「世のため人のため」とかいう綺麗事はもう捨ててしまっていいと思う

「いわゆる成功者とか人格者と言った人たちの中には、一定数世のため人の為とか抜かしているのがいるけど、絶対そんなこと思ってないだろ、嘘つくのも大概にしろって思うね。結局、みんな自分の為だろう。あほくせえ。」

まあ、普通はそう思うはずだ。

しかし、成功者かどうかはともかくも本気で世のため人の為とか思っている人はおる。

ま、その背後にどんな心理があるかは問題だけどね。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「世のため人のため」とかいう綺麗事はもう捨ててしまっていいと思う」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・綺麗ごとを言っている人はどうもうそつきだと思う人
・世のため人のためと言っている人の心理的背景を探ってみたい人
・話しのネタが欲しい人等

世の中には本気か建前かはいざ知らず、「世のため人のため」なんてことを言う人がいます。

おそらく普通の感覚からすると、「また耳障りのいいこと言っていい格好している」と思うんじゃないかと思うんです。
しかし、実際にこういった事を大真面目に考えている変わり者はいるんですな。

「世のため人のため」と言った考え自体に害があるとは言えませんが、この考え方は「普通の人はしなくていい」と思います。

というか、この考え方をしても問題なのは「自分が経済的にも精神的にも安定していて余裕がある人だけ」です。

まず自分が満たされたのちに、他者を満たすことを考えるのが道理というもの。

最初から人を優先しすぎる様では、あとあとになってからむごい死に方をしかねません。

まあ、「世の人のため」なんていうのは色んな意味で余裕がある人にしかはけない市実行できない言葉だという事です。

ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?

おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。

では、ゆるりとおおくりします。

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普通の人は世のため人の為なんて言う必要も思う必要もない

当ブログにて何度か言ってきていることですが、「まず自分の事をやって余裕が出たら人の事を考える」のが基本です。

自分のなけなしの労力や財力といったものを切りつけて誰かのために投じるというのは、あまり賢明であるとはいいがたい気がします。

もっとも、「どこまでが無理か」は人によるんですけどね。

また、世の中の利他的行動と言われるものもよくよく吟味していくと結局「自分のためでしかない」んです。

例えば、未だ日本に蔓延しているあまり好ましいとは個人的に思えない「人に迷惑をかけてはいけない」という考え方は、よく考えると「他人のためを思っているから」ではありません。

その背後には、「集団(社会)から排除されたくないという恐怖」等の自己防衛的な考えがあるといえます。

人間は群れを構成して生きていますので、そこからの排除は昔であれば死を意味していますね。

特に、われわれ日本人が農耕民族であることの影響も無視はできない気がします。

そういった本能は未だ顕在なので、わたし達は「人に迷惑をかけたら嫌われて群れから排除されるかもしれない」的な発想を無意識にするんだと思うんですね。

まあ、結局は「人の行動は全て自分の利益のためのものである」という事です。

お互いに協力をするのは、「協力することにより自分と相手の双方に理があるから」に他なりません。

片方にしか利がないこと等手伝う義理などそもそもないという事です。

それが通常かと思います。

とはいえ、この利というものを「お金や利権」などといった世俗的なものに限定することは間違いです。

利とはいいかえれば、「快の感情」でして「一緒にいると楽しい気分になる」みたいなものがそうですね。

あと、「見ていると自分の事のように辛くなるから助けた」というのも「不快の原因を除去すること」によって自分の感情を快の方へと持っていく行動です。

利他的に見える行動も、みんな自分のための行動なんですな。

で、話を戻しますが、「特定の誰かのため」とか「日頃から親しくしてもらっている~さんのため」ならいいんですけども、「世のため」とか「見ず知らずの誰かのため」とか言い出すと規模が大きすぎるんです。

あなたにそんな余裕はありますか?という事ですな。

まず、「親切は近きより始めよ」という事ですので、自分とその周辺の親しい人の事をとりあえず考えていればいいですね。

で、余裕が出てくるとその気遣う範囲というものが拡大していくわけです。

そうして、かなり余裕が出てきた人は「世のため」とか「見ず知らずの誰かのため」なんて事を言っても別に余裕相応の発言という事で、実際に行動もできると思うんですね。

大義の背後に潜む闇

世の中には一定数、正義をやたらと振りかざしたり「大義のため」なんて大仰な枕詞をつけて、さも自分が正しいかのように一方的な話をする人というのがいます。

それが例えばいわゆる正論であったせよ、相手に対する一定の配慮や経緯というものは不可欠です。

にもかかわらず、さも自分が正義であり悪に対してはどんな横暴も許されるのだといったような横柄極まる考えで無茶苦茶な罵倒を始める人が実際に居てますよね。

こういった人たちはネットに凄く多い気がしますが、実はある研究によると「地位を求める傾向が高い人ほど大義のために他人を攻撃したり暴力を支持する傾向がある」のだといいます。

つまり、ことさら「大義のために~」とか「世のため人のため~」と言っている人達ほど、名誉や社旗的地位といったものに固執していて他人に攻撃的なの「かもしれない」ってわけです。

であるとすれば、現実でやたら大義や社会貢献とかを持ち出してくどくどとえらそうに持論を話すような人とは袂を分かったほうがいいかもしれませんね。
あまり一緒にいていい気分にならなそうです。

詳しくは以下。

ちなみに、わたしは基本的に

「名誉なんてクソくらえ。どうせ死んだら全部パーだろ。死後に自分が称賛されてようが何だろうが確認できないしどうでもいい」

という「死んだら全部チャラ」と思うたちなので名誉を重んじる人達とはかなり相性が悪い模様。

なので、名誉とか地位にこだわるような人たちとは極力関わらない様にしながら生きています。

まあ、ああいった人たちはめんどくさいんだわ。

原則から外れた人間も存在はする

先ほど、やたら大義を持ち出すような人は社会的地位や名誉などといったものに固執しているのではないかという話をしましたね。

まあ、それも世のため人の為とよく言う人の心理的背景についての一つの可能性ではありますが、実はそれ以外にも考えられる事があります。

それは「アンチサイコパス」の存在です。

アンチサイコパスとは、共感性が欠落した存在としてよく知られるサイコパスの対極に位置する存在でして、「極端に相手に感情移入する存在」の事なんですね。

こういった人は、普通の人が「んー、見てて忍びない」と少し心を痛めるくらいですむところをあたかも自分が当事者であるかのように身につまされてしまうんです。

これは一見「なんて優しい人だ」という肯定的評価をうけそうなもんですが、裏を返せば「感情的になりやすく冷静さにかけており自己犠牲をしやすい」ともいえるので手放しにいいという事はできません。

例えば、身内にアンチサイコパスの人がいると自分たちの家庭に余裕がない時に、引き受けなくてもいい厄介事を引き受けて家族に迷惑をかけるなんて事もありましょう。

「そういうのはい一人でやってくれ」という気分になることもあると思うんですな。

アンチサイコパスについては以下。

一見、他者ために献身的なアンチサイコパスですがこれも結局は「自分のためでしかない」んです。

「他者の苦しみを見ているのがつらすぎる」ので、「自分が苦しみを感じなくなるために相手の苦痛の原因を除去している」にすぎないからですな。

まあ、アンチサイコパス本人からしたら十分利は得られているわけです。

しかし、我々普通の人間からしたら「そこまでして相手の苦痛をとりぞかなくても平気」なので、こういった行動を見ているとどうも違和感を感じたりします。

そうすると、その違和感を落ち着けるために、「あの人は人格者だから」とか「無償の愛の実践者だ」等とよくわからない美談に仕立て上げるわけです。

正直、アンチサイコパスは自分の苦痛を除去する事には一生懸命ですが、やはり感情的になっているためその行動をとると何が起こるかについて無頓着な事も多いと思われます。

すると密接にかかわる関係者としては、「素晴らしい人だ」ではすまず、「ただの疫病神」になることもしばしばなのです。

他人からはいい事されたので感謝はされるが、近しい者たちからは心底うとまれるという実にねじれた現象が起こりうるというわけですな。

他人をないがしろにしてもいけないし、かといって自分をないがしろにしてもいけないしで実にバランスが難しいものです。

なので、行き過ぎた感情移入を善とするのは無理があります。

やはり、バランスを失した考えはどれも有害であるといっていいと思いますね。

「まずは自分の事から」が適切です。

基本的に、他人の事は自分に余裕が出てから出来る範囲やればでいいですな。

おわりに


この記事は「「世のため人のため」とかいう綺麗事はもう捨ててしまっていいと思う」と題しておおくりしました。

普通の人達は、世のため人の為なんて別にいう必要はないですし、大義なんて別に持ち出す必要はありません。

そんな事は自分に余裕が出てきた時に、実践すればいいだけの事ですからね。

まずは自分の事からが第一。

他人は二の次です。

近しいところから親切の輪を広げていければOKですな。

あまり世の中に蔓延する綺麗ごとに乗せられて、損をしないようにお願いしますよ。

綺麗事や美談でうまく人から搾取しようってヤカラはわんさかいますからね。

では!

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