「わたしという物語」を読むなら「今、ここ、この一瞬」へ立ち戻れ

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

自分は~でなくてはいけない!という気持ちにつかれている人

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「わたしという物語」を読むなら「今、ここ、この一瞬」へ立ち戻れ」という話です。

ちょっと、今回はテイストを変えてお送りしようと思います。

「わたしは優秀でなければならない!」

とか

「わたしはいつ何時も他人に感謝を忘れない人でなければいけない」

、、、そんな風に、自分を追い詰めている人に向けて少しばかり聞いてほしい事があるのです。

はい、そんな感じ。

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では、ゆるりとおおくりします。

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「わたしという物語」には様々な章がある

「わたしという物語」には様々な章があります。

「優秀なわたし」

「親切なわたし」

「快活なわたし」

「リーダー的なわたし」

「無力なわたし」

「残忍なわたし」

「泣き虫なわたし」

、、、など、実に様々。

そして、そのそれぞれの「わたし」はいずれも物語の一部であって全体ではありません。

この「わたしという物語」の読み方は、「特定の章にこだわることなくその時々の必要性に応じて読み進める」のが最適。

それぞれの章は自由自在に行ったり来たり出来ます。

目次にはズラッと「~なわたし」と銘打った章が並んでいるようです。

時折新たな章が追加されます。

それぞれの章の内容も随時更新されるようですね。

ページが増すことはあっても減ることはありません。

わたし達はどの章でも自在に読むことができますから、特定の章にこだわることはありません。

例えば、「優秀なわたし」の章を読み終えなければ、他の章を読むことが許されないなどという制約はなく、途中ですぐにページを変えられます。

わたし達は必要に応じて臨機応変にページをめくり、「~なわたし」を読みさえすればいいのです。

特定の章の読破にこだわるのは、物語全体を楽しもうと思ったら実に不自由で不適切な読み方と言えます。

先ほど言ったように、各章のページは随時更新されますので一生かけても読破することはできません。

それにそれぞれの章の内容は読み進めれば読み進めるほど、矛盾と混とんに満ち満ちておりあまり深追いすると気分を害したり葛藤に打ちひしがれる内容です。

あまり各章を深く読み込むのは適切ではありません。

「特定のわたし」にこだわることなく、自分の置かれている状況に応じてめくるページを変えていくのが楽しく「わたしという物語」を読み切るポイントです。

『ワタシ』は「空間」を「時」を、「わたし」を超える

物語は進みます。

ページの海をかき分けかき分け、物語は進みます。

無造作にページをめくりある章へ。

はたまた、目次に戻って何がしかの章へ。

チョウのごとく縦横無尽に行ったり来たり。

すると、その文脈の端々に時折立ち現れるものがいます。

それが『ワタシ』です。

「わたし」ではなく『ワタシ』。

物語の中から見つめる視線が『ワタシ』。

そして、同時に『ワタシ』はこの物語の読者である「わたし」と同じ視点で物語を読む読者でもあります。

「わたしという物語」は、空間にも時間にも規定されず特定の名もない『ワタシ』によっても読まれているのです。

『ワタシ』は、常に存在はしているものの、「わたし」から意識的に見る事が出来ない何者か。

感じる事は出来ても、意識的に見る事ができない、特定の名を与えられない何者かです。

この『ワタシ』がこの「わたしという物語」の読者であり、「わたし」と同様に人生の主役。

そう、「ワタシ」は「わたし」でもあります。

『ワタシ』の目は、常に冷徹にくもらず時の流れに乗って流れていく感情の移り変わりを眺めています。

わたしは常に何色にも染まらず、何物にも邪魔されず自由です。

空間や時間や特定の名からも解放された自由な存在。

しかし、「わたし」はいつも何かに縛られて、「~でいなければ」や「~はダメ!」と自分に何がしかの「意味」という「縛りを課そうと躍起」になりがちです。

時間軸をさかのぼってみたり時間軸の先にいったりしては、「どうしたら解決できるのか?」なんていつも頭を悩ませています。

「わたし」は「過去に目を向ければ後悔」し、「未来に目を向ければ不安でいてもたってもいられなくなる」でしょう。

『ワタシ』は常に「今」にいます。

物語はどの章からよんでもいいが必ず「今、ここ、この一瞬」へ立ち戻れ

「わたし」は常に不自由です。

『ワタシ』が実体を持たず時間や空間、特定の意味によって在り方を制約されないのに対して。

そのため、「わたし」はしばしば

「物語の一部に注意を注ぎすぎるがあまり没入しそれが物語の全てであるように勘違い」しがちです。

「わたし」が「わたしという物語」を存分に楽しむためには、一度「ページに向けていた意識」をとこかでフラットにしないといけません。

さもなくば、「わたし」は特定の章を読むばかりで他の章を読もうとなんてしません。

ここで重要なのが

「今、ここ、この瞬間」

へと意識を移す事。

自分という存在や感情を遠くからながめてみる事が重要です。

「今、ここ、この一瞬」へ意識が向くとき、空間と「わたし」と時間は一つに統合されます。

その時、わたしは『ワタシ』と同じ光景を見ることになるでしょう。

それにより、「~なわたし」という章にこだわる事を手放し、自分が

「わたしという物語を読もうとしていたのであって「~なわたし」を読破しようとしていたのではない」

という事に気が付くはずです。

そうなればこそ、「わたし」はまた気持ちを新たにまた色んなページを読むことができるようになります。

そうやって、人生は進んでいくのです。

常に、『ワタシ』の視点を大事にしたいですね。

おわりに

この記事は「「わたしという物語」を読むなら「今、ここ、この一瞬」へ立ち戻れ」と題しておおくりしました。

おそらく「なんだコイツ、気でも触れたか?」なんて思ったかもしれませんな。

まあ、、、、気分ですw

気は触れていません。

結局言いたかったのは、「わたしは~でなければいけないんだ」という自分への特定の意味づけにこだわるのはアカンよってことが言いたかっただけですな。

で、いつも第三者的視点から「「自分は~である」と思っている」という事を観察するようにすると精神的に安定しますぜって話です。

『ワタシ』というのは、デカルトさんが言っていた「我思うゆえに我あり」の我に相当するものですな。

客観的な視点と言ってもいいでしょうか。

ちなみに、呼吸に意識を向ける瞑想をすると意識の制御が上手くなって自分を第三者的視点から眺めるのが上手になります。

まあ、今回は何となくいつもとテイスト変えてみたかっただけです。

では!

参考記事等

「ラボットにできる事」ラボットの機能や特徴についてまとめてみた

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