?
今はね、そんなクソばっかじゃないとマジで思うよ。
ま、ポジショントークだろって言われたらそれまでだけどね。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「正直うつになるわ」心理カウンセラーって基本うさんくさそうだよな「臨床心理師や公認心理師とかはとりま別」」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- これからカウンセラーになりたい人
- カウンセラーって何だよって人
はいはいはい、今回は個人的にカウンセラー業を始めてみてむっちゃ感じる心の葛藤?を吐き出してみたいって気がします。
なんか、最近これをぶちまけたくて仕方がない(笑)。
あなたは心理カウンセラーについてどんな印象持っていますかね?
無?
心の専門家?
それとも詐欺師?
、、、、さてなんでしょう?
正直ねえ、心理カウンセラーってね、「誰でもなれんのよ」。
大事なことだからもう一回言いますね。
「誰でもなれんのよ」。
正直な話ね、無資格でもカウンセラーを名乗れるんです。
名乗ったら今日からカウンセラーなんですわ。
だから、臨床心理師や公認心理師以外は自称とかって言われるんだわな。
しゃーない。
わたしは一応資格として民間のものをもってはいますが、それもそんな取得が大変なもんじゃないっす。
で、わたしの場合カウンセラーになるのには、資格を取得してからがスタートでした。
心理療法の専門書(特にACTやセルフコンパッション等)等々を読み漁って得た知識を日常生活で意識して活用したり、実際に無料で募ったモニターさんのカウンセリングに活用したりそれ以外にも結構自分なりに試行錯誤してました。
その甲斐あってか(てかあってほしい)、無料モニターになっていただいた方々には、それなりに元気になっていただけましたね。
また、瞑想やマインドフルネスに関しては日々実践するようにして、なんとかカウンセラーってことで活動を始めました(こういうのは知識より体感していることが大事)。
でも、正直自分でいうのもなんですが、やっぱり心理学の知識量では「臨床心理師や公認心理師の方々に比べたら少ないやん」て自覚がありますね。
特に基礎心理学が弱い!(他もか?)
ま、劣等感とかはないですが、正直な話をすると「臨床心理師とかからしたら、所詮わいなんて自称カウンセラーなんやろな」て感じがしてます。
あ、これはただの感想であって自己卑下とかではないっす。
まあ、そもそもわたし法学部卒やしあたりまえなんだわな。
ただまあ、心理系の大型資格がないのに心理カウンセラーっていうのは正直、「コイツ大丈夫かよ」て思われても仕方ないと思うのです。
なので、それこそちゃんと実績で示すしかないのかなって気がしている最近であります(そもそも何をもって実績とするかも問題だが。また倫理も大事。)。
あとは、個人的に思うのは棲み分けも大事ではないかって話ですね。
わたしの個人的なスタンスに「医師からうつ等の疾患名を受けているような重症度の高い人ではなく、診断名がくだらない比較的軽症の人に予防的なカウンセリングをするのが主(てかほとんど)」というのがあります。
そう、わたしはあくまで「重症化していない人の予防を頑張る!」というスタンスです。
もし、重症度がそれなりに高い人をカウンセリングするとしても事前にかかりつけの医師からの許可をもらってからって話にしてます(ま、正直、許可されることはほぼないだろって思っていたりもする)。
これは棲み分けです。
今回はそんなわたしが最近感じる葛藤?等について述べてみたいと思う次第。
これからカウンセラーになってみたいって人は少し参考になるかもしれやせん。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
そもそもカウンセラーってうさん臭くね?
あくまで主観ではありますが、わたしは「心理カウンセラーって基本的にうさんくさいよな」て思っていましたし今でも基本はそうです。
だって、名乗るのに資格なんていらないんですもん。
ずぶの素人だって「わたしはカウンセラー」とか言い出したらカウンセラーになるわけです。
、、、なんて、危ない業界だよって思われるのが普通かと思います。
例えるなら、無免許医が手術したり弁護士資格のない人が重要な法律上のアドバイスしたり宅建持ってない人が重説するようなもんです。
そりゃあ危険ですよ。
おまけに、心理系の民間資格は沢山あるもののおそらくその資格のほとんどがとるだけで、「うん、十分な知識があるね!」というのはとうてい不可能な代物だと思いますね。
だから、「臨床心理士や公認心理士みたいな大型資格を持っている人以外は自称カウンセラーであり信用ならない」という意見ももっともなんです。
心の問題はややもすると大惨事になるため、ちゃんとした知識がない人が適当なこと言ってたら困るわけですな。
だから、まずは資格で知識量を担保する必要が出てくるってことですわ。
それに大型の資格を持っている人は資格をとるために多くの労力を投入してきたため、資格がはく奪されては困るのでかなりその振る舞いには慎重になるため無茶はしない傾向にあるといえるでしょう。
「優しい言葉をかけるのに資格はいらない」なんていうどこぞのカウンセラーさんもいますが、正直いって「言いたいことはわかるけど、それなりの知識がない人が自分の主観での優しさを発揮すると人によってはものすごい害だぞ」といいたいところ。
まあ、これはわたしについても常に自戒を繰り返さないといけないことではありますけども。
「自分にとっての優しさが他人にとっての優しさとイコールにはならない」って視点は常に堅持しないといけないですね。
2、どうしてカウンセラーなんて始めたん?
わたし自身は法学部卒で元々は法学系で学者になるか司法試験を受けるかで迷っていた人間です。
ただ、どうにも法律の世界にはそこまで興味がもてないってことで、気が付いたら英語を私塾で教えていました。
正直、流されてばかりのしょうもない人生って感じです。
で、そこからツイッターをはじめてあるカウンセラーの人に出会ってそこから自分もやってみたいと思って今に至るんですね。
その詳しい経緯は以下。
ただ、それ以前から人の心理にはかなり興味がありましたし、自分の妹がかなり感受性の強い性格(いわゆるHSPってやつ)であったせいか幼少期からずっと相談相手になってましたし、他にも友人たちの相談にかなり乗っていたりしたのでカウンセラーのような活動には結構興味がありました。
それと同時に「なんでこんなに病んでいる人、悩んでいる人が多いんだろ」との印象もありましたね。
なにせ、わたし自身は悩みを引きずらず少し経つと忘れてしまうような性格なので、いろいろ葛藤する人の気持ちは理解はできてもわからない傾向にありましたから。
「え?なんでそんなどうしようもないことで悩むの?」、「ん?そんなことに罪悪感もつの??」と内心ツッコミを入れることもしばしばでした。
そんなわたしでも「悩んでいる人がいれば元気になってほしい」くらいは思うもので、「なんとかして元気になってもらえないだろうか?笑顔になってくれんだろうか?」なんて考えるようになっていったんですな。
それもあって今こんなところにいるんだろうと思う次第。
ただ、後悔があるとすれば、その気持ちに気が付くのが少し遅かったという点です。
まあ、プロフィール読んでくれれば分かると思いますが、かなり昔はやさぐれた性格してましたからね(言っとくけど、いわゆる不良とかではない)。
大学受験も自分の野心のために医学部、それも東大の医学部にいこうって息巻いてましたから。
ま、早い話「日本一の学歴と医者」という肩書が欲しかっただけですな。
でも、内心どこかで必死になれなかった自分がいたのも確かで、その結果は惨敗。
文転を余儀なくされます。
その挫折に至って初めて自分と向き合う機会を得て、そこから数年後にようやく「自分が何を人生に求めているのか」がはっきりして、自分の素直な気持ちに気が付けるようになったんですね。
そして、趣味で心理学を独学でいろいろ勉強していくうちに日本人は遺伝子的に不安を感じやすいと言われているのをしり、「だったら、日本こそもっとメンタルケアを一般化させなあかんやろ」と思ったりもしてました。
そんな時にツイッターを通して、カウンセラーという存在を知り、「もっとこういう人の心理をケアする職業が一般化すればいいのにな」と思ったりもしたんですな。
そうしているうちに、上述のあるカウンセラーの人と出会って「よし、カウンセラーやろ!」と決意しました。
そして同時に、拙速ですがカウンセラーを始めるにあたって「待っていても仕方ないから自分がメンタルケアが一般化する流れを作ってやるわ」と思ったりもしました(本当、馬鹿よな)。
それで今に至っているってわけです。
ちなみに、いわゆるカウンセラーに似たものに「コーチ」なんてものもありますが、正直個人的には好きじゃないんですな。
「コーチ」というとまあ「指導する人」という意味合いですんで、どうしてもクライエントとの間に「指導するものとされる者という上下関係」が生まれます。
これが嫌なんです。
あくまで「一個人としての対等な関係」で向き合うのがポリシーなため、コーチは無理だなって思う次第。
あ、コーチはコーチで意味のある職種ですからね。
別にディスってません。
それに「コーチ」の中にはきっと私みたいなスタンスの人もいると思っています。
ま、知らんけど。
3、正直、とれるもんなら大型資格を取ったほうがいい
正直なはなし、心理カウンセラーをやろうとするんなら「大型資格を取ったほうがいい」です。
やはり、十分な知識量もえることもできますし信頼も増すので、「自称カウンセラー」とのそしりをうけることもなくなります。
人間は権威に弱い生き物ですので、大型資格を持っている人の発言は凄く訴求力がありますね。
あと心理カウンセラーの中には「わたしが独自に開発したメソッド」なんていううたい文句で集客している人もいますけど、正直「あやしい」としか言えないでしょう。
かの鉄血宰相ビスマルクが言った名言に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」なんていうのがありますな。
人の心理は非常に奥が深く簡単に「これがこの人の考えていることだ」なんて軽々に断言できるもんではないですし、「こうすればたちどころに悩みが消える」なんてことはありえません。
自分の経験で「これが真実だ」と感じたことが過去の偉人賢人の検証によって既に検証されていたとか、過去の検証により否定されていたから今は全く知られてないので目新しく感じていただけって話も往々にしてあります。
学問の体系をまず学び、その歴史的流れの中において自分の経験の位置づけを考えるのが必要だと思うんです。
そもそも学問的素養がないと「自分の経験がすべてだ」みたいな視野狭窄に陥ることもあると思います。
そうすると、自分の経験則だけから「独自のメソッド」とか言い出す人も出てくると思うのです。
そうすると、「独自のメソッドとかいうなら、ちゃんと科学的に仮説検証したよね?有意なのよね?じゃあ、どんな状態にどんな風に、、、」なんて言いたくなる人が出てくるのも当然の流れかと思います。
その点、大型資格を取得するために勉強しうかれば心理学についての体系的知識が身につくので、科学的に根拠ある知識が修得でき非常に心理カウンセラーをやるにあたって有効だろうと思ったんですな。
ですから、わたしも最初は大型資格をとる気満々でした。
取ったほうが自分の活動が非常に円滑になりますから。
そこで「カウンセラーするなら、いっそ公認心理師とるぞ!試験だったらなんか頑張れば通る気がする」なんて思っていたりしたものの、そもそも心理系の大学院にいっていないので受験資格がないことを知り愕然としました。
まして、公認心理師に至っては大学で心理学系の科目で単位を取得している必要まであります。
そう、公認心理師の過去問を解いて覚えていくくらいだったらそもそも楽しいしできる感がありましたが、自分にそもそも受験資格がないことに心底落胆しました。
「こんなことなら初めから早稲田の人間科学部にでもいってから、東大の院に行けばよかった、、、」なんて一瞬落ち込みもしました。
まあ、ただそんな落ち込んでも始まらないので、とりあえず民間の資格でもいいからとってそこから勉強を継続してゆくゆくは院にいき大型資格を取ることも考えようと切り替えたんです。
実際問題、今院に行くのは経済的・時間的にしんどいのもありますが、それ以上にわたし自身が目指す「メンタルケアの一般化」に関しては大型資格がなくてもできるので、「いちいち足踏みする時間が惜しい」との気持ちもあります。
それにわたし自身が資格がなくとも組織を作ってそこで大型資格を持つ人に協力してもらえばいいだけとの発想もあるんですね。
わたしが目指す目的はとうてい自分だけでできるほどの規模のものではないので、いずれ多くの同士の協力が必要になるのは必至です。
わたしの目指している目標はメンタルのケアが手軽にできる社会を作っていくこと。
それこそアマゾンでいつでも好きな物が買えるくらいに手軽にメンタルケアを受けられる環境を構築することなんですね。
だから、今はカウンセラーという立ち位置ですがゆくゆくは組織を作り、「メンタルのライフラインの構築を事業とする事業家」になろうって気でいます。
それを考えたら必ずしもわたしが大型資格を持つことは必須ではなく、協力してくれる同士に大型資格保持者がいればいいともいえそうです。
ま、それもあってとりあえず「走って考える」ことにしたわけですね。
でも、勉強は続けますけど。
学べば学ぶほど心理学は奥が深く、自分の足らなさしか痛感しません。
「こりゃあ、一生わたしは未熟者だな」と言う感じしかしませんねえ。
まあ、好奇心が刺激されて楽しいのは事実ですが、いささかやるせない気持ちでいます。
それと個人的に気になっているEMDRって大型資格保持者しか講座受けられんのよねえ、、。
かなりEMDRは気になるから学んでみたいんだけども、受講資格がないから無理なのよな。
それもあるからやっぱり資格ほしい。
4、倫理を守ってこそだわな
当たり前の話ですが、こういった人の悩みを扱う事業に関しては「倫理観がより一層大事」だといえます。
心理カウンセラー業は人の弱みに付け込むアコギな商売にも転化する危険性をはらんでいますから。
事実、ツイッターを見ていると誰にとは言わないけど結構被害に遭っている方に会うことがあります。
「なんで、この程度の内容の講座でうん十万もとるの??」とか、「さすがにこのセッション料金高すぎるだろう、、、足元見てるなあ、、、」みたいな感じの事例に結構遭遇しているんですな。
あと、絶対に気を付けないといけないのが「カウンセリングのクライエントと私的な関係になりすぎない」という点。
恋仲になったとか言い出したらもう論外です。
カウンセラーはあくまでその当人の精神的自立を手助けする立場であって、自分に過度に依存させるなんて論外ってことですな。
まあ、依存自体は程度の差こそあれ誰でもあるものですし悪いものではありませんが、そこにも程度というものがあります。
人に自分の悩みを共有してもらったりすると自然と深い仲になっていってしまうものですが、ある一線を越えたらダメって言うのは心しないといけません。
その一線をしっかりひかないとカウンセリングもろくなもんになりませんしね。
誰も幸せにならない気がします。
特に転移と逆転移についてはしっかりと理解しておかねばいけないでしょう。
転移と逆転移について詳しくは以下。
棲み分けしないと、みんな不幸になる
上述のようにわたし自身はカウンセラーをやるんなら大型資格を持っていたほうがいいって立場です。
しかし、結局とることは視野に入れつつもとりあえず走って考えると決断しました。
なので、凄く「自分ができる領域はどの範囲なのか、どのくらいなら自分の手に負えるのか」を強く意識しています。
その結果出した結論が、「心が一時的に落ち込んだりして元気がない」とか「ウツまでは全然いかないけどちょっと元気がない」みたいな重症ではないが、ほっとくとまずそうな人たちのメンタルケアでした。
そう、わたしは「予防に徹する」ことにしたんです。
重症化して投薬治療が必要な人や診断名が下されていないが明らかに重症度の高そうな人は、臨床心理士や公認心理士の諸先生方にお願いするとして、わたしは予防の方に徹するという「いわゆる棲み分け」をしようと思いました。
やはり、わたしは「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」が一番ですから。
自分のできる領分をしっかりと踏まえて、自分なりに全力を尽くしたいって思うわけです。
なので、手に負えないと思ったらカウンセリングはお引き受けしないことにしています。
へんな功名心や金銭欲を出してもろくなことにはなりません。
そんなものを出しては誰も本当の意味で幸せになんてなれないと思います。
クライエントに資することのないカウンセリングは害以外の何物でもないです。
そのように自分の限界を常に客観視するためにも勉強は続けねばいけないとも思う次第ですねえ。
まあ、とはいえわたしは今現在、世間的に見たら「自称の部類」でしょうし、「単なる相談屋」くらいの立ち位置でしょう。
まあ、でもね、正直どんな立場と認知されてようがどうでもいいんですよね。
わたしは自分のやるべきと思うようにやるだけですから。
なお現在、わたしのクライエントさんには私の妹と同じHSP気味の方たちが多い模様です。
おわりに
この記事は「「正直うつになるわ」心理カウンセラーって基本うさんくさそうだよな「臨床心理師や公認心理師とかは別」」と題しておおくりしました。
臨床心理師や公認心理師のような大型資格を持っていた方がカウンセラーをやるうえでは俄然有利でしょう。
しかし、わたしは大型資格を持っていない人にも「良いカウンセラーの人はいる」と思っています。
また、逆に大型資格を持っているけどロクでもないカウンセラーもいると思っている次第。
別にちゃんと自分のできることを把握して棲み分けし真摯にクライエントと向かい合うことができるなら、いいカウンセラーになれるのではないかと個人的に思っていますね。
実際、わたしがカウンセラーになる契機をあたえてくれたカウンセラーの人も「わたしにとって」は、「良いカウンセラー」という印象でした。
まあ、結局すべての物事に言えるのかもしれませんが、「自分の限界を理解し領分をしっかりと把握する」のが大事だと感じます。
そのためには「一生自分は未熟者だとの気持ちを持ち勉強し続ける事で自分を俯瞰することが必要」なんじゃないかってきれいごとっぽいけど思う次第です。
では!
参考記事等