今回は以下の様な方に向けておおくりします。
・嫌われがちな名言について知りたい人
・話しのネタが欲しい人等
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「この名言(迷言?)嫌い!!」割と嫌われがちな名言11選」という話です。
いわゆる名言は、時に人の心の支えとなってくれるものですが、名言の中には「他人から嫌われやすい名言」というものもあります。
今回はそんな「人から嫌われやすい名言」を紹介してみようかと思う次第。
なお、「心に響く名言」についての記事はリンクからどうぞ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
若いうちの苦労は買ってでもしろ
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という名言?がありますが、、、正直言ってあんまりいい気持ちはしませんよねえ。
ただ、その意味するところは、「若いうちにいろんな経験をしておくとあとあと役に立つよ」といったものなので意味自体は何もおかしなことは言っていないんですよね。
実際、いろんな経験を早いうちにしておいた方がその後の人生を楽に生きられるっていうのはわかる気がしますからねえ。
ただね、「言い方がなんかむかつく」っていうのはありますよね。
「若いときの苦労は買ってでもしろ」という表現が、「苦労することを押し付けられている」とか「苦労すること自体を美化しているみたいで不快」なんて感じがするかもしれません。
実際、苦労なんて少なければ少ない方がいいですもんね。
ただ、自分が「これをやりたい!」というものを見つけたときは、それをやるために避けては通れない苦労は必ずあります。
そういった苦労は自分から積極的に受け入れていくしかないです。
とりあえず、苦労すること自体をありがたがるんのだけはなんか違うなって気はしますよねえ。
子供は親を選んで生まれてくる
いわゆるスピリチュアルに傾倒している一部の人達は、「子供は親を選んで生まれてくる」という言葉を多用します。
これを名言にカウントしていいのか少々疑問ですが、かなり批判の多い言葉であることは確かです。
特に、いわゆる毒親に育てられた人からすると「親の虐待や不適切な養育を弁護する害悪となる考え方だ」といった批判があります。
まあ、わたしもこの「子供は親を選んで生まれてくる」という主張には、かなり強い不信感というか有害性を感じているんですよねえ。
「誰だよ、こんなクソな考えを広めた野郎は?」くらいに思うところがあります。
明けない夜はない、やまない雨はない
「明けない夜はない」とか「やまない雨はない」という言葉がありますが、正直悩んでいる当事者としては「そんなこと言われてもな」という印象でしょう。
本当に失意のどん底で悩んでいる人からしたらこの手の名言を言われたら、「お前にわたしのつらさがわかるかよ!」とか「うるせえよ、知ったようなこと言うな、ほっといてくれ!」等と反応したくなると思います。
実際、失意のどん底にいる人に対して変な慰めの言葉なんていらないんですよね。
正直、前向きな言葉って受取るのに結構な精神力を要しますからねえ。
みんなちがってみんないい
「みんなちがってみんないい」とは、詩人の金子みすゞ産の名言であり、この名言は一般的に「多様性の許容」や「ありのままの自分を受け入れることの大切さ」を説いていると考えられています。
わたし自信は結構この名言が好きですが、やはりこの名言に対しても批判があります。
その批判の中で一番ありがちなのは、
「みんな違ってみんないいなんてそんなことはきれいごとだ。世の中には許容されない違いがあるじゃないか!」
といった批判です。
例えば、障害を個性だという話もありますが、これも同様の批判をされることがありますよね。
他には以下のような批判もあります。
- みんな違ってみんないいは強者の理論だ
- なんでも「個性だから」で済ませるようでは世の中がおかしくなる
まあ、批判も一理あるかなという印象です。
神は乗り越えられない試練を与えない
「神は乗り越えられない試練をあたえない」という名言もかなり嫌われます。
この名言に対するよくある批判は、「人生で起こるめんどう事がすべて乗り越えられる試練だけだったら人生もっと楽じゃないか?」て感じのものがありますよね。
正直、この名言はわたしも嫌いですよ。
だって、「神とかじゃかしいわ!そもそも誰が試練なんてくれっていったよ?ほっといてくれよ!!試練なんてなんもよこすな!!」て話ですからね。
ま、もっとも私は神なんてまるで信じちゃいないんですけどねー。
ただ、神なんているとしたら相当性格の悪いおせっかい野郎だと思ってはいます。
ちなみに、この名言の出典は、新約聖書のコリントの信徒への手紙第10章13節であり、現在この名言の「試練」とは「誘惑」の誤訳であることが判明しているんだそうな。
努力は必ず報われる
「努力は必ず報われる」という名言もよく嫌われている印象。
まあ、これはそれなりに努力したことがある人ならわかりますよね?
努力とか普通に自分を裏切ってきますから。
特に、努力の中で報われないのは、「方向性の誤った努力」ですね。
ちょっと例としては極端ですが、大学受験に成功するために毎日毎日神社にお参りに行くだけの人と、きちんと受験計画等を練って必死に勉強する人のどちらが受験に合格するでしょうか?
もちろん、「きちんと勉強する人」ですよね?
受験に合格するという目的のために、「毎日お参りに行く」とか正直まるで意味がありません。
まあ、必死に勉強するのが大前提にあってからのお参りならまだ別にいいんですが、お参りだけしていて受験に受かるとかあほすぎる発想ですよね。
これは極端な例でしたが、目的に対して適切な努力をしないなら全くその努力は報われないのです。
まあ、「努力は必ず報われる」は、とんだ茶番って感じの名言ですわね。
おかれた場所で咲きなさい
「おかれた場所で咲きなさい」とは、カトリック修道女でアメリカ文学者の渡辺和子さんの名言です。
渡辺さんはこの言葉をとおして、おそらく「物事を受け入れることで心が楽になるよ」といった事を伝えたかったのかな?なんて思う次第。
ただ、この名言もかなり批判されています。
その批判の代表的なものには、「あまりにも精神論や根性論が過ぎる」といったものがあるようです。
確かに、「おかれた場所で咲け」といわれても、そもそも当人の置かれている状況が劣悪すぎるなら、「こんな場所になんていたくないよ!我慢しろっていうのか?」て気持ちになるので腹も立ってきます。
例えば、だれが好き好んで毒親のいる家庭やブラック企業なんかに身を置きたいかって話です。
まあ、「ふざけろ!苦労しているこっちの事もしらねえで!」って感じでしょう。
ちなみに、渡辺和子さん本人は著書の中で「どうしても苦しければ逃げるのもありだ」といった趣旨の事を言っているようです。
ありのままでいいんだよ
世の中には一定数、「ありのままでいいんだよ」といった慰めの言葉を良かれと思ってかける人が世の中に結構います。
一見すると、いいこと言ってそうにも見える言葉ですが、やはり批判は存在しますよね。
その批判の代表的なものには、
「本来直すべきところも自己正当化していいと言っているようで意味が分からない」
といったものがあるようです。
確かに、心理学的には「自分のありのままを受け入れる」のは大事なことです。
自分のいいところも悪いところも受け入れることで、本当の意味で自分を認めることができるのは間違いありません。
人間は「何かが欠けているのが普通な不完全な存在」ですので、完璧主義に陥っている人には「ありのままでよい」という考えはストレスを緩和させるという意味で有益なものとなるでしょう。
しかし、その一方でこの言葉が「行き過ぎた自己正当化」につながる危険性は常にあります。
もし社会とのかかわりあいを無視して独善的な自己正当化の道具として「ありのままでいいんだよ」という言葉が機能させるなら、他人に「ありのままの自分を受け入れることを強要する」といった暴挙を誘発しかねません。
これは以前の「自己肯定感ばかりを高めることの危険性」についての記事でも言及したことです。
そして、そもそも人間関係や社会との関係でうまく折り合いをつけられなくて困っている人が、「あなたはありのままでいいんだよ」なんていわれても、「いや、ありのままで問題起こっているから困っているんですが、、、」みたいになりますしねえ、、、。
ちょっとこの言葉は使い方が難しいですよね。
人命は地球より重い
「人命は地球より重い」とは第67代総理大臣の福田赳夫さんが、1977年の日航機ハイジャック事件で人質を開放すべく超法規的措置を実行した際に発した名言です。
この名言には見ての通り論理的にはかなり突っ込みやすいので、「地球と人命比べるとか、、、さすがに比較対象がおかしいって」といった感じの批判、、いやつっこみ?があります。
ただ、論理・科学的に考えると「いや、別に人間の命なんてそんな言うほど重いの?」と思うものの、この名言が「人命は非常に尊さをという強調する表現」と解釈すればそこまでおかしくないかもしれません。
まあ、論理的におかしいのは納得ですがね。
死ぬこと以外かすり傷
「死ぬこと以外かすり傷」という言葉にも結構批判の対象になりがちです。
その批判には以下のようなものがある模様。
- 自分の打たれ強さを自慢しているだけにしか聞こえない
- 死ななくたって一生残る傷だってあるのに無神経すぎる
- そもそも生きてるだけで致命傷
ふむ、確かに批判の内容には一理あるんですよね。
「死ぬこと以外かすり傷」とか言っても、そもそも生きているからこそ傷が痛いわけですから「生きているせいで苦しい」ともいえるわけです。
むしろ、人によっては「死んでしまった方が苦しみから解放されるんだから生きていること自体が害悪だ」と感じているのは事実なんですよね。
そう、世の中には一定数「死こそが唯一の救い」としか言えないレベルで精神的に疲弊している人がいるのは事実なのです。
そんな人たちに向かって、「いやあ、死ぬこと以外かすり傷だよ」なんて言った日にゃ、「ふざけんな!!」て怒られても仕方ないでしょう。
ちなみに、この「死ぬこと以外かすり傷」という名言を最初に言ったのはどうやら実業家、著述家である山崎拓巳さんのようです。
配られたカードで勝負するしかないのさ
「配られたカードで勝負するしかないのさ、それがどういった意味であれ」とは、あのスヌーピー御大が発したとして有名な名言です。
この名言は広く支持を受けているようですが、やはり批判もきちんと存在しています。
その批判には例えば、以下のようなものがありますね。
- 自己責任論でしかない
- 生まれが悪すぎたり遺伝的に勝ち目がない場合どうしろっていうのか
この名言は、金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」と同じようなにおいがする名言ですので、やはり批判の内容も似たようなものが多い印象ですよねえ。
自分の至らなさを自覚して悲嘆に暮れているところに、「配られたカードで勝負するしかないのさ、それがどういった意味であれ、、、」なんて言われたら、「うるせえ!だまれ!」て感じになりますよね。
正直、こんなシチューエーションで偉そうに言われたら、わたしもムカッときますよ。
ちなみに、「配られたカードで勝負するしかないのさ」という名言の本当の元ネタは、ポーカー界隈の昔からの名言「You play with the cards you’re dealt」だそうです。
嫌われる名言を見てみて分かったこと
さて、ここまで11個の嫌われがちな名言をざっと見てきたわけですが、あなたはこれら名言の共通点について気が付きましたか?
その共通点とは、「どれもこれも他人に向かって言うようなものではない」ということです。
今回紹介した名言はそのどれもが「自分がつらいときに自分に対して言い聞かせる」のであれば、苦難を乗り越えるための力として機能するでしょう。
しかし、逆境の渦中にあって他人から今回紹介した名言を言われようものなら「お前に何がわかるんだ!!」と腹も立ってくるものです。
人には共感性がありますので、他者の痛みを自分の痛みのように感じとる事もあります。
しかし、本来「その人の痛みはその人にしかわからない」のであって、「誰も同じ痛みを感じることは不可能」なんですよね。
そのような痛みの非対称性ともいえるものをしっかりと自覚しないと、今回紹介した名言を他人に対して平然と使ったりする事になると思うんです。
なんだろう、、、とりあえず、「今回紹介した名言はつらそうな人には使わないで上げてほしい」ってのが、わたしからのお願いですかねえ。
まあ、よろしゅうたのんます。
おわりに
この記事は「「この名言(迷言?)嫌い!!」割と嫌われがちな名言10選」と題しておおくりしました。
今回は前回の「心に響く名言」の続編ということで、「嫌われがちな名言」を集めてみた次第。
今回紹介した名言はどれもこれも「自分が自分に喝を入れるため」には有効ですが、苦労している人に対して言うにはあまりにも残酷というか無神経なものばかりです。
まあ、言葉って使い方が難しいですよねえ、、、。
では!
参考記事等
「心に響く名言(迷言?)」心に残る名言60選「人生に豊かさと気付きを」
参考