今回は以下の様な方に向けておおくりします
・インキャから陽キャになれる人と陽キャになれないインキャの違いについて考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「インキャから陽キャになれる人と陽キャになれないインキャの違い」という話です。
中学まではインキャだったのに高校になってから突然陽キャになったみたいな人は結構いますよね?
その一方で、陽キャになろうとしても陽キャになり切れなくて結局インキャに戻ってしまう人というのがいます。
さて、この両者の違いは何なのでしょうか?
今回はこの両者の違いについて考えていきたいと思います。
なお、荒療治ですが「絶対に陽キャになりたいんだ!」という人は、「陽キャになる方法」についての記事を参照くださいませ。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
周囲からの評価という点での陰キャと陽キャなら頑張れば変えられる
他人からの評価としての「インキャと陽キャ」であれば、頑張れば変える事ができます。
人の性格は遺伝と環境(人間関係)の影響が半々で決定されるといわれています。
そのため、環境を変える事でインキャの人が陽キャ風の性格に変化することは十分可能です。
インキャから陽キャになった人は、およその場合「付き合う人達をわざとガラっと変えた人達」だとみて間違いありません。
ただ後述しますが、遺伝レベルでの生粋の陽キャと後から環境に適応した擬態陽キャでは、全く根本的な性格が違います。
しかしの、ぱっと見は大体同じにみえるものです。
実際、「内向型の人が外向的にふるまっていても内向型だと見破られることはない」なんて調査もあるくらいですしね。
よほど目ざとい観相師の方でもない限り、「この人は本当は内向的だな」なんて推測はきかないでしょう。
インキャと思われることが嫌なら、陽キャたちのグループに何とか入り込んで行動を共にしていればいいんです。
そうすれば、はたから見たら「立派な陽キャ」ですからね。
他人はつるんでいる人から、あなたの人となりを判断するところが大いにあります。
他人から陽キャ認定をされたいだけなら、凄くやることはシンプルなんですよね。
生粋の陽キャと陽キャに擬態したインキャは遺伝レベルで別物である
他人からの評価という点で陽キャになるには陽キャ集団に入り込めばいいだけですが、そもそもの性格の根っこの部分は変えられません。
上述した通り、人の性格は遺伝と環境(人間関係)の影響が半々で決定されるため、遺伝的に完全にインキャよりな人が遺伝的に陽キャな人間と同じになるわけがありません。
現在、心理学的に最も妥当とされている性格分析であるビッグファイブに基づいて考えた場合、陽キャとインキャの性格の違いは以下のようになるでしょう。
因子 | 生粋陽キャ | 生粋インキャ |
外向性 | 高 | 低 |
開放性(好奇心) | 高 | なんともいえない |
神経症的傾向(不安の感じやすさ) | 低~きわめて低い | 極めて高い |
誠実性 | なんともいえない | なんともいえない |
協調性 | 何とも言えない(ものすごく低いやつも結構いる印象がある) | 何とも言えない |
※ただ実際には、こんなにきれいに割り切れるものではない。どんな人も外向的側面と内向的側面の両方を持っている。
生粋陽キャと生粋陰キャの性格の違いは、おそらくざっとこんな感じになるでしょう。
上記の因子の中で生粋インキャがどうあがいても生粋陽キャになり切れない原因となる因子は、「神経症的傾向の高さ」と「外向性の低さ」です。
以下「外向性」と「神経症的傾向」の2点に的を絞って生粋陽キャと生粋陰キャの違いを補足的に解説します。
外向性
生粋陽キャは外向性がかなり高い傾向にあるでしょう。
それに対して生粋インキャは内向的です。
内向型の人が外向性をたかめて外向型の人とある程度まで同じ様に振舞えるようになるのは、以前の記事でお話しした通りなんですがやはり遺伝の壁は越えられません。
というのも、そもそも内向型と外向型では思考や会話の仕方、脳のドーパミンの感受性といった色んな部分が違っています。
例えば、外向型の人は人と一緒に行動することでどんどん元気になっていきますが、内向型の人の場合は人といるとどんどん疲れていくんですね。
そのため、内向型の人はしっかりと自分一人だけになれる時間を確保しないと一向に疲れが取れません。
また、内向型の人は外向型の人に比べて大きな音や強い光によって多大なストレスを受けてしまう点も違います。
会話の仕方に関しても、外向型の人は「調子どう?」みたいな答えが一つに定まらない質問を多用するのに対し、内向型の人はある程度答えの限定される質問を多用する傾向にありますね。
外向性の高い人は自然と相手の話を引き出しやすい会話スタイルをとるので、いわゆる会話上手になりやすいです。
大雑把にまとめると、外向型の人は「勢いとノリで物事を進める傾向があり、内向型の人はじっくりと注意深く物事を進める傾向がある」といえます。
ここまで違うと、内向度の非常に強い生粋インキャが外向度バリ高い生粋陽キャと全く同じになろうという事がどれだけ無謀かが分かりますよね。
※外向型は注意が外に向き、内向型は注意が自分の内面に向くという傾向もある。
神経症的傾向
生粋陽キャたちは良くも悪くも神経が図太いです。
生粋陽キャたちは、ちょっとやそっとの事では動じないくらいにメンタルが強い傾向にあるわけですな。
しかし、これははたから見ると「我が強い」とか「他人のことなどまるで気にもしない自己中」に見えます。
生粋陽キャはノリと勢いと動じないメンタルで突き進んでいくので、男性が生粋陽キャであった場合は女性から見ると「なんか知らんだ謎の頼もしさがある」のでモテてしまうわけです。
はい、いわゆる「リア充の誕生」です。
生粋インキャが生粋陽キャの様に振舞おうとすると、不安が勝って同じようには行動できません。
そのため、生粋インキャが陽キャになりたくて陽キャ集団にはいってみたはいいが、結局はなじめなくてまた陰キャに戻るみたいな事が起こります。
なお、ここまで生粋インキャは生粋陽キャと同じにはなれないと言ってきましたが、生粋陽キャの方が素晴らしいなんて話では全くありません。
単に「人には向き不向きがある」というだけの事です。
生粋の陽キャであっても環境によってはインキャ的になったりする
ここまで「インキャでも環境変えれば陽キャになれる」といってきましたが、この理屈は逆の事にも適用できます。
つまり、生粋陽キャでも環境次第では陰キャ的な性格になるという事です。
例えば、親が過度に過保護で何をするにも口出ししてくる状況で育った場合、自尊心が適切に育たず本来の性格が封印されてしまうことがあります。
遺伝的素養がある生粋陽キャであっても、環境がくそ過ぎるとそのポテンシャルが発揮されずにインキャ然としてしまうのです。
しかし、遺伝的素養自体はあるので、陽キャの集団に身を置けば徐々にそのポテンシャルを発揮して生粋陽キャとして覚醒していくでしょう。
幼少期に活発でおしゃべり好きで恐れ知らずだったのに、今では行動力の欠片もないという状態であれば、もしかしたらそれは環境のせいでインキャになっているのかもしれません。
自分が現環境で満足しているならともかく、「どうも刺激が足りなくてうんざりするな」と思うのなら思い切って環境を変えてみましょう。
本当にあなたはインキャから陽キャになる必要があるのか?
改めて言っておきたいですが、陽キャとインキャという分類に意味はないしどっちの方が偉いというのもありません。
正味、そんな区別をすることで悦に入っている人がいるなら「どんだけ了見が狭いのか」とあきれるレベルです。
陽キャになるかどうかより重要なのは、「果たして自分は陽キャ的になって楽しいのか?」という点ですよね。
生粋陽キャの素養がある人は陽キャとして生きていくのが性に合っていますが、バリバリの生粋インキャが陽キャとして生きていくのはストレス過多でめまいがするはずです。
もはや、「世間から陽キャとして認識されたいから無理して陽キャの振りをしている状態」ですよね。
こんなに生きててしんどい事はないでしょう。
インキャだろうが陽キャだろうがどうだっていいんです。
「自分はどっちの方が性に合っているのか」を知り、性に合った在り方をとりましょう。
そういう意味では、一度陽キャ集団と陰キャ集団の両方に身を置いてどっちが性に合っているのかを確かめてみるのがいいと思います。
陽キャとしてふるまってみて「なんか違う」と思うなら陰キャに戻ってくればいいし、その逆もしかりですよ。
実際にやってみないとわからない事は沢山ありますからね。
おわりに
この記事は「インキャから陽キャになれる人と陽キャになれないインキャの違い」と題しておおくりしました。
人間には誰にでも、陰と陽、つまり「外向的な側面と内向的な側面」があるので、環境次第で陽キャにもインキャにもなれるものです。
ただし、遺伝的に完全に陽キャよりである生粋の陽キャを生粋のインキャが模倣することは無理がありますし、そもそもそこまで模倣する必要がありません。
インキャとか陽キャという区別や分類自体下らんのですが、結局は「自分んが一番心地よい在り方を選んだらいい」というだけですよ。
インキャ的なあり方が心地いいなら陰キャでいいし、陽キャ的なあり方が心地いいなら陽キャとしてふるまっていけばいいだけです。
自分の気持ちを大事にしていきましょう。
では!
参考記事等