「博愛主義が嫌いなんて当たり前」サイコパスが博愛主義に最も近い?

「博愛主義者ってさあ、どうにも胡散臭いよねえ。マジで信用ならない。なにが「世界の全ての人々に分け隔てなく公平に優しくする」だよ、バカ言うなよ。それ言ったら家族を優先して大事にするのは偏愛だからダメってことだろうが、そんなの本能的に無理じゃね?」

ふぬ、まあ現実的に考えるなら、博愛主義って絵に描いた餅っぽい机上の空論な感じが否めないよねえ。

凄く違和感ある。

なんだか、博愛主義者って家族に対して無関心だとか、そもそも実は人に対して冷たいからこそ

こんな机上の空論を言ってられるって気がしてくるよなあ。

かなり欺瞞に満ちた考え方だよ、博愛主義ってさ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「博愛主義が嫌いなんて当たり前」サイコパスが博愛主義に最も近い?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 博愛主義が嫌いな人
  • 博愛主義は単なる偽善であり欺瞞だと思っている人
  • 博愛主義って何なのか知りたい人

さて、博愛主義といえば「人類みな兄弟!」みたいなノリの言葉ですが、、、、うん、みなさんどうですかね?

こんなこと現実的に可能だと思いますか?

はっきり言って、わたしは「博愛主義なんて人間の本能的には不可能だな」って思います。

偏愛みたいなものがいいことだとは決して思いませんが、だからといって程度の差こそあれ本能的にはそうなってしまうのは仕方ありません。

普通のことです。

あまりにも理想が過ぎて「綺麗ごと過ぎて気持ち悪い」と感じるのも無理ないなって気がします。

別に、全ての人に対してそこまで優しくなくていいんじゃないですかね。

まあ、最低限の親切をすればいいんじゃないですねえ、、、、。

わたしは、そんな気がしますなあ、、、。

では、ゆるりとおおくりします。

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博愛主義ってなんぞ?

さて、博愛主義ってなんざんしょ?

まずは、例にならって言葉の意味を確認していきましょうかね。

博愛主義の定義は以下の通り。

人は誰でも、わけへだてなく接し、互いに協力し合うべきだとする立場や考え方。全ての人を互いに排斥することなく、平等に愛するべきだとする主義。

引用
https://www.weblio.jp/content/%E5%8D%9A%E6%84%9B%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ちなみに、博愛の「博」という字には、「ひろい」という意味があるので、文字通りに解釈するなら、博愛主義とは「広く愛する考え方の立場」って感じですかな。

まあ、大筋そうだよねって思うものの、後半の「平等に愛するべき」はなーんか引っかかる表現ですねえ。

愛と平等って、、、うーん、個人的にはあまり両立する気がしませんなあ。

博愛主義という欺瞞

「広く愛する」程度であれば、まあ可能かもしれませんが、「全ての人を平等に愛する」とかいいだすと「いや、それは綺麗ごとであり暴論だよ」って言いたくなってきます。

まあ、「全て」とか無理に決まっているよね。

バカも休み休み言えって感じ。

じゃあ、そもそも博愛主義を掲げている人は、「嫌いな人がいない」んでしょうかねえ、、、、?

いないってことはないでしょう。

平等に愛するって、一体どういうことなのかめっちゃ気になりますよねー。

生物的な視点から愛という感情を考えると、オキシトシンというホルモンが関係しているんですけど、このホルモンの副作用として自分の近しい人たちには親切になるんだけどその一方でそうでない人には排他的になるというものがあります。

いわゆる愛国心の強い人というのが、自国優先の偏狭な心持になる一因にこのオキシトシンの影響がある気がしてますねえ。

なので、生物的な視点からすると、愛情深い人というのは「身内に甘く外にはきつい」人なんです。

で、愛情を感じる対象にはやはりそれぞれに「愛情を感じる度合いに応じた優先順位」があります。

家族の中における愛情にも序列がありますよね。

例えば、女性の場合だったら、息子>娘>夫、、、みたいになることもあるかもしれません。

すくなくとも、人の内面的な要素を重視したら博愛主義は成立しません。

特に、生物的に考えた場合、博愛主義はまさに「机上の空論」の類に堕します。

まあ、もうね、現実的なこと言えば、博愛主義なんて「全ての人を建前として平等に取り扱う」とか「一定のルールのもとに平等な扱いをする」というかなり人間性などというものとは乖離したシステマティックな考えにならざるをえないと思うんですよな。

厳密にいえば、博愛主義なんて偽善以外の何物にもなりようがないんです。

でも、まあ結果その偽善によって他者が「あの人は博愛主義者だ」と思えば、当人としてはそれでいいんでしょう。

ま、それに人の本心なんて本人以外誰にも分らんから、もうどうだっていいやって気分にもなりますけどねえ。

そんなこと、考えたって仕方ないんで。

ま、とりあえず、これはいえるでしょうな。

「博愛主義という概念自体が偽善であり欺瞞である」と。

無償の愛と同じくらいに、とち狂った概念ですわ。

一番博愛に近い者はサイコパスかもしれない

生物的には人は誰かを愛するとそれ以外には愛を注げなくなるので、博愛主義を志す人にとってはジレンマでしょう。

博愛主義を突き詰めていこうとすると、個人的にはおそらく「誰も愛さないことによって平等な愛を実現する」という方向に行くんじゃないかなって思うんですよねえ。

誰も愛していないからこそ、「ルールを厳守した平等で例外のない取り扱いができる」という事です。

なんか、博愛主義に「愛」って文字が入っているからものすごい矛盾を感じますが、おそらくそうならざるを得ないと思います。

では、こういった人がもし「わたしは人を愛しています」といった時の「人」って一体だれの事を指しているのでしょう?

、、、、ここからは完全にわたしの推量になりますが、おそらくガチの博愛主義者が、愛を注ぐ対象である「人」とは「概念であり個別の人ではない」のです。

もし、彼彼女らが「困っている人を助けたい」といった場合、ここでいう「困っている人」とは包括的な概念であり「~さん」とか「特定の~という地域に住む人達」ではないでしょう。

つまり、博愛主義者たちが愛する「人」とは現実体の人というよりも「人という概念」なんですわ、きっと。

で、博愛主義を極めようとするとこの傾向が深化することになるわけですが、行きつく先には「個別の人を区別せず総体として扱う」という意識、つまり「人をある種モノとしてとらえる」という意識になると思うんですよねえ、上手く言えんけど。

なのでね、博愛主義者のいう「愛」というのはおそらく「生物としての人間が持つ愛情」ではなく「現実世界とは乖離した概念的な愛」を意味していると思われます。

とはいえ、現実の人間には生物としての愛があるため、概念的な愛を実践するのはまあ無理ってもんです。

どうしても、建前にならざるをえません。

どこまで行っても偽善者です。

なので、博愛主義を現実的な視点から極めようとすると、「いかに博愛という偽善を本物らしく見せられるか、そして見せ続けられるか」が問題になりましょう。

さて、この偽善をずっと遂行して「博愛主義を貫くことができる人」ってどれだけいるでしょうか、、、?

で、おそらく、、、、おそらくですが、これはいわゆる「思いやりの気持ちの強い人」、つまり感受性が高くすぐに身につまされてしまうような人には荷が重すぎます。

むしろ、共感性なんてものを持たないサイコパス的な人物こそ「本物の博愛主義者」として罪悪感などを持つことなく振舞い続けられるでしょう。

まあ、西尾維新さんの物語シリーズに出てくる貝木泥舟のセリフじゃないけど、「本物らしくあろうとする偽物は本物より本物らしい」なんてことがあるんですよなあ。

ちなみに、博愛主義の実践者といえばあのマザーテレサさんがいますが、本当かどうかはともかく彼女の冷淡な振舞いや金銭に絡む疑惑などについて現在色々と言われるようになってきました。

それもただの言いがかりとは到底思えぬくらいの真実味をもって、、、、、。

そのため、彼女について「実は、サイコパスだったんじゃね?」なんて説まで出ている始末。

まあ、真偽のほどは不明ですが、個人的にこの説は「当たっている」と思っています。

そして、「博愛主義者に友人なし」なんて言われたりしますが、割とそれは妥当な気がしますね。

参考

で、完全に個人的に思うだけなんですけど、博愛主義とかの人で「わたしは人を愛している!」なんて声高に叫ぶ人がいるとしたら、

「それって『観察対象のモルモットとして人間って本当に面白くて興味深い存在だから好き』と思ってそうだなあ」

って思っちゃいますねえ。

え?

性格ひん曲がっているって?

フヒヒ、、、サーセンwwww

誰にでも優しいなんて、まあ無理だししなくていい

博愛主義って考えから自体がもうなんていうか、偽善にしかなりえません。

正直、好きな人がいれば反対に嫌いな人がいて当然ですから、無理して全ての人を愛する必要はないです。

現実的に言うなら、「最低限の親切は全ての人に行う」くらいでいいと思います。

基本的に全ての人に最低限親切にするという姿勢は、自分の自己有用感が高まりメンタルに良いし、相手にもいい印象も与えられますし一石二鳥です。

で、恩を仇で返す奴には同程度の仕返しを3回に一回するとか、あんまりひどい場合はもう関係をきって二度と会わないとかすればいいですな。

現実的に考えれば、それが最善かと思います。

全ての人を愛せるわきゃないし、全ての人が幸せになるのも全ての人を幸せにするのも無理っちゃあ無理です。

そんな無理難題をしんどい思いして背負ってくことはないって気がします。

もっと、気楽に自分の身近な人に愛を注ぐ、そしてその輪を少しづつ広げていくでいいんじゃないですかねえ。

まあ、親切は自分の足元からってね。

なので、そもそもの大前提として、「自分が自分を愛してやる」ってのを忘れちゃダメっすよ?

それがあってこそ、人間関係ってうまくいきますからね。

「愛は近きより始まる」ってのはマジだと思いますよ。

おわりに


この記事は「「博愛主義が嫌いなんて当たり前」サイコパスが博愛主義に最も近い?」と題しておおくりします。

博愛主義はまあ現実的に考えて偽善にしかなりえません。

もし、それを極めようとするなら、誰も愛することのないサイコパスでもないと無理だと思います。

なので、博愛主義なんて目指す必要はないです。

そうではなく、現実的に自分の親しい近くの人へ愛を注いで、その愛の輪を拡大させていきましょう。

その方が現実的って思います。

いきなり、「アフリカの難民が~」とか言ってせっせと募金なんかするんでなく、まずは自分の親族や親友で困っている人がいたら助けてあげるとかそんなことからやった方がいいっすね。

「愛は近きより始まる」って話だわな。

生物的にもそれがいいはず。

まあ、それよりなにより「自分が自分を愛すること」をなおざりにしちゃいかんよ?

では!

参考記事等

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