障害は個性とは思えないのが普通だし個性にするには無理があるって話

なんか、障害は個性だっていう人たちがいるけど、、、どう考えても無理がある気がして仕方がない。しかも、障害を持っていない人ほど声高に言ってない?当事者が言うんならまだしも部外者が言っているのってどうなの?なんか変なの。」

まあ、何となく違和感というか裏に何かある気がしてくるよねえ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「障害は個性とは思えないのが普通だし個性にするには無理があるって話」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・障害は個性という話に違和感を感じる人
・普通のとらえ方を変えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等

ちょっと、今回は結構センシティブなネタに切り込んでみたいと思います。

いつからなのかは定かではないですが、最近では「障害は個性」と言った言い方がなされるようになってきた印象です。

まあ、障害をポジティブに言い換えようという流れの一環なんでしょうけども、なんか違和感というか無理やり感があります。

あくまでも個人的には「ネガティブなものはあくまでもネガティブでいいのではないか?」という気もしてきますし、なんかただ言葉遊びをしているだけのような気もしないではないです。

※過去記事で、この表現使っていたらすんません。

しかも、「障害は個性」という人たちのほとんどは障害を持っていない人たちだなんて話もあるそう。

余計に違和感です。

まあ、この違和感について最近何となく思った事があったんで述べてみたいかなあって思った次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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障害は個性というのはさすがに無理がありすぎる気がする

障害者と健常者。

感情的には、「こんな分類をするなんておかしい」といった意見が出てきそうですが、このように分類することの意味は何でしょうか?

まあ行政的には分類しておかないと、様々な支援を行う上で大いに支障が出るでしょうから、分類は不可避であろうと思います。

とはいえ「障害」という文字を使うべきなのかについては、一考の余地があるかもしれないとは思いますね。

もう少し、当事者にとって抵抗感の少ない表現はないかって話ですね。

で、それはそうなんですが、「障害も個性の一つだ」と主張する流れには違和感を禁じえません。

なんていうんでしょうか、、、なんか無理やりにポジティブにしようとしている感じがするんですよね。

人間心理で例えるなら、不安を感じているくせに「わたしは不安じゃない!不安じゃない!いますっごいやる気に満ち溢れてワクワクしている!」みたいに無理やりポジティブになろうとしているかのような感じです。

こんなことをしますと、人間の認知の特性上ますます不安に意識を向かって余計に不安が増大していきます。

空元気を出してポジティブになろうとしても逆効果なんです。

なんか、「障害は個性」という言い回しにもこの「逆効果になる空元気」のようなものを感じます。

少なくとも、今の人類にとっての生まれてきて成体になるまで、また成体の「平均的な状態」というものは現にあるわけで、これまでの人間社会も基本的にはその「平均」に合わせて構築されてきているわけです。

多数決の原理ではないですが、やはり多い方の意見を優先して物事が決まる側面はあります。

で、いわゆる障害を持っている状態というのは、そういった平均から少し違う方向に成長してる状態なわけでして、やはり平均的な人と比べると能力に偏りがあったりできる事やできない事にかなり明確な差が出て来るもんです。

で、この「出来る出来ないの差」が平均とあまりに開いていると、社会は平均に合わせて作られているので障害を持っている人が適応できなくなってしまうという事態が起こるわけですな。

そこで「社会が障害を持っている方をサポートして社会に適応できるように助けていく」という事が必要になるわけです。

まあ、こういった事を考えると、やはりどう考えても障害はポジティブな事じゃない気がします。

なので人間心理の場合と同様に、ネガティブなものはあくまでネガティブなものと認識して、そのネガティブにどう対処していったらいいかを考えるでいい気がしますね。

あまり無理のある解釈をしていく必要はないんじゃないかなって思うところはあります。

とはいえ、障害を持っている方が「自分のこれは個性だよ」というのなら、それは素直に肯定していいと思うんですわな。

自分でポジティブにとらえられるならこんなすばらしいことはないです。

ただ、いわゆる平均的な方の人達が「障害は個性だよ!」というのはどうも変な気がします。

わたしの邪推かもしれませんけど、「障害は個性」という言い回しはいかにも「わたしは障害を持っている人を平等に一人の人間として尊重してますよ。ね、いい人でしょ?」見たいな偽善的なにおいを感じるんですよな。

なんだか思想をファッション的に使っているなって感じ。

ただ、「障害は個性である!」という主張には、「障害という表立って扱うには少し抵抗感がある事柄の心理的ハードルを下げて議論しやすい雰囲気を作る」という効果はある気がします。

わたしが思うだけですが、世の中的にやはり障害にまつわる話題というのはセンシティブなものとして認識されている気がしますね。

そんな雰囲気を幾分緩和し、社会でもっと積極的に障害にまつわる問題にどう対処していくかを話し合える雰囲気をつくるのに「、障害は個性」という考え方は貢献しているのかもしれないとは思う所。

議論すらされず、「触らぬ神に祟りなし」みたいな感じでなあなあにしていったら、一向に障害を持っている方を取り巻く環境は改善しませんからねえ。

議論しやすくなること自体はいいことなんじゃないかなと思います。

しかし、ハードルが下がった分、気軽に「障害は個性」っていう人が増えるのもなんか複雑な気がするんですよねえ。

なんかうまく言語化できないけどさ。

障害があるならあるなりにできる事を考えたらいい

障害がある人も平均的な人もどちらも程度の差はあれ出来る事とできない事、得意な事とそうでない事があるもんです。

なので、それぞれが自分のできる範囲で自分なりに頑張って自分の強みを発揮して役割を担っていったらいいんじゃないかなっていうのは思います。

ここまでは一般によく言われる話なんですが、強みをきちんと発揮するにはそもそも「カバーしないといけない弱点もあるという事にはきちんと目を向けてある程度解消する事」が不可欠なんですよね。

強みに努力全振りして弱みは放っておくなんてことをすると、結局上手くいかなくなってしまいます。

例えば、「売上さえあげれば文句あるまい!」という結果至上主義者で、かつ協調性が著しく欠如した営業マンがいたとしましょう。

こういった人は一時的には調子が良くても、結局は組織内で出世できずに組織を出て独立するか転職するかを迫られることになると思います。

組織の中でうまくやっていくには、協調性だって必要なのです。

協調全無視で自分のやりたい放題でうまくいくはずないですよ。

なので、自分の弱みだってそれなりに解消する努力は場面によりけりですが必要です。

障害を持っている方の場合には、この努力というのは個人的に「あくまで障害を免罪符にせず取りえず自分なりに努力をする姿勢を示し努力する」って事なのかもしれません。

まあ、なんかこんなこと言うのも複雑な気分なんですが、現実的にそうでないと上手くいく気がしませんから言っておきたいと思います。

これはあくまでも「姿勢」であって、「実際にどうなったか」という成果についての話じゃないです。

本当にごくまれにですけども、自分の障害を免罪符にして他人に何がしかの労働を強いたりするある種の権利の濫用に近いことをする人もいます。

これはやはり許すわけにはいきません。

こういった濫用に対しては毅然と「許さないぞ」といったメッセ―ジを社会としては示すべきと思うところがあります。

きちんと融和を図っている多くの障害を持っている方からしたら、こういった一部の無法者は理由はどうあれ迷惑でしかないはずです。

まともにやっている多くの人間まで、少数の権利濫用者のせいでとばっちりを食らうのはさすがにどうなんだってことですよ。

以前あげたHSPやエンパスを免罪符にするのはダメだって趣旨の記事でもいった様に、これは障害のあるなしに限ったことではないですけどね。

権利の濫用は許しとく訳にはいかんよなって事ですわ。

まあ、障害のあるなしに関わらず「こずるい事する奴はこずるい事するししない人はしない」んですよね。

「障害者=善人」という図式はあり得ませんな。

まあ何を善とし悪とするかはちょっと難しい気もしますが、障害の有無によって善人と悪人を明確に区分することなど到底不可能です。

まあ、あれですね、人間関係においては与え与えられのバランスをちゃんととっていかないと、どうしても不公平感が出ていざこざが必然的に起こるよねってことですな。

そもそもみんなの中の普通の定義を変えていこうではないか

現在、ここ日本では「障害者と健常者」といった表現上の対比がなされるのが割と一般的ですが、結構この表現にはある種のどぎつさを感じるのも確かです。

それと現在広く社会に共有されているであろう「普通」に関する考えもあまり好ましいとは思いません。

というのも、今の社会で一般に共有されている普通っていうのは、いずれも「~という条件があるかどうか」といった視点からなされるものだからです。

そうですねえ、、、例えば、いわゆる婚活とかで「普通の人でいい」とのたまう婚活女性が結婚相手に望む普通の条件を沢山付けているなんて話はよく聞きますよねえ。

よくやり玉にあがる条件例には例えば以下の様なものがあったはず。

・年収500万以上
・顔は星野源くらい
・一人暮らし
・車あり
・大卒以上

これが客観的に見て果たして普通、つまり平均的なのかという話は置いておきますが、割とこういった条件はみなさん聞いたことがあると思います。

こんな風に「~という条件があるから普通だな」みたいに判定していこうとすると、どうしても減点方式になってしまいますな。

「普通の条件」というものを心の中に構築して、常に自分に対して条件のあるなし判定を行うようになると本当に精神衛生上よくないです。

「ああ、わたしは普通の条件を満たしていない。ダメな奴だ―」みたいにどんどん精神的に追い詰められていくんですな。

それに上記の婚活女性が相手に望む普通の項目を例として考えるなら、それぞれ独立した要素であれば普通であってもそれらが掛け合わされる事でなんかとんでもない超人が誕生してしまう事もあります。

つまり、「年収500万」だけなら普通であってもそこに「星野源さんくらいの顔」等という条件がどんどん掛け合わされる事で範囲が狭まって、最終的に自分とは不釣り合いなものすごく好条件すぎる人物像が出来上がるってことですな。

ビジネスの現場において言うなら、「全ての業務をそつなくこなしまんべんなく平均的な成果をコンスタントに出し続ける」みたいな超人が普通になってしまう事もあるよねって事。

人には何かしら弱点はあるものなので、「何でもかんでもそつなく抜けなくできる」なんて事はあり得ませんから、人間の評価に関して減点法は基本的に相性が悪いと言わざるを得ません。

少なくとも、特定の目的と効果を狙う場合以外は減点法は採用しない方がいいでしょう。

そこで普通の定義を

「何かがかけていて不完全な状態」

としてはどうかって思うんですね。

これならば障害があろうがなかろうがみんな何かしらかけていて不完全なので、全ての人にとって適用できます。

しかもこれは「不完全な状態」からの出発ゆえ、加点法で評価することになりますから、いちいち気落ちすることもなくなってくると思うんです。

いわば、「0にどんどん1を足していく」みたいな感じ。

減点法だと「~という条件がないから自分はダメだぁー」となっていたのに対して、加点法なら「~できるなんて自分凄いじゃん」となるわけです。

思考をどこから出発させるかってすごく大事ですよねえ。

ちなみに、わたしがあまり色々と条件に当てはまるかを考えてしまうときに取る思考は、

「いや、まあそうはいってもどうせ人間死んだら全部無に帰すやん。何も残らんやん。固執してどうすんねん。どんなに固執して手に入れた好条件も死んだらパーだぞ」

てやつですな。

ちょっとこれが健全で有効な手法かどうかはわからんので他人におすすめはできませんが、この思考をとると個人的にはなんか肩の荷が下りるというかあんまり力まなくなりますね。

ただ、真似しなくていいっす!

おわりに


この記事は「障害は個性とは思えないのが普通だし個性にするには無理があるって話」と題しておおくりしました。

今回は結構センシティブな問題に切り込んでみまた次第。

まあ、障害を持っていないやつがモテいる人の気持ちが分かるかって言ったら、そりゃあ分かりません。

てか、そもそも人の気持ちなんて本人でもないとわからんので、誰も自分以外の気持ちなんてわかっちゃいませんね。

なので、個人的には理解する姿勢さえあれば十分だと思っています。

とりあえず、普通のとらえ方を変えていくともうちょっと障害を持っている方もそうでない方も暮らしやすくなるんじゃないかなっていう事だけは言いたいですな。

まあ、何事も減点法でみない様にしたいものですよねえ。


では!

参考記事等

「柔軟な思考と固定観念」柔軟な考え方のメリットデメリットについて

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