「家ではじょう舌、外では寡黙」話したいけど話せないのは甘えじゃない

「うちの職場に本当にびっくりするくらい一言も話さない感じの同僚がいる。仕事でのコミュニケーションはクッソ大事なのにいっつも黙っていてらちが明かない。もう、上司もお手上げって感じでまいっている。本当さ、なんなのよ、あの人は。話下手で自信がないのか何なのか知らないけども非常識じゃない?社会人になってこれは甘え以外の何物でもないでしょ!」

いやあ、甘えとは限らんよ。

喋らないんでなくて「話そうとしても話せない」のかもしれないからな。

決めつけはあかんのよ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「家ではじょう舌、外では寡黙」話したいけど話せないのは甘えじゃない」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 自分の身近にあまりにしゃべらない人がいて不思議に思っている人
  • 特定の場所では話したくても話せなくなってしまって困っているが原因がわからない人

職場や学校等で本当にびっくりするくらい「何も話さない人」というのがたまにいたりします。

こういった人を見つけると大概の人は「何あまえてんだよ。いわなきゃわかんねえんだよ!」みたいに攻撃的な姿勢を取りがちかと思うんですね。

でも、こういった話さない人達に話すことを強要するのは非常に酷です。

だって彼ら彼女らの中には「本当に話したくても話せない」人達が含まれているのですから。

今回は「話さない人たちの中にもこういった人がいるから話すことを無理強いするのはやめよう」といったことをお伝えしたいと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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場面緘黙症ってなんぞ?

あなたは場面緘黙(かんもく)症、または選択性緘黙症という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

おそらく、「何それ?聞いたことないよ」という人も多いのではないかと思います。

そもそも、緘黙っていう言葉自体難しくてなじみがないでしょうし。

ちなみに、緘黙とは「無言」のことです。

場面緘黙症とはすごく簡単に言うと

話す能力自体はあるので家等ではよくしゃべっているのに、学校や職場などの特定の状況では押し黙って一向に話ができない」

という症状のことです。

これは単なる「無口」とか「人見知り」とは全然違うんですね。

場面緘黙症は立派な病気です。

事実、アメリカ精神医学会の診断基準、通称DSM5にはちゃんと記載されています。

※DSM5では選択性緘黙と表記されている(もちろん、日本語訳版のはなし)。

まあ、より抽象的な言い方をするなら場面緘黙症とは「ある状況においては問題なく発話できるものの、特定の状況においては発話に支障が出る症状」ですね。

この場面緘黙症は通常、子供時代に発症するものであり、大人になってから発症することはまれであるといいます。

ただ、両親からしたら家では普通にしゃべるので「もう、この子ったら本当人見知りで困ったもんだわ」くらいで済ませてしまうケースも多く、適切な治療を受けないまま大人になっていることがあるといいますね。

もう一度いいますが、「場面緘黙は治療が必要な病気であって、単なる人見知り等の性格上の特性で済ませられないもの」なんです。

もし、お子さんがいて先生等から「学校では全く話さない」という話を聞いたら、少し心療内科を受診してみることを視野に入れてみるのもいいかもしれません。

疑問に思ったら専門家を頼ってみましょう。

参考

場面緘黙の原因ってなんじゃ?

場面緘黙症の原因についてですが、正直いって

「これが原因だ!!」みたいに明確な事はわかっていません。

いうなれば、「様々な要因が相互に連関しあって生じている」という実に気持ちの悪い結論となっています。

とはいえ、原因として考えられるものはいくつか考えられており、例えばそれらには以下のようなものがありますね。

  • 不安を感じやすい気質
  • 発達特性
  • 機能的な問題(言語能力、身体能力、運動能力等)
  • ネガティブ体験により生じた心の傷や認知の歪み等

これらの内の一つか複数かはわかりませんが、それらが要因となって場面緘黙症が生じるというわけです。

例えばですが、不安を感じやすい気質を持っている子供がある時、学校の朗読会で本を読んでいた時にクラスの子供たちに活舌があまりよくないことを執拗に茶化されてあげく激しい人格攻撃をされたとしましょうか。

この場合、もしかしたら「人前で何か文章を読む」という行為と上記の「執拗に活舌の悪さを茶化されて人格攻撃された」という記憶が結びついて人前で文章を読もうとしたらこの記憶がよみがえり一言も発せなくなるなんてこともあるかもしれません。

まあ、これは「例えば」の話に過ぎませんが、場面緘黙は様々な要因が相互に関連しあって怒るもんなんですね。

一概に「これが原因です」とは断言できないといっていいでしょう。

場面緘黙には周囲の理解が不可欠

もうこれで、三度目になってしまいますが、「場面緘黙は病気です」。

だから、決して性格上の特性とかで済む問題ではないので「話さないのは甘えだ」とかいうのは「大間違いだ」といえます。

当然といえば当然ですが、場面緘黙症を改善していくにあたっては、「周囲の理解や助け」が不可欠になるんですね。

なので、職場や学校で「何も話さない人」に対して「なんか言えよ?話せんだろ?口ついてんだろうが!」とどついたり、「話してくれないとわからないんだけど?」みたいに話すことを強要するのはやめましょう。

そういう時は、質問をイエスかノーかだけで事得られるようにするとか、筆談を使うとかして対処していけるといいと思います。

まあ、「めんどくせえな、知るかよ。そんなめんどくせえ奴」と思う人もいるとは思いますけども、やはり困ったときはお互い様っていうのはあるので、配慮していったほうがいいと思うわけですよ。

月並みな意見ですけど。

そして、場面緘黙症に対する認知度はまだまだ日本では少ないです。

でも、別に場面緘黙症は新しい概念ではなく実は、1934年ごろにすでに初期的な研究が始まっており、そんなに目新しい概念なではないんですな。

なので、よく言われる「なんにでも病名つけりゃあいいってもんじゃないぞ!」みたいな批判はお控えなすって!下さると幸いです(何様?)。

おわりに

この記事は『「家ではじょう舌、外では寡黙」話したいけど話せないのは甘えじゃない』と題しておおくりしました。

上述したように場面緘黙症に対する社会一般の認知は依然として低いように思います。

まあ、人見知りと勘違いされやすい気はするので中々一般には理解が広まらないのかもしれません。

とはいえ、個人的にはもっと場面緘黙に足する認知が進んでより多くの人が快適に過ごせる社会になるといいなって感じはしています。

まあ、だから今回こんな記事書いているわけ。

あと、もし「自分は場面緘黙症かも?」と思われる方がいましたら、ぜひとも心療内科や精神科を受診してみてくださいな。

それは自分の力だけではいかんともしがたい代物です。

ずっと自分だけで抱えていくのは大変ですよ。

「もしかして、、、」と思ったら早めの対策を!!

では!

参考

https://snabi.jp/article/171

https://news.yahoo.co.jp/articles/a14ff5daa2525b334de2e581a80473c33d340f7f?page=2

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