人はいずれ死ぬとわかっていても、なんで生きていられるのだろうか?

「人はいずれ死ぬっていうのになんでこうも努力なんてしてられるんだろう、、、、。いくら努力して何をえてもどうせ最後はすべてを失って死んでいく、、、。それだってのに苦労したり努力したりなんて無駄だって思えてならない。どんなに積み上げたって最後は浜辺に作った砂の知ろよろしくむなしく時の流れに洗い流されるだけだ。人生なんて始まるも何も初めから終わってんだよ。」

あーあ、それを言っちゃあおしめえヨ!!

その言い分にも一理あるさ、、、。

でもさ、人の本能は「生きようとしている」んだわ。

それは確かだと思う。

ならば、もっと生きることを前向きに考えてもよくないかい?

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「人はいずれ死ぬとわかっていても、なんで生きていられるのだろうか?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 人生について少しわかんなくなってきた人
  • ちょっと人生つかれてきた人

たまに一生懸命に仕事やいろんなことを頑張っているとふとこんなこと思うことってないでしょうか?

「結局、人は最後は死んで全てが無に帰すってのに、、、なんでわたしはこんなに必死こいて頑張っているんだろう?」なーんてさ。

その答えはねえ、、、。

「本能は生きたいって思っているから」てカンジかもね。

ん?

雑?

ええ、、、たかし(確かに)。

でも、今回の内容を読むとまあ「そういうもんかもなあ」て思うかも。

ま、本能がいきたいってんならあえて逆らわず、生きるのが幸せにも通ずると思うんよねえ。

では、ゆるりとおおくりします。

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死を拒絶する脳

ふとした瞬間に、「なんで人はいずれ死ぬのにこんな必死こいて生きているんだろうか?」と疑問に思うことってあるかもしれません。

はい、それは本能のせい、もっと具体的に言うなら「脳のせい」かもしれませんね。

実は、脳の機能に関して面白い研究があります。

それはイスラエルのバル=イラン大学の研究です。

この実験では人の脳が死をどのように認識するかを脳波活動のモニタリング実験により調べています。

参考

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1053811919306688

この研究の簡単な概要は以下。

  • 被験者にスクリーンに連続で映し出される顔写真を見てもらって脳波を測定する(被験者自身の顔や被験者が全く面識のない人の顔も映される)
  • 写真の上には様々な単語が同時に添えられている。(その単語の半数は死に関連するもの:葬式や埋葬等)

これについて、Dor-Ziderman氏は「脳が自己と死の結びつきを拒絶するため、予測システムを自動的にシャットダウンさせた」と説明します。脳は、否が応でも自分が死ぬことを連想したくないというわけです。

そして、その結果の概略が以下。

  • 次に映し出される顔と被験者の予想が合致した場合には、脳が驚きを示す電気シグナルを発した
  • 被験者は死に関する単語と他人の顔が合致した際に電気シグナルを発したものの、自身の顔と死に関連する単語が合致した際はいかなるシグナルも発してなかった

Dor-Zidermanさんという心理学者の方によると、この結果は脳が自分と死を結び付ける事を拒絶するために、予測システムを強制終了させたものだとか。

この研究によると防御反応の一環として、脳には「死は他人にだけ生じる出来事である」とカテゴリー付けする機能があるといいます。

当たり前ですが、普段から「自分はいずれ死ぬんだ、、、」みたいな意識が頭の中に強くあったら、「もういっそ早く死んだほうがいいかも」とか「人生なんて何をしても無駄じゃないか」と過度に悲観的になるかもしれません。

そのような自分の存在を脅かす思考から身を守るために、脳は死を「他人事」と認識しようとするってわけですね。

ということは、、、、これは推測に過ぎませんが、うつ等で脳のパフォーマンスが低下していると上記の死から身を守る防衛機制が適切に作動しないので自殺を考えてしまうってこともあるのかもしれませんねえ。

このような防衛機制は心が発達していって「死は全ての人に訪れるのだ」との事実が理解できるようになった時期に作動するそうです。

防衛機制が発動すると、脳が「自分と死を結び付ける情報」に遭遇するとその情報を「信頼できないもの」と認識するんですな。

「死」という不可避の運命に直面すると、生というものの無価値さを痛感して「生きていこう」という気力が奪われてしまいますからねえ。

脳が死に関心を持たないことは能動的に生きることにつながるわけです。

以前当ブログで取り上げたように、人間には「特に何の根拠もないのに将来は漠然とよくなる」と考える傾向があります。

これをポジティブイリュージョンなんて言ったりしますな。

詳しくは以下。

わたしたちは通常「生きていればなんかいいことある」と思って生きているわけです。

それが例え理屈で言ったらまちがっていたとしてもね、、、。

2、「こう生きるべき」より「こう生きたい」を大事にしよう

まあ、良くも悪くも脳には「死を自分を結び付けない機能がある」訳です。

まあ、雑に総括するなら人は「本能的に生きようとしている」ということですな。

、、、であるならば、やはりその機能に従って「生きることを選択する」のが自然な流れですしそれでいいと思います。

ただ、どうぜ生きるのであれば「強いられた様にして苦しく生きる」よりも、もっと「自分の気持ちを大事にして幸せに生きていきたい」と思うのが人情でしょう。

幸せに悔いなく生きてくためには「世の中が人としてこうあるべき」なんて提示する価値観に従うのではなく、「自分が大事にしたい価値感に気付きそれに基づいて生きること」が大事になってくるといっていいでしょう。

どうでしょうか?

日々忙しいながらも、少し立ち止まって「自分は一体何を大事にしたいのか」について思索を深めてみるといいと思います。

自分の大事にしたい価値の探し方について詳しくは以下からどうぞ。

おわりに

今回は「人はいずれ死ぬとわかっていても、なんで生きていられるのだろうか?」と題しておおくりしました。

死は生きとし生ける全てのものにとって、不可避の残酷な運命です。

全ての生あるものは生まれた瞬間から、死という帰結に向かって摂理の一本道をただひた走り始めます。

しかし、その事実があってもなお人が生を無価値なものと考えて絶望せずにいられるのはほかならぬ「脳のおかげ」といえるでしょう。

本能が生きたいといっているなら、それにむやみに逆らわずその現実を受け入れて前向きに「どう生きようか」を考えるのがいいと思うんですね。

自分の生き方を考えるのなら、「いったい自分が一体何を大事にしたいと思う人間なのか?」という問いに答えてみることをおすすめしマウス。

では、よき人生を!

参考

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1053811919306688

参考記事等

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