「適当に生きる事」は自暴自棄で怠惰に生きる事じゃないんだよ。

「なんか日本って過度に真面目であることを重視しすぎていないか?重箱の隅つつくようなすごく細かいことまで問題にしようとする人多すぎだろ。なんか面倒くさい。てか、みんな心にゆとりなさすぎじゃね?」

まあ、真面目というか几帳面というか、、、正直いいところではあるんだけどねえ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「適当に生きる事」は自暴自棄で怠惰に生きる事じゃないんだよ。」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・真面目が美徳とは思えなくなってきたい人
・話しのネタが欲しい人
・真面目過ぎて疲れてきた人

真面目であることはいいことです。

それは間違いないのですが、「限度というものもがある」のを忘れてはいけないでしょう。

どんな場合や条件においても、「一部の隙もないくらい真面目で融通が利かない」のでは正直「思考が硬直している」わけで生きづらいはずです。

基本は真面目であっても、ある程度の心のゆとりや寛大さと言った「いい意味での適当さ」が重要なんですね。
では、ゆるりとおおくりします。

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真面目であることは基本的にいいことだ

まず、「真面目さなんていらないよねー」という極論を封じるために、「基本的に真面目であることは大事だ」という事に言及しておきたいと思います。

真面目である、より具体的に言うなら「しっかりとルールや礼儀を守る」とか「コツコツと物事を積み上げる」といった事は人生を順調に運ばせるためには重要です。

性格分析のビッグファイブにおいては、この「真面目さ」は「誠実性」と言われたりしますが、この性格要素が強い人ほど仕事において成功する傾向があるといわれてます。

例えば、勉強とかもそうですよね。

「一夜漬けで何とかテストで高得点をとってしのぐ」というアプローチはややもすると失敗しますし、テストの難易度が上がるほど通用しなくなってきます。

勉強は日頃の積み重ねが非常に重要です。

もし仮に超人的な記憶力や思考力があって難なく一夜漬けで受験はクリアーできたとしても、そういった能力に過度に依存し過ぎた勉強スタイルではいずれ無理がたたったり加齢によって能力の減退が起こった時に困ってしまいます。

人生は生涯勉強であるといっても過言ではないので、「コツコツ積み上げる」といった性質が著しく欠如しているとじり貧になってきてしまうものです。

また、ルールをきちんと守ることも成功のためには必要な事ではないかと思います。

判断によって立つ明確な基盤がないと、その場その場で判断の基準などが変化して成果がでづらくなったり、例え成果が得られてもそのえられた成果に再現性がないなんて事も起こりえますね。

いずれにしても、人生を上手く運ぶためには、真面目さというものは重要なのです。

これは間違いないでしょう。

適当もいい加減も「なまける」とか「自暴自棄」とは違う

上述の通り、「真面目であること」は人生を上手く運ぶために非常に重要な要素です。

しかしすぎたるは何とやらの言の通り、「真面目過ぎても人生上手くいかない」んですね。

物事に対して「いつもきまった通りにはならんよな。まあ例外もあるもんな」みたいな寛大さ、つまり「適当さ」や「いい加減さ」も必要なんです。

適当とは適切に当りをつける、つまり「度合いがちょうどいい事」であり、いい加減とは「ちょうどいい加減にやる」と言った感じであり本来悪い意味ではないんですな。

ですから、「なまける」とか「自暴自棄」とは意味が違います。

むしろ、「真面目こそ至高!」なんていう真面目至上主義よりもバランスの取れた「柔らかくてメンタルに優しい考え方」と言えるでしょう。

真面目さを基本としつつも、そこにいい具合に「適当さやいい加減さを混ぜみ肉付けして精神のバランスをとる」のが大事なんですよね。

例えば、先ほど「ルールを守ることは大事だ」といいましたが、「いつでもどんな状態でもルールに従ってさえいればいい」とか「ルールは何があっても守るものだ」という融通の利かない姿勢では色々と問題が多いです。

ルールとは「何がしかの目的のために設定される」ものですから、その背後にある「設定の理由や根拠」を知っておく必要があります。

もちろん、最初はルールに無批判に従ってみることも大事です。

しかし、「ずっと背景を知らないまま」にしておくのはよくありません。

まあ、法律でいうなら「立法趣旨」というやつですね。

「なんでそんな法律が必要だったのか?」という視点を持って法条文の解釈や運用を考えていく事が必要なわけです。

その法を制定した時から刻々と状況は変化しますので、いずれ法が状況にあわない事態が起こってきます。

そうなったら、いや「もうそうなりそうだったら事前に手を打つ」のが必要と言えるでしょう。

ルールに無批判すぎると、状況変化を見誤って大損するとか予期せぬ不幸に見舞われるなんてこともありえます。

真面目なのはいいですけども、真面目も適量にしないと害悪ですな。

いい感じに思考のバランスをとっていこう

真面目であって悪いことはないですが、「真面目でなければいけない」みたいな強い思い込みにとらわれないようにしていきましょう。

どんな考え方でもそうですが、「絶対に~であって例外はない」なんて姿勢でいると精神のバランスを崩してしまいます。

何事にも例外はあるものですから、「原則は~だけども例外に直面したら柔軟に対処しよう」という姿勢が望ましいでしょう。

実際、「絶対~だ」や「~であるべきだ」の様な硬直した思考によって精神を病んでしまうことはよくあります。

いわゆる白黒思考とべき思考って言われるものですな。

このような思考とらわれがちな自覚のある人は、自分の考え方を柔軟にするべく今一度自分のその考えに対いして「なぜそう言えるのか?」等のように反論してみるとか自分を客観的に見るためにメタ認知を高めるといいでしょう。

メタ認知を働かせるためにはマインドフルネス、具体的には「今この瞬間の体験を意識する」等が非常に重要です。

例えば、日ごろの何気ない食事において「口に入れた瞬間の感触、そして味やにおい、またそれらがどう変化していくか」等を事細かに感じ取り観察してみましょう。

このように体験に注意を向けて味わい尽くる事で、不安や恐怖と言ったものを感じていてもそれらにとらわれないようになれます。

今夜の晩御飯からでもいいのですぐに実践してっみてください。

まあ、多分すごく食べるのが遅くなると思いますけども、たまにはそんな日があってもいいでしょう。

あとは瞑想もいいですね。

おすすめです。

マインドフルネスについて詳しくは以下参照。

おわりに


この記事は「「適当に生きる事」は自暴自棄で怠惰に生きる事じゃないんだよ。」と題しておおくりしました。

真面目であることは大いなる強みですが、それだけに徹しすぎると精神的に疲弊してしまってやむ可能性があります。

ですので、真面目なのはいいですがほどほどに適当である必要がありますよ。

柔軟さもちゃんともっておきたいものです。

では!

参考記事等

「マインドフルネスは危険?」マインドフルネスに向かない人の特徴

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