自分の職業をバカにされても何も気にする必要はない。職業に貴賎なし。
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「職業に貴賤なしなんて言うけどきれいごとじゃね?私はMRだけど、どうにも医者は横柄な連中が多い気がするし、本人たちも特権階級としての意識が強い気がするわ。まあ、医者の給料はいいしな。仕事の価値が高い証拠だな。実際、社会的な信用度だって医者のほうが圧倒的に上だしな。こんなんだったら、少し浪人してでも医学部はいっときゃよかったわ。おかげで今はこのざまだ、、、くそが!」

おいおい、医者の激務具合とか知らないのかな?

医者なんて割に合わないくらいつらい。

それに金でしか価値が計れないなんてよ、、、了見せまっ!

オニギリス!

脱マンネリストのおにぎりです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「自分の職業を馬鹿にされても気にすることはない」という話です。

はい、結論から言うとあなたは職業人である以前に「一人の人間である」ということを忘れちゃいけないのです。

あなたが何の仕事についているかとかはそもそも「あなたの存在価値とは関係がない」のですよ。

もっとも、職業を通して社会とつながっているので「ただ存在しているだけでいい」と自分に寛大になるのはむつかしいでしょう。

しかし、それでも「あなた自身の存在価値」は職業なんかとは関係ないです。

なので、職を馬鹿にされてもあなた自身は何も気にすることはありません。

職業なんてどうだっていいんです。

貴賤がないどころかそもそも「単なる役割分担」にすぎません。

では、ゆるりとおおくりします。

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職業の貴賤は作られる

「職業に貴賤はない」。

よく聞きますね、この言葉。

さて、職業に貴賤はないのでしょうか?

はい、本来は職業には貴賤どころか「何の上下もありません」。

実際、職業なんてただの役割分担にすぎません。

しかし現実的な視点からすれば、「職業の貴賤は作られる」という話。

国の都合からしても、「職業に貴賤がないと困る」のです。

特に、安定性や秩序を重んじる国家にとっては、職業に貴賤がないと統制がとりにくいという実情があります。

まあ、簡単に言うと「権威性」がないと国のような組織はまとまらないということですね。

例えばではありますが、いわゆる水商売と高級官僚が同じ評価であっては国家統制に問題が起こるのです。

そう、「職業の貴賤は作られる」側面もあるんですよね。

職業なんて本当はどうでもいい

まあ、どうでもいいは言い過ぎかもしれませんが、「職業なんて個人の幸福に関してはどうでもいい」と考えるのもアリではないかと思っています。

もちろん、快適な生活をするために十分な給料がどうとかという問題はあるかもですが、わたしはそもそも職業を通して自己実現を図ろうとする姿勢自体に問題があると思っています。

さらにいうなら、マズローの欲求段階説でいうところの自己実現を目指す上でも問題があるのではないかと思うのです。

自己実現をひたすら目指すには多量の精神的エネルギーが必要です。

そして、そのエネルギーとして世の中でよく活用されているのが「闘志とか飢えや渇き」というもののように思えます。

しかし、心理学的に考えたとき、飢えや渇きがある状態というのは「幸福とは真逆の状態」であるといえるんです。

こんなものを原動力にしなくては自己実現ができないというなら、自己実現では幸福にはなれないということになってしまいます。

なので、個人的には「好奇心や他者からの感謝」のようなポジティブ感情を基調とした自己実現を目指すのが望ましいとの見解でいます。

そして、自己実現以前に社会の評価などとは無関係に「あるがままの自分をうけいれる」ことができてさえいるならことさら自己実現を目指さずとも心は平静で特に困ったことも起こらないということ。

そこで、個人的には心理学でいうところのPNSE、いわゆる悟りのような状態になってしまうのがいいといえます。

こうなってしまえば、自分自身に対する雑念は消えるので社会からの評価なんてものにも気をそらされにくくなるんじゃないかと思います。

結局、自尊心を高めてしまえばこっちのものです。

職業に対する評価なんてどうであってもかまうことはないんです。

あなたは生まれてから死ぬまであなたでしかないんですから、、、。

何の職業?給料はいくら?、、、、だから、どうしたというのでしょう?

そんな評価に何の意味があるんでしょう?、、、、

どうせ、いつかみんな死ぬのに、どうせ手に入れてもいつか失うのに、そんなくだらない評判のために生きるのですか?

もう、うえも乾きもいりませんよ、そんなものいりませんって。

いずれ死ぬことがわかっているなら、なるべく生きている間は苦なんてないほうがいいに決まってます。

もう、社会の評価と自分の価値を切り離してしまいましょう。

「自分はあるがままでいい。社会からの評価なんて知らない」。

参考記事等

必要とされることの必要性

とはいえ、人間は良くも悪くも社会的動物。

誰かに必要とされないとやる気はなくなり、次第に自暴自棄になっていくものです。

ですから、あなたがどんな職に就いていたとしても

社会や他人にいったい自分の持つスキルでどんな価値を提供できるのか」

という視点を持つといいと思うのです。

視野を広く持つことが大事です。

実は、わたしこの記事でさも聖人君子よろしく「職業に貴賤はない」なんて言っていますが、前は職業には貴賤があって当然だという立場でした。

具体的に言うなら、科学文明を進歩させるべく邁進する「理系の科学者」こそが至高の職業であるとの考えでした。

そして、もっと具体的に言うなら「時代を変える発明をする天才的科学者」にしか存在価値はないって思ってました。

三人寄れば文殊の知恵といいますが、当時の私にとっては「愚物が三人集まって破綻する」のほうがよっぽどしっくりくる感じでした。

当時の私にとって極一部の「理系の天才以外の人間は人権なんて与えられる必要がない存在」でした。

なので、自分がそうでないなら自殺するしかないだろうとかなり真剣に考えていましたよ。

今思えば、この考えこそ「バカそのもの」ですね(笑)。

当時の私にとって、人間の価値とは「知性」でした。

なので、理系の優秀な科学者こそがたくさん給料をもらうべきだとも思っていましたね。

額でいうと年に数億なんて普通にもらう権利があると思ってました。

それなのに、世の中ではスポ―ツ選手やタレントのような職業のほうが高額をもらっている、、、そんな現状を不快に思い

「連中が何か科学文明の発展に寄与したか?生活を便利に効率的にしたか?くだらない存在がもてはやされすぎだ!他人がスポーツをプレーするのを見て何が面白い?スポーツなんて自分がやるものだろうが!プロのスポ―ツ選手だと?そんなもの発達した文明の上澄みじゃないか。そんな何も生み出さないクソみたいなものにこの額だと、、、世の中馬鹿か屑ばっかだな!」

なんて内心かなりキレていました。

そうそう、昔はですね、めっちゃ好戦的なソシオパスでした。

なんせ、本当に人を人だって認識してませんでしたから、、、、。

もう、あのころには二度と戻りたくないですね、、、いろいろ不幸な時代でした、今思うとね。

ああ、頭痛がしてきた(笑)。

参考記事等

社会のためにあなたがいるわけではない

よくこんなことを言われますね。

「社会に貢献しなさい」なんてね。

はい、でもですね。

貢献は別に「自分を犠牲にしてまでするもんじゃない」です。

それに「貢献する気のないこと」であっても、見方によっては「社会に十分すぎるほど貢献している」なんてこといくらでもあるんです。

まず、あなたが「満たされる」ことを重視すべきです。

満たされたうえで「余りを社会に返したらそれで充分」でしょう。

あなたが生きているから「この世界を認識できている」んですから、あなたが死んだら世界はあなたにとっては存在しないのと同じことになります。

なので、ある意味で自分中心であるのは理にかなっています。

とはいえ、社会に自分が存在し続けるためには社会とのかかわりもおろそかにはできません。

そこで提案したいのが「究極の利己主義」です

いわゆる「自己中」は中途半端な利己主義です。

自分にとっての「利益」のとらえ方が狭いのです。

詳しくはこちら。

職業に愛着なんていらない

はい、上述の通り「職業の価値とあなたの価値は別」です。

なので、職業にプライドなんていりませんし、愛着もいりません。

あなたはその時ついていた職業とその時有していたスキルによって「誰かの役に立った」、それで十分なんです。

まあ、とはいってもなかなか難しい発想であることはわかるつもりです。

実は、わたし自身は国や民族、自分の生まれ故郷といったものに全く愛着が持てない人間です。

理由は知りません。

まあ、自分の所持品や過去についてもそうですが、いつでも「今」しか頭にありません。

そんな自分からすると国や民族、故郷を大事に思う人が理解できません。

わたしからしたらみんな替えがきく程度のものでしかないです。

まず言語の壁を突破しないことにはどうにもならないものの、そもそも国とか民族なんて必要なくて世界を一つの国家のようにしてしまったほうがいいと思ってますね、はい。

なので、もしかしたら一般的な人とは思考が違うかもしれません。

でも、やはり「世界を認識する起点である自分」をまず大事にすることのほうが当たり前に思えます。

社会は二の次です。

おわりに

この記事では「自分の職業を馬鹿にされても気にすることはない」と述べました。

職業に対する評価は職業に対するものでしかありません。

あなたの価値を決めるのはいつでもあなたです。

誰にも価値を決めることなんてできません。

なので、もし自分の職業をバカにされることがあっても

「まあ、こいつにとってはわたしの職業の評価はこういうものなのね、ふーん」

とか思っておけばいいです。

他人の考えに腹を立てるのも時間の無駄なのでね。

とはいえ、むかつくときはむかつくと思うので、以下の記事も参考にどうぞ。

まあ、気楽にいきましょう。

では!

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参考記事等

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