「生きやすい人」って結局どんな人たちのことを言うのだろうか?

「よく『生きにくい』っていう声は聴くけど、そもそも生きやすい人ってどんな人なん?少し気になるよなあ。」

生きやすい人、、、、うん、なんとなくコミュ力がクッソ高くてものすごくIQ高いとか、、、そんなのを想像してしまうよな。

まあ、知らんけど。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「「生きやすい人」って結局どんな人たちのことを言うのだろうか?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 生きにくいと感じている人
  • 生きやすい人なんているのか気になっている人

はい、よく「生きにくい」と言っている人は沢山いますが、「わたしめっちゃ生きてて楽しい!てか、楽しくないとか思った事ほとんどないわ」なんて言っている人はほとんどいませんよね。

しかも、その生きやすそうな人が本心からそう言ってるかもわかりませんし、、、。

もし、現代で生きやすい人がいるとしたら、どんな人なんでしょうか?

はい、個人的に思うだけですがそれは、、、

「向社会的サイコパス」

だと思います。

サイコパスというと反社会性パーソナリティ障害の一種ですが、そのサイコパスの中には向社会性、つまり社会性があり反社会的行動をとろうとしない者がいるんですね。

どうやったら、サイコパスが向社会的になるかは未だ判然とはしてないものの、一定数そういった存在はいるようです。

結局、生きやすくなるためには「世界をどうとらえるか」とか「ネガティブ感情から受ける影響を最小限にしてポジティブ感情を多くする」といった事が大事だと思うんですね。

では、ゆるりとおおくりします。

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いくら武器を多く持っていても、生きやすいかはわからない

「生きやすい人」というと、なんとなく「権力を持つ資産家の家に生まれた人」とか「異常に高度の知性を持って生まれた人」、「豊臣秀吉のような天性の人たらし」、、、みたいな人達を想像するかもしれません。

まあ、こういった人達は確かに「貧乏な家庭に生まれてコミュ障で要領を得ない」みたいな人達よりは客観的に見て断然生きやすいのは間違いないでしょう。

しかし、「生きやすいかどうか」を感じるのが「その当人」であることを忘れてはいけません。

もしも、権力にもお金にも執着がなく人と比べることがほとんどない無欲の人なんて言うのがいたら、その人は「何もないけど幸せで生きやすい」のかもしれません。

ここにさらに「嫌な事があっても3歩歩いたら忘れる」くらいノーテンキなんて要素が加わったら、ますます幸せそうです。

そう、客観的に生きやすいのと主観的に生きやすいのは必ずしも同じではないんですね。

極論ですが、地獄にいるのに天国だと思っている人は客観的に見たら、相当な悲劇ですが、本人がそれで幸せだと感じているなら本人には何の問題もありません。

最悪、その中で死ぬことになっても本人は「幸せに死んだ」だけです。

客観的に見たら悲劇なんですけどね。

もうかなりの極論になってきてますが、「自分がこの世界は天国だ」と思ってすべての出来事をポジティブにしかとらえないなら自然と生きやすくなるんじゃないかってことです。

でも、この極論は現実的な視点から見たら非常にばかげたたわごとですよ。

いくら、世界や物事のとらえ方次第で生きやすくなるといったと所で、人間に元から備わった生理的機能や心理機能の基本的枠組みに顕著な個人差などないでしょう。

そう、どんな時に悲しくなるとか怒る、気分が明るくなるか、お腹が減るか等は、あらかじめ遺伝的にプログラムされておりそこまで人によって大差はないってことです。

もし、世界を常にポジティブに見ていられるとしたら、それはもはや異常と言わざるをえません。

正常な人間にはまず無理です。

まあ、あの漫画『NARUTO』にでてくる地上の全ての生物に幻術をかけてしまう大技である無限月詠でもあったら、可能かもしれませんけどねえ。

「憎まれっ子世に憚る」は真実

「憎まれっ子世に憚る」ということわざは有名ですね。

これは「人に憎まれるような人ほどしぶとく生き残る」みたいな意味ですな。

ええ、「人に憎まれて上等!」みたいに割り切っているとか、もともと「人の事なんて知るかよ。俺は自分のやりたいことをするだけだ。それで損する奴や死ぬやつがいたって構やしねえ!!」くらいの極度のエゴイストの方がしぶとく生き残ったりします。

こういった人たちは良くも悪くも動物的であり、まさしく生存本能的には実に理にかなって思考をしているのです。

しかし、大多数の人、特に日本人のように協調性の高い人々は周囲からの目を気にしすぎたり、簡単に人の不幸等に心惑わされてしまい自分の我を通すことができません。

例えば、会社でリストラの仕事を割り振られた人が仕事をしているうちに心を病んでうつになるとか、退職するなんてことはまま聞きます。

一方で、他人の痛みなんて感じない人がリストラを任せられたら、何のためらいもなく淡々と仕事をこなすでしょう。

もしかしたらこの類の人は、もっと仕事を楽しくする工夫として「アイツに勧告したらどんな命乞いしてくるかなww仕事を楽しむために命乞いの言い分リストでも作ってみるかな。リストラ勧告が楽しみだ」とか考えるかもしれません。

そう、痛みを感じない人の方が会社としては優秀な人として評価されるかもしれません。

一概には言えないものの、こういった「痛みを感じなくて我を通そうとできる人」は現代では断然生きやすいと思われます。

結果的に資産家や権力者にもなりやすいでしょう。

まあ、因果応報は大筋で妥当なんですが、例外も沢山ありますんで仕方ないですな。

参考記事等

ただ、それでいいよねってことではないのてご注意を。

感受性が高いなら生きにくくて当然だ

生きやすいかどうかは主観的な問題であり、「生きにくい」という思考に陥るのはネガティブ感情を感じる頻度やその強度が強いのが問題なのです。

最初に言ったように、地獄を天国だと思える心を持っているなら何も生きにくいとは考えないという事。

そして、そのようなネガティブ感情の源泉のほとんどは人間関係だといっていいと思います。

事実、職場のストレスの元凶に人間関係をあげる人達は非常に多いですし、ハーバード成人発達研究でも良好な人間関係が人が幸せに生きるためには必要だと結論していますね。

人間関係は、良くも悪くも人の幸福を左右する一大要因なのです。

もちろん、お金の問題も無視できませんがね。

感受性が高いとすぐに身につまされてしまうでしょう。

人と人とが関係しあうとそこに感情の対立が起こることは珍しくありませんから、感受性が高い人は容易に圧倒されてしまうと思います。

じゃあ、ストレスの元凶である人間関係を完全に遮断すればいいかというと、今度はさみしくなってくるというジレンマ。

困ったものです。

あと、感受性が高いとテレビでちょっとした傷害事件やらなんやらが報道された程度で、スグに心にダメージを受けたりしてしまうかもしれません。

感受性の高い人は普通の人以上にネガティブ感情を感じる機会が多いし、その感じる感情の強度も強いです。

そうなったら、生きにくいに決まっているという話ですよ。

命に執着せず感受性が低いやつは生きやすい

極論をさらに推し進めていくと、結局は「死を恐れておらず社交性が高く社会に適合できる感受性の低い人間」が一番生きやすいのではないかって気がします。

一聴するとこんな人はいそうに感じませんが、実はこれに近い人というのが現実にもいます。

これが向社会性サイコパスなんです。

向社会性サイコパスは普通のサイコパスのように反社会的ではないので、普通に社会秩序を守って生活しますしことさら悪事をなそうとはしません。

しかし、目的が定まったならそこに感情を入れずに徹します。

身につまされる事なんて一切ないので、目的を遂行する上で邪魔になるものがありません。

そして、恐怖心も普通の人に比べたら格段に薄く自身の命ですら何とも思わない傾向があるため競争には必然的に有利です。

そして、これも極論ですが、多くの日本人は老後がどうのとかと心配して勝手に未来に対して不安になっていますが、こういった自分の命を何とも思わない人の中には

「人生楽しむだけ楽しんである程度年いってこのまま行くとやばいなってあたりで自殺して人生損きりするからいいよ」

みたいに割り切っている人もいるかもしれません。

まあ、良くも悪くも享楽主義的って感じかもしれないですね。

こういった思考をする人からしたら、「生きにくくなりそうだったらさっさと自殺するんで問題ない」と割り切っているため特に将来を心配することはないんです。

まあ、でも結局こういう自分勝手で図太いヤツほど長生きしている気はしますけどねえ。

晩年になって「俺はいつ死んでもいいと思って生きてたが、気が付いたらこんな年まで生きていたな。不思議なもんだ」とか酒の席でいってたりして。

死への恐怖を克服している人間っていうのは、まあ感受性の高低に関わらずストレス耐性が強いですが、やはり感受性が低くて死への恐怖を克服している方がはるかに生きやすいと思いますね。

いいか悪いかは別としてねえ、、、。

自分の欲しいものも結構手にして満足して死んでいくような気もします。

ま、知らんけど。

まあ、好き勝手してる奴の方がいい目に合うってのもしゃくだけどね。

割とこの傾向はあると思うんですよねえ、、、、。

普通の人や感受性高い人が生きやすくなりたいなら、すべきことは?

まあ、わたしは現代で、本心から生きやすいと思っている人なんて普通の神経をしている人の中には、ほとんどおらんやろなって思います。

特に日本人はね。

じゃあ、もう「生きやすくなんてなれねえから諦めようぜ!」とあきらめるかといったら、「そんなこと絶対いや」ですよね?

普通は命が惜しくない達のように「あー、生きにくいしこの先もあんま楽しくなさそうなので、損きりさせてもらいますわ」なんて簡単に人生損きりできませんから面倒でも生きていくしかないです。

ま、それに正直、人生の損きりをするのがいいみたいな風潮に間違ってもなってほしかないですし。

生きてればいいことあるなんて、そんなくそ気持ち悪い綺麗ごと言いたくないし言いませんけど、対策すればそれなりに幸せに生きれると思います。

結局、人生はメンタルがネガティブ方向へ傾かないように制御できれば、生きやすくなるといえましょう。

安定したメンタルがあるからこそ人間関係が良くなるし、自分のことを客観的に見れて人生での選択ミスが減るってことです。

なので、ストレス解消の手段をできる限り沢山ストックするとともに、柔軟な考え方をするようにしていきましょう。

そして、感受性の高い人に関しては「なるべくネガティブ感情を与えてくるような人やモノには近づかない」のを心したほうがいいと思います。

感受性が高いのを鈍感にすることはまあできませんのでね。

できるだけ、自分の精神に悪影響な物にはかかわらないのが一番です。

以下にストレス対策や思考を柔軟にする方法、メンタル強化の方法などを置いておくので参考にしてみた下さいな。

参考

おわりに

この記事は「「生きやすい人」って結局どんな人たちのことを言うのだろうか?」と題しておおくりしました。

生きやすい人とは結局のところ、「死を恐れておらず社交性が高く社会に適合できる感受性の低い人間」ではないかと個人的には愚考します。

で、現実にこれに近い人というのがいまして、それが向社会性サイコパスでした。

現代のようなストレス社会で、生きやすいなんて思っている人はそんなに多くはないはずです。

普通の人であるわたし達は、サイコパスのように鈍感ではないので、日々ストレス対策をきちんと行うとともに、柔軟に物事を考えるようにしていきましょう。

そうすれば、十分幸せに生きていける事と思います。

では!

参考記事等

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