「最近、『共感力なんていらない』っていうことを言う人が増えてきた気がする。自分は共感力って大事だと思うけどな。なんで、共感力たたきみたいなことする人が出てきたんだろうか?」
ふぬ、多分最近のいわゆる「お気持ち主義」みたいなものに対する反発が高まっているのが関係していたりするんかねえ。
ま、知らんけど。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのぐれんの おにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「共感力はいらない」のはある意味で本当。「感情移入しない事の必要性」」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 共感力は必要なのか不要なのかについて気になる人等
はい、最近になって、グーグル先生が「共感力 いらない」というサジェストキーワードをわたしに、投げつけてきました。
人の悩みに向き合う立場のわたしとしては、「お?社会で何が起こっているん?」みたいに良くも悪くも好奇心が掻き立てられる事態です。
共感力の必要性が叫ばれてある程度たちますが、その反動という事でしょうか?
共感力って一般的な認識では良好な人間関係を築いていくうえで不可欠なものとされています。
それは心理学的観点からいってもその通りです。
でも、人によっては「共感力なんてなくても上手にコミュニケーションはとれる」と主張する人がいます。
一見暴論のようですが、共感というもののとらえ方によっては正しい理屈かもしれないって思いますね。
今回は少し「本当に共感力はいらないのか?」について考えてみたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
Eqが高いと年収が高い
さて、共感力に関しての話をするにあたって、一時期日本でも取り上げられた「こころの知能指数」といわれるEQについて触れないわけにはいかないでしょう。
海外では、EQについてまだまだ研究が精力的に続けられているようで、以前の記事にて触れたように最近になって「EQが高い人は年収が多い傾向がある」という研究が発表されています。
参考
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/job.1975/abstract
これはドイツのボン大学による研究であり、その概要は大雑把に以下の通り。
- 142名の男女が対象
- 共感力テストにより全員のEQを出したうえで、彼彼女らの同僚や上司に「普段彼彼女らはどんな働きをしているか?」についてアンケートをとる
この結果、アンケートで「デキる人」と評価された被験者はEQと年収が高い傾向があったといいます。
なぜこんなことが起こるのでしょうか?
その理由として考えられるのは、「EQが高いと相手のニーズを把握できるため組織内や社外での立ち回りが上手くなる」というものでしょう。
つまり、EQが高いと社内政治に強くなるし顧客に対してもいい印象を与えられるというわけです。
まあ、これなら仕事で成果も出るし上司からの受けもよくて出世しますわな。
日本的な言い方をするなら「空気を読むのが上手い」ってことでしょうか。
お気持ち主義への反動が共感不要論?
最近、よくわたしが聞く言葉に「お気持ち主義」とか「お気持ち社会」なんてものがあります。
「お気持ち主義」というは、まあ凄く雑に言うなら「他人への配慮を重視する考え方」のことでしょうか。
その「お気持ち主義」が蔓延した社会を指して「お気持ち社会」等というのだと思います。
なお、現在いわゆる過激派フェミニストによってなされる言論の一部等は、この「お気持ち主義」に属する模様。
他人に配慮するのは当然大事です。
しかし、それが行き過ぎて「配慮至上主義」みたいになってくるとちょっとした失礼でも揚げ足をとって「あやまれ!」等と糾弾する輩が出て来る気がしますな。
配慮至上主義は、「感情優先の人間が自身の感情を正当化する盾」として悪い意味で機能してしまっていると思う次第。
そのせいか、現代は多くの人が「誰かを傷つけやしないかヒヤヒヤして生活している」感じがしますね。
確かに、相手に配慮しつつ気持ちを伝える事は大事ですが、完全に傷つけないのは不可能なので、そこはその都度修正を図りながら進んでいくしかありません。
まあ、傷つけない努力は必要だけどゼロにはできないよってことです。
で、こういった「配慮至上主義」的な傾向が蔓延するにつれてその反対勢力として、「共感力なんて必要ない」という事を主張する人たちが出てきたんではないかって思いますねえ。
正直言うと、わたしもどちらかといえば「お気持ち主義には反対の立場」です。
「ハートより客観的な分析」といったスタンスが基本ではあります。
「人の役に立ちたい」のような感情は行動の動機とはなりますが、それを結果に反映するには分析とそれに基づいた実行が不可欠です。
経験上、その方が人間関係も仕事もうまくいってきましたしね。
感情優先になるとそれこそまさしく「単なる感情論」に終始してしまい、何も具体的に解決できないのでわたしは反対の立場をとっているんですな。
言い方が悪いですが、男女問わず感情優先になっている人の発言はもはや「動物の鳴き声」に等しいくらいにあまり意味をなさないものに思えます。
わたしも感情的になったら、鳴いているわけですよ、「ニャー」だか「カー」だか知らんけども、きっと。
大事な共感は「他者視点取得」の方である
お気持ち主義者達はわたしが思うに「かわいそう」のような主観的な感情をクローズアップしすぎて、その感情に飲み込まれているような感があります。
わたしが当ブログで繰り返し言っている「自他の感情を区別できない状態」に陥っていることが多いという事です。
具体的に言うなら、「相手が辛そうだから自分もつらい」とか「相手がないているのを見ていたたまれなくなってもらい泣きした」みたいな共感をしがちなんです。
こんな「お気持ち優先」みたいな考えが社会に広まったら、物事の解決や進展が非常に阻害されそうですねえ。
一向に物事は進まず、泣きあい喚きあいの果てにただの傷のなめあいに終始する、、、。
もう、地獄絵図でしかない。
こういった現象は感情伝染といいますが、共感にはもう一つ「他者視点取得」というものがあります。
これは文字通り「他者の立場に立つ」事です。
昨今言われる「共感力はいらない」の主張は、主に「感情伝染を優先する立場」に向けた批判であろうと思いますね。
もし、そのように解釈するなら、わたしも大筋賛成です。
先ほど挙げた心の知能指数であるEQが高い人が年収が高いのは、「相手のニーズをつかむのが上手いから」だとわたしはいいました。
もし、このように考えたなら、仕事で成果を出したり出世するには「他者視点取得が大事である」という事になるでしょう。
そして、これはコミュニケーションにおいても言えます。
相手のニーズをくみ取って相手の立場に立って会話をしていけば、相手は心を開いてくれるようになるものです。
もし、感情伝染がほとんど起こらない人であっても問題はありません。
人の話をしっかりと聞くスキルである傾聴に必要とされるタイプの共感は、主に「他者視点取得」の共感であって「感情伝染」ではないのです。
むしろ、感情伝染が過ぎると「一緒に泣いてしまう」のような「自他の感情の混同」が起こってしまいます。
「いわゆる感受性が強い人が、誰かの相談に乗るのに適さない」と、わたしが考えているのもそのためです。
このような状態は物事を解決する場面においては、不毛極まりないものです。
また、何かを解決しないにしても感情伝染が過ぎると感情のぶつけ合いに発展してしまうことも多く、あまり良好な人間関係の構築には資さないと、わたしは考えています。
「共感力はいらない」という主張は、「感情伝染はいらない」という主張だと読み替えていい気がしますね。
で、わたしは「共感力は必要だけどそれは主に他者視点取得であって感情伝染ではない」と思っています。
「他人の気持ちに寄り添う」等とよく言いますが、これは「自他の感情を明確に区別出来ていて初めて出来る事」だといえましょう。
感情伝染によって「自他の感情を混同した人」は、「寄り添っているのではなく感情に埋没している」に過ぎません。
まったく、別物といっていいでしょう。
共感力を鍛える具体的な方法
さて、共感力自体は上述のように必要なので、最後にその高め方について見ていきましょう。
カリフォルニア大学のダッチャー=ケルトナー教授の著書「The Compassionate Instinct」によると、共感力を高めるためには以下のような方法があるとのことです。
- ヨガ
- 瞑想
- 祈り
- 自然に触れる
- 宇宙の壮大な写真を見る
- 自己犠牲をテーマにした作品に触れる
- 難解な純文学を読む
これらの方法によって、脳の迷走神経が刺激され結果として自然と他人への共感力が強くなる模様。
この中で、手軽にできそうなのは「自然に触れる」とか「宇宙の写真を見る」でしょう。
スマホの待ち受け画面に宇宙を設定してみるといいでしょうね。
そうすれば、自然と毎日スマホを使うたびに共感力が磨かれます。
まあ、個人的には瞑想が一番お勧めですけども。
「自己犠牲をテーマにした作品」に関しては、以下の作品なんかが適しているかもしれません。
・塩狩峠
・樅ノ木は残った
また、「難解な純文学」に関しては、アメリカの作家であるリディア=デイヴィスさんの作品を読んでみるといいかもしれないですねえ。
なにやら、共感力を高めるのに最適だって言われているようなので。
おわりに
この記事は「「共感力はいらない」のはある意味で本当。「感情移入しない事の必要性」」と題しておおくりしました。
最近、ちまたで聞くようになった「共感力はいらない」という主張は、昨今の「お気持ち主義」に対するアンチテーゼではないかと思います。
共感力自体は良好な人間関係を構築するにあたって不可欠なものですが、主に重要となるのは「他者の目線に立つ共感」です。
「身につまされる」のようなタイプの共感を重視しすぎると、自他の感情の混同が起こって個人にも社会にもいいことはないといえるでしょう。
常に自分の感情を客観視していきたいものです。
では!
参考記事等