「ちょっと思ったけども、なんで関東人なのに大阪弁を話そうとする人がいるんだろうか、、、?ちょっと自分はそんなことをする人の気持ちがわからんのよな。いいじゃん、標準語でさ。」
まあ方言コスプレってやつかね??
知らんけど。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「話体応化理論(スピーチアコモデーション理論)とコミュニケーション調節理論って何?」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・話体応化理論(スピーチアコモデーション理論)について気になっている人
・なんで地方出身でもないのに方言を話そうとする人はいるのか気になっている人
・話のネタが欲しい人等
関東出身なのにもかかわらず、何故か意識的に大阪弁や広島弁等といった関西方面の方言を話そうとする人、また自分の話し方の中にその要素を取り入れようとする人っているものです。
まあ、わたしもなんですけど、、、、。
そんな人たちはなんでそんなことをしているのかって少し気になりませんかね?
実は、これは話し方に関する理論である「話体応化理論」というものによってある程度説明がつくものなんですね。
さて、ではどんな風に説明ができるんでしょうか?
今回は有斐閣から出ている「社会心理学」を主に参考にしている次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
話体応化理論(スピーチアコモデーション理論)てなんなの?
話体応化理論(コミュニケーションアコモデーション理論とも)とは、アメリカの社会心理学者であるハワード=ジャイルズさんらによって発展させられた言語学から社会心理学にまたがる理論です。
この理論は、会話場面における言語の使用に焦点をあてたものになります。
話体応化理論は、当初バイリンガルな2国間の話者の会話や,同言語でも発音の異なる2者の会話などが中心的な研究対象であったそうです。
コミュニケーション調節理論って何かね?
ハワードジャイルズさんらによって発展させられた話体応化理論は、Giles,Mulac,Bradac,& Johnson(1987)の 論文で「コミュニケーション調節理論(略称CAT) 」へと呼称を発展的に変更しました。
コミュニケーション調節理論では、「自己呈示」ないし「印象操作」のプロセスを理論的な源泉として取り入れることを試みています。
そしてGiles & Ogay(2007)では、 コミュニケーション調節理論の基本原理として以下の4つを挙げられている模様。
・ コミュニケーションは,その場の状況や参加者の初期の方向性の特徴だけでなく相互作用が埋め込まれた社会歴史的文脈によっても影響される。
わたし達はいろんな集団に属しており、人と人とが2人で出会う場面にあっては各々の集団が持っている社会的歴史的文脈が2人の会話において作用します。
例えばこれは具体的に言うなら、太平洋戦争を知っているアジアの人の中には反日感情を抱く人もいますが、戦争に直接関わってない若い世代の人々同士の国際交流においても反日感情の影響が現れる可能性があるということです。
・コミュニケーションには,「指示的意味の交換(単なる事実や考えや感情についての情報交換)にみならず、調整(アコモデーション)を通して行う「個人的・社会的アイデンティ ティの交渉」の両方が含まれている。
例えば大阪出身の学生が東京の大学に入学し周囲の友人知人がみな標準語しか話さないような状況にあってあえて関西弁を話す事を押し通そうとする場合、その学生は「自身が関西人である」というアイデンティティを固持しそれを他者へアピールしていることになります。
・ 相互作用する者は最適なレベルの調整(アコモデーション)について期待を持っている。
これらの期待は広く行き渡っている社会的・ 状況的規範だとか外集団メンバーに対するステレオタイプが基となっているんだそうな。
調整の有無や過多過少の判断により,相互作 用の継続か離脱が決定されるといいます。
そして会話における調整の方略としては、収束(convergence)と分岐または拡散(divergence)の2種類があります。
この2つの方略の概要は以下の通り。
収束(convergence)
収束とは、簡単に言えば「相手の話方に自分の話し方を近づける事」を言います。
この収束の動機には、(Giles et al., 1987)によると以下の4つがあるそうです。
- 社会的承認
- コミュ ニケーションの効率を高める
- 相手と分かち合う自己そして集団イメージの獲得
- 状況的な制約
この収束の具体例としては、イギリスのような話し方で社会階級が明確に分かってしまう社会において、低階層に属する人が上位階層の人達の話し方を模倣しようとするものが挙げられるでしょう。
これは低地位集団の人達が、高地位集団からの受容や是認を求めているが故の現象と考えられています。
・分岐ないし拡散(divergence)
分岐ないし拡散とは、収束とは逆に「自分の話し方を相手の話し方から離していくこと」を意味しています。
この動機としては,「対話者との差異を強調化すること」があるそうです。
つまり、これは上述した「東京の大学へ入学してあえて関西弁を話し続ける学生」の例が相当しますね。
あえて「自分は関西人だぞ!」という事を周囲に示すために、標準語が使われている場所で意識的に関西弁を話しているという事です。
方言コスプレって一体何かね
コミュニケーション調節理論に関連して、「方言コスプレ」というものについても触れておきましょう。
方言コスプレとは言語学者の田中ゆかりさんによると、
「日本語社会の中で広く共有されている「方言ステレオタイプ」が示すヴァーチャル方言の特定のキャラを、コスプレのように着脱可能なものとして身にまとう現象」
であるといいます。
中々分かりにくい表現ですので、具体例を挙げてみましょうか。
先ほど東京の大学に入学した学生がわざわざ関西弁を使い続ける例とは逆に、関東そだちの人がわざわざ関西弁を使うような場合が方言コスプレの一例という事になります。
方言には、その方言が話されているそれぞれの地域にすむ人々に対するある種のステレオタイプのようなものがあるものです。
例えば、大阪の人は面白いとか東北の人は素朴とかそんな感じですね。
そういった「その方言が話される地域の個性」のようなものをあえて方言を模倣することで、自分にまとおうとするのが方言コスプレなわけです。
ちなみに方言の部分的要素を「共通語」にちりばめて使うという用法のことを「方言のアクセサリー化」と呼んだりする模様。
例えば、語尾だけを「~ねん」や「じゃけん」等に変化させるなどといった標準語の中に部分的に様々な方言をちりばめて使う使用法ってことですね。
田中教授によると、「方言コスプレ」は「共通語中心社会」、つまり東京等で特に目につく現象であるといいます。
対して、西日本といった「方言主流社会」ではこのような現象を不快に思う人もいるそうです。
まあ、方言話者からしたら「なんかおちょくられている気がして不快」なのかもしれません。
確かなことはわかりませんがね。
で、もう気が付いている人もいるでしょうが、わたしもこういった方言コスプレを積極的に行っている者の一人です。
わたし自身は横浜育ちの横浜民なわけですが、正直広島弁でも九州弁でも大阪弁でもなんでも使えそうなものは取り入れています。
さらに言えば、古語をつかったりすることもありますね。
何でこんなことして「エセ方言」を話そうとしているかと言ったら、それは別に「方言をおちょくりたいから」等ではなく「単に語感や発音したときにリズム感」等が好きだからというだけです。
もっとも、大阪弁に関してはわたし自身が「人を笑わせてなんぼ」とか「ノリがいいのが一番」みたいに考えるところがあるせいかもしれません。
これは「大阪の人=ユーモアがあって面白くて明るい」みたいなわたしのステレオタイプのせいかもしれませんなあ。
正直、わたしはそういったイメージが大阪の人にあります。
しかし同時に「そうではない人もいる」という事も自覚しているので、このステレオタイプで全ての大阪出身者をくくってやろうとは思っていません。
ただ大阪弁って個人的にすごくノリがいい気がしているのですな、漫才のせいかもしれませんが、、、。
わたしは「ユーモアのある人へのリスペクトの気持ち」や「自分もそうなりたいという願望」のせいで、こういった方言のアクセサリーかを行っている可能性が高いんじゃないかなって自己分析していますね。
なので、各方言ネイティブの方々には「エセ方言使いやがって!このクソオニギリめが!!」と目の敵にするのはやめてほしいなあって気分です。
私は方言をバカにしとりません。
ちなみに余談ですが、大阪の人達がよく使う「知らんけど」という表現がわたしはすごく好きですね。
いい感じに肩の力が抜けるいい表現だなって感じがします。
おわりに
この記事は「話体応化理論(スピーチアコモデーション理論)とコミュニケーション調節理論って何?」と題しておおくりしました。
話し方というものは実にいろいろな影響を受けて変化するのが、分かってもらえたかと思います。
なお、本文中で言いましたが、「わたしは方言をバカにしておりません」ので大阪の方々を始めとした方言ネイティブの方々堪忍え!
では!
参考
https://en.wikipedia.org/wiki/Howard_Giles
file:///C:/Users/arcan/Downloads/KJ00006078119%20(1).pdf
http://www.tufs.ac.jp/icjs/activityreports/2012/20120628.html