「自衛としての社交性」身を守るために必要だから社交性が身につく?

「わたしはアメリカや中国にも友達がいるんだけど、彼らって日本人と比べると本当にフレンドリーというか気さくで明るくて一緒にいると楽しいよね。まず初対面の時からして違ったしな。すぐに仲良くなったよね。」

ふむ、まあアメリカとか中国と言った国には日本よりも外向的な人が多いってのもあるんだ問うけど、それ以上に文化の違いが大きい気がするんよなあ。

知らんけど。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「自衛としての社交性」身を守るために必要だから社交性が身につく?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

社交性というものについて少し思索を深めてみたい人
・文化が人の性格にどう影響を与えるかについて少し考えてみたい人
・話のネタが欲しい人等

常識的に考えて社交的な人はすかれるものですし、心理学的な観点から言ってもそれは疑いないでしょう。

しかし社交性をは外向性や内向性とはまた別のものであり、性格そのものというよりもどちらかと言えば「スキル」のようなものと言えます。

社会でうまく生き抜いていくために必要だから身につけるものと言った感じのものなんですね。

今回は社交性の必要性を少し色んな角度から見てみたいと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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社交性って何?

まずは、社交性について語るからにはその定義をはっきりさせておかねばいけませんね。

という事で、まずは社交性の定義について確認してみましょう。

しゃこう‐せい シャカウ‥【社交性】

〘名〙

① 人とのつきあいをうまくやっていける性質。また、人とのつきあいを好む性質。

真知子(1928‐30)〈野上彌生子〉五「しかし斯う云ふ階級の婦人たちに習慣的に与へられてゐる社交性から〈〉出来なかったので」

② 社会を形づくろうとする人間の特殊な性質。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

引用

コトバンク

ふむふむ、「人との付き合いを上手くやっていける性質」ですか、、、なんかしっくりきますね。

この説明だけ見ると、なんだか社交性という概念は協調性と似ている気もしますが、ちょっとそれは違います。

協調性とは、みんな大好きウィキペディア先生によると以下のような意味です。

協調性(きょうちょうせい)とは異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する性質。

引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%94%E8%AA%BF%E6%80%A7

ふむ、この二つの定義を見比べてみると一見似ていますが、協調性は「同じ目標に向かって」とある点が決定的に違いそうです。

確かに人とうまく付き合っていこうとすると、そこにある程度の協調性が必要になってくるのは論を待ちません。

しかし、「どの程度協調性があれば上手くいくのか」には幅がありすぎて判断が難しいところです。

協調性が高すぎると「搾取の対象」になってしまうし、低すぎれば「自己中のクソ野郎」として総スカンを食う始末。

社交性は、協調性が低すぎても高すぎても低下するといっていいでしょう。

人とうまく付き合っている状態とは、心理学的な観点からざっくりと言えば基本的には「自他双方の与え与えられのバランスがとれいてる状態」ですからね。

社交性には、そういった健全な人間関係を構築していく能力という見方も可能だと思います。

なんだか論点が定まらない感がありますが、とりあえず社交性はざっくりと「人とうまく付き合っていける性質」という事にしておきましょう。

社交性は外向性と内向性とは別物

たまに社交性と外向性を混同している人がいる気がしますが、外向内向と社交性は別のものです。

社交性は上述したように、スキルとしての側面が強いので後天的に身に着けるものと言った感があるんですね。

なので、社交性の高い内向的な人もいるし外向的で社交性の低い人もいるという事になります。

外向内向は非常にシンプルにまとめると、「外界からの刺激に対する感受性の高低」によって生じる概念です。

外界からの刺激への感受性が高いと少しの刺激にも過剰に反応してしまうのですぐに疲れます。

これが内向的な人です。

対して、外界からの刺激への感受性が低いと外界の刺激によって疲れにくくなり、刺激が弱いとむしろ退屈してしまいます。

これが外向的な人です。

ただ社交性はおおむね外向的な人の方が高い傾向にあるとは言えるでしょう。

それは外向的な方が人と積極的にかかわっていこうとする傾向があるため、実地で社交性を身に着ける機会に恵まれるという話です。

あとは外向的な人の方が感情表現が分かりやすいとかそういったのはありますかね。

内向的な人でも社交性を身に着けること自体は可能なんですね。

言及するのはこれで3度目ですが、「社交性はスキルとしての側面が大きいもの」だからです。

スキルであればそのレベルの高低はあれど身に着けることはできるでしょう。

内向的な人はスキルとして外向的にふるまえるようになるとか話の聞き方や発信の方法を見直せばいいと思います。

以下の記事を参考にしてみるといいかもしれません。

根に持たれると何されるかわからない文化だと社交性が磨かれる?

外向内向自体は遺伝によって決まるものですが、性格はそれだけでは決まりません。

遺伝が性格形成に関与する比率は半分程度と言われており、残りのおよそ半分は環境であるといわれているそうです。

以前取り上げましたが、文化が性格形成に与える影響にもかなりのものがあると思われます。

ラマルクさんが唱えた要不要説ではないですが、やはり人間は必要だと思った事は自然と身に着け長けていく傾向にあると思うんです。

社交性に関して言えば、「人を怒らせると何が起こるかわからない」といった危機感が強い社会だと自然と「わたしは敵じゃないよ!」といった事をアピールするために社交性が育つといった面があると思います。

アメリカ人が日本人に比べてフレンドリーで陽気な傾向がある気がするのに遺伝の影響があるのは間違いないにせよ、環境のせいも大いにあると思います。

アメリカは移民大国なので宗教や慣習のまるで違う人が沢山いますから、日本以上に自分の常識が相手にとっての非常識になりやすいと言えるでしょう。

こんな状況にあってはまさしく「もめると何が起こってもおかしくない」と言えそうですから、自然と「わたしは敵対しません」というアピールを積極的にしないといけない風潮が形成されると思うんですな。

中国に関しても結構、「人を怒らせると何が起こるかわからん」といった意識が共有されているようで、中国人には割とフレンドリーな人が多いらしいです。

それで思い出してみると、過去にあったことがある中国から留学に来ていた人達でノリが良くて楽しい感じの人は結構いた気がします。

社交性には、「ただみんな仲よくしたらいいな」みたいな純粋な善意としての側面の他にこういった生存戦略としての側面もあるなってことです。

つまり、「自衛のための戦略としての社交性」という事ですな。

ちなみに、中国ではちょっと日本では信じられない事件がかなり起こっています。

例えば、上司が部下へ叱責したりパワハラ的な指導をした、人間関係でトラブったがために殺されるなんてことが割と起こっているんですよね。

セイコーウオッチ上海殺人事件、日本人幹部も殺されそうになった原因とは?

【中国】上司をショベルカーで殺害

上海名門大学で講師が学部長を刺殺 昇進めぐるトラブルか

こんな事件は、日本ではあまり聞かないですねえ。

なくはないけど、多分実際に類似の事件が起こっている件数は圧倒的に少ないでしょう。

部下がパワハラなりを受けて自殺するならともかく「あの野郎、殺してやる!」とはなかなかならないし、実際にやる人もそれほど多い気がしません。

それは基本的に司法や警察機構がしっかりと機能している証拠なので非常にいい事なのです。

ただ個人的には「横暴を働くと殺されることもあるかもしれないぞ?」みたいな、見せしめ的な意味での上司の殺害は日本でもっとあってもいいんじゃないかって思っていた時期が「ありました」。

どうも強くでればみんな黙って引っ込むと思っていい気になっているヤカラが多すぎる気がしたからです。

なので、もう少し「あんまり弱い者いじめというか自分の立場を濫用すると死ぬかもしれねえよ?」ていう危機感や恐怖感が社会に共有される必要があるかもしれんって思ったんですな。

ただ、そういった風調が強まるとそれはそれで弊害が大きいためどうなのかって思うところもあるんですよね。

一番ありそうな弊害は、「変な事には巻き込まれたくないから人が困っていても関わらない様にしよう」みたいな風潮の形成とか余計に世の中に「力こそ正義」みたいな雰囲気が広がるとか、、、、まあ歴史を見ても恐怖を抑止に使うってあまりいい結果にはなっていないんですよな。

それにサイコ的な奴って恐怖心も欠落しているところがあるから、「自分が殺されるかも」といった感覚が抑止力にならない可能性はあるんですよねえ。

なので、結局こういった殺伐として風潮によって理不尽を行うやつを止めることはできないって話になりそうです。

そういった意味では、あまり「人を怒らせると何されるかわかんないぞ」って雰囲気ができていいことは何もないのかもしれません。

結局、自分の中ではそんな感じの結論に落ち着きましたね。

それに日本人の大半は良識があるため、クソみたいな暴挙にはでませんしキチンント誠意をもって話せば大体わかってくれます。

ただ、中には黙っていれば図に乗る割と動物的な存在というのはいるも事実かと思うんです。

「話せばわかる」とか「法律があるんだから殴ってこまい」等と言った常識が通じず、怒ったらすぐ殴ってくるとか無言で刺しに来るとか意味の分からない人もいるのは事実だと思うのですよ。

まあ、こういうのは主に二次サイコパスやソシオパスって感じでしょうか。

こんな存在が上司だったら、、、、まあ、、、相当理不尽でしょう。

刺してはこないでしょうが、殴ってくるとかはあってもおかしくなさそう、、、。

正直、動物の場合は力でいう事を聞かせるしかないところがあるので、正直言ってすぐ殴ってくるような存在が話を聞くとは思えませんよな。

常識ですが法治国家にあって暴力等は絶対に御法度なので、証拠をとっておいて後々弁護士を立てて法廷闘争っていうのが筋です。

それは前提としつつもこういった無法者に対抗するには、いつでも刺し違えるくらいの胆力というか

「殺されるなら貴様も絶対道連れにしてやる。少なくとも人生が完全に狂って絶望し自殺せざるを得ないくらいの致命傷は与えて死んでやる!」

くらいの『気概』は持っておくべきだろうなって事を感じたりします。

あくまで気概です

裁判をするにしてもそういった気持は負けないために多少なりとも必要な気がするんですよね。

とはいえ、やはり変に争うのはそんな場合も結構多いですから逃げるが勝ちってこともありますわね。

ただし、逃げるならにらみを利かせつつ後退しないとというダメでしょう。

クマを睨みつけつつ逃げるのと同じです。

背を向けたら後ろからバッサリ裂かれて終わりですもんな。

引き際が一番危ないんで。

人の善意を信じるのも大事だけど、「向かってくるならタダじゃおかねえからな!」という気持ちもある程度は持っていないとだめかもなあって思ったりする次第。

、、、平和ボケしている場合じゃないよなって気がすこししている今日この頃です。

ま、人のこと言えないですけどな。

最近、なんとなくコロナのせいで治安悪くなってね?て感じもありますんでね。

用心したいものですわ。

ま、平和が一番なのは間違いないですけどね。

争いはめんどくさいので大嫌いですからなあ。

おわりに

この記事は「「自衛としての社交性」身を守るために必要だから社交性が身につく?」と題しておおくりしました。

社交性には純粋な善意からくる「人と仲良くなりたい」という気持ちからくるものとしての側面がある一方、「生存戦略としての側面」があるとも思います。

まあ平和が一番なのは間違いないものの、みんながみんな話せばわかるような良識人ばかりではないのである程度「やられたらただではおかないからな!」という負けん気?は持っておきたいものです。

まあ、日本の司法や警察は非常に信頼に足る存在ですが、だからと言って彼らの権威が通じない無法者もスーツを着て普通に会社の中に紛れ込んでいるもの。

なので連中に「立ち向かう胆力」は持っておきたいものですな。

「ただでは死なない」といった気持は持っておきたいもんです。

あと当たり前ですが、暴力なんて絶対ダメやし大損だからすべきではないよ。

では!

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