メンタル強めの人は繊細な人に配慮すべきといえる??「共存は可能?」

「どうにも世の中は繊細な人に厳しすぎやしないか?自分の機嫌は自分でとるべきみたいな話が多いけど、そもそもメンタル強い方も繊細な人に気を使うべきじゃないか?向こうは余裕あるんだしさ。」

まあ、分からんではない。

ただ現実的に考えて、メンタル強めの人がその要求を呑むのかどうかってことを考えると、、、中々難しいだろうなあ。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「メンタル強めの人は繊細な人に配慮すべきといえる??「共存は可能?」」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・メンタルが強い人は繊細な人に配慮すべきなのかについて気になる人
・話のネタが欲しい人

「自分の機嫌は自分でとる」とは以前の記事でも取り上げたあのみやぞんさんの言葉ですが、最近では結構市民権を得てきたような気がしますな。

で、この言葉の意味する所はまあおおむね共感できるのですが、「そうはいっても、、、むつかしいよなあ」と言った気持ちをぬぐい切れませんねえ。

そりゃあ社会人なんだから、周りがどうあるかに左右されずに自分自身の気持ちを一定にたもつのも仕事の内だっていうのも分からんではないんです。

でも、やっぱ「自分の機嫌は自分でとる」のは並大抵の事じゃあないです。

また道義的?に考えたら、そりゃあやっぱり精神的に余裕があるメンタル強い方が繊細な人をサポートするのが筋ってもんでしょう。

ただ、そうはいってもそれには限界があるのも確かです。

周りに期待してもその通りに他人が都合よく動いてくれるなんてことはまずないですし、それを期待しているようではあんまりねって感じですよねえ。

てことで、今回はちょっと繊細な人をメンタルが強い人が配慮すべきか、また繊細な人が配慮してもらうには何が必要かなどについてすこしだけ考えてみたいかなって思います。

なお、なるべく理想主義的な視点ではなく現実的な視点から見てみたいと思う次第。

なお、この記事では「繊細な人≒感受性が強く傷つきやすい人」、「メンタル強い人=傷つきにくい人」といった感じの大雑把な定義で行きますね。

では、ゆるりとおおくりします。

スポンサーリンク


理想論でいうならメンタル強めな人は繊細な人に配慮するべき

人間社会は助け合いが基本なので、やっぱり精神的に余裕のある側であるメンタル強めな人が繊細で傷つけやすい人に配慮してバランスをとるのが理想でしょう。

しんどくて余裕がない人に多くを求めるなんてことをしても悪循環ですよね?

「ない袖は振れない」という言葉のように、「無理なものはどうやっても無理」なんです。

そこに無理な要求をしても本人の苦しみが増すだけ。

なので、「余裕のある側が余裕のない側に手を貸す」のが最適解であるといえます。

職場にせよなんにせよ、繊細で傷つきやすい人のメンタルは結構不安定になりがちなのでそういった人たちと付き合う人たちは、彼彼女らの心の有り様に配慮して傷つかない様に配慮をしていく必要はあるでしょう。

繊細な人たちと言えば、最近話題になっているHSPのような感受性の高い人たちがおりますがあのような感受性を後天的に下げることは現状無理だと考えられるためメンタルの強い側がそちらにある程度あわせていく必要はあると思いますね。

、、、まあ理想論としてはこれでいいと思うんですよな。

助けてもらいたいなら「助けたくなる人」にならんといけないのが基本かも

さて、ここからはメンタルが強い側の人達が余裕ある分繊細な人たちをサポートしてもいいのではないかって話を、もう少し現実的な視点から見ていきます。

理想論通りに考えれば、メンタルが強い人は傷つきやすい人側の基準に照らして負担にならない様な接し方をするべきですが、問題なのは「彼ら彼女らにそんなことをするだけの利があるか」という事です。

そもそも人間の行動の背後にはその行動の目的、表現を変えれば「見返り」というものがあります。

ちまたでは、「見返りを求めない善意」が推奨される傾向にはありますが、厳密にいえば「行動である限り見返りがないなんて事はあり得ない」です。

見返りが行動する本人にとってそれなりに魅力的だからこそ、その本人はある行動をとるのですな。

行動による見返りの魅力をすれば、それが動機となって行動が自発的に起こるでしょう。

つまり、メンタル強めの人達に「繊細な人たちへの配慮をしてもらいたい」と思うなら、「配慮するという行動が起こるような動機付けが必要」という事ですね。

例えば、職場に非常に有用な能力を有するがその能力の発揮には本人の精神的安定が不可欠な人がいたとします。

管理者側や職場の同僚たちなどにとってこの能力の有無が部署全体の業務の遂行を大きく左右する生命線のようなものだったとしたら、何とかこの人のサポートをするでしょう。

しかしこういった人を気遣う事で全体の業務パフォーマンスが著しく低下し上がる成果も低下するならあえてそこに力を使うでしょうか?

書いていて嫌な気分になりますが、そういう事です。

「助けてほしいなら助けたくなるような価値を提供できる存在にならないといけない」というのがおそらく原則なんですな。

一時的に「辛そうだから」のような温情でもって気遣いをしてもらっても、それを持続的に行ってもらうには気遣う本人にとっての利がなくてはいけないのです。

例えば、繊細な人が精神を病んで仕事のパフォーマンスが低下したら、その低下分を補うのはメンタル強めの人達でしょう。

最初の内は「困ったときはお互い様」ですんでいても、さすがにこういった事が連日起こっていたらサポートする側も「いい加減にせえよ?」てなりそうです。

もっともサポートしたらした分の給料が上乗せされるんなら、文句も言わないでしょうが。

まあ、これはほぼ管理者側のマネジメントの話になってしまいますな。

また職場の例を離れてみても、メンタル強めの人が何にも気にしない事にも繊細な人は傷つくため、「何だよノリ悪いなあ」とか「もう一緒にいてもこっちが気を使うからめんどくせえよ」て話になって疎遠になっていくかもしれません。

「困ったときはお互い様」は事実ですしもっとみんなが認識すべきことだと思いますが、あまりに度が過ぎると「いつも負担を押し付けられていて不公平だ」みたいな話になりかねないんです。

お互い様の基本は「お互いにとってあまり気にならない程度の負担」であることが原則なんだと思うんですね。

親切なんかもそうで、自分にとってしんどいレベルの人助けをしていたら「少しくらい感謝しろよ」等と押しつけがましくもなってくるのでいいもんじゃありません。

人は「この人と一緒にいると楽しい」とか「この人は有益な能力を持っている」のように何らかの価値を提供してくれるからこそ、誰かから求められるという見方ができます。

ただそういった価値を感じてもらえるかどうかには、結構運もかかわってくる気はしますねえ。

で、個人的にはそんな運が悪くて不遇な時に再起の手助けをしてくれるのが国とかの公共的組織の役割ではないかなあって最近思ったりします。

やはり結局は自分次第

結局現実的な視点から言うなら、繊細な人が配慮してもらいたいのであれば、「相手に何がしかの価値を提供する」のが原則なんじゃないかって話です。

そうなってくると、結局は「自分で自分を改革していく」というところに行きつくのかもしれません。

、、、みもふたもないですけど、やっぱりそうなりそうです。

では、繊細な人ができる努力には何があるかって話ですが、例えば以下の様な努力の仕方があるかもしれません。

  • 外向的にふるまう
  • メンタルケアをできる限り頑張る
  • 自分に価値を感じる人と出会えるように行動してみる
  • 仕事で有用なスキルを多数修得したり、業績を上げて一目置かれるようになる

業績に関してはもっぱら仕事での事なのでいいとして、わたしがこの中でとにかく優先的にやってほしいのは「メンタルケアと人との出会い」です。

特に心理学の視点から言うと孤立は本当に有害なので、人とのつながりはしっかりと確保しておきたいところですよ。

でも、繊細な人達の中には「相手に気を使わせてしまって嫌がられた」なんて経験をしている人も多くないようですから、結構悩みの尽きないところです。

ただ一つだけ確かな事があります。

それは

「自分を好きになってくれる人は必ずこの世界にいる」

という事です。

百人いたら百人全員に嫌われるなんて人はいないんですよ。

百人いたらその中の20人くらいはあなたの事を応援してくれる味方です。

なので、「自分の理解者はきっといる」という事だけは、決してあきらめないでほしいんですな。

繊細な自覚のある人はそういった自分に価値を感じてくれて波長がある人を見つけてそういった人との関係を大事にしていくといいんだと思うんですわ。

で、仕事に関してはもう仕事は仕事なので、スキルを磨くのとメンタルケアを頑張るのが主でしょう。

ただ、繊細な人に関して言えば程度や状況にもよりますが基本的に「自分が嫌な事やできない事ははっきりと無理だと伝える」という勇気を持ちましょう。

ただの優しく押しが弱い人は「都合がいい人」と悪い方向に解釈されることがままあります。

「ダメな時はダメ」とある程度強く主張する強さももってください。

ただまたこれも日頃のメンタルケアとかが充実しているかにかかってくるという、、、ああ堂々巡り感がすごい(笑)。

メンタルケアについては以下の記事を参考にしてちょっと頑張ってみてください。

おわりに


この記事は「メンタル強めの人は繊細な人に配慮すべきだといえる??「共存は可能?」」と題しておおくりしました。

なんか今回は「結局何が言いたいねん」みたいなとりとめのない感じに終始してしまったようで申し訳ない、、、。

ただ言いたいのは結局、「人は何かしら利がなくば動かない。人に動いてほしくば自分が価値を提供するか自分に価値を感じてくれる人と仲よくしよう」って話になります。

正直、理想を言えばメンタルの強い側がもっと配慮をすべきなんですけどね。

その動機付けがない限り、彼ら彼女らが気を使うことはないって考えた方がいいと思います。

そうなると現実的には、人の善意を当てにしないで自分で出来る事をとやって対策するとか自分を好きになってくれる人と仲良くするしか手はないと思うんです。

で、最後に言っておきたいのは、繊細な人はその繊細さをきちんと武器にすれば鈍感な人よりも大きな何かができるはずって事。

ただその感受性は使い方が難しいのが難点なんです。

繊細な人たちにはその感受性の高さを卑下するようなことはしてほしくないですなあ。

自分がすっごい武器を持っているという事をくれぐれもお忘れなく。

では!

参考記事等

『プルキンエ現象』日が暮れると青いものは明るく見え赤いものは暗く見える?

我の強い人は我の活かし方をポジティブな方に向けると人生よくなる

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事