自分が気持ち悪いのは単なる自意識過剰?好きも嫌いもあなたの一部だ
こんな人が読むと役に立つよ
  • 自分が嫌いな人
  • 自己嫌悪に悩まされている人等

「わたし本当に自分のことが嫌いだ。本当、わたしって気持ち悪い!顔もそうだし声もそうだ。何もかもが気持ちわるい!!、、、くそう、、、いつも自己嫌悪にばかりなって日が暮れる、、、、。もっと、自分を好きになれたらいいのに、、、。」

ふむ、誰しも自分の何もかもを肯定できているかっていたら違うよねえ。

誰しも嫌いなところなんてもっているもの。

でも、それにとらわれすぎると人生がもったいないぞい。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「自分が気持ち悪いと思っている人は自分に意識が向きすぎているのかも知れない」という話です。

自尊心が低い人の中には「自分が気持ち悪い」なんていう人がいます。

自分が気持ち悪いと感じてしまう心理の根底にあるのは、基本的には「周囲からの目や評価」です。

しかし、その原因には様々なものが考えられるため、「自分をもっと好きになりましょう」なんて手あかがついた一言で解決策を示せるほど単純ではありません。

今回は「人からの目や評価により自分を気持ち悪い」と思ってしまう心理をその解決策を考えるために少し深くえぐってみましょうかね。

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では、グサッとおおくりします。

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自己嫌悪は自然な感情だ

まず、大事なことなので当ブログで何度も言っていることですが、はっきり言明しておきます。

『人の普通の状態とは何かが欠けていて損なわれた不完全な状態』です。

そう、不完全こそが当たり前。

さらに言えば、いかに努力を尽くそうとその身を削って執心しても「誰も完全にはなれない」のです。

完全なのは「あなたの頭の中のイメージという幻想」だけ。

現実を見るなら「勉強得意の運動音痴」、「本番にはめっぽう強いが計画性がない」、「力は強いが技術がない」、、、、みんな「得手不得手がある」といえます。

言ってみれば、「不完全こそが完全」とも言えますね。

不完全はもうそれ自体で完結していますから。

では、言ってしまいましょう。

「わたしは不完全だ」と嘆く人。

「あなたは不完全だ。だからこそ、完全である」と。

自分を責める必要は全くないのです。

もう、完結していますから。

責めるのではなく、自分に対して慈しみをもって言えばいいのです。

「人は誰しも不完全なのだから何が欠けていてもいいではないか。もし、自分がやりたいと切に願うことがあるのなら、一回やってだめでもうまくいくまで工夫してやればいい」

、、、なんてね。

自分の何が嫌いかは自分の願望を表している?

さて、「自分が気持ち悪い」とか「自分が嫌い」と一口にいっても、「自分の何が気持ち悪いのか?嫌いなのか?」は人によって様々です。

例えば、「自分の顔が醜くてとても見ていられない」なんていえば醜形恐怖症かもしれませんし、「自分は太っていて醜いからもっと痩せなければ!」と栄養失調寸前になってまで行っても水しか飲まないというなら摂食障害かもしれません。

醜形恐怖症であれば、誰かに容姿を批判されたりするとか、その人なりの美意識が強すぎるがために起こる事があります。

醜形恐怖症では自分の「関心事が美貌」であるため、「自分の容姿に固執する」ことになります。

摂食障害の場合も同様のことがある程度考えられるでしょう(もっとも、そんなに簡単にこれが原因とか言えないけど)。

上記2例では他者からの批判にさらされた経験により形成された劣等感やトラウマ、そのほかの理由で自分の中に出来上がったこだわりが自分を苦しめることになっているってわけです。

そして、その究極にあるものは「他者から認めてもらいたい」という承認欲求でしょう。

しかし、中には「他者からの評価と関係なく気持ち悪い」というものも存在しています。

その一つに例えば、「性別違和」があるでしょう。

自分の意識は「女性」なのに「身体は男性である」という場合ですね(もちろん、逆もしかり)。

こんな場合は、上述のような「他人からの目線」という次元とはまた違った話になりますね。

正直、「自分が気持ち悪い」というのは少し厄介な表現といえます。

気持ち悪いのは「単なる嫌い」とは違う?

これは個人的な見解でありますが、単に「嫌い」というのと「気持ち悪い」というのでは相当その感じ方に違いがあると思っています。

わたしは人が「わたしは~が嫌い」という場合よりも、「わたしは~が気持ち悪い」という場合の方が深刻度が高いのではないかと感じているんですね。

わたし達の多くは「気持ち悪い」という言葉に、「一般的に言われる不快以上の意味」を与えていると思われます。

あえてそれを表現するなら、「体調に不調が出るくらいに不快だ」といった感じでしょうか。

心の問題が体に現れるなんて結構な話ですよね。

なので、「自分が嫌い」ではなく「自分が気持ち悪い」なんて言っていたら、結構大変な事態なのかもしれないです。

んで、あまり多くはないと思いますが、「自分が気持ち悪い」という言葉に「自分の存在が気持ち悪い」という意味を乗せている人がいたりします。

このレベルになると、原因としては機能不全家庭で度だったアダルトチルドレン等といった著しく自尊心が損なわれたものであるともいえそうです。

少数ながらもこういった人はいると思われます。

愛情を十分に受けてこなかったから、自分の愛し方もわからないといった風に。

時に「自分が気持ち悪い」はこのような「実存的苦悩」を表しているんですね。

深淵を覗け。深淵を迎えよ。汝の名は、、、

最近、ネットでも散見されるようになってきたニーチェさんの言葉に

「深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いている」

というものがあります。

この言葉は一般には「異常者の心理を分析する者は自分自身も異常者となる」といったような解釈がなされているようです。

まあ、個人的には「あるかもな」と思わんではないですね。

完全に余談ですが、なんかこの表現はアニメサイコパスにおける執行官が犯罪者の心理がよくわかる故に犯罪係数が高いというのと少し似ている気がしますねえ。

ただ、個人的には「何をもって異常とするか?」という疑問が常にあります。

上述したように、わたしは「人間なんて何かが足りない存在である」と考えているので、「そもそも異常なんてないのではないか?」とすら思ているんです。

もちろん、医学的に定められた精神疾患の基準というのが厳然と存在しているのは承知していますが、、、、。

それでもなお、疑念を持たずにいられない感があります。

全てを個性と言い切るには乱暴で、かといって異常と言い切るのはどうも釈然としない、、、そんな感じです。

実に個人的にモヤモヤするところ。

人間はみな心の中に狂気ともとれる妄想の怪物を飼いっていると思うんですね。

それを見つめすぎると「狂気に当てられる」のかもしれません。

それが自分のすべてであると感じたり、その狂気と自分が一体化した気分に陥ってしまうと言う感じでしょうか。

事実、わたしも自分の心の中にいうなれば、

「実に闘争好きで慈悲のかけらもなく手段を選ばない卑劣な戦闘狂の悪魔を飼っている」

、、、とまあ、そんな気がしています。

まあ、あくまで「気がしているだけ」ですから本当のところはわかりません。

程度の差こそあれ悪魔は誰の心にも棲んでいます。

道徳心が強い人はその悪魔を見つめているうちに、自分自身の存在を嫌悪して「自分が気持ち悪い」なんて言い出すかもしれません。

そして、他人の心の中にも同様の悪魔が住んでいることを察知して遂には「人間は争い憎み合う醜い存在だ」なんて言い出すのかなって思うんですね。

しかし、その悪魔は自分の心の一部なんです。

別物であると思いたくとも、それは死ぬまで共にある存在。

そこで耐えきれなくなった彼彼女らは時に良心の呵責に耐えきれなくなり、「命を自ら断つ」なんて暴挙に及んだりします。

しかし、「悪魔は自分の一部であってすべてではない」。

なので自分の中に飼われる天使と悪魔のいずれも肯定や否定せず、「心にいることをただ認めて心に居場所を与えて放っておく」、そんな心境が大事なんだと思いますね。

それができないと深淵の毒に当てられて、心が死にいずれ肉体も死にます。

そう、深淵は自分の一部。

深淵を覗くことは自分の心に潜む悪魔と対峙することであり、それを心の中にいることをただ認める事で自己否定は起こりにくくなると考えられます。

そのためには思考をいったん自分自身から離して、自分を遠くから眺めてみるのが必要ですね。

その際に有効な方法には脱フュージョンいうものがあるので、良ければ以下の記事からどうぞ。

https://datsumanneri.com/skill-of-rolling-with-the-punches/

深淵を覗け、そして迎えよ。

、、、汝の名は「深淵」。

なーんてね。

絶望の中に咲く花は何を思うか?

絶望とは文字通り「希望が絶たれた状態」です。

でも、そんな絶望の中であっても現に人は生きていたりします。

絶望の中にも花は咲くんです。

では、絶望の花園にさく花は何を思って咲いているのでしょう。

絶望に打ちひしがれているのか?

周囲の絶望を楽しんでいるのか?

それとも、何も感じていないのか?

、、、でも、そんなことはどうでもいいことです。

「そこに花が咲いているという事実があればそれ十分」

絶望の中にあっても希望という花は咲きます。

そして、人間は「希望があれば生きていける」のです。

それはあのナチスのアウシュビッツ収容所に収監されながらも生き残った『夜と霧』の著者である精神科医のフランクルさんもいっていること。

どんな苦境にも「希望の花は咲いている」し、それを見出すのは「自分次第である」ということ。

絶望なんていらないのです。

しなくていい。

希望を絶っているのは「自分」だ

結局、希望はいつでもあるのです。

しかし、それを絶っているのは「いつだって自分である」ということ。

希望は自分の大事にしていきたい価値ともいえるでしょう。

その価値の求め方には「自ら求める」か「人生からの要請にこたえるか」という2通りのアプローチがあります。

基本的に、人は他者からの感謝によってやる気をだすものですが、その程度は人それぞれです。

もし、自分から目標を追い求めていくことより、人からの感謝等によってやる気を出す傾向があるというのなら「要請にこたえる」のがいいのかもしれません。

そして反対に、自分から何かを求めていく方が性に合っているなら「自分の価値を探してみる」アプローチがいいでしょう。

いずれにせよ、あなたは自分が思うほど非力で醜くもないです。

もし、「わたしには何もできはしない」なんていうなら、具体的に日記等に自分の行動記録を記してみるのがいいです。

それを後で見返してみれば、「意外といろんなことをやっているじゃないか、自分」なんて発見があるでしょう。

あ、そうそう何かを失敗することがあってもそれは人間としては当たり前なので気にしなくていいですからね。

そして、人に感謝の気持ちを伝えたり親切にしたりするのも自分の存在を肯定するためには有効でしょう。

「自分が気持ち悪い」と思っているときは自分の欠点等にばかり意識が向いていますが、一旦それから離れて客観的に自分をみるのが大事でもあります。

他人に親切にしてみることで意識を他人に向けることもできるし、感謝をされれば自分が人からその存在を肯定されていると実感することにもなりますからね。

ぜひとも、他人への感謝の気持ちの表明と親切は実行してほしいところです。

おわりに

この記事は「自分が気持ち悪いと思っている人は自分に意識が向きすぎているのかも知れない」と題しておおくりしました。

はい、今回はかなり自分でも「何言いたかったんだ?」て感じの残念な内容に仕上がってしまった感がありますな(笑)。

まあ、しかし言いたいことは単純で「自分の中の嫌なものをただ受け入れて、自分の大事にしたいもんを見つけて生きていこう」というだけのことです。

嫌な部分も好きな部分も自分の一部なので、嫌な部分を否定することは自己否定になりますし、嫌な部分が死ぬなら自信も死ぬのですよね。

自分の中の悪魔と天使は運命共同体です。

しかしそれでいいのです、人間なんてみな不完全で美しくも醜い存在ですから。

最後に自信を高めるのに役立ちそうな記事を置いて、今日はこれまでとしましょう。

自分には思いやりをもって接しましょう。

では!

参考記事等

「人間は醜いのか?」人間自体は醜くも美しくもない。ただ「そうあるだけ」

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