アンチサイコパスはいい人すぎて逆にヤバい人。いい人も行き過ぎると迷惑。
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「サイコパスってまじでヤバいよねえ、、、。あいつら本当おそろしい。共感性がなくて自分の欲望を満たすために手段を選ばないもんね。まじこわ。そういえば、サイコパスに対立する概念としてアンチサイコパスって人達がいるみたい、、、。一体、アンチサイコパスって何者なん??」

ふむ、アンチサイコパス、、、不思議な響きよねえ。

サイコパスのアンチ?、、、とかって思うわね。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「アンチサイコパスはいい人すぎてかえって迷惑な人かもしれない」という話題です。

いわゆる「思いやりがある」ということは一般的には「望ましいことである」とされています。

しかし、過ぎたるは何とやらということわざもあるように、「どんなにいいことであっても度が過ぎると有害になる」といえますね。

はい、「人のために」と考えて利他的行動をするのはいいことですが、利他的になりすぎて「ルールを破壊したり社会そのものの破壊をもくろんで革命をおこしたり」なんてしたらどうでしょう?

これってかなり迷惑ですよね?

はい、そんなこともやりかねないのが「アンチサイコパス」といった人たちです。

いい人のはずなのになんか空回りしている感のある人たちについて今回は見ていきましょう。

では、ゆるりとおおくりします。

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アンチサイコパスってどんな人?

さて、アンチサイコパスとは何なのでしょうか?

サイコパスの前に「アンチ」がついているので、人によっては

「あ、あれやろ、サイコパスがツイートしたらそこにわざわざ突っ込んでいってアンチリプ残してくるやつやろ?」

とかいうかもしれません。

はい、それは違いますね。

それは「ただのアンチ」です。

アンチサイコパスは「サイコパスのアンチ」じゃないっす。

アンチは英語の接頭辞である「anti」(意味は『反』)なので、アンチサイコパスは「反サイコパス」、つまりサイコパスとは逆の性質をもつものってことになりますね。

サイコパスが良心を全く持たない性格をしていますから、その逆ってどんな性格なのか疑問に思う人も多いはず。

実は、そんな疑問に関して解答を与えてくれるような研究がジョージア大学でおこなわれているんですね。

その研究における調査の概要は以下の通り。

  • 過去の腎臓移植データを洗いなおし、友人や身内以外の縁もゆかりもない赤の他人に腎臓を提供した人たちを探した
  • 彼らの脳をスキャンにかけて調べた

上記の調査を行ったところ彼らの脳には以下のような特徴がみられたとのことです。

  • 脳の感情をつかさどる部分である偏桃体が大きい
  • 他者の恐怖感に対し脳が反応しやすい

この特徴はサイコパスとは真逆といっていいものです。

なんせ、サイコパスは偏桃体が小さく他人の痛みに無関心であり、恐怖心も感じにくいですからねえ。

アンチサイコパスの場合、他人の痛みを自分の痛みのように感じ、みていられなくなって助けに入らずにはいられないって感じになるんでしょうねえ、、、。

アンチサイコパスは上記のような性質をもっているため、一見めっちゃいいヤツにみます。

が、しかし、光強いところ深い闇がある

ものです。

なんと、アンチサイコパスはいわゆる「いいこと」をすることでその快感に酔ってしまう、つまり中毒になってしまうといいます。

いうなれば、「善の中毒状態」て感じでしょう。

なので、サイコパスは「悪の中毒状態」、アンチサイコパスは「善の中毒状態」て感じの対比になりそう、、、。

実際、認知科学者のアンドレア博士はサイコパスとアンチサイコパスはほぼ同じようなキャラクターになってしまうとかいっているそうですし。

まあ、まさに「過ぎたるは及ばざるがごとし」ってやつね。

「他人の痛みがわかる」とか「思いやり」とかも行き過ぎたら、「害悪でしかない」ってことだわな。

うん、結局バランスだ!

参考記事等

サイコパスとアンチサイコパスを比較してみよう

さて、文面だけだとサイコパスとアンチサイコパスの違いはモヤっとしていてわかりにくいと思うので、図にまとめてみました。

その図が以下よ。

 サイコパスアンチサイコパス
衝動コントロール欠如欠如
新しい意見、物等への姿勢積極的に取り入れる積極的に取り入れる
自分の行動への後悔の有無常に自分の欲望に忠実なため、後悔はないさほど後悔しない
規則等への態度破っても気にしない(ただ、法律は破ると損するから割ときっちり守る)破っても気にしない
他者のネガティブ感情への反応性きわめて低い(サイコパスによっては意識的に共感能力を操る)極めて高い。
誰のために行動するか常に自分の為常に他社や公益のため(全ての人のためになるかは別)

いやあ、これはとんだ皮肉ですねえ。

喜劇的に悲劇的、劇的に衝撃的?

、、、サーセン、遊びすぎた(笑)。

なんつーか、アンチサイコパスという正義マンはサイコパスとは「目的を達するためなら手段を選ばない」という傾向ではある意味同族なんですねえ。

これがお節介だったら人によっては「抹殺もの」の不快案件に発展しそうだね、、、。

いやあ、正義の空回りとでもいおうか、なんか複雑だ。

やっぱり、何事も度を過ぎてはいけないな。

利他的すぎる人は正直厄介者?

さて、上述した通りアンチサイコパスは他人のためになると信じたことに関しては自己犠牲をいとわず行動します。

ただし、「実際に他人のためになるかは別」です。

言い方は悪いですが、アンチサイコパスの利他は「結局、自己満足にすぎない」といえるため、周囲からすると大迷惑だったりすることがあります。

なので、アンチサイコパスが義憤を感じたりして大義を掲げて行動しだすと周りとしては「なにしてくれてんだよ、迷惑だ!」なんて言いたいこともやらかす可能性がありますね。

もっとも、それをきっかけに社会的な改革が進行する可能性もありますが、、、。

まあ、何かとお騒がせな人たちかとおもいます。

やはり、善を行うにも手段を選ばないと社会をぶっ壊すことになるんで、「大義の名のもとに」何でもやっていいことにはなりません。

そして、アンチサイコパスの人達みたいな人は普通の人からすると、自分たちが悪いヤツみたいに見えてしまうので嫌われたりする傾向があるといえます。

参考記事等

もっとも、そんなこと本人からしたらどうでもいいんでしょうけど、まあちょっとね、困りもんですよね。

別にサイコパスと違って個人的に付き合っている分にはとってもいい人なんですが、火がつくと困った人になるってことでしょう。

実、わたしの友人にもアンチサイコパスの気のある人がいますが、正直普段はとてもいい人なんですが常に他人を優先し何かと義憤マン化するので少し困ってたりします。

なので、ことあるごとに「自分をまずは大事にしよう。自己犠牲なんてするな。お前が傷ついたらこっちがほっとけなくなるからやめろ」とかって、まあ、わたしとしてはきわめて珍しいながらお節介というかあんまり本人の意思を尊重できない気分にさせられてますね。

いやあ、本当調子が狂うんです。

アンチサイコパスの人はいい人ですよ。

でも、だからこそ「自分を大事にしてほしい」、そう思えてならない今日この頃です。

おわりに

この記事では「アンチサイコパスはいい人すぎてかえって迷惑な人かもしれない」と題しておおくりしました。

はい、アンチサイコパスはサイコパスとは真逆の性格でしたね。

しかし、性格的には真逆なのに行動としては似たような感じになっているのがなんとも印象的です。

具体的に言うなら、「どちらも目的のためなら手段を選ばない」ということ。

決定的に違うのは行動の動機が「他人の為か自分の為か」という点です。

とはいえ、他人のために起こした行動が「本当に人のためになるか」はまた別の話。

アンチサイコパスはどこか空回りした正義マンって感じですね。

ただ、付き合う分にはいい人ですけど(ただし、結構振り回されるかも、、、)。

まあ、世の中にはいろんな人がいるもんです。

では!

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参考記事等

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