「最近、ビジネス現場でも人の話を深く聞くっていう傾聴が注目されているよね。でも理屈を聞いてるだけなら傾聴って簡単そうな感じがする…。なのに、できている人ってほとんどいない気がするな。なんでだろう?」
「私カウンセラーの資格取ったからこれで念願のカウンセラー!…て思っていたけどプロのカウンセラーさんに全然傾聴できていないって指摘されてへこんだなあ…。何がいけないんだろう?」
んー、実際傾聴って難しいよね―。
わかりみ深し。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!
今回の話題は最近ビジネスでもよく重視されるようになってきた傾聴について。
実は、私カウンセラーではないんです。
なのにエラソーにこんな記事書いています(笑)。
ですが、傾聴力に関してはツイッタ―上で、ある専業のカウンセラーの方(この方はココナラとかで人気一位を獲得したり、その他経営者のメンタル管理をしたりとかなり腕の立つ人です。そして、そもそも専業はすくない。)に
「お世辞抜きで、おまいの傾聴力はプロの領域にあるな」
と言われたので傾聴に関して少しお話しても罰は当たらないかなて思っています。
傾聴って一見すごく簡単そうなんです。
でも、何だか知らないけどほとんどの人ができていない気がします。
少なくとも私の現実での人間関係やツイッタ―上でのリプライのやり取りからしてもできている人は圧倒的少数だと感じます。
今回はなぜこんなにも傾聴が習得しにくいのかを私なりに考察してみたいと思います。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
1、傾聴の原則
さて、傾聴とは「相手の言う事を深く聞くこと」ですが、この傾聴に関して、米国の心理学者でカウンセリングの大家であるカール=ロジャーズさんと言う方が原則を示してくれています。
それが以下です。
(図表1)ロジャーズの3原則
1.共感的理解 (empathy, empathic understanding)
相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとする。
2.無条件の肯定的関心 (unconditional positive regard)
相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。相手の話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。其のことによって、話し手は安心して話ができる。
3.自己一致 (congruence)
聴き手が相手に対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。
「見たことある!」て人も多いでしょう。
ロジャーズの3原則とはかなり有名ですからね。
おそらく上記2と3については当然だと思う人が多いと思います。
問題は1です。
この1が原点であり、土台です。
これがしっかりできてこその2と3なんですね。
そして、問題なのは「相手の気持ちに共感しながら理解しようとする」の「共感」です。
今回はこの「共感」の正体を探っていきたいと思います。
2、傾聴に「共感」が必要の真実
まず、はっきりいいましょうか、はっきりと。
「共感なんて存在しません」。
はい、わけわからないですかね?
よく考えてください。
通常の人が考えるいわゆる共感とは「相手の気持ちを自分の気持ちのように感じること」ではないでしょうか?
もし、そうであるとしたなら、あくまでロジカルに考えて不可能ですね。
私達が相手に「わかるよ」と言っている時には、誰も本当の意味では「わかっていません」。
自分のこれまでの類似経験から推測して「わかるよ」と言っているんです。
例えば、自分が転んで痛かった経験から相手が転んだ時にいたかったろうとその痛みを想像するんです。
共感とは「相手の感情を想像すること」にすぎません。
もし、共感が「相手の気持ちを自分の気持ちとして感じること」だというのなら、それは完全な「幻想」です。
そんなことはあり得ません。
もし、「相手の気持ちを自分の気持ちとして感じる」と言う人が本当にいるならそれきっと超能力者ですね(笑)。
まず、普通の人間にはできないですよ。
まあ、ワンピースの見聞色の覇気使いとかならわかるんですかね?
少なくとも私はそんな超能力者にあったことはありません。
3、サイコパスは傾聴の名人?
あなたはサイコパスと言うとどんな人を想像しますか?
快楽殺人鬼とかですかね?
実はサイコパス=快楽殺人鬼や凶悪犯罪者、ではないんですね
サイコパスとは医学的に言うと「精神病質」。
その特徴として顕著なのは「良心や罪悪感の欠如」です。
つまり、相手の痛みに共感したり「悪い事をしてしまった」などと罪の意識を感じることが無い人を指すって話しです。
これだけ聞くと「そんな、ヤバいヤツ本当にいるん??」て思いますが、実際にいます。
欧米には100人に一人くらいの割合で存在するなんて言われていたりもします。
ただ、日本等アジア圏ではその比率はもっと低いとのことです。
さて、そんなサイコパスですが実は普通の人より他人の感情を読み取る能力では圧倒的に勝っています。
さきほど、「共感は幻想」と言いましたが、サイコパスはその幻想にとらわれません。
冷静に相手の感情を「分析対象」として考えるので惑わされないんです。
さて、ここで少し脳科学のお話です。
脳には情動に関わる認知(熱い認知)と理性に関わる認知(冷たい認知)の二つがあります。
相手が悲しんでいるのを見て自分も胸が締め付けられる思いをするなんてのが熱い認知によるものですね。
通常、私達が「共感」という言葉をつかう時はこの「熱い認知」の事を指しています。
実はサイコパスは先天的に脳の一部が機能不全なため、「熱い認知」ができません。
そのために「冷たい認知」で人の感情を理解しようとする事になります。
実は、この「冷たい認知」優位で相手の感情を理解するというのがさきほどいった「共感の幻想」にとらわれない事なんです。
自分が痛みを感じないからこそ「相手の痛みは何から生じているのか?どんな風にいたいのか?」が冷静に推測できるという事です。
実は、私達が相手の痛みを感じることはストレスです。
人はストレスを感じることで認知機能が低下し、衝動的になるという事が知られています。
極端な言い方かもしれませんが、相手が悲しんでいる時に自分も辛く悲しい気持ちになりすぎているとしたら、相手の気持ちを冷静に把握することは難しいということになりますね。
人の痛みを感じない、ないしは感じにくいからこそ相手の役に立てる場面もあるのではないかとおもうんですね。
サイコパスが多い職業として「外科医」が挙げられるのもその一例かと思います。
いちいち執刀する度に患者の痛みを自分も感じていたら手術どころではないですよね?
言い方は悪いですが程度の差こそあれ、誰も誠実なだけで専門家としての「能力」が低い外科医に執刀を任せたくないはずです。
おそらく、痛みに敏感すぎる外科医は鈍感な外科医より腕が劣る傾向にあると思います。
これはカウンセラーをはじめとした心理職にも同じことが言えるような気がします。
痛みを感じないからこそ日々安定してプロとして一定水準のサービスを継続して提供でき、いつでもどんな心理状態のクライアントに対しても冷静に向き合えます。
サイコパスのようにいわゆる「共感の幻想」にとらわれない人は、医療の前線に立って活躍できる逸材なのかも知れないと私は最近思ったりします。
こんな事言うと「サイコパスどものモラルの無さはどうするんだ!」という反論が出ると思います。
確かに、彼ら彼女らのモラルの無さは困りものです。
しかし、全てのサイコパスが反社会的なわけではないのです。
サイコパスのなかには「向社会性サイコパス」という社会に適応して生きていける存在もいます。
この向社会性サイコパスの代表例としてはサイコパス研究の第一人者であるジェームス=ファロンさんがいます。
彼が、自分がサイコパスである事を知った経緯については著書「サイコパスインサイド」にて詳しく書かれています。
彼によるとサイコパスも十分な愛情を両親からうけることで反社会的にならずに済む可能性があると言います。
ですから、心理職や医療職は向社会性サイコパスの人達に適した職業とも言えるかもしれませんね。
ま、私見ですがね。
向社会サイコパスについてはこちら。
4、なぜ、「普通の人」は傾聴で失敗するのか?
理由はいろいろ考えられるとおもいますが、一番大きいのは以下2点でしょう。
- 相手に共感や承認を求める
- 過度に共感し過ぎる
では順次見ていきます。
・相手に共感や承認を求める
これは傾聴で一番やってはいけないことです。
相手の話を聞かなければいけない、聞くことで相手との関係を良好にしたいのであれば自分の意見なんてどうでもいいんです、はっきりいって。
「私はこう思うんだ。あなたもそうおもうよね?」
みたいな問答を傾聴をしようとする本人がやっているとしたら論外ですよね。
「お前の意見なんかどうでもいいだろ!いいから話を聞け!」
て話です。
なぜ、聞くことに徹しなければいけない場面で、自分の意見への同調や承認を求めるのか意味がわかりません。
はい、そうです、「承認欲求の強いかまってちゃんには一生かかっても傾聴なんてできません!」。
とはいえ、承認欲求が強くとも傾聴を上手くなりたい人もいるはずなので…
承認欲求の抑え方についてはこちら。
・過度に共感し過ぎる
これは仕方ない気もしますが、結構な問題かと思います。
相手に共感し過ぎると「自分の感情と相手の感情の区別がなくなります」。
つまり、冷静に相手の感情を分析できない、相手の感情がわからずに自分の勝手な思い込みで話を聞くことになります。
これをやってしまうと相手の立場にたってあげることはできないため、会話はずっと平行線です。
おまけに相手の痛みを自分が敏感に感じ取るために認知機能は下がり、衝動的になり判断を間違えます。
傾聴には「冷たい認知優位」である必要があります。
5、傾聴が上手くなるためのマインドセット
ここからはいままでの私が日頃から人の相談に乗ってきた経験や得た知識、そして、ツイッタ―でのリプライの応酬の中で傾聴について重要と感じたマインドセット、つまり心構えについて述べたいと思いま―す。
では、どぅーぞ。
・あらゆるものを評価しない
評価しないとはいってみれば
これはロジャーズさんの3原則にもある通りこの姿勢は大事です。
傾聴をする側が
「この人の言っている事は私とは合わないな。」
とか
「あー、そういうことか、どうせこの人は怠けものなんだな。だから…」
なんて相手の話を聞きながら勝手に決めつけてしまうのは問題です。
相手の真意が理解できないままに話が進んでいくので傾聴としては無意味です。
これは多くの人が傾聴をする中で陥っている問題な気がします。
・相手の感情をあくまで観察対象として見る
上述した通り、相手の感情にこっちが飲まれると正常に判断できません。
だから、傾聴する時はあくまでロジカルに徹しましょう。
相手の感情との間に一線を引く感覚を持ってもいいかもしれません。
「私の感情とこの人の感情は別である」とまず認識する事が必要です。
そもそも、相手を理解するために私達は傾聴するのです。
客観的に相手の感情を理解できない時点でまともに理解なんてできないはずです。
相手の抱える問題に助言してあげたいならなおのことです。
相手の感情と自分の感情が混ざった時点であなたに現実的解決策が分かるはずありません。
傾聴する際には「冷たい認知」、つまり理性優位で話を聞くことが大事です。
・善悪判断をすてる
傾聴するという視点からすれば、評価をしないのと同様に自分が物事に対してもっている善悪を傾聴に持ち込まないのが大事です。
人の愚痴を聞くときなんか特にそうですね。
「あのクソ上司ぶっ飛ばしてやる!」
なんて言っているのを聞いて
「こらこら、なんて反社会的なことをいうんだ!」
なんていったら何にもならないですよね?
傾聴する場合、相手がどんなに反社会的な発言を発したとしても、それをなだめたりしないことが大事です。
その発言の裏には原因があります。
なぜ、この人はこんなことをいっているのか? ということを傾聴する中でハッキリさせていく訳です。
傾聴する時に冷静になれず個人の正義感やモラル意識を相手に押し付ける時点で、私は話にならないと思っています。
実際に犯罪でもやってない限り、言っているだけならいいじゃないですか。
人間嫌な事があって、腹が立てば暴言くらい吐きます。
それをすぐに
「道徳的にどうなのか?」
なんて四角四面に責め立てるのはやめましょう。
そして、そもそもこの世界に善と悪と言うものは存在しません。
それこそ、人が勝手に物事に価値付けをし、善と悪を判別しているにすぎません。
個人的には傾聴時に自分の価値観を持ち込まないだけにとどまらず、自分自身の考え方を柔軟で何色にも染まらないものにしていく必要があると思っています。
いうなれば、善悪と言う価値すらもたず、ただ目の前の事象とあるがままに向き合うことに徹する生き方が必要なんじゃないかと思います。
・相手に自分の意見への共感はもとめない
これは先程もいいましたね。
傾聴をする側が自分の意見に対する承認を相手に求めるとか論外です!
相手の話を聞くと決めている間は、相手に軽い提案をする事はあったとしても、それを受け入れるか否かは相手が判断することです。
あなたの言った提案を受け入れなくてはいけない理由なんて、相手にはどこにもないんですね。
だから、自分の意見を受け入れてほしいという思いが強い人は、傾聴はできません。
もし、カウンセラーなのに承認欲求が強いんだとしたら、その人の普段のカウンセリングは近所のおばさんのお節介レベルに低水準、て話になりそうなきがします。
ま、知らんけど。
・人は助けられないと自覚する
人が傾聴を意識する時往々にして「この人の状況をよりよくしてあげよう」とか「私がこの人の考えを正しい方向に変えるんだ!」なんて思って聞いている人が多い気がします。
ハッキリ言って、人間なんて非力です。
他人を変える力なんて誰ももっていません。
誰にも誰も助けることなんてできません。
人は独りで助かる以外ありません。
ですが、私達は誰かに助かるヒントは与えられるかもしれません。
個人的に「他人を変えられるなんて傲慢以外の何物でもない」と思っています。
傾聴は相手の色に染まりその中で自然と理解できた感情をもとに、ありのままに相手を理解していく事なんじゃないかと思います。
そこに恣意はない…。
傾聴は「相手を変えるため」ではなく「相手をより深く理解し信頼関係を強固なものとするため」に必要だと思うんですね。
「相手を変えるんだ」では相手は変えられないし、変わらない、そんな気がします。
相手が受け入れてくれた事を自覚してくれて始めて、自ら変わり始めてくれると思います。
おわりに
この記事では傾聴について一般に言われる「共感の必要性」について独自に考察してみました。
結論としては「世間一般に言われるような共感は本当は存在しない。冷たい認知優位で相手の感情を推測するのが傾聴に必要な共感だ」ということでした。
そして、傾聴をするうえで個人的に大事と思われるマインドセット、つまり心構えについては以下がありました。
- あらゆるものを評価しない
- 相手の感情をあくまで観察対象として見る
- 善悪判断をすてる
- 相手に自分の意見への共感はもとめない
- 人は助けられないと自覚する
まあ、こんなエラソーな事言っといてなんですが、私もサイコパスではないんで、いくら日頃冷静に徹していると言えども、ここで言ったことの80%もできている自信はありません(笑)。
まあ、今回の内容の大部分はあくまで私の考える「仮説や考察」ですからね。
まあ、とはいえ何か参考になることがあったら嬉しいです。
まだまだ、私も精進します!
では!