今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という格言の意味が気になる人等
- 「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」ということわざは妥当なのか気になる人
- 話のネタを探している人
「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、ってたまにきくけど、なんかよく意味が分かんないんだよなあ。あと、本当の愚者だったら経験からすらなんも学べん気がする。」
まあ、確かになあ、マジもんの愚者は経験からすらなんもえられなそうな気はする。
てか、そもそも、そこまで重症の愚者なんておるかって問題もあるか。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」って本当なのか嘘なのか?」という話です。
「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」なんて格言がありますね。
知っている人もそれなりにいると思います。
一見、この格言って「うん、その通り」と言いたくなる感じですけども、よく考えると「え?じゃあ、賢者って経験からは学ばないの?賢者が学ぶ歴史って世界史なの?日本史なの?」みたいなへんてこな疑問があたまん中に湧いて出てきますわな。
今回は、「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という格言の意味やその妥当性についてしばし考えてみたい次第。
なお、他にも名言を知りたいという人は「「心に響く名言(迷言?)」心に残る名言60選「人生に豊かさと気付きを」」の記事をご覧くださいな。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶってどういう意味?誰が言ったの?
「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という格言ですが、この格言はかのプロイセン(昔のドイツ)の鉄血宰相と言われたビスマルクさんの言葉だそうです。
まずはその意味から確認してみましょう。
いつもならここですぐに、辞書からその定義をみっぱてくるところなんですが、残念ながらネットを調べる限りこの格言が掲載されている辞書はないみたいです。
うーん、困ったぞ、これじゃあ記事が進まないじゃないか!!
ということで、とりあえず、仕方ないので原文を見てみるとしましょうか。
「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」の原文は以下。
Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。(直訳)
引用
ハッハー♪、ドイツ語とか忘れたよ(笑)。
でも、一応直訳があるみたいで助かった!
なんか、「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」と綺麗にまとめられてしまうと、「んー、歴史って何ねん?」とか「マジもんの愚者って経験からすら何も学ばなくね?」なんて思ってしまいますが、直訳をみると「あー、なるほどね!」て感じがしますな。
しかもひどいね、「賢者」なんてどこにもでてないじゃん!!
「愚者だけが」って言っているのみよ。
日本のことわざで言うなら、「他山の石」とか「人のふり見て我が振りなおせ」というのと同じような意味だったわけですね。
うんうん、それならわかるわあ。
ちなみに、「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」の後に「聖人は経験から悟る」という一文を付け加える人達もいるんだとか。
、、、なんだか、、、、何でもありですね?
いったもん勝ちじゃないですか、、、ふう。
賢者は歴史からも経験からも学ぶんじゃん?
賢者とは文字通り「賢い人」なので、どう考えても歴史以外からも積極的に学ぶ気がしてなりません。
「賢さ」のとらえ方は人それぞれでしょうけども、得てして思考が柔軟で聡明な人は「もの事を多面的に色んな角度から見ようとするもの」です。
個人的に、ものの見方を一つの方向に限定している時点であまり賢くは思えませんねえ。
そしてビスマルクさんの原文にはなかった「歴史」って一体どこから出てきたんでしょう?
何を意味していたんでしょうか?
おそらく、このことわざでいう歴史とは「他者の過去の失敗の歴史」と意味していると思われます。
歴史に対するとらえ方は人それぞれでしょうけども、歴史を「人類の成功と失敗のデータバンク」として考えるのであれば、
「過去の失敗例は~であり、問題点や失敗の原因は~だった。では、われわれは~を避け~を解決する手段を持てば失敗を繰り返すことはない」
と考えられるわけですな。
歴史はデータの蓄積です。
過去の事例を分析して、現在に活かして間違いを犯さないようにしていくというのは非常に重要な視点ですよね。
ただ、このビスマルクさんの主張は少し誇張されすぎている感が否めないんですよね、個人的に。
先ほど言った通り、マジもんの賢者って「自身の経験からも他者の失敗の歴史からも学ぶ」んですよ。
それこそ色んな方向から学びを得ますよね。
で、さらにいうと、「救いようのないくらいの愚者は自分の経験からすらほとんど何も学べない」って思います。
例えば、一聞いても0,00000000000000001しか学べないってんじゃあ、もう効率悪すぎてお話になりません。
まあ、学べているだけいいけどさ。
賢者は転ばぬ先の杖って感じで、人の失敗談等(いわゆる歴史を含む)を聞いて「ふぬ、そうするとそんな風になるのか」と学んで事前に失敗を避けます。
ただ、現在のように変化が速い時代にあっては、過去を参照して成功や失敗の道筋を見出すってなかなか困難です。
一年前、下手をすると半年前の正解がもう今は通用しないなんて普通ですもんね。
なので、賢者といえど「歴史からしか学ばない」のなら、「もう失敗だらけで賢者然としているだけのただの偏屈な愚かもの」に成り下がってしまうと思います。
少なくとも、現代のような過去に前例がないであろう変化の速い時代にあっては、賢者とは、
「過去の事例を参照し分析して仮説を立て、自分の身をもって検証と改善を繰り返す」
って感じの人だと思います。
ふぬ、少なくともビスマルクさんが言ったとされている「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という格言は現代に置いては「必ずしも当たっていない」って感じでしょうねえ。
真理の一端を示してはいるが、いささか誇張が過ぎるって感じ。
ビスマルクはなんで「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」なんて言ったんだろう?
ここからはビスマルクさんが「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」の原文を述べるに至ったのかを推測してみます。
色々考えると、「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という言葉は穴が多い主張じゃないっすか?」て言いたくなってきますよねえ。
それにビスマルクさんの原文は「バカほど自分の経験から学べると思っているよね?俺は失敗したくないから他人の失敗を参考にして失敗をしないようするわ」といった趣旨でしたしね。
まあ、そりゃ失敗の確立を少しでも下げたいならそれが賢明だよねって話です。
で、「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」の原文が述べられた時期についてはよくわからっていません。
以下、この原文の出現の背景について推測して見たいと思います。
彼は、首相に就任する際の衆議院予算委員会にて「鉄血演説」を行ったことで有名です。
この当時のドイツは今みたいにまとまった一つの国ではなく、いろんな国に別れていたんですね。
ビスマルクさんはドイツを統一するためには軍拡が必要だって主張したため、自由主義者たちからめっちゃ批判されることになります。
なので、もしかしたら、わたしは「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という格言の原文にある「愚者」とは「自由主義者」のことを意味しているのかもしれないって思ってしまうんですよねえ、、、。
彼の心中を察するに、わたしは彼は以下のようなことを考えて先ほどの格言の原文をいったんじゃないかって思います。
自由主義者はことさら「個人の自由」を標榜しあまつさえ神聖視し、人間にはそれぞれ「自身には自らを律する理性が宿っている」と信じている。
しかし、それは人間という存在や理性への過信であり、大いなる過ちである。
人間は、みな自分のみたいものしか見ない愚か者である。
人間は、自分の姿を自分では見れない。
多くの者は、自分を最も知るのは自分自身であると信じてうたがわない。
ゆえに、彼らは自らの過ちは自身の理性によって十分に修正できると信じている。
なんと、愚かな事か。
自分の姿を自分がみれない以上、本当の自分等わからないだけでなく、本当の自分の失敗の原因の所在などどうして知り得よう?
賢者はいかに自分の判断が、当てにならないかを知っているがゆえに賢者なのだ。
愚者はいかに自分の判断がいかに当てにならないかに思いが至らないがゆえに、愚者なのである。
賢なるは己が愚なるを知るが故、愚なるは己が愚なるを知らぬが故。
そして、その愚の最奥に座するが「己が理性を信じ一分も疑わぬ自由主義者」なのだ、、、。
自らに「律するものたる理性が十分に宿っている」と信じて疑わず、それをよりどころに失敗を避けようとし、それが可能であると信じている自由主義者どもは愚の最たるものなのである。
まして、国の行く末を判断するのだ。
失敗など許されないのだ。
己の判断だけを当てにする等言語道断だ。
多分、こんな感じかなあー、て思います。
なんか、妄想膨らましてすいません。
多分、ビスマルクさんは自分自身の判断とか人間の理性というものがどれほど当てにならないかを、自身の経験や歴史等から凄く感じていたんだと思うんですよね。
そして、宰相という国家の重責を担うものとして「失敗は許されない」という強烈なプレッシャーを感じていたんでしょう。
ん??
、、てことは、、ビスマルクさんは彼の論法から行くと愚者ってことになるんか?
てことは、これは自戒の言でもあったんか??
あー、これはわからんくなってきた。
目指すべきは、知行合一だしどんどん失敗していい
少なくとも現代の様な変化の速い時代にあっては、自身の失敗から学ぶ姿勢がないと賢者とは言えません。
もちろん、他者の失敗や人類の失敗の歴史から教訓を得るのも非常に大事ですね。
科学的根拠に基づいた情報や知識もそういった歴史の一部と言えます。
個人的には歴史は結構時の権力によりゆがめられている気もするので、どちらかと言うと「科学的根拠」を大事にしたほうがいいって思っています。
それに個人の成功談や失敗談はあくまで「その人の場合はそうだった」程度の話であるため、あまり汎用性が高くありませんよね?
事実、「成功者のマネをすれば成功できるんだ」といった脳死で成功者のマネをしても成功しない人たちは沢山いますしね。
やはり、今のところ一番頼りになるのは科学でしょうね。
ただ「知識を得た」だけではだめで、それを元に失敗をさけるとか成功するための仮説を構築してみて、「実際にやってみて妥当かどうか検証する」のが何より大事でしょう。
やはり、やってみて実際に経験しないことには何も始まりませんな。
まあ、知行合一って事よね。
実践してみてこそ初めて「本当の知が得られる」て感じですねー。
実践と学びはセットやな。
それにわたし達はビスマルクさんのようにその判断次第で人が大勢死ぬような国家の重責を担っているわけではありませんので、割と気軽に失敗できます。
なので、失敗してもひるむことなく果敢に挑戦していけるはずです。
変化の速いこの時代においては、トライアンドエラーを高速で繰り返すことが最適解ですからね。
とにかく、「まず挑戦してみる」という精神は大事にしたいものです。
おわりに
この記事は「「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」って本当なのか嘘なのか?」と題しておおくりしました。
「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という格言は、プロイセンの鉄血宰相として有名なビスマルクさんによるもの。
しかし、この格言の元ネタには「賢者」とか「歴史」なんてひとっことも出てきてないんですよなあ、、、。
まあ、伝言ゲームで最後の人に意味不明な言葉が伝わっているっていうのと同じような現象でしょうな。
なので、彼の真意というか原文に忠実に解釈するなら、「他山の石」といった意味合いだってことになりますな。
様は「他人の失敗をよく観察して自分は同じよな失敗をしないようにしろよ!」てことね。
んー、間違って伝わるって怖いねえ。
そんなことを思いましたとさ。
おしまい。
では!
参考
参考記事等